1-2 庭園の管理者 Ⅱ

「ふふふ、魔王様――いいえ、アゼル様。わたくしたち精霊は、神によって生み出された存在ですわ。もちろん、直接言葉を交わすなど、一介の精霊でしかないわたくしには不可能ですけれど。世界の一部でもあるわたくし達が世界の歪みを察知するのは、当然と言えますわ」


 言われてみれば確かに道理である。

 自然の一部でもあり、世界の一部とも言える精霊ならば、世界の歪みも、それによって創られた魔王も察知できる。


 思わず脳裏を過ぎった、自らと同じ境遇の存在である可能性は、あっさりと霧散していく事に、どうにも奇妙な安堵と失望が綯い交ぜになった苦いものを覚えつつ、アゼルは気持ちを切り替えた。


「なら――どうして世界の一部である精霊が、歪みの象徴でもある魔王と協力を? 言ってみれば敵対するべき存在じゃないのか?」


「いいえ、それは違いますわ。我々が世界の歪みとして「魔王」という存在を認識したとしても、それは所詮、歪みとして存在している事実を知った、ということでしかありません。神々が修正を施すにせよ、放置するにせよ。どちらにしても、わたくし達にとっては利害関係で敵か味方かが変わるだけですわ」


 それは先程、ネフェリアがアゼルに告げた言葉と同じものであった。

 ある意味、精霊という存在はひどく平等な存在なのだ。偏見や思想など関係なく、ただ自分にとっての利で敵か味方かを判断する存在であるのだから、と。


「先代魔王様は、知恵を得て軍勢を創ろうとなさいました。手下を集める姿は、国という大きなものよりも、いっそ組織とでも言うような小さなものですわ。その拠点に選んだのが、ここだったのです。魔力を回復させるために食糧が欲しい魔王様と、安全に暮らせる環境が欲しいわたくし達。それが、先程言った利害関係の一致の真相ですわ」


 リリイはそのまま、滔々と続けた。


 魔王は魔族や魔物を生み出したものの、組織作りは難航した。

 何せ魔族や魔物はただ魔王が生まれた頃のように、世界を破滅させるという単純な目的しか有しておらず、個としては強大な力を持っていても、人族を前に数には勝てなかったのだ。


 それでも魔族の力を恐れた人族たちは、『人族同盟』を築き、対魔王、対魔族の構えを見せた。


 魔王はそれを流用しようと考えた。

 魔族には知恵を与え、種族を与え、系譜を生み出した。

 そうして広がり始めた個性と、魔王に対する忠誠を人族のように形にしようと試みた結果、魔大陸と呼ばれるようになるこの大陸に、魔王国と魔王城を築くきっかけとなったのだ。


「――強大な力を持った獣にも近い魔族は、人族に対抗できうるだけの知恵を持ち、再び『人族同盟』は追い込まれましたわ。そして神々は、このままでは歪みに世界が呑み込まれてしまうと考え、加護を与えました」


 そこからは、アゼルが聞いた通りであった。


 加護を受けた勇者によって討たれる魔王。

 我こそはと続く第二、第三の魔王は現れるも、神々の加護を受けた者には勝てず、討たれる。


 赤黒い雲――赫空(かっくう)に包まれたこの魔大陸はやがて放置され、外に出ることもできない魔族は緩やかな破滅へと向かっていた。


 その頃、リリイは世界を旅する風の精霊から外の世界の話を聞いていた。

 つまりは、戦争による大地の死滅が始まりつつあり、精霊の姿が消えつつある現状を。そして、戦争によって破滅を起こしかねない実情を。




 しかし、そこに新たな魔王――アゼルが生まれた。




「貴方様が世界に終焉を齎すために生まれた歪みの存在であれば、わたくし達はこの地を離れるつもりでしたわ。ですが、精霊王アルトゥスより、貴方様の力となるようにと仰せつかっておりますの。歪みの存在、破壊の権化でもあったはずの魔王に。それはつまり――」


