1-3 〈道化〉の提案

 カツカツと靴を踏み鳴らしながら、魔王城の中をアゼルは歩く。

 時折すれ違う、使用人を彷彿とさせるような統一された制服に身を包んだ夢魔族達は主の帰ってきた魔王城を掃除しているようで、アゼルに気がつくと通路の脇に逸れ、深々と頭を下げた。

 その姿に思わずアゼルは苦笑した。


 今朝方、リリイの庭園へと向かう際にネフェリアらに「他の夢魔族も畏まった態度はしなくていい」と伝えてもらおうと試みたアゼルであったが、それを聞いたネフェリアが表情を曇らせたのは記憶に新しい。

 アゼルの言葉は、魔王に忠誠を誓い、側近として生きてきた自負や矜持そのものを否定されてしまっているように聞こえかねないのだと、ネフェリアは悲しげにそう告げたのだ。悲痛な表情を浮かべたネフェリアによってアゼルの迂遠なお願いはあっさりと却下され、夢魔族達は喜々として使用人の立場をこなしている。


 慣れないむず痒さのようなものを感じながらも、アゼルは王城の中を進み、玉座の間へとやって来た。


 そんなアゼルを待っていたのは、ネフェリアとエニス、それにレナンとベルファータといった昨日顔を合わせた面々と、見た事のない四人の魔族だった。


 好奇の視線。

 見定めるような視線。

 感心するような視線。

 敵視するかのような視線。


 そんな四者四通りの視線を向けられつつも、アゼルはそれらに戸惑いも苦笑も浮かべないまま、四人の佇む中央の道を歩き、玉座へと向かった。


 そんなアゼルの前に、一人の男が立ちはだかってみせた。


「テメェが魔王だな?」


 目の前に立った、背の高い黒髪の短髪を逆立てるような男。

 引き締まった身体の背に生えた爬虫類を思わせるような黒い翼と太い尻尾を持ち、縦に伸びる瞳孔を宿した金色の瞳でアゼルを見下ろし、威嚇するように睨みつけていた。


「無礼な真似を……ッ! 下がりなさい、ヴェクター!」


「黙ってやがれ! 俺ぁコイツと話す為に来たんだ、邪魔してっと噛み砕いちまうぞ、あぁ!?」


「貴様……ッ!」


「ハッ、純粋な戦闘能力で俺に勝てると思ってんのか? 魔王の腰巾着風情が。魔王サンよお、黙ってりゃ助けてくれると思ってんのか? まさかビビッてるわけじゃねぇよな、おい」


 瞬時にアゼルの隣へとやってきたネフェリアに向けて牙を剥いて吼えるヴェクター。

 主を愚弄されて黙っていられるはずがなく、ネフェリアとエニス、レナンが一斉にヴェクターへと向かって動き出そうと腰を落とし、ヴェクターもまたそれらを迎え撃とうとニヤリと笑った瞬間。


