肆ノ八、鼻毛ちんこ

 複数の触手が扇形に撃ち放たれる。瞬時の残像が、粒子の荒いコマ送りとなって、目に焼き付いた。

 横合いから毛の生えた触手が飛んできた。

 腕ほどもある太さ。先端には牙のあるおちょぼ口。

 身体をひねり、横薙ぎにかっさばく。鬼火が地面に飛び散った。

 二枚に下ろされた触手は、カンナ屑がめくれ上がるように裏返った。

 白い肉塊が、地面に跳ねる。生の鶏皮みたいに見えた。鉄紫の液体がダラリと漏れ出す。

 これが晩飯になるのかと思うと、兵之進は怖気を振るった。

「なんかプツプツしてて、すっげ気持ち悪いんだが」

「テメエが斬ったやつはテメエで食えよ」

「ぜんぜん食欲が湧かない……」


 白い鳥肌の触手が、右左と続けざまに飛んでくる。

 兵之進は片っ端からぶった切った。斬撃の太刀筋が、闇に青白い刀傷を奔りつかせる。

 幼虫めいた形の切れっ端が、おびただしく地面を埋め尽くした。繊毛をよじらせ、ミチミチとうごめいている。

 恋町が鼻をひん曲げた。

「変な病気が感染うつったりしねえといいが」

「お前が遊郭でいつも貰ってくる病気みたいな?」

「抜かせ。今まで、一度も、病気持ちになんぞ当たったことねえわ」

 恋町は、黒い墨色迸るきっさきをひらめかせた。頭上から降る触手を、乱切りの細切れに切り刻む。


 切れっ端のひとつが、一磨がのほほんと手のひらをかざす焚き火の中に、ポトリと落ちた。驚いたおくねが、ピャッと声を上げて一磨のもとどりの後ろに隠れる。

「案ずるでない」

 一磨は、火箸がわりの枝で切れっ端を突き刺した。

 手許に引き寄せ、しげしげと眺め回す。

「ほう。何ともはや面妖な。空から鶏皮餃子が降ってきたぞ」

「ピョウピャ?」

 おくねはオドオドと顔だけを出した。

「これが本物の鶏皮餃子なら、ざけ薬研堀七味でいい感じのつまみにもなるのだがなあ。どれ、ひとつ焼いてみるか」

 枝を火に突っ込み、しばしあぶる。切れっ端は、ジュッと脂を滴らせて縮んだ。

「ふむ、見たところ焼き海鼠なまこ合鴨あいがもの包み餃子、あるいは鶏皮の炙りといったところか。おくね坊も食べるか?」

「ポピイ!」

 いい感じに焼き目のついてきたところを、一磨はまず匂いを嗅いでみた。

「ふむ、悪くはない」

「ポレッペポイピイポ?」

 おくねが、微笑ましく目を輝かせる。

「まあ待て」

 一磨は、触手の端っこにかぶりついた。わりと大胆にもぐもぐする。

「お!? 旨い旨い。意外とイケる! 筋もなく柔らかい肉質ではあるが、そのくせ、噛み締めるとしっかりプリプリとした歯応え。噛むたび滲み出る肉汁と脂の豊かな味わい。やや大味で粗野ではあるが、好みの焼き加減によって香ばしい風味もいや増すというもの。これは良い。イケる。おくね坊も食ってみるが良かろう」

「プポーイ、ポイピイ!」

 呑気にゲテモノ食いに挑戦している横で。


「ほう。一度も、か」

「それがどうした」

 恋町は陰になった兵之進の表情に気づかない。聞き返す。


 兵之進は、生っ白けのプツプツした肉肉しい物体を、嫌悪を込めて足で踏みにじった。

「この変態エロ絵師め。それ以上こっちに近づいたらブッ殺す!」

 恋町は、ぽかんと阿呆面を晒す。

「はい? 何でだよ」

「変態の吐く息で綺乃が汚れる」

 きっぱり真顔で言う。


 背後から、ジャラジャラと石数珠をすり合わせるような音が迫った。

 回り込みながら距離を狭めてくる。


 恋町は、妙に焦った顔で振り返った。手をわたわたさせながら、弁解し始める。

「いや、待て。誤解だ。女郎屋に頼まれて、宣伝用の春画を描いてやっただけ……」

 騒然とした気配が、全方位から伝わった。木々が次々にへし折れ、将棋倒しに倒れる。


 ふいに頭上から鬼気が迫った。

 夜天には真っ赤な月の目玉。ギョロリと見渡したあと、薄赤い膜めいたまぶたが瞬きする。


「ヤったのか! この不埒者が! 汚らわしい!」

「だからお義兄さんそれは誤解で……」

 月が、影に隠れた。足元にくろぐろと丸い影がわだかまる。


 振りあおぐ。もはや月は見えない。代わりに巨大な前歯が見えた。断頭台のごとく降ってくる。

「淫乱魔獣に義兄さん呼ばわりされる覚えはない!」


 兵之進と恋町は、とっさに左右へ分かれて横っ飛びに退いた。手をついて転がる。足元が揺れ動いた。

「ギィィィ……シャアァァァァァァァ……!」

「義兄さん言うな!」

「それは俺じゃねえって」

 吐き散らす腐臭とともに、ガチガチと歯噛みめいた音が響き渡る。

 土煙と黒い霧が吹きすぎる。薄汚れた乱杭歯が見えた。

 前歯が、深々と土に突き刺さっている。


 家ほどもある大きさの、巨大な髑髏しゃれこうべだ。胴体の代わりに、触手の生えた頭蓋骨がジャラジャラと連なっている。


「溺れ神だな。幽世かくりよに渡れず、幽冥ゆうめいふちをさまよう屍鬼だ。こんなデカいのは初めて見たが」

 恋町が薄笑いを浮かべる。

 兵之進は、上腕の袖で顔をぬぐった。

「骨かよ。肉はどこ行った。晩飯は肉の気持ちだったのに」


「さっちの白い鼻毛ちんこみたいなの焼いて食えや」

 恋町は横目にせせら笑った。妖刀《霞処墨切かすがのすみきり》の、黒霧たなびくきっさきを後ろへ隠す脇構えにして、重心を低く取り、敵に平然と肩身を晒す。


「綺乃にそんな汚らわしいもん食わせられるか」

 兵之進は、妖刀《古骨光月ふるほねこうげつ》を血振るいした。

 血の色の月が、目に赤く映り込む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る