弍ノ十一、わらび餅おいしい
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「……むむ、何事でありまするか。さっきから何やらギャーギャーうるさくってかないませぬ。これ、そこの麗しき屋台!」
だが、屋台を引く親父は、お蘭になど目もくれなかった。挙げた手を無視し、超特急で突っ走ってゆく。止まる気配は微塵もなし。
「さすがは花の御城下、馬車馬も屋台も生き馬の目を抜くが如し、と言われるだけのことはありまするな! もし、そこなわらび餅の屋台! 止まり
お蘭は、ましらの如く屋根に駆け上がった。
片手、片足を上げて、人差し指でほっぺたぷにゅー、大見得を切って立ちはだかる。
「やあやあ、我こそは
「そ、それどころじゃ……ひぃい、餅なら全部やる! だ、だ、だから、命だけは!」
屋台を引いていた親父は、お蘭が目を離した隙に、その場から逃げ出した。恐怖に目を血走らせ、転げるように逃げてゆく。
「はて。なぜに?」
お蘭は、眼をぱちくりとした。逃げる親父を、首を傾げてきょとんと見送る。
「まあ、そんなことはどうでも良かれ。餅なら全部タダでくれるとのこと、さっそく有り難く全部頂戴するの巻!」
お蘭は、眼をキラキラのお星様模様にしながら、わらび餅の串を手に取った。指と指の間に串をありったけ挟んで、顔じゅうをきな粉まみれにしながら一粒ずつ串