「――静まれ」


 低く静かな声と共に、アゼルの身体から強烈な魔力が放たれ、四人はその場に釘付けにされた。


 傍観を決め込んでいたヴェクター以外の三人もまた唐突に襲う重圧に驚愕と恐怖、愉悦の混じるようななんとも奇妙な反応を見せつつも、声をあげずに静観を続ける。

 誰もが動かないのではなく、動けなかった。

 もしも一歩でも動こうものなら、死ぬ。

 そんなイメージがありありと浮かぶのだ。


 ヴェクターをまっすぐと赤い双眸で見上げたアゼルの表情は、怒りに染まるでも嘲笑に歪むでもなく、ただただまっすぐと、一切の感情もないかのように見える。


 アゼルは一歩前へと歩み出ると、ヴェクターに向かって声をかけた。


「先程の質問に答えよう。俺が魔王、アゼルだ。――それで、キミは俺に敵対しに来たのかい?」


「ぐ……っ、クソッタレが……ッ! あぁ、そうだ! ぽっと出の魔王なんざに指図されんのは我慢なんねぇからなぁ!」


 アゼルから放たれる重圧を正面から耐えてみせつつ吼えてみせるも、ヴェクターとて気付いている。

 今の一瞬で、まざまざと力の差を思い知らされている。

 この魔王は紛れも無く本物であり、圧倒的な強者である事ぐらい。


 誰もがヴェクターの死を予感する。


 そんな中、アゼルから放たれていた濃厚な死の気配は霧散し、その場にいた全員が威圧から解放された。


 アゼルは、笑っていた。


「くくくっ。うん、いいね。キミみたいなタイプがあっさりと言う事を聞いてくれるとは思えないよ」


 そう言いながら、アゼルはヴェクターの隣をすっとすれ違うように歩き出しながら、ヴェクターの真横で一瞬だけ立ち止まった。


「もう一度、後で改めて言おうと思うけどね。本当に敵対するのなら、キミ達を殺す。よく考えてから喋った方がいいよ」


 先程までの威圧など一切ない、まるで世間話の延長のような物言いで告げられるアゼルの宣言。

 身を強張らせ、動かないまま返事もないヴェクターらの目の前を悠然と通り過ぎ、アゼルは玉座へと腰掛けた。


「さて、改めて自己紹介といこう。さっき彼にも言ったけど俺はアゼル。魔王だ」


 来訪した四人を見渡し、返答を待ってみる。

 すると一人の女がおもむろにため息を吐いて一歩前へと出てみせた。


「ふぅ。まったく、竜の坊のせいで一時はどうなるかと思ったけどねぇ、血を見ずに済んだのは幸いだよ」


 蠱惑的な声でころころと笑う姿。妖艶さを醸し出す胸元の大きく空いた、さながら和服を思わせるような服装の女性は、頭頂部の白い耳と同色の真っ白な髪を靡かせながら、恭しく頭を垂れた。


 細い身体からは白いふわふわとした尾が九本、ゆらゆらと揺れていた。


「あたしは妖狐族、〈九尾〉のラン。この大陸の獣魔族――まぁ分かりやすく言えば「獣人族セリアンもどき」の魔族を仕切らせてもらってるよ」


 まさかネフェリアから今朝教わった相手がこうして出てくるとは思わず、アゼルがちらりとネフェリアを見やると、ネフェリアは微笑みを湛えて小さく頷いた。ネフェリアは、ランがここに来るだろう事を予見していたのだろう。

 魔大陸の獣人族を仕切るランならば、この魔王城の異変、赫空の消失に動くであろう、と。


 故に妖狐族の存在を仄めかした説明をしたのだが、どうやらその狙いは間違っていなかったようだ。


 続いて、ランの隣に立っていた一人の男が一つ咳払いをしてみせた。


「魔王よ。我は『鬼』の長、ガダ」


 短く、簡素な挨拶を口にしたのは筋骨隆々の、まさしく鬼といった表現が相応しい容姿のガダである。

 赤黒い肌、鍛えあげられた肉体を晒した三メートル程はあろうかという巨躯を晒している。黒い胸当てやグリーブを思わせるような装備品はなかなかの逸品のようだ、とアゼルは口調や体格の印象よりも、むしろその装備品に興味を示した。


「『鬼』の一族は鍛冶でもしているのかな?」


「している。我ら力あるもの、戦う。弱き者、武具作る」


「へぇ、そうなのか。ラン、キミ達もかい?」


「まぁねぇ。この大陸は弱肉強食。されど弱者は弱者なりに生き延びる知恵ってもんを持つからね。それぞれ役割をこなしてるさ」


「なるほど。謂わば村なり町なりを形成しているってところか……」


 てっきり弱者を虐げ、強者の暴走や振る舞いを見逃しているのかとヴェクターを見てそう判断していたが、その偏見は間違っていたようだとアゼルは魔大陸の情報を少々上方修正する事にした。


 そうして残されたヴェクターともう一人の男を見やれば、その男は奇妙なマスクをつけたままぐるりと手を回し、腹部の前で止めて膝を折り、頭を下げた。


「お初にお目にかかります、魔王アゼル様。さすがは真の魔王様、やはり我々魔族を超越していらっしゃるご様子。いやはや、実に素晴らしい力を拝見させていただきました」


「おべっかはいいよ。何者だい?」


「これはこれは、失礼致しました。ワタクシ、〈道化〉のアラバドと申します。皆々様のように決まった仲間を持っているわけではなく、放浪の身にございます、ハイ」


 道化と名乗るアラバド。

 確かにピエロを彷彿とさせるような不気味な笑みを湛えたマスクの向こうでは一体何を考えているのか、胡散臭さで言えば随一とも言える存在だ。口調も少々大仰な、確かにピエロが観客に向かって声をかけているようにオーバーで愉悦の混じるものに聞こえる。


 ネフェリアがそっとアゼルに耳打ちするように声をかけた。


「アゼル様。〈道化〉はこの魔大陸一の変わり者にございます。時には種族同士を扇動しては対立させ、破滅を撒き散らしては高笑いしながら姿を消すという情報も得ております。信用なさらないよう、お気をつけください」


