伍ノ六、かぎろい


 空がますます赤みを増した。夕闇とも、暁闇ともつかぬ、濡れた血だまりを思わせる色に染まっている。垂れ込める雲は、さながら引きずり出されたばかりのはらわたの如き色。ぼってりとして、どす黒い。

 おびただしい数の蝙蝠が、翼から火の粉を散らして飛び交っている。


 天を焦がす火球が、轟音を伴って走った。空気ごと足元を振動させる。割れた炎のかけらがどこかに墜ちた。火の手が上がる。

 赤く染まった森の向こう側に、半壊した橋が黒くかすんで見えた。


「お待たせして申し訳ない。すっかり遅うなってしもうたでござる」

 背後から一磨の声が追ってくる。恋町が振り返った。

「おう、一磨か。首尾よく行っ……ハァ!?」


 どういうわけだか、一磨は、見慣れぬ禿髪かむろの少女を連れていた。袖に五色の豇豆ささげが揺れる赤い着物べべに赤い花緒のぽっくり下駄。手には、一磨が肌身離さず持ち歩いていた手毬。不安そうに抱きしめている。

 三毛の髪から、白と茶色の耳が三角形にひょこんとのぞいた。

 兵之進は何とも言えない苦笑いを作って一磨を見やった。

「……またか」

 またかも何も、そもそも元来一磨はそういうたちであった。東に迷子の猫あれば懐に放り込んで住処を探してやり、西に迷子のおばあさんあらば、おぶって送り届けてやる。幽世かくりよに迷子のあやかしあらば……こうなるのは火を見るより明らか。


 恋町は剣呑な目つきをした。

「何だその化け猫は」


 少女は、オドオドと一磨の尻の後ろに隠れた。背中に顔をうずめる。二本の尻尾がきゅっとすぼまって腰に巻きついた。

「まっくろおばけ怖い」

「化け猫にオバケ呼ばわりされる覚えはねェッ!」

 恋町は大人気なく怒鳴り散らす。

 一磨はあたふたと手を振り動かした。少女をかばう。

「いや、その、あの、お蘭だと思って取り押さえたらば、そのぅ……ばけネコチャンだったでござる」

「まさか、猫やらあやかしやらを拾うのが趣味になってないか」

「きっ気のせいでは? ささ、早う、先を急ぐでござる」

 一磨の肩に乗ったおくねが、くす、と小首をかしげて笑った。



 巨岩へと至る岩場の道を、足早に駆け登ってゆく。

 頂上近くに、噴煙にも似た黒雲が掛かっていた。雲の内部を走る火雷が、あの世にふさわしい末法の様相をのぞかせる。

 地面が揺れた。突風が巻き立つ。


「……で、このネコチャンが言うには、お蘭たちがあの巨岩のてっぺんの檻に連れて行かれるのを見たと。おそらく綺乃どのも」

 岩に向かって走りながら、一磨は手短に状況を説明した。背中に禿髪かむろの三毛猫少女をおぶい、頭におくねを乗せた格好だ。

「そいつが、秀清とグルになって俺たちを騙そうとしてるんじゃなきゃァ、信じてやってもいいけどな」

 憎々しげに恋町は毒づく。


 少女は、一磨の耳にこしょこしょと耳打ちした。

「あの黒いおじさん怖い」

「何だとコラァ! 化け猫におじさん呼ばわりされる覚えはねェーーッ!!」

 さすがは地獄耳である。どんな状況であろうとツッコミだけは忘れない。


 上空を、火の粉を振り散らす蝙蝠が無数に舞い飛んでいた。先が見えなくなるほどうじゃうじゃ密集し、群がり襲ってくる。

 ばさつく翼が目元を打った。埃っぽい塵が火の粉となって降りかかる。

「くそ、うっとうしい」

「一匹ずつ片付けていたのでは、らちが開かんぞ」


 兵之進は、妖刀を握る手を上下逆さまに入れ替えた。群がってくる蝙蝠の影めがけてざっくりと振るう。

「《あやかし喰らい》!」


 腕がわななくほどの熱風が吹き込んできた。妖刀、古骨光月の鋩尖ぼうしさきが真夏の焼け石のようにギラつく。

 身体がのけぞるほどの引力が、燃え飛ぶ蝙蝠どもの群れを吸い寄せた。一網打尽に妖気を吸収する。

 ミイラ状態の残骸が地面に散らばった。

 踏みにじる。消し炭の跡が地面に黒くこすれ付いた。

 吸い取った妖気が、みだらな滴りとなって刃を伝い落ちる。赤い陽炎かぎろいがゆらめいた。兵之進は無意識に自分の口元を拭った。妖気の味は血の味だ。唾液が口の中に広がる。

 下唇を湿す。ごく、と喉が鳴った。


「あんましな。てめえのそれは諸刃の剣だ」

 恋町がたしなめた。

「あんたが猫相手に全力でボケツッコミかましてるからだろ」

 高揚感を隠して兵之進は答えた。眼の底の赤い鬼火を見られたか。それとも、血に酔った薄笑いを見られたか。


 兵之進。恋町。一磨。それぞれが、熱のこもる覚悟の息をつき、口を一文字に結んで、遥か遠い巨岩の頂上を見上げる。

 高く低く、割れた音を立てて、風が吹きすぎる。まるで赤ん坊の泣き声のようにも聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る