1-4 魔王城
アディストリア大陸南部を占める国家、レアルノ王国。
先代魔王が姿を現した際には魔族からの度重なる襲撃を受け、『人族同盟』と魔族の戦争の最前線となるなど、かなりの大打撃を受けたこの国は、海洋技術において他の追随を許さない海洋国家と呼ばれるまでに復興を果たしてみせた国だ。
そんなレアルノ王国、王城内執務室。
現レアルノ王国国王――グレイ・アスティンは、目の前に差し出された一枚の書簡に頭を悩ませていた。
「……金の亡者共め、一体どこから嗅ぎ付けたのか。それにしても簡単に言いおるわ」
「彼奴らはなんと?」
「端的に言えば、「金は出すから魔大陸を調査し、貴重な素材を含めた資源を調査してこい」と」
「……それはそれは、実に単純な思考ですね」
執務机の向かいに立つ線の細い男。このレアルノ王国の宰相を務めるジャスパー・グランツが呆れるのも無理はない、とグレイは嘆息しつつ瞑目した。
「魔素の濃い魔大陸は謂わば未開の地だ。おおかた、彼奴らには宝島か何かにでも見えておるのであろう」
「確かに未開の地と言えば聞こえは良いかもしれませんが……。いくら魔大陸の空を覆う黒雲が消えたとは言え、『霧啼きの海』が待ち構えています。資金を工面してくれるからと単純に兵を差し向けても呑み込まれるのが関の山でしょう」
「分かっておる。――しかし、断れる立場にないのもまた事実だ」
だからこそ厄介なのだ、とグレイはそう付け加えて沈黙した。
――――彼らを悩ませているのは、エルバー商業国からの一枚の手紙であった。
かつて大打撃を受けたレアルノ王国が持ち直せたのは、レアルノ王国の北部――アディストリア大陸の中央部に位置するエルバー商業国からの資金援助のおかげとも言える。設備、人、金に食料。その多くを補填してもらい、持ち直せるだけの地盤作りに貢献してもらったという経緯がある。
もちろん、それはただの善意からではない。
魔大陸から最も近く、再び魔族が攻め入る際の防波堤の役割を担わせつつも、復興時の多大な恩で実質的支配下に置かれているのが実情だ。
傀儡化するのが気に喰わないからとエルバー商業国に楯突き、今回の提案を一蹴しようものなら、経済制裁を受けてレアルノ王国はたちまちに資源不足に陥ってしまう。
海洋国家としては有名ではあるが、それを実際に支えているのはエルバー商業国による支援があってこそ。断れる理由などなかった。
「ですが陛下、これは良い機会とも考えられます」
「……魔大陸の手付かずの資源をアテにするとでも言うのか?」
「そちらはあってないようなものでしょう、あまりアテにはなりません。ですが、彼の地は魔大陸。魔大陸に棲まう者がいます」
「……魔族か」
「左様です。かつての大戦以来、異常なまでの強さを有していた魔族は次々に勇者や英雄によって討ち取られ続けています。かつての伝承を信じるのであれば、魔族は本物の魔王がいなければ数も増せないはず。生き残った魔族を捕らえ、奴隷にして戦力にするも良し、好事家に売り払うも良し。うまくいけば、現在のエルバー商業国に依存しきっている状況を脱却できるやもしれません」
魔族の奴隷と言えば、あらゆる奴隷の中でも価値で言えばかなり高い。魔力を有し、膂力もあり、さらには〈
ジャスパーとてレアルノ王国に生まれ育った者。決して魔族が弱いなどと錯覚しているわけでも、侮っているわけでもない。
現在はレアルノ王国の造船技術も大戦時に比べれば大きく進歩している。『霧啼きの海』とて、最新の戦艦を使えば越えられるだろうと思える程に。確かに出費は大きいが、レアルノ王国主導のもとで魔大陸を手に入れられると言うのであれば、これは大きな転機となるだろう。
考えこそ理解できたが、それでも未だに煮え切らない様子をみせるグレイの懸念を見破って、ジャスパーはさらに続けた。
「陛下、一つ良い提案があります。戦争で浪費する資金を補填し、減ってしまう兵を増やす手が」
「……ほう。聞かせてみよ」
「はい。新たな魔王の存在を世界に向けて発信すれば宜しいかと」
「新たな魔王、だと?」
「もちろん、そんなものが存在していれば我々とてこうして悠長には構えておりません。筋書きとしては、「黒雲が消え去り斥候を放った結果、再び魔王が生まれる兆しあり。これを早期に討つため、協力を求める」と陛下の名で宣言するのです」