 ネフェリアら夢魔族の集めた情報を耳にして、アゼルは「へぇ」と楽しげに口角をあげて笑う。

 嫌悪するでもなく、訝しむでもないアゼルのそんな反応に、マスクの向こう側に隠されたアラバドの顔が誰にも知られぬように愉悦に染められ、覗いた瞳が僅かに細められた。


 そして最後に、改めてアゼルはヴェクターへと視線を向けた。


「ヴェクター、キミは蜥蜴か何かかい?」


「バカにしてやがんのか、テメェ……! 俺は誇り高い〈黒竜〉の魔族だ!」


「おっと、そういえば蜥蜴には翼なんて生えていなかったね。それに、蜥蜴は吠えて威嚇するような生き物というより、尻尾を切って逃げる生き物だったかな」


「ぶっ殺してやろうか、あぁ!?」


 アゼルに楯突いたヴェクターを快く思わない夢魔族とランがくすくすと笑い、アラバドに至っては「ヒョホホホホホッ!」と大きな声で腹を抱えながら悶絶するように大声で笑い声をあげていた。

 そんな中、アゼルはすっと片手をあげて空気を制してみせた。


「さて、どうだい? ヴェクターはともかく、キミ達はこうして俺に会いに来たわけだが、お眼鏡にかなったかな?」


 ピタリと止んだ笑い声と、互いを見定めるような視線が交錯する。


 ――――ランが抱いた感想は、「これなら余計な心配は必要なさそうだねぇ」といった安堵に満ちたものだった。


 かつての先代魔王の生きた時代を知るランは、ベルファータと同様にアゼルが一体何者なのかを見定めるつもりでこの場へとやってきたのだ。

 無意味に暴虐を、殺戮を繰り広げ、行き場のない獣人族もどきと称されていた自分達を戦いの尖兵として死地に送り込んだような輩、それが先代魔王である。

 少しずつこの数百年で種族を安定させてきたランにとって、魔王が有害な存在であるのならば、ベルファータと同様に自らの命を賭してでも抗うつもりであったのだが、どうにも玉座に座るアゼルはそういった存在には思えなかった。


 ――――ガダの感想は、「強い」の一言に尽きた。


 魔族の強さは、常に魔力によって左右される。そういう意味で、魔力に対して敏感な魔族ならば、それぞれの腕っ節の強さなどを感じ取る事はガダでなくとも誰でもできる。当然ながら、魔王アゼルから漏れ出る魔力は常人のそれとは比べるべくもなく、圧倒的な強者であると理解できる。

 ガダが「強い」と評したのは、そんな当たり前の情報から得た判断ではない。

 ヴェクターという魔族の中でも最上位に近い実力者が、今にも襲いかからんと牙を剥いているにも関わらず、警戒する素振りもこの場所から追い出すような命令も下さず、あまつさえ「それでいい」と肯定してみせる。

 まさに風格の違いを目の当たりにして、ガダは魔王を魔王として受け入れていた。


 ――――アラバドは感嘆する二人とは違い、いっそ崇拝とも憧憬とも取れるような笑みを浮かべながら、小さな声で「ンフフフフフッ、素晴らしい、素晴らしいです」と夢でも見てうわ言のように何度も呟いている。


 彼の心情を読み取るのはエニスもレナンも、ネフェリアでさえも諦めて放置する方向で決まった。


 ――――ヴェクターに関しては、もはや言うまでもないだろう。


「おい、アゼルっつったな! ぶっ殺してやる、表に出やがれ!」


「断るよ」


「なっ、怖気づいてんのか!?」


「どう受け取ってもらっても構わないけれど、キミ一人の為に話し合いを中断して、また三人に改めて返事を聞くのは二度手間だろう? 俺は無駄に時間を浪費したくない。だからキミには問いかけるつもりはなかったし、キミの提案も断っているんだ」


 侮蔑も嘲笑も、怒りもなかった。

 ただただ当然の事を当然として口にするように、水が高いところから低いところへ流れていく事を受け入れ、それを眺めているかのような、一切の感慨のない事実としてアゼルは告げていた。


 当然、そこまで言われてヴェクターが受け入れるはずもない。


 腰を落として今にも襲いかからんと魔力を漲らせ、いざ――というところで、アラバドが大きく笑い声をあげた。


「ヒョホホホホッ! まさに宴の予感ッ! これぞ魔の祭典に相応しい混沌ッ! これを悦ばずにはいられませんね、ヒョホホホッ! おっと、これはこれは失礼をば。――僭越ながら、ヴェクター様、魔王アゼル様。ここは一つ、ワタクシめから提案させていただきたき儀がございます」


