肆ノ三、プェェーン、パプパァァァ……
逢魔が時の
ひた、ひた。
わら、わら。
橋の行く手を九十九の傘が照らす。黒く残った足跡を、ひたすら追って、歩き続ける。
兵之進の周りに、物の怪どもが集まってきた。寄っては散り、また凝り固まってはくろぐろと、影の行列を引き延ばして、騒ぐ。笑う。
蓋のない箱膳、欠けた茶碗、車軸のない牛車、鼎のぬけた人形が飛び跳ねて、お囃子ついでに壊れた鼓笛を吹き鳴らす。
破れ扇子で割れ鍋叩けば、やんややんやの大喝采。
御練りの山鉾、
「ポイパピ! ピヨ! パプペプ!」
兵之進の頭から恋町の頭へ、黒数珠の一寸童女が飛び移った。
「うっせェ黙れ」
親指ほどの大きさの式は、糸を飛ばしてふわふわ飛んだ。
おびえた顔で、兵之進の頭にまたくっつこうとする。
「言葉が通じるのか」
「んなわけねェだろ。耳元でピイピイうるせぇだけだ」
「邪魔だ。あっち行ってろ、チビ蜘蛛」
兵之進は、糸をつまんで、ふっと強く吹く。
黒数珠の一寸童女は、あっさりと闇夜に吹き飛ばされた。背後の巨大一磨が、あわてて手を伸ばす。糸が指先に絡みついた。手繰るようにして、引き寄せる。
「プェェーン、パプパァァァ……」
一寸童女は、めそめそと泣いて一磨の指にすがりついた。
「よしよしでござる。小さき者よ。拙者の肩に捕まっとくが良い」
一磨は、蜘蛛の式鬼、一寸童女を肩の威毛にくっつかせた。
しっかりともふもふに潜り込んだことを確認してから、操縦席の中で苦笑いする。
「……どうやら、兵之進は、あの霧から蜘蛛の糸の命綱で助けてくれたおぬしのことを本当に覚えておらんらしいな」
「ペプピ……ピィポン……」
「言われてみれば、たしかに、昔の兵之進と最近の兵之進とでは、全然、性格が違うておった。毎日顔を突き合わせておったのに、何で気付かなんだのだろうな。綺乃どののご病気がご快癒されて、そのおかげですっかり丸うなったのだとばかり思うておった」
「プポプ……ピンパイ……」
上下に大きく揺れる巨大一磨の肩を、一寸童女はぎゅっと握りしめた。顔を上げ、前を見る。
「なに、きっと大丈夫でござるよ」
一磨は、箱眼鏡を天井から引き下ろして、目に押し当てた。操縦桿を片手で前後させ、巨大鎧武者を操る。
関節の歯車が、蒸気の音を立てて回った。歩くたびに、重低音が轟く。気筒が金属の擦れる駆動音を立てた。圧の高まった熱を帯びる。内部で鋼鉄の部品がぶつかり合う。
懐の手毬がチリン、と鳴った。
「ずっと側にいながら……何の役にも立てんかったばかりか、あやつの足を引っ張ってばかりいた大うつけの拙者が、こんなこと言える義理ではないが。我々にも、できることは必ずあるはずでござる。たとえ、できることが何も無かったとしても、武士として、忍びとして、友として、必ずや本懐を遂げてみせようぞ」
視界全面に、幻燈めいた映像がいくつも、障子紙を透かしたように浮かび上がった。
ずしんずしん、と、巨大一磨の絡繰武者が後ろからついてくる。そのたびに地面が揺れた。板同士が軋むような、縄同士が絞りねじれるような、不安定な音が重なる。
「さっきから、あいつが歩くたびに変な音してねェか? 耳鳴りがすげえ」
恋町は、耳を押さえた。冷や汗混じりに振り返る。
「あんな馬鹿でかいものが橋を渡ったら、下手すりゃ底が抜け……」
闇と霧の彼方から、はるか高い場所を何かが飛ぶ音が聞こえた。
耳を突く風切り音が近づいてくる。
「何の音だ?」
兵之進が言いかけたとき。
恋町が怒鳴った。
「上だ!」
ぎょっとして振りあおぐ。どこからか水飛沫の跳ねる音が聞こえた。続けざまに何か飛来してくる。
空が、割れた。
兵之進は、息を呑んだ。
夜空が、空間ごと、寒天のように賽の目に押し出され、すっぽ抜けて落ちてくる。
まるで組み木細工をばらばらにしたかのようだった。
落ちた空の向こうに、ぶよぶよと太った掌らしきものが見える。
せっかく積み上げた石の塔を、残酷に笑ってなぎ倒す賽の河原の鬼の、手。
空が壊される。崩れ落ちてくる。
足元の橋もまた、一枚、また一枚。後方から橋板が抜け落ちてゆく。
恋町は橋の高欄へと駆け寄った。裾をからげ、身を乗り出す。
遙か下方には、青黒い奈落の闇。不気味な黒い虹色を放つ大渦が巻いていた。
ゴウゴウと轟く大渦の瀑音がせり上がってくる。
橋板が落ちるたび、虹色の燐光が散った。その光もまた、渦に引きずり込まれ、呑み込まれる。
「ヤベェな、これ。落ちたら普通に地獄行きだわ。おい、逃げるぞ」
恋町は、青ざめた顔をひきゆがめて笑った。
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