陸 夜魅の月

陸ノ一、たかが半分、持って逝かれただけだ

「ええい、ゴチャゴチャめんどくせぇ。すっこんでろい」

 恋町が駆け寄った。裾をからげ、一磨の尻を蹴っ飛ばす。


「拙者の尻がもんげェーーっ!」

 一磨はでんぐり返って坂道を転がり落ちた。

「ハイッ!」

 ピンクのちびくノ一、お蘭が、宙に飛んだ。膝を抱え、身体を丸めて糸車のように回転。

 クナイを放射状に放つ。硬質な音が連続して地面に突き立った。襟首を地面に縫い止める。

 お蘭は音もなく着地した。

「一磨さま、ご無事にござりまするか」


「うむ。大事ない」

 一磨はおでこと尻にクナイがぶっすり刺さった状態で、おもむろに起き上がった。

「が、何も見えん。そなたの声だけが頼りだ。拙者の目となってくれ、お蘭」

「ななななんとーーッ!」

 お蘭は両手でほっぺたを押さえ、涙目でぶるぶる震い上がった。真っ赤っ赤な顔でごろんごろんと萌え転がる。

「このお蘭に、めと、めと、めめめ夫婦めおとになれと仰せられますかぁーーーっ!! 御意! 御意! きゅっぴーーーん☆! ようやくお蘭のセクスィーな魅力にお気づきになられましたくわっ! さすがは一磨さま、お目が高い! 機を見るに敏! まこと、慧眼にござりまする! で、で、ではさっそく誓いのキッ……ぶちゅ」

「むう? 何か踏んだかな?」



「綺乃の魂が、あれと繋がってる……だと?」

 兵之進は声を押し殺した。

 乾ききった煙が肺に流れ込んだ。息をつくたび、喉の奥が焼けつく。噛み締めた唇の皮が裂けた。

 赤い痛みが走る。


「サアサア、どうするねェーー? このまま大人しく轢き殺されて餌食となるかァァァい? それとも」

 火車から噴出する火が、炎を振り乱して笑う鬼の顔から、爪を生やした、むくつけき腕へと変わった。

 壁に向かって転がり、跳ね返って空中で逆回転する。

「二目と見れぬ、焼けただれた顔になりたいかァァァ!!? こぉんな……こぉんな……顔にィイイイ……!!!」


(熱っ!)

 絵の中の綺乃が悲鳴を上げた。顔を押さえ、後ずさる。

「綺乃!」

(兄様、こっちを見ちゃダメ!)

 火車が突っ込んでくる。

 兵之進は熱風を避けきれず、崖から足を踏み外した。落下する。

 途中、右肩を強打した。

 妖刀が振り飛ばされる。


「しまった……!」

 《古骨光月》は、きらめきの尾を引いて斜面を跳ね転がった。

 落ちてゆく刀めがけ、手を伸ばす。届かない。

 兵之進は躊躇なく岩場を蹴った。赤い闇に向かって身を躍らせる。

 半ば墜落、半ば投身しながら、断崖をジグザグに蹴って飛ぶ。


「させないよおォォォーーッ!」

 炎の爪が、吹き流しの松明のように夜を引き裂いた。


 絶壁を横に蹴って避ける。

 瓦礫の破片が飛び散った。

 妖刀は角度を変え、さらに遠くへと弾かれる。

 掴み損ねた指先が、虚しく空をかすめた。


「子ォォとろ……子とォろォォォ……何の肉が欲しい……? おまえ……の血と肉と骨と皮とハラワタが、欲しいーーーッヒッヒイィィィーー!!」


 背後に真紅の炎が覆いかぶさった。炎の投網が広がる。

 燃える手が、砕けた瓦礫を掴んで抛った。

 石つぶてが背中を砕く。


「ぐっ!」

 背骨が変な方向にひしゃげ折れる。肺が潰れそうだった。反り返った身体が、跳ね飛ばされる。


「アヒャヒャヒャヒャァアァアーー!! ほーれほれペッタンコォオオオーー!!!」

 嘲笑の火が、兵之進を背後から叩き落とした。

 避けられない。視界が暗転する。


「この、ひよっこが」

 巨大化した影法師が、兵之進と火車の間に立ちふさがった。

 重い衝撃が空気を振るわせる。一拍置いて、金属を削り飛ばす火花が噴出した。

 煙がくろぐろと逆巻いた。上昇気流に吸い上げられる。

「……面倒かけさせやがって」


 炎の奔流が、左右に分かたれて流れくだる。


 周囲は燃えさかる燎原と化していた。

 兵之進はもんどりうった。無様に転がりながら、かろうじて着地する。

 《古骨光月》は消し炭の山に突き刺さっていた。


 すぐさま駆け寄る。押し取った。

 振り返る。

「霞処!」


 黒い影が揺らめいている。左半分が、ない。その様子は、昼間見た霧のヒトガタにどこか似ていた。

「霞処……!」

「キィキィわめくな。耳障りだ」

 闇に半分まぎれ消えながら、恋町は乾いた笑いを浮かべる。


 兵之進は息を呑んだ。血相を変える。声が出ない。


「何だそのツラ。どうってことねェよ。たかが半分、持って逝かれただけだ」

 欠けた半身を、今にも消えそうな薄墨の影で取りつくろう。

 その身体の半分は、もはやただの影。すでにこの世にはない。それでも、まだ。

 笑っている。

「まだ、絵筆を取る手が残ってらぁな」


「くそっ、どうすりゃいい!」

 兵之進は右肩を押さえた。ぶつけた拍子に砕けたか。刀を握るのが精一杯で、まともに動かない。


 火車は、癇癪めいた蒸気を断続的に噴き出し続けている。


 恋町ですら、立ち向かっただけで半身を連れて逝かれた。

 このままでは、真正面からぶつかることもできない。敵の攻撃を受け止めることもできない。

 


(戦ってください、兄様! このままだとみんなやられる!)

 綺乃が切迫の声をするどくした。懐の写し絵は、ますます黒く煤け、燻ってゆく。


「やれるなら最初から殺っている」

 兵之進は一瞬だけ声を荒げ、顔をそむけた。歯を食いしばり、喉の奥の声を押しつづめる。

「お前の意識はまだあの身体ヒトガタと繋がっているんだろう! 何で黙ってた。何で、最初からそうと言わなかった!」

 こめかみを伝う汗が冷たい。


(だって、もし、兄様にそれを言ったら)


 綺乃は、おもてを上げた。

 髪がほどけた。炎の照り返しに赤く染まる。


(また、あのときみたいに、僕は)


 眼に映るのは、どこまでも延焼する海。木の葉のように揺れる骨の籠に閉じ込められた卑小な姿だ。

 未だ、外に出られない。病弱だったころと同じ、閉じ込められたまま、無力なままの、画竜点睛を欠く姿で。


(兄様を、また)

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