「〈道化〉如きが陛下に提案? 笑わせないでください」


「落ち着きなよ、ネフェリア。聞こうじゃないか」


 嫌悪を隠そうともしないネフェリアの言葉を遮るように、アゼルはそれを制してアラバドを見やると頷いて続きを促した。

 不服に表情を歪めるネフェリアには目もくれず、アラバドは相も変わらぬ仰々しさをもって頭を下げた。


「魔王様の復活は、我ら魔族にとっては大願にございます。今日こうしてワタクシめ以外の者達を見ても、それぞれがそれぞれの長という錚々たる面々。この慶事を誰もが祝い、あるいは歓喜に沸くのも至極当然――」


「長くなりそうなら、キミの話を聞く気にはなれないけど?」


「ヒョホッ、手厳しい一言にございますね。いえいえいえ、そう長々とお時間を取るおつもりはございません。――さて、慶事は慶事ですが、こうしてわざわざ我々のような者の為に時間を割くというのも魔王様にとってはあまり喜ばしくないのではございませんか?」


 沈黙は肯定と受け取り、アラバドは続けた。 


「我らは魔族。武勇を最上の誉れとし、誇りとして生きる者。そこにいらっしゃるヴェクター様もまた〈黒竜〉――魔族の中でも魔王様のお力を示す意味でも申し分ない相手であり、魔王様のお力をその身で味わいたいご様子。なれば、五日後、この魔王城の外で手合わせをしてみてはいかがでしょう?」


「おい、〈道化〉の! 五日も待たなくたって、今すぐでいいんだろうが!」


「ヒョホホ、それはヴェクター様のご希望に過ぎませんねぇ。勝負には互いに勝負をする理由が必要にございます」


 苛立つヴェクターとは異なり、アゼルはアラバドの答えを興味深そうに目を細めながら聞いていた。


「チッ、なんで五日も必要だってんだ?」


「ワタクシめが各地に散らばる魔族に声をかけ、五日後に集まるようにと告げてまわりましょう。さすれば、魔王様をわざわざそれぞれの部族とのこうした会談をせずともご威光を見せつけられ、かつあなた様の要望を叶える舞台を整えられる。これでお互いにメリットが生まれるというものではございませんか?」


 確かにアラバドの提案は理に適っていた。


 魔王としてアゼルが生まれて、まだ一日。その間に来訪したのはベルファータを含めてもたかが五名。されど五名である。

 こうして誰かがやって来る度に玉座の間で迎え、腹の探り合いを毎度のように行うなど非生産的だ。


 アゼルにとっても決して悪い提案ではなく、ヴェクターもまた魔王を大勢の観衆の前で叩きのめす事ができるのならと乗り気なようで、獰猛な笑みを浮かべてみせる。


 ガダもどうやら興味はあるらしく、ランに至っては「男ってのは」とでも言いたげに肩をすくめてみせる。なんだかんだと反対する素振りを見せないあたり、二人もアゼルの実力の片鱗を垣間見えるというのなら、それに越した事はない。


 唯一諫言を口にしそうなネフェリアも、こうして毎回来る魔族のならず者達を相手にするぐらいならば、アゼルに実力を示してもらった方が今後が楽になるという打算もあり、加えて無礼者のヴェクターを痛めつけるにはちょうど良い催しではないかと考えたようで、アゼルの返事を待つ。


 アゼルはちらりとアラバドを見つめると、ヴェクターへと視線を移した。


「キミの提案を受けようじゃないか。ヴェクター、どうだい?」


「ハッ、上等だ! せいぜい仮初の魔王生活でも楽しんでやがれ!」


「それじゃあ決定だね。アラバド、頼んだよ」


「お任せあれ」


 五日後が楽しみだとでも言いたげに魔王城を後にしたヴェクターを見送り、アゼルは玉座の背もたれに背を預けたまま、しばし沈黙を貫いていた。


 これに困惑したのは、アゼルとアラバドを除いた者達である。

 下がって良いと言われればすぐにでも立ち去るつもりであったランとガダも、その言葉はまだ聞けないようだと思い直し、改めてアゼルを見たまま言葉を待った。


 やがてアゼルは、アラバドの名を呼んでゆっくりと目を開けた。


「アラバド。キミは俺が彼を挑発している事に気付いていたよね。何故俺の邪魔をした?」


 告げられたアゼルの真意を耳にして、一同は思わず目を瞠った。


 確かに、誰もがアゼルのヴェクターに対する物言いの端々からは挑発的な態度が見受けられる事には気付いていた。とは言え、それはあくまでヴェクターの態度に対する応酬の一つでもあるように思える程度のものだ。


 アゼルの言い分はまるで「ヴェクターから手を出してきてもらうつもりだった」とでも言いたげに聞こえるものだ。


 ――自分達の心象を気にしたのか?