魔王討伐の大義名分のもとで世界に協力を求めれば、どの国もそう簡単には無碍にはできない。決して攻め入ることのできなかった魔大陸に攻め入る海洋技術を持つレアルノ王国がそう宣言すれば、どの国も利権を求めてやって来るだろう。
「しかし、それでそれらしい者を討てなければどうする。他国に強い魔族を討ち取られてしまっては意味がないであろう」
「何も周辺国が動き出すのを待つ必要はありません。我々が先んじて魔大陸へと乗り込み、後に続かせれば良いのです。さすれば、周辺国も挙って我が国へと戦力を送り込み、金を落としてくれます」
「なるほど。協力を求めるとは言え、足並みを揃えて魔大陸に攻め入るつもりはない、というわけか。更に魔大陸を先に制してしまえば……」
「英雄王として陛下の名は瞬く間に世界に轟き、魔大陸で手に入る品は確実にレアルノ王国を経由します。そうなれば、エルバー商業国の金の亡者共も大きな顔はできなくなるでしょう」
決して悪くはない提案であった。
現在、世界各国では国同士の軋轢が徐々に生まれつつある。そのため、魔王討伐の大義名分を掲げたところで迅速に行動する国は決して多くはない。発表を急ぎ、互いに互いを牽制しあってもらっているその間に秘密裏に船を増やし、どこよりも早く魔大陸を制しつつ、そこでかかる費用を後続する者達に落とさせ、兵力の補充として他国からの援軍を利用すれば、レアルノ王国としても痛手を負うこともない。
いずれにせよエルバー商業国からの提案を断れないのであれば、堂々と魔大陸に侵攻すると宣言し、エルバー商業国のみに甘い汁を吸わせずにレアルノ王国主導で動いてしまえば良い。
「――よかろう。至急手筈を整えよ」
「御意に」
こうして、レアルノ王国は動き出す。
彼らはまだ知らないのだ。
大義名分の為だけの仮初の魔王の存在が、今まさに実在しているという事実。
そして、彼らの行動こそが、魔王アゼルの存在を世界に知らしめる手助けになるという事を――――。
◆ ◆ ◆
魔王城は崖の上に位置しており、その高さは眼下に広がる森を俯瞰できる程度には高低差を有している。崖側はリリイの庭園――つまりは魔王城の裏側となっており、切り立った急な斜面は天然の要塞としての役割を果たしている。
しかし、魔王城の玄関口とも言える正門側は、かつての本物の魔王が築いた町の残骸が広がり、今では荒れ放題の地となっている。さらに付け加えると、どうやら魔王城には城壁すら申し訳程度に存在してはいるものの、もはや崩れて意味を成していない。
「……なるほど。まったくもって無意味だな、この城」
稚拙、雑、無意味。
ネフェリアに魔力を操る教えを受けつつ魔王城を俯瞰するように空を飛んだアゼルは、眼下に広がったそれらの光景を見るなり嘆息した。
本来城を建てるのであれば、防衛を考えるのが普通だ。
切り立った崖の上に建っているという点から、てっきり城自体が天然の崖の上に立っているのかと勘違いしていたアゼルにとって、城の入り口から僅かに進んだだけで集落跡地とでも言うべき場所が広がっているなど、予想外である。
あくまでも権威の象徴として建てられた建物であるとでも割り切るべきか、もしくは先代魔王はアゼルが考える以上にちょっと残念な頭の持ち主であったのか。
「――……いや、意味はある、のか? この感覚……」
「いかがなさいましたか、陛下?」
空に浮かび、腕を組んだままいつまで経っても下りてこないアゼルに声をかけに、わざわざネフェリアがやってきた。
美しい顔をきょとんとさせながら小首を傾げるネフェリアの、アンバランスな無防備さに思わず見惚れたアゼルは咳払いして、魔王城を指差した。
「ネフェリア、魔王城ってのはキミにとってどんな存在だ?」
「魔王城、ですか? 本物の魔王こそがいるべき地、我ら夢魔族の守るべき場所、でしょうか」
景観、機能性といったものは二の次であり、どうにも的外れな感想が返ってきたのも無理はない。魔王城は先代にして初代魔王が建てた、謂わば魔族にとっては神聖な地なのだろうとアゼルは当たりをつける。