 リリイの緑色の双眸が、アゼルの本質を見透かすように向けられた。


「貴方様はこの世界に必要とされて生まれた魔王であると、わたくしは考えております。同時に、それを支えるのがわたくしの使命でもある、と」


「……本気で言っているのか?」


「あら、精霊は冗談で他者を支えるなどとは口にしませんのよ?」


 くすりと笑いながら告げてみせるリリイに、アゼルは目を丸くして――ふっと肩を竦めて苦笑した。


「なんだか、凄いお目付け役がついたものだなぁ」


「ふふふ、お目付け役だなんてそんな。ただの年寄りが近くにいると思っていれば良いのですわ」


「年寄りって、そんな見た目で言われてもな」


「あら、老人姿の精霊はなんだか夢がないじゃないですか」


「夢がない、ね。そりゃ、ごもっともで」


 もしもこの場に誰かがいたら、お互いにくすくすと笑い合う二人は、さながら共犯者のようだと苦笑したことだろう。


 ふとアゼルは視界の片隅を見やる。


 巨大な水樹すいじゅの幹をくり抜かれた採光用の窓から陽光が射し込んでいた。気が付けば太陽は中天に昇っていたらしく昼時を迎えていたようだ。

 リリイと過ごす一時は、己の出自を知ってくれている相手だからこそ感じるゆったりとした時間とでも言うべきか、どうにもアゼルには心地良かったため、時間の過ぎている感覚を忘れてしまっていたのだ。


 そんなアゼルと同様に、リリイもまた窓から空を見上げた。


「懐かしいですわ。あの青い空も、眩しい陽光も」


赫空かっくう、だったか。そういえば、植物的に赫空の影響を受けたりはしなかったのか?」


「影響ですか? まぁ、強いて言うなら闇の魔力を強く吸った草花が育ちやすく、光の魔力を吸った草花は全然育たないといった環境にはなりましたけれど、食べ物を育てる分には問題ありませんでしたわ」


「……闇と光の魔力?」


「えぇ。植物の中には種の段階でどういった生長をするのかは定まっていないものがありますの。光の魔力を強く帯びた種と闇の魔力を強く帯びた種では、齎す効果も正反対になりますのよ?」


 何を当然の事を、とでも言いたげな様子で告げるリリイとは対照的に、アゼルは今更ながらに「魔力」という存在を意識していた。


「そういえば、俺は魔法とか使えるんだろうか」


「え?」


「えっ?」


 最初の疑問は、「何を言っているの?」というリリイの声であり、続いたのは「なんか変なこと言った?」というアゼルの声であった。


「まさかとは思いますが、アゼル様……。まだ魔法についての細かい説明などは受けておりませんの?」


「あ、あぁ。昨日の今日だし、そういう話はしてなかったけど……」


 アゼルの答えに目を見開き、リリイは呆れてため息を吐いた。


「……まったく、ネフェリアってば、魔法の基礎を話してもいないなんて」


「魔法の基礎?」


「そうですわ。いくらここが魔王城だからって、魔族によってはすぐに貴方様に取り入ろうとするか、害しようとする者だっているやもしれませんのよ? 自衛の手段を知らないままでは、危険ですわ」


 まさか魔法を知らないとは思いませんでしたけど、と付け加えるリリイに、どうしようもなく居た堪れない気分になるアゼルに、呆れたような半眼が突き刺さる。


 お互いに重い空気を埋めるようにカップを手に取り、紅茶を口にする。

 沈黙を破るように先に口を開いたのはリリイであった。


「アゼル様。僭越ながら、わたくしが魔法の基礎というものをお教えしますわ」


「そうしてくれると助かるよ」


「分かりましたわ。では早速」


 コホン、と一つ咳払いをして佇まいを正し、リリイはアゼルを見つめた。


「魔法とはそもそも、魔力を使って事象を起こすもの。魔力は、魔素を体内で変換した力の源となります。――では魔素は何か。端的に言えば、空気や草花、肉体に宿るものとして考えていただければ解りやすいかと思いますわ」


「なるほど……。だから食事を摂った方が魔力の回復が早いのか」


 ネフェリアとの会話の中では「そういうもの」としてしか理解していなかったが、こうして細かい話をしてみれば分かる点もあった。


 詰まる所、魔素とはアゼルの前世で言うところ、空気中に含まれる酸素であったり、栄養素。人体を構成する上で必要な存在であり、欠かせないものである。

 食事を摂ることで魔力の回復を促すというのは、食事によって魔素を直接体内へと取り込むという行為によって、魔力を作る糧を得やすい状況を作るためなのだ。


 一人納得したアゼルの様子を見て、リリイが続けた。


普人族ヒューマン森人族エルフ獣人族セリアンといった者達は食事で身体の不足を補う必要があります。ですが、アゼル様や魔族の者達、それにわたくし達のような精霊や妖精、それに魔物は、あらゆる生き物の中でも特に魔素に影響されていると考えて良いでしょう」


「影響される、ね。つまり、魔素がない場所なんてものがあったら……」


「えぇ、わたくし達やアゼル様は、間違いなく生きてはいけません。もっとも、魔素が存在しない場所など、この世界のどこにも存在してませんが」


 地球で言うところの酸素のようなものだろう、とアゼルは納得する。


「では、何故わたくし達はともかく、アゼル様や魔族までもがそういった存在――人族とはかけ離れた存在であるか、お分かりになりますか?」


「……魔王――いや、先代の魔王も、魔族も、世界の歪みが作った存在である以上、生命の理からは外れている、のか?」


 アゼルが思いついたのは、人類進化論だ。


 生物学的進化を果たしていた人類の起源が、その他の生命が環境に応じて進化を遂げた結果で辿り着いた生き物であるように、この世界の種族もまたそれに近い独自の進化を遂げてきた。


 しかし、妖精や精霊は違う。

 目の前にいるリリイと同様に、彼女達は精霊や妖精として自然が生み出した存在である。


 同様に――魔族もまた人族とはルーツが異なる。

 世界の歪みが生み出した魔王という存在が、進化というものを与えずに完成品を直接作り出したようなものだ。

 それはまさに、一般的な生命の理から外れていると言っても良いだろう。


 アゼルが辿り着き、独り言のように呟いた答えを拾って、リリイは頷いて肯定してみせた。


「その通りですわ。だからこそ、と言うべきなのでしょう。魔族は魔力の扱いと魔法の扱いに関しては、人族である者達とは比べ物にならない程の威力を有していますわ。もっとも、属性に特化したわたくし達――精霊と比べれば、その限りではありませんけれど」


「属性に特化?」


「えぇ。魔力や魔素についての説明は今お話した通りですが、ここからは属性に関するお話になりますわ。先程も申し上げた通り、魔法とは魔力という膂力とは異なる第二の力を使い、事象を起こさせる力です。そこに関係するのが、属性です」


 リリイはそこまで説明すると、中空をなぞるように指を動かし、深い緑色の光を描いた。


「属性は多くありますが、最も一般的に知れ渡っているのが四つの系統――火、風、地、水といった『四大属性』ですわ。その他に、表裏一体でありながら『極属性』とされる光、闇。その他にも、わたくしのように『特殊属性』に分類される、樹や死霊、時空などといった特化した属性を持つ者がいますわ」


「特殊属性は誰もが持っているってわけじゃないんだ?」


「えぇ、その通りです。唯一というわけではないのですが、希少な属性を持った者であることは間違いありませんし、一般的な魔法と違って裏をかかれることになりますので、敵対すれば厄介です」


「確かに、手札が分からないのは厄介だな……」


 一般的な四大元素の魔法ならば対処法が確立しているが、特殊属性に関しては相手の能力が分からなければ対処するのも難しい。


「話を戻すけど、例えば四大属性に特化してる相手と敵対するとしたら、いくら魔族でもそういった特性を持った者には勝てないってことなのか?」


「それは少し違いますわ。対極にある相性のものであれば打ち破ることもできますもの。確かに魔族は他の人族に比べれば魔法に特化していますが、それでも属性に特化した者ほどの力は出せないという意味ですわ。個々に得手不得手といった属性がある、と憶えておけば問題はないと思いますわ」


 分かりやすく言えば、普人族で火の属性に特化した者と、一般的な魔族が火の属性の魔法を撃ち合えば、撃ち負ける可能性がある。しかし、同じ組み合わせで水の魔法を撃ち合えば、魔法との相性が良い魔族が勝てる、ということだ。


「――ですが、例外もいるのです」


「例外?」


「そう、例外と言うべきか……そもそも立っている場所が違う存在。それが貴方様ですわ」


 悪戯が成功したかのような笑みを浮かべたリリイの言葉に、アゼルは思わず目を見開いた。


「ふふふ。アゼル様の魔力は、特化した存在が辿り着く境地を優に上回る場所にあるのです」


「俺の魔力が?」


「えぇ、そうですわ。このカップになみなみと紅茶を注いだとしても、所詮はこのテーブルの上のほんの一部に過ぎないのですわ」


 井の中の蛙が大海の広さを知らずに世界を掌握したと思い込んだところで、たかが井戸では川にも届かず、川とて海には届かない。

 魔王とそれ以外の存在では、それ程までに大きな差があるのだとリリイは告げているのだ。


「そこまでの差がある、と?」


「そこまでの差がなければ、先代魔王様に対して、神々とて介入する気などありませんでしたわ」


「……まいったな」


 確かにアゼルも、自らの内に秘められている強大な力には薄々ながらに気付いていた。

 先日のベルファータの態度を見る限り、どう謙遜してもただの魔族のそれとは大きく異なるのだという事にも。


 だが、それはあくまでも魔王としての力――神によって与えられたものだ。

 それがアゼルの根底に強く残っている以上、自分が偉大な力を持っているからと鼻にかけるような真似ができるはずもなく、リリイの言葉には困った様子で苦笑するしか返せなかった。


 ともあれ、魔王として素質は十分とまで言われているのだから、それは単純にアゼルにとっても嬉しい話だ。


 記憶は消えているが、日本――前世で得た知識によるところ、前世の自分だけが憧れていたのか、それとも一般的に認知されていた代物なのかまではアゼルにも定かではないが、魔法とは実在しないものの強く心惹くものであった、という認識がある。サブカルチャー、ファンタジーの中で取り沙汰されていたという事実や、社会的にそれが一般的であったかはさて置き、アゼルの予備知識には確かに存在しているのだ。


 そんな魔法を使えると知って、アゼルはこの世界に来て初めてと言っていい程に、強い興味を抱いていた。


「ところで、その属性についてだけれど、術者によって何が得意かが変わるのは分かったんだけど、調べる方法とかはあるのかな?」


 黒い双眸を爛々と輝かせて問い詰める様は、少年のような仕草であった。

 そんな視線を向けられてきょとんとした様子で目を丸くしたリリイは、先程までの冷静な印象から一転したアゼルの姿に「意外と可愛いところもあるのね」などと心の中で呟きつつも、苦笑を浮かべた。


「残念ながら、そういう都合のいい道具や方法はありませんわ」


「……なんだ、そっかぁ……」


「で、ですが、アゼル様ならばすぐに魔力を扱えるようになりますわ! 魔力を扱えるようになれば、おのずと自分の力ははっきりと理解できるようになるはずですもの。アゼル様なら、すぐに自分の属性を把握できると思いますわ!」


 明らかに気落ちした様子を見せたアゼルを励まそうと、リリイは慌てて取り繕うものの、それは決して嘘を吐いているわけではないのだが、伏せている事実もまたあるのだ。


 魔法に親和性の高い魔族であっても、零の状態から魔法として発現させるには、最低でも数十日以上はかかる。

 さらにその状態から、自らの魔法を形にするのにかかる時間は、それこそ十人十色である。


 魔法に関して勝手なイメージを抱いた者であれば、そのイメージのせいで自らが向かうべき方向性を見失うこともあり、逆に魔法を全く知らないような脳筋と呼んでも差し支えないような魔族が、戦いの中で突然具現化する場合もあるのだ。


 リリイも説明し忘れているのだが、実は魔法には、一般的に攻撃魔法として扱われるような魔法系統が合っている者もいれば、召喚することで戦力を増すような者もいる。あるいは肉体強化の一点に特化する者もいれば、何かを操るような方向性に進む魔法など、それこそ枚挙に暇がない。


 確かにアゼルの魔王という肉体ならば、魔法を発現するまでは早いだろうが、属性を発見し、それを極めるとなれば時間はかかる。先程の言葉には、あくまでも一般的な観点から見れば、という注釈がつくのだ。


 気休めで下手に優しく言ってしまったのは間違いだったかもしれない。


 そう気付いたリリイがアゼルへと改めて説明を始めようと口を開けたところで、突如外から光を纏ったフェアリーが飛び込んできた。


「まおーさま! たいへん!」


「ん、どうしたんだ?」


「ネフェリアがよんでる!」


「……何かあったのかな。ありがとう。リリイもありがとう、勉強になったよ。それじゃあ、また時間がある時に顔を出すから」


「あ、あの、アゼル様! さっき言った魔法についてですが――!」


「はやく! いそいで、まおーさま!」


「あぁ、分かった」


 慌てて言い繕おうと試みるリリイの声に気付かず、アゼルはフェアリーに案内されるようにリリイの元を去っていくのであった。


 伸ばした手が宙を彷徨い、そのままカップへと伸ばしたリリイは、冷めた紅茶を一口飲んだ。


「もう……っ。まぁいいでしょう。ネフェリアがあとはうまくやってくれるはずです、うん」


 自分に言い聞かせるように、アゼルのフォローを諦めたような言葉を吐き出すと、カップをテーブルに置いた。





「ですが、急がなくてはなりませんよ、アゼル様。魔王の降臨は、必ずしも全ての魔族が望んでいるとは言えないのですから」





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