0-2 夢魔族

 魔王アゼルの生誕から数十分後、情報を欲したアゼルはネフェリアと共に魔王城の一角にある書架へと足を運び、テーブルの上で本を広げ、ネフェリアとは向い合って座ったまま会話を続けていた。


 書架には様々な文献や先代魔王に関する記述から、魔法に関するものまでありとあらゆる分野に波及したものが多く、過去の地球のように「都合の悪い真実」を改竄するような書物や、正当化するように描かれた類の歴史書などはないのだとネフェリアは自慢気に語った。

 その言葉に外の大陸では禁忌指定されていると知るはめにはなったものの、ネフェリアは魔族としてありのままに真実を語る様は誇れる部分であると認識している点については、アゼルもまた感心させられた。


 歴史を改竄すること、勝者が自分たちを正義として語るのは、古い時代の地球でもままある話であったのだから。


 魔族は良くも悪くも団体よりも個の主張が激しい。

 足並みを揃えて何かをするという考えはあまりなく、また腕っ節や身体の強さなどもあってか、協力するという概念についてはあまり浸透していない。


「いくら個人行動が多いって言っても、その先代魔王が倒された後は数百年も経っているんだ。魔王を継ごうってヤツは出て来なかったのか?」


 アゼルが思い浮かべたのは、ごく自然な流れであった。

 王が倒れたならば、後継者が名乗りを挙げ、次代の王となるのが王制の理だ。当然、そうした者が現れるのではないかと考えるのも至極当然な流れである。


 ネフェリアはそんなアゼルの言葉を聞くと、忌々しげに顔を歪めた。


「……確かに先代魔王様が勇者らによって倒れた後、我こそは新たな魔王だと謳う、忌々しく痴がましい偽物は現れました。ですが、そうした存在と「本物の魔王」とでは隔絶した差があるのです!」


 バンッ、と身を乗り出して語るネフェリアの熱に押され、アゼルは思わず椅子の背もたれに逃げるように身体を反った。


「自称魔王は魔王としての器にはなれません。当然、魔族の中でも自称に従おうとする者などおりません。臣下なき王など君臨できるはずはなく、ただの戯れ言として一蹴されるか、人族に喧嘩を吹っかけては滅ぼされる者ばかりの愚か者ばかりです」


「じゃあ俺も、自称魔王と笑われるのかもな」


「いいえ、それは有り得ません」


 肩を竦めておちゃらけてみせるアゼルの言葉を、ネフェリアはまっすぐ見つめたままあっさりと否定してみせた。


「陛下が姿を現したあの瞬間こそ、貴方様が唯一無二のお方――魔王様である何よりの証拠にございます」


 突然魔王が姿を現す事にも、魔王が世の情報に疎いという話についても、ネフェリアにとっては疑問を抱く余地などなかった。

 その理由はひとえに、魔王という存在はそもそも、完成された力を持って姿を現す存在であるとされているからだ。


 先代魔王は、アゼルが意識の淵で聞いた通りに世界の歪みによって生み出された悪の化身だ。


 魔王によって生み出された魔族は交配によって種族を広めていくことになったが、魔王は違う。

 人間は進化を繰り返して人間へと至った生物であると判明しているが、魔族にとっては自分たちを生み出した魔王とは、すなわち神と同義の存在でもあり、疑う余地などないのだ。


 それはある意味、人間にとってみれば目の前に天使が突然顕現したようなものなのだろうか、とアゼルは考える。


 例えば、目の前に純白の翼を携えた天使が、空が割れて降り注いだ光の中に姿を現そうものなら、狂信的な信仰心を持っていなくても天使が現れたと思うだろう、と。

 その考えはあながち間違ってはいなかった。


「そもそも、私達魔族は先代魔王様によって生み出された存在。陛下を見れば、陛下が唯一無二のお方であると誰もが悟ります。それに、この数百年の赫空かっくうが裂け、青い空が広がろうとしています。そう、まさに陛下の生誕を闇の神が祝うように――――」


 恍惚と語り続けるネフェリアであるが、アゼルはそれを苦笑して受け止めるしかなかった。何せアゼル自身、神に必要とされ、神によって生み出された魔王なのだ。

 もっとも、アゼルを生み出したのは闇の神ではないが。


 しばらく語り続けるネフェリアを放って、書物へと目を向けていたアゼルは、一つの項目で目を留める。その変化に気付いたのか、我に返ったネフェリアが再び身を乗り出し、覗き込んだ。


「――『人族同盟』でしょうか?」


「『人族同盟』?」


 ネフェリアの豊満な胸元へと目を向けぬように、アゼルが本を眺めながら尋ね返すと、ネフェリアは不真面目とも取れるアゼルの態度を気にするでもなく椅子に座り直し、説明を続けた。


「はい。我々魔族に対抗すべく、かつて人族たちが組んだ同盟でございます」


「人族たち、ね。どんな種族がいるんだ?」


「最も勢力を伸ばしているのが、〈普人族〉――《ヒューマン》でしょう。身体能力や魔力に於いては他の種族に大きく劣るものの、その繁殖力と技術力、そして不足を補う『魔導技術』を生み出した者達です。先代の魔王様を討ち取ったのもまた、この〈普人族ヒューマン〉が擁する勇者とその仲間でした」


 その容姿は、アゼルが知る人間のそれと相違もなく、魔族であるアゼルとネフェリアも、角さえなければ一見して判別するのは難しい。

 ちなみに、ネフェルの羽織る漆黒のローブを捲れば、そこには小さな羽も生えているのだが、今のところアゼルはその事を知らない。


「次に、森の民であり、精霊と共に生きる〈森人族〉――《エルフ》。魔力に於いては『人族同盟』内では最も高く、精霊を利用した魔法である精霊魔法を駆使してきますが、膂力では普人族ヒューマンとそう大差ありません」


「耳は尖っていて、金髪碧眼の美男美女、とか?」


「仰る通りでございます」


「……マジか」


 よもや日本のサブカルチャーで有名なところがそのまま存在しているとは、とアゼルは引きつった笑みを浮かべて嘆息した。


「ドワーフなんてのもいるのか?」


「えぇ、存在しております。〈鉱人族〉――《ドワーフ》は膂力も強く、鉱石を扱った製鉄技術から武具作成に於いて、その技術力を買われています。『人族同盟』では魔導技術を用いた道具――魔導具の制作にも彼らの力を利用しているそうです」


「……まさかとは思うが、髭の濃いずんぐりむっくりのチビマッチョ?」


「えぇ、その通りです」


「……あっそ。もうつっこまないからな。……って、まさか女性もそんな見た目だったりする?」


「いいえ、女性は髭などは生えていなかったはずですが……どうしたのです?」


「いや、なんでもない。ちょっと安心しただけ」


 アゼルが吐き出したため息に目を丸くしたネフェリアであったが、気にせずに説明を続けることにした。


「次に、運動能力と嗅覚や聴覚に秀でているのが〈獣人族〉――《セリアン》です。私達魔族と同様に、それぞれ系統が異なれば容姿の特徴も異なるという特徴を持った者達です」


 魔族と獣人族セリアンは、種族の系譜によって容姿が大きく異なるため、一概にどういった見た目であるとは言えないのだとネフェリアは告げる。


「曖昧な定義だなぁ。それじゃ、魔族と獣人族セリアンに大して差異がないような気がするんだが」


「系譜によって分かれているため、それは確かです。例えば妖狐の系譜を汲む者ならば魔族におりますし、銀狼などならば獣人族セリアンに分類されます」


「おかしな話だな」


「陛下の仰る通り、酷く偏っているのは否めないかと。そもそも『人族同盟』そのものが、先代魔王様に敵対した普人族ヒューマンが持ちかけて組まれたものですので……」


「……系譜による種族間の差で、『人族同盟』に選ばれた者とそうではない者がいる、というわけか」


 それはまるで、前世での肌の色による差別と酷似した線引きだとアゼルは感じていた。


 ――――『人族同盟』によって認められるか否か。

 権力者や宗教によって思想は捻じ曲げられ、不遇される種族。


 もっとも、それはあくまでも『人族同盟』の在り方であり、不遇されている者を救済したり、考えを是正させようとは一切思わないが、あまり耳心地の良いものではなかった。


 あからさまに侮蔑を湛えるようなアゼルの顔を見たネフェリアが「陛下?」と声をかけると、アゼルは考えを振り払うように小さく頭を振って、説明の続きを促した。


「その他にも人族の名を冠する種族もいますが、少数です。有名な名であれば、〈翼人族〉――《ハルピュイア》。それに〈竜人族〉――《ドラゴニュート》といったところでしょうか。その他にも〈巨人族〉――《タイタン》などもいますが、彼らは皆、『人族同盟』には加盟しておりません」


「『人族同盟』に加入してないのか。それが理由で敵対されたりはしないのか?」


「そういった話は耳にしておりませんが、最近では『人族同盟』の間でも亀裂が入り、種族同士の小競り合いなども頻発しているそうです。特に争い合っているのは、普人族ヒューマンの国家同士などですが、そういった国家によって戦力として彼らに協力を促したりといった真似をしているようです」


「その言い方だと、協力は取り付けられていないみたいだね」


「静観を貫いていますね」


 ネフェリアの説明を聞けば聞くほどに、アゼルも神々が何故「必要悪であり絶対悪である魔王」を欲したのか、なんとなく理解できた。しかし同時に、絶対悪である自分がもしも討たれるような事態に陥ったのなら、その時はどうするのかなどといった言葉は与えられていない。


 神々が人々の考えを改めさせるのか。

 それとも、魔王という抑止力を半永久的に、恒久的に存在させる腹積もりなのか。


 いずれにせよ、魔王という劇薬として投じられた以上、アゼルは迷うつもりもない。


「外の状況についてはある程度分かったよ。助かった」


「いえ、私めが役に立てるのであれば、如何様にもお使いくださいませ」


「……お、おう。ありがとう……」


 魔王として顕現して数時間以内に、この美女にはどうにもものがあると気付いたアゼルだが、引き攣った笑みを浮かべてそう答える以外の対処法は見つかっていなかった。


 そんなネフェリアの困った性分に窮していたアゼルの視界に、一つの影が映り込んだ。

 黒い影そのものが実体もなく人の輪郭を象ったかのように漂い、それはアゼルの向かいに座っていたネフェリアの肩へと手を置くように触れた。


 思念体と呼ばれる存在を操る、死霊魔法の一種。

 影に紛れ、動向や言動のそれらを記憶し、ネフェリアへと告げるという魔法だ。


 ネフェリアが扱う魔法の中でも比較的外聞の良い類の魔法であり、アゼルは最初にその説明を聞いた時は、思わず自分のプライバシーを守れるのかという危機感を抱いた代物だ。


 やがてネフェリアへと要件を告げ終えたのか、影はネフェリアの座る椅子の影の中へと溶けるように消えていき、ネフェリアがアゼルを見つめた。


「陛下、どうやら謁見の申し出もなくこちらに向かう不届き者がいるそうです」


「来客か」


「礼儀も知らぬ痴れ者に陛下がわざわざお手間をかける必要などありません。私がりますので、ごゆるりとお過ごしくださいませ」


「……にっこりと微笑みながら言う言葉じゃないと思うんだよな、それ。とにかく会ってみるよ」


 匂い立つような美女の、花が開くような笑みから紡がれて欲しくない言葉にげんなりとしつつ、アゼルは謁見の間となる玉座の間へ再び足を運ぶことになるのであった。







 ◆ ◆ ◆








 数百年の時を経て空が割れ、赫空かっくうと呼ばれた赤黒い雲が裂けて青空が広がるという変化。それはネフェリアが熱く語ったように、アゼルとネフェリアが何をするともなく、大きな節目を迎えたものであると魔大陸に棲まう全ての魔族は悟った。


 数百年もの間、空位のまま主を待っていた魔王城に新たな主が現れたのかと期待を抱く者。

 何が起こったのか、墓守でもあり魔王の巫女であるネフェリアを訪ねる者。

 よしんば魔王が現れたとて、大した力も持っていないのならば傀儡にしてくれようかと企む者。


 そうした多くの思惑と魔族の足が魔王城へと向けられていた。


 ネフェリアに「痴れ者」と言われたのは、魔王城の近くに集落を持っていた蜘蛛魔族――アラクネの一族。蜘蛛の身体に人間の上半身を生やしたかのような姿をした魔族だ。


 一つの群れとなって暮らすアラクネの長であったのは、数多くの子を産んでいる、まさに群れの母とも呼べる存在であった。


 やってきたアラクネ――ベルファータは、子を産んでもなお、蜘蛛の身体から生えた身体は締まるところは締まり、出るとこは出ているといった均整の取れた肢体であり、流れる黒髪に妖艶さを兼ね備えた切れ長の瞳は、誰もが見惚れて呼吸を忘れてしまいそうな美しさであった。


 新たな魔王の登場か、それとも何の前触れであったのか。

 子を束ねる者として魔王城へとやってきたベルファータであったが、そもそも魔王城には使用人や働く者がいるわけではない。


 城門の前で素直に案内を待っているわけにもいかず、恐る恐る朽ちかけた城内へと足を踏み入れた。


「うぅ、勘弁してほしいのう……。夢魔族に睨まれとうないのに……」


 一人ぼやく姿は、子を多く成しているアラクネの母には似つかわしくない程に弱々しく、普段の堂々として妖艶な美女らしさは一切ない。

 いっそ、怯えていて庇護欲を掻き立てるようにすら見えるものであった。


 そんな振る舞いをする理由は、ベルファータの言葉の通り、夢魔族にある。


 夢魔族といえば、こと魔族の中でも魔王崇拝が強烈であり、同時に暗殺と闇の魔法に長けた一族である。

 廃墟と化していた魔王城内が魔物たちの巣窟にならない理由は、侵入者に対する夢魔族の苛烈とも言える対処が理由に挙げられる。


 ――――「魔王様の許可なく城内へと足を踏み入れる不届き者と、それを輩出した種族に制裁あれ」。


 そう高らかと宣言し、かつそれを実行してきた代々の夢魔族の苛烈さは、魔族内に「夢魔族の前では冗談でも魔王を罵るな、消されるぞ」という暗黙のルールを築き上げるほどであった。


 そもそも、この数百年はそれでも良かったのだ。

 何せ魔王城は主がいないままであり、誰もこの場所に近づく必要はなかったのだから。


 だが今回ばかりは足を踏み入れないわけにはいかず、ベルファータは意を決して中へと足を踏み入れたのだ。


 しかし、当の夢魔族にそんなものは一切関係なかった。


 一人の使用人を思わせる服装に身を包んだ、淡い桃色の艶やかな髪を揺らした夢魔族の女性が、薄暗い城内を歩くベルファータの視線の先に広がった闇から浮かび上がるように姿を見せ、ベルファータですら見惚れて動きを止めかねない微笑を湛えていた。


「む、夢魔族……! ちょうど良かった、先ほどの――」


「ここを魔王城と知っての狼藉ですね」


 声をかけるベルファータの言葉を遮り、微笑を湛えた夢魔族の女性はその手に鋭利な刃物を握って問いかけ――もとい、断定する。


「こ、これだから狂信者は……。えぇい、聞かぬか、戯け者! わらわは先程の異変を感じて状況を確認しにきただけじゃ!」


「問答無用です。――死んでください」


 にっこりと笑みを浮かべて上体を落とし、今にも襲いかかろうとした一人の夢魔族の女。

 しかし、ベルファータが身構えるよりも早く、何者かがベルファータと夢魔族の間に割って入り、「止まりなさい」と一言告げた。


 出鼻を挫かれた桃色の女性はその場で立ち止まり、先程までの微笑とは対照的に髪と同色の瞳に剣呑な光を宿し、闖入者を一瞥した。


「エニス。狼藉者を見逃すおつもりですか?」


「ネフェリアお姉様からの指示です。アゼル陛下がお会いになると仰っております、レナンお姉様」


「陛下が……?」


 事情も知らないまま置いてけぼりを食らうベルファータの視線の先で、エニスと呼ばれた、青い髪の闖入者である夢魔族の女性と、物騒にも襲いかかろうとした女――レナンとが短く会話する。


 同じような服を身に纏い、会話の内容から察するに二人は姉妹であると理解すると同時に、自分の命を狙われる可能性がなくなったのかもしれないと淡い期待を抱いたベルファータは、小さく安堵すると――そのままとある言葉に気付いて次第に顔を強張らせた。


「へ、陛下……? の、のう、おぬしら。今しがた、陛下と……?」


「アラクネの長、ベルファータ様ですね。陛下の御下命で、あなたを玉座の間へと案内するようにと承っております」


 聞き間違いではなかったのか、とベルファータは目を丸くした。

 夢魔族が「陛下」と呼称するのは、本物の魔王以外には有り得ない。

 つまり、魔王が降臨したと言下に告げているようなものであった。


 唖然とするベルファータに背を向け、エニスは再びレナンへと振り返った。


「レナンお姉様。私達も玉座の間へと集まるようにと、ネフェリアお姉様からの命令です」


「あら、あらあらあら。ネフェリアお姉様ったら、やっと独り占めから解放して陛下に会わせてくれるのかしら?」


 ふふふ、と陽気に話す様は、先程までの冷徹な空気とは一転して柔らかな雰囲気を纏っていた。そのあまりの変貌ぶりにベルファータは寒気すら感じていたが、それを口にしようものならまた襲われかねないと口を噤んだ。


 エニスとレナンと共に城内を歩くことになったベルファータは、恐怖の象徴とも言える夢魔族の二人も、敵対視さえしていなければ意外と普通ではないかと考え始め、隣りを歩くエニスへと声をかけた。


「のう、エニス殿」


「なんでしょう?」


「先程陛下と口にしておったが、やはり魔王様が降臨なさったということかの?」


「はい、正確にはまだ半日と経っておりませんし、世の情報などには疎いらしく、私ども夢魔族の巫女であるネフェリアお姉様が色々とお話されていらっしゃいます。どこぞの痴れ者が城内に足を踏み入れたので、一度それを中断するはめになりましたが」


 ぐさり、とベルファータの胸に見えない槍が突き刺さった。


 ベルファータは、ほんわかと柔らかい空気を放って前を歩くレナンの先程の豹変ぶりについては、いっそ夢魔族の狂信者らしいとすら思えて納得していたつもりではあった。

 だが、怜悧さを匂わせるエニスはそこまでではないのではないかと考えていたのだ。その考えはどうやら改める必要がありそうだ、とベルファータは情報を修正する。


「そ、それはすまぬ……」


「いえ、お気になさらず。陛下も特にお気になさっておられないご様子でしたので。それに、ネフェリアお姉様の独占状態を明日の朝まで守らざるを得ない状況を打破できたので、私としてはむしろ好都合です」


「……そ、それは良かった、のう……?」


 何が、とは言えずに苦笑するしかないベルファータであった。


 そんな姿を見せるエニスとレナンの二人には決して言えないが、ベルファータは今もまだ魔王という存在に対して崇拝する気など一切抱いてはいない。

 ベルファータの母、その母のさらにその母からも語り継がれてきた話では、決して抗えないお方であったとは耳にしているものの、多くの子を守る存在だからこそ盲目的に信用するつもりなどなかった。


 例え、夢魔族の強さと恐ろしさを知っているベルファータであっても、もしも魔王が頭を垂れるに足る存在でなかったのならば、命を懸けて戦ってでも抗おうと決めている。


 ――先代から今に至るまで、あまりにも時間が空いている。

 故に盲目的に追従を示す者など、一体どれほどいるだろうか。

 見定めさせてもらおうぞ、魔王。


 ベルファータが改めてそんな決意を固めつつ、同行する二人には気取られないように話し込みつつも進む内に、王城内の最上階に位置する玉座の間の前までやってきた三人であったが、さすがに夢魔族とアゼルしかいない城内では扉の前に屈強な者が立つなどの配慮もなく、それどころか扉は開け放たれていた。


 魔王崇拝ぶりが過熱状態のネフェリアがそんな真似をするなど考えられないといった様子のレナンとエニスが、訝しげに先んじて謁見の間の前に立ったのだが、突如として二人は身体を強張らせ、立ち止まった。


 何事かと後方から姿を見せたベルファータは、玉座の間を覗き込み、色褪せた赤い絨毯の先にある玉座を見るなり、身体中の血が沸騰するかのような熱と、同時に途轍もない悪寒という相反する感覚に襲われながら、動きを止めた。


 玉座に腰掛ける、黒髪に紅い瞳の魔王がそこにはいた。


 ベルファータは魔王が降臨したと聞かされ、その事実は受け止めていた。

 しかし、多くの子を束ねる彼女はあくまで長として、魔王に恭順を示すか、それとも我関せずと距離を置くか、今こうして視界におさめる寸前までは、自分が見定めてやろうと考えていたのだ。


 ――あぁ、なんて浅はか。そして、愚かな。

 つい数瞬前までの自分を省みて、ベルファータは呆れすら通り越して嘆いた。


 数多の魔族を生み、魔物を生んだ魔の頂点。

 ネフェリアがアゼルへと熱弁を振るった通り、エニスとレナン、それにベルファータもまた一目見るだけで、玉座に座るアゼルこそが魔王であり、自分たちを統べる者であると本能が告げた。


 アゼルが身の内に宿し、そこから溢れてくる微量の魔力によって満たされた玉座の間。赫空を切り裂いた空、永らく姿を見せなかった陽光が崩れた天井から射し込み、玉座と自分たちの間に光の隔たりを生んでいるかのようにすら思えた。


 時を忘れたかのように動けないままいるエニスとレナン、そしてベルファータの三人に、何故か豊満な胸を張って得意気な表情を浮かべていたネフェリアが一つ咳払いして、三人の時を動かすように促した。


「陛下の御前ですよ。呆けてないで、早く中へと進みなさい」



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