 ランとガダの脳裏に浮かんだ疑問は、しかし一瞬で自ら否定した。

 暴虐のままに支配しようと思えば支配できるだけの力を持った存在だ。それを自分達にさえ向けるつもりがないのであれば、心象など気にしてわざわざ迂遠なやり方をする必要性はないのだから。


「無礼とは思いましたが、これが最良かと愚考致しました。お気に障るようでしたらこの命――差し出すつもりにございます」


 てっきり、〈道化〉ならば再び御託を並べて相応の理由を捲し立てるだろうと予想していた一同を他所に、深々と腰を折って告げてみせるアラバド。殊勝な態度を取ってみせる彼らしからぬ行動に、再び誰もが驚愕を浮かべた。


「〈道化〉――なるほど。確かにキミは見事に演じ、誰もがキミの行動を見咎めこそすれど、どうにも毒気を抜かれているらしい」


 ピクリと肩を震わせてみせるアラバドと、そんな彼を見つめるアゼルの両者との間に奇妙な沈黙が流れる。

 成り行きを見つめる傍観者達の困惑を感じ取りつつも、アゼルは再び口を開いた。


「――いいだろう、今回ばかりはキミの演出に乗ってみるよ。ただ、もしもキミが、その時はもう少し真意を訊ねさせてもらおうか」


 くつくつと楽しげに告げる魔王の言葉を最後に、この奇妙なやり取りは終止符を打ったのであった。








「――アラバドの真意が気になってるみたいだね」


 夕食を終えたアゼルの私室。

 薄っすらと明かりの灯る室内で自らに背を向けたまま告げる主に、ネフェリアは僅かに目を見開くと、悲しげな表情を浮かべて短く肯定を返した。


「……少し、羨ましく思いました」


 種族を煽り、互いの関係に亀裂を入れては高笑いして去っていくような男――それが〈道化〉の本質だ。魔王に忠誠を誓う懐刀の一族の代表であるネフェリアとでは、決して相容れない性質を持った存在とも言える。

 そんな男だと言うにも関わらず、謁見の際のやり取りはまるで、アゼルとアラバドの間には奇妙な連帯感さえ生じているように見えた。


 敬愛する主の信頼を、あの短い時間の中で勝ち取ったようにも見えて、それが悔しくも、同時に羨ましくも思えてならなかったのだ。


 表情を曇らせるネフェリアへと振り返り、アゼルは所在なさ気に頬を掻くと、俯きがちなネフェリアの頭をポンと撫でるように手を置いてみせる。

 あまりにも突然の事に目を白黒させて見上げるネフェリアを見て、アゼルはくつくつと愉しげに笑みを浮かべた。


「ネフェリア。リリイにも言われたんだけど、俺はまだ魔法の使い方も教えてもらってないよね」


 アゼルに言われ、今更ながらにネフェリアはその真実を思い出す。

 生誕から一日と少し。まだアゼルは本能的に魔力を放出したりといった事は威圧を通していたが、まだ魔法の扱い方などについては特に教わっていないのだ。


「も、申し訳ありません!」


「いや、気にしないでくれ。あの時、戦い方を模索してみたいっていう意味でヴェクターを煽って戦いに持ち込もうとしたんだけどね。どうやらアラバドは俺の狙いに気付いていたみたいなんだよ」


 それは扇動者としての経験から、とでも言うべきだろうか。煽るための行動というものを熟知しているアラバドは、誰よりも逸早くアゼルに真意に気付いていたのだ。気付いていてなお舞台を整えるような真似をして時間を稼いでみせた。


「多分、アラバドはあのまま俺とヴェクターがぶつかり合うのは不都合だと考えたんだろうね。それが力加減もろくにできない俺への危惧なのか、それともヴェクターの強さを評価して俺自身の身を案じたからこそなのか、その真意は判らないけれどね」


 徐々に感覚が馴染むかのように、自らの身体の内に存在する魔力を把握し、操れるようにはなっている。だが、いざ戦うにしてはまだまだ自分は未熟過ぎるとアゼルは理解している。

 亜神と名乗った少女神が与えたこの身体は、こうしてネフェリアと話している間にも少しずつアゼルの意思と混ざり合い、力が宿っているという自覚は徐々に強まっている。その力を解き放ってみれば、魔法らしい力が発動するのだろうと確信できた。


「〈道化〉のアラバド。彼は多分、あの中で誰よりも魔王アゼルという名の俺の存在を認めているんだろうね」


 くつくつと笑いながらそう呟くアゼルの背を見つめながら、夢魔族の長として幼少の頃から他者に向けた事のない羨望というものを、ネフェリアは初めて自覚したような気がした。

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