だが、そんな事はアゼルにとっては、そう。
はっきり言って「どうでもいい」。
「魔王城、建て直そうか」
「……は、はい?」
困惑するネフェリアの返事が、青い空の下に響き渡った。
「――という訳で、この魔王城はあまりにも無意味だ」
所変わって、魔王城内部。
アゼルの提案により集められたネフェリア、エニスとレナン。ベルファータとリリイを前に、アゼルは魔王城の現状についての説明と、建て直す意味についてを説明していた。
やはりと言うべきか、困惑しているのはネフェリア率いる夢魔族の面々だ。魔王城を守り続けてきた者達として、まさかその主であるアゼルに「この城は無意味」とまで言われる事になるとは思ってもいなかったのだろう。
「修復するにしてもどうしたって大掛かりな手間にはなるでしょうし、私は異論ありませんわ」
夢魔族とは異なり、リリイは賛成を示した。
ついでとばかりに自分の庭園を広げて欲しいという要望をアゼルに向かって話しており、すでに要望を受け入れるつもりであるアゼルは、魔王城の位置そのものを少しばかり移動させようかとも考え始めていた。
「り、リア姉様。よろしいのですか?」
守り続けてきた魔王城を壊されてしまうと知り、慌てた様子で声をかけるレナンには、どこかおっとりとした彼女らしからぬ動揺が見て取れた。その横に立つエニスもまた、無表情で凛とした雰囲気の彼女にしては珍しく、少々戸惑った様子でネフェリアを見つめている。
「私達が守ってきたのは「魔王城」ではく、「陛下がお帰りくださる場所」であったという事ですよ、レナン。陛下のお望みに応える。それこそ、私達の望みという意味ではなんら可笑しな事ではありませんよ」
今となっては落ち着いて受け止めて答えてみせるネフェリアも、最初は困惑していたのだ。アゼルの前だというにも関わらず私語を口にしてしまうレナンに、ネフェリアは苦笑を浮かべて答えた。
「むぅ、それにしても良いのかの? 陛下はヴェクターとの戦いが控えておるのであろう? 彼の者は短慮な所こそあれど、実力は紛い物ではないと思うんじゃが」
堅苦しい言葉遣いを好まないアゼルに対し、ベルファータは彼女らしい言葉遣いのまま接する事にしている。なんだかんだと夢魔族を恐れてはいるものの、どうにも敬うような類の言い回しは苦手なようで、アゼルもまたその方が親近感が湧いて気楽だと言い切っているため、ここにいる面々の口調については気にするつもりはないようだ。
「そっちは問題ないよ。それなりに戦える――と言うより、加減ができないんだ」
「ぬ? どういう事じゃ?」
「ベルファータ様。陛下の魔力弾は、私達では受け止める事すらできないのです」
「……じょ、冗談であろう……?」
「いえ、本当です。正面から受ければ、良くて半死半生。悪ければ消滅します」
エニスに告げられたその言葉は、ベルファータも思わず目を見開く内容であった。
確かに夢魔族は決して強固な身体を持っているわけではない。だが、こと魔法の扱いという点では、火力面ではそこそこ、防御面では魔族の中でも五指に入る程には卓越した技術を持ち、相応の魔力量を有している一族だ。
魔力に親和性を持つ魔族の中でも上位五指に入る程の夢魔族。それもその精鋭であると言えるエニスとレナン、ネフェリアの三人でさえ、アゼルの放つ魔力弾を前に無傷ではいられない。
本来、魔力弾は詠唱などの必要がないおかげで、即座に放てるという利便性がある反面、魔力の消費量と威力の低さから滅多に使われないはずの代物なのだが、これが使用者がアゼルとなると話は変わる。
例えばアゼルが放つ魔法が、もしも魔法としてしっかりと構築されたものであったのなら、相殺するなり威力を軽減するなりといった対策も取れるのだが、アゼルはそういった手間を使わずとも魔力弾のみで十分過ぎる程の火力を発揮することができるため、その必要性がないのだ。
アゼルの使う魔力弾は、ネフェリアらの魔法を呑み込んでもなお一切の衰えすら見せないといった暴力の権化であったがため、最近では魔法よりも体術の訓練や、身体能力の強化であったりと補助能力に活かす方向性を主なメニューとしている。空を飛ぶというのもまたその一環であった。
そのおかげで、魔王城の無意味ぶりが露呈される事になり、現在に至っているのである。
「ですが陛下、確かに彼女の言う通りヴェクターとの戦いの後でも宜しいのではありませんか? 決闘まであと三日、可能な限り戦闘面での強化を優先した方が……」
「それもそうなんだけどね。正直、やっと少しずつ慣れてきたってところで、あまり自分の力がアテにならないんだよ」
リリイに返ってきたアゼルの返答は、まるで雲を掴むような内容であった。
魔王の身体となってこの世界に生誕して、まだ五日だ。
アゼルの身体は「身体が宿すモチベーション」というものと意識のすり合わせが日を追う毎に高まっている状態だ。
神々によって生み出された、亜神を名乗る少女神。
そんな彼女によって生み出されたこの身体は、かつて世界の歪みから生じた魔王のそれとは比べようもない程に強大な力を有しているが、器となった身体に対して魂であるアゼルにとって、有り体に言ってしまえば認識が追いついていないのである。
リリイだけがアゼルの返答が示す意味を理解したようで、納得した様子で引き下がってみせると、疎外感を覚えたのかネフェリアが僅かに表情に影を落としつつも、気を取り直してアゼルへと向き直った。
「具体的にはどうなさるおつもりで?」
「うーん、一度この城を崩しながら資材をそのまま流用する形になるかな。それでも足りない分を補う事になるだろうけど。それにリリイの要望もあるし、もう少し庭園側を広く取れるように全体的に少し移動する形を取ろうと思ってる」
「移動、ですか……? そうなると、少し難しいかもしれません」
「まぁこの人数でやるのは確かに骨が折れそうだけどね」
いくら力があり、重機さながらの力すら発揮できる魔族であるとは言え、一朝一夕でそんな真似をできるかと言われれば不可能だ。
だが、どうやらネフェリアが「難しい」と表現したのは少々違った理由があったらしく、ネフェリアは「そうではありません」と否定した。
「陛下、この城の地下には宝物庫があるのです。その宝物庫の最奥には封印された魔剣があり、それをどうにかしない限りは難しいかと」
「魔剣?」
「はい、先代魔王様が使っていたとされる魔剣です。主を失い、制御のタガが外れてしまったかのように荒れ狂い、多くの魔族の命を喰らい尽くすというあまりにも危険な力を宿していたため、当時の夢魔族達が自らの命を代償に封印しているのです」
ネフェリアから告げられた魔剣の存在にピクリと眉を動かしたアゼルは、先代魔王を知るリリイへと視線を向けた。
「……いいでしょう。陛下、わたくしが魔剣のもとへと案内いたしますわ」
「り、リリイ! それは私が……!」
「いや、ネフェリア。悪いけど、リリイと少し話したい事もあるから彼女に頼むよ」
「……はい」
気落ちするネフェリアには悪いと思いつつも、アゼルは先導するリリイに連れられて魔王城の地下へと向かうことにした。
「――リリイ。魔王の使った魔剣って話だけど、それってつまり「世界の歪みの残滓」だろう?」
地下へと続く階段を降り、周囲から何者の気配も感じられなくなった頃。アゼルは先程感じた直感を確認するようにリリイへと訊ねた。
「御賢察の通りですわ。先代魔王――ジヴォーグが自らの力を凝固させ、剣の形を象らせた『歪み』そのもの。どうしてお判りになったのです?」
「なんとなく、かな」
理由は分からないが、アゼルは確かにその違和感を感じ取っていた。魔王城の奥深くにある、何かの気配。異質とも異様とも取れる空気を放っているかのような、広大な風景画の中の一部だけがぐちゃぐちゃに塗り潰されているかのような、そんな奇妙な気配を。
だからこそ、ネフェリアに「魔王城はどんな存在だ?」という抽象的な質問を投げかけるはめになったのだが、ネフェリアから返ってきた返答はそれらしいものではなかった。
もしや気のせいなのかと思いつつあったが、ここにきてアゼルが感じ取っていた気配は徐々に強くなっている。
「陛下、こちらですわ」
地下へと続く長い長い階段を降りた先、重厚な扉に煌々と輝く赤黒い魔法陣を描いた扉がアゼルを出迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます