肆ノ九、骨から生まれた骨太郎〜

 兵之進は髑髏の真正面に相対した。

「骨と皮どころか骨しかないとか。こんな、どこの頭の骨とも知れん雑魚とか食いたかねぇよ」

「《あやかし喰らい》のくせに食わず嫌いかよ。さては骨喰ほねばみ以下のなまくらか?」

 恋町が嫌味まじりにあてこする。


 兵之進は、じろりと横目に睨んだ。骨喰ほねばみは噂に聞く名物めいぶつの刀。振るだけで身を斬らずとも骨を砕くと伝えられる。

 一方の古骨ふるほね光月こうげつは、妖刀といえど現世では無銘。兵之進以外が手にすればサビサビのなまくらで鞘から抜くこともできない。

 とはいえ。

 いくら普段の見た目が残念極まりなくとも、伝家の妖刀。虚仮こけにされたとあっては聞き捨てならぬ。

 刀の差表さしおもてに、妖魅入り混じる奇怪なまだら紋様が浮かんだ。月影を吸いつけ、ゆらめき変わる。


「ギシャァァァア!」

 髑髏が乱杭歯を打ち鳴らした。黒くうつろに空いた眼窩から、触手がゾワゾワと這い出してくる。

 背後に連なる無数の頭蓋骨が振り回されて、ガラガラとおはじきをかき混ぜるかのような威嚇音を放った。

 胴体部分の頭蓋骨が、四方八方へと奇声を上げる。髑髏の巨体が宙に跳ねた。ぎっしりと並んだ前歯が、歯形そのままの形を剥き出して食らいつく。

 眼窩と鼻孔から、無数の触手が噴出した。

「うわっ汚ねえ、鼻水かよ!」

 恋町が飛び退く。

「あっ、卑怯者! 一人で逃げやがって」

「知るかよ、えんがちょ! えんがちょ!」

 大人気なく責任をなすりつけ合っているうちに、触手が降り注いだ。周囲を取り囲む槍襖やりぶすまとなって、地面に突き立つ。

「しまった、逃げ場が」

 気づけば、触手の檻に閉じ込められていた。逃げられない。

「こうなりゃ仕方がねぇッ、肉を斬らせて骨を……しまった切る肉がねええええ!!!」


 巨大な顎が、兵之進の叫び声を頭から飲み込んだ。土ごとガブリと食いちぎる。

 地面が陥没するほどの歯形が残った。ガチガチと容赦なく咀嚼そしゃくする音が響く。


「ピャー! パイペンーー! ピヨパー!」

 おくねが真っ青になって頰に手をやった。のほほんと触手焼きを食い続ける一磨のちょんまげを押したり引いたりしながら、頭の上で足を踏み鳴らす。

「まあ落ち着け。案ずるより食われるが易しだ。見ておれ」

 一磨は触手の串焼きを差し出す。相変わらず敵より団子。緊迫感のない男である。


 ガチガチと歯を鳴らしていた髑髏が、唐突に動きを止めた。

 前歯が一本、ボロッと欠けた。続けてもう一本。


 巨大髑髏の額部分に、うっすらと青い線が走った。光が漏れ出す。

 鼻毛状態の触手が、みるみるしなびて煙を上げ、消えてゆく。

「脳味噌の代わりに鼻毛が詰まってるとか、最悪だなこいつ」

 喰われたのをいいことに、内部の触手をまとめて斬り削ぎ落としつつ、兵之進は、うんざりとため息をついた。

 がらんどうになった髑髏の内部からおとがいを叩っ斬り、前歯を刈り、頭頂骨を真っ二つに断ち割る。


 髑髏が、縦半分にパカ、と割れた。


「骨から生まれた骨太郎〜」

 恋町は、苦笑いして首を振った。もはや他人事といったていで、刀を納める。

「むかーしむかし、鬼退治のお兄さんが三途の川で洗濯をしていると、川の上流からドンブラコドンブラコと大きな頭蓋骨が流れてきて」

「そんな殺伐とした昔話は嫌だ」


 口をへの字に曲げて、残心をこなし納刀。割れた髑髏から飛び降りる。

「……骨折り損のくたびれもうけとはこのことだ」

「よし、さっそく鼻水ちんこの姿焼きを食おうぜ。一磨、どうだ、お味は?」

 恋町はもう、食うことにしか頭にないらしい。

「丸焼き、串焼き、味噌焼き、どれもいけますぞ。ささ、先生も一献」

「何の味噌だよ……お、旨そうだな!? 兵之進、早く食わねえとなくなっちまうぞ?」

「呑気に食ってる場合じゃねえっての!」

「いいから食え。あーんしろ、ほら、あーん」

「やめろ。寄るな!」


 斜めに傾いた髑髏の顔面が、木っ端微塵に砕けた。


 ▼


 長居は無用。すぐに出立する。

 月が傾いていた。足元に落ちる影が、暮れ落ちる火よりも赤い。枯れ尾花がざわめく。


「明け六つまでには、幽世かくりよから綺乃を連れ出さなきゃならん」

 兵之進は、独り言のようにつぶやいた。

「もし黄泉比良坂の岩戸が閉ざされてしまえば、生きながらあの世をさまよいつづけることになる。そんなことになる前に、お前らは一旦、現世に帰った方がいい」

「余計なお世話だ」

 恋町は、前方を見すえたまま鋭くさえぎる。


 行く手は、小高い段々の坂。

 三人と小鬼が一匹。黙々と歩き続ける。

 あり得べからざる形に引き延ばされた九十九折りの石段と、合わせ鏡を覗き込んだような真っ赤な千本鳥居が、どこまでも急勾配に続いていた。

 途中、斜めに建ったり、逆さまに建ったり、呪いの札をびっしり貼り付けたり。

 坂そのものも、上がっているようでいて下っている、かと思えば下っているようでいて上がっている。

 終わりのない堂々巡りの騙し絵めいて立ち並ぶ鳥居の中で、注連縄に護られた鳥居だけがほのかに光っていた。


 一磨は、おくねがつむぐ糸で、無心に輪っかを作っていた。糸の束はつやつやと銀色に輝いている。さすが蜘蛛の子、糸をつむぐのはお手の物だ。

「どうすんだよそんなもん」

 兵之進は歩きながら聞いた。

「昼間のおぬしが約束していたからな。戻ってくるまでに準備しておくのだ」

 一磨は、糸を巻き取る手を休めない。

「釣りでもする気か」

「ほほう、それも良いな。これだけの逸品はなかなかないぞ。ふるほねやに持ってこいだろ」


 奇怪な赤い火の玉がゆらり、ゆらり、と彼岸を飛び交っている。折れた卒塔婆が見えた。傾いた巨岩が、土砂に埋もれている。

 ちぎれた注連縄が泥にまみれていた。かろうじてぶら下がっている。

「灯りを消せ」

 恋町が低く言った。兵之進は手にした松明を地面に投げ捨てた。湿った土にねじり込む。

 重苦しい闇が降りる。


 ちりん


 痛々しいほどにはっきりと、一磨の懐中から鈴が鳴った。手毬が何かに反応している。

 薄ら寒い風が吹いた。

 苔むした岩。濡れて剥がれた紙灯籠。石柱。折れた枝。生々しく押し倒され、空を噛む木の根。鉄砲水に流され落ちてきたのか、巨大な岩がそこかしこに生え、地獄の針山さながらの形で突き出している。

 地面にえぐられた無数の穴。

 不自然に盛り上がった土まんじゅう。

 滴る水の音。

 倒れた墓石。

 ザワリ、ザワリ、底知れぬ闇を風が這う。木の葉が擦れて音を立てる。揺るぐ影。鳴る風。土を踏み、枯れ草をしだく足音が近づいてくる。


 ちりん


 再び、澄み切った鈴の音が鳴った。ひゅ、と風が頬をかすめる。兵之進は息をつめた。

 鮮明なピンクの影が、地面を蹴る。

「一磨さま」

 うわずった少女の声が、どこかから反響する。

「うれしい。お蘭を迎えにきてくださったのですね……?」

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