伍ノ十五、知りたいかァァァい? じゃァ、教えてあげるヨォーーー!

「パプパ、パプパイ!」

 蜘蛛の糸を細く光らせたおくねと、かむろの少女の姿を取った猫娘が、頭上から飛び降りてきた。赤熱の炎を前に、一磨を守って立ちふさがる。


「危ない、おくね、下がっておれ」

 一磨は手で、振り払おうとした。

 眼前に火車が迫る。火の粉の雨が降りかかる。

 おくねは一磨の頭のてっぺんで、両手を掲げた。赤く染まる顔をひきつらせながら、震える手で糸を放つ。

「ポプぺ、パプパ、パポプ……!」


 一磨の懐から、破れた手毬が転がり落ちた。

 おくねの手から伸びる一条の蜘蛛の糸が、手毬に巻きつく。


「てん、てん、てまり……」

 かむろの少女が、手毬を操る。

 澄んだ鈴の音を立てて、手毬は高く跳ねた。蜘蛛の糸を巻き込んで白く輝く。

 手毬は、白い砲丸となって火車に真正面からぶつかった。

 

 青白い炎が上がった。ちいさな手毬は一瞬で燃え尽きる。最後に鈴の砕けるかすかな音が響いた。

 火車の進行方向がぶれた。ガタガタと音を立ててわずかに傾ぎ、斜めにそれてゆく。


 動けない一磨の真横を、火車がゴウッと走り抜けた。突風に吹きあおられ、一磨はよろめく。

「むっ、何が……何が起こったのだ?」

「パプパ、パイピョウプ!?」

 おくねは一磨の頰に抱きついた。頬擦りする。だが一磨は動転して、周りを見回した。

「はっ!? ど、どうなっておるのだこれは。何も見えん。おくね坊、大丈夫か? どこにいる? 兵之進、どこだ。真っ暗で、何も見えんぞ?」

 一磨は、膝をつき、四つん這いで進みはじめた。

 まるで、暗闇を手探りで歩いているかのような格好だ。無闇に四方を見回しては、びくびくと背後を窺い見ている。


 どうやら、本当に何も見えていないらしい。

 兵之進は、火車と一磨を睨み比べながら怒鳴った。

「一磨、止まれ!」


 反応がない。一磨は一直線に断崖へ向かって四つん這いで這ってゆく。


「パプパ、パペエ! ポッピイッピャパペエ!」

 おくねが力いっぱい耳を引っ張っても、ビンタしても、髷を前後左右にぐるぐる動かしても、猫娘が耳に噛み付いても。

 一磨はまったく気づく様子がない。

 見えていない。聞こえていない。周囲の気配すら感じ取れないらしかった。


「ギャギャギャギャギャァァァ……!」

 おぞましい鬼笛めいた声が、地面をやすりのように削った。

 怨念の業火をまとった火の輪が、闇をあかあかと焦がしつつ引き返してくる。

 火車の中心には鬼乃の醜い顔。輻の部分は、鬼の爪を黒く尖らせた、おぞましい手のかたち。


 爆音を轟かせ、転がり迫ってくる。

 恋町は、陣取っていた岩から飛び降りた。

「おい兵之進、あの一磨バカを止めろ。火車は俺が足止めする」

「くそっ、何で、こんな……!」


 なぜか足が動かなかった。兵之進はねばつく黒煙に咳き込んだ。

 視界が赤くかすむ。

 月が傾いていた。天に血を擦りつけたような雲が吹き流れている。


(兄様! 兄様ったら! 早く!)

 綺乃の声が耳に突き立つ。

「兵之進! さっさと行け!」

 恋町が怒鳴る。


 なぜか胸元が焼けつくように熱い。

 写し絵の端が煤で黒ずんでいた。赤い燃え殻がこぼれ落ちる。描かれた綺乃の絵姿に、今にも燃え移りそうだ。絵に火の粉が直接かかったわけでもないのに。

「どうして、消えないんだ綺乃! 何でまだ燃えてる!」

 兵之進は懐の熱さに耐えきれず怒鳴った。


「アヒャヒャヒャァァァァそれは、ねえええええ!?」


 猟奇したたるけたたましい嗤いが響き渡った。火車が、炎と黒煙を噴き上げる。車輪の中心にあるおぞましい笑顔が、不揃いの牙をずらりと剥き出した。

 打ち鳴らして笑う。


「知りたいかァァァい? じゃァ、教えてあげるヨォーーー!」


 下卑た嗤いが、兵之進の歩みを絶望で縫い止める。


「それはね〜〜〜??」

(兄様、聞いちゃダメ。騙されないで。僕なら大丈夫……!)

 綺乃が切羽詰まった声でさえぎる。だが、兵之進は鬼の誘惑に逆らえなかった。


 悪魔の囁きだと分かっていた。

 だが。


 兵之進は歯を食いしばった。

 ほんの小さな逡巡。動揺。ためらいが。

 心の防壁に、ひびを走らせる。

 ぶざまに揺れ動く視線が。

 敵を討つ手を止める。


 綺乃を助けたい。

 綺乃だけでも、助けたい。

 という思いが。


 綺乃さえ、助かれば。

 という、どす黒い思いに。

 ねじ曲げられる。


 心の隙間に、黒い手をねじ込まれ。

 付け入られる。それが本心だと、暴き立てられる。まき散らされる。


「そいつのカラダが、ねェ〜〜???」

(兄様!)


 綺乃の声は悲鳴にも似ていた。


 いったい、どこから聞こえてくるのか。


 愕然とする。懐中の写し絵から聞こえてくるのではない。

 足が、棒になった。根が生えたように、その場に食い込んで、動かない。

 火焔うずまく車輪の中央に、生白い、膜に包まれた胎児の形にも似た何かが、浮かんでいる。


 鳴り止まぬ嘲笑が、声の針山となって、黒く降り注いだ。


「この中に残ってるからさァァァァ! 気づかなかったのかい!? 魂だけ引き剥がせば大丈夫だとでも!?! 思ったカァァ??? そおおおおんなわけが、ぅひゃァァァァーーー!! よぉッく見なよ!? 魂の緒が、あんたの作ったこのに、まだ繋がってんだヨオオオオオオーーーッ!!」


 炎が赤黒く立ちのぼる。引き伸ばされた影が、悪鬼の形相を描き出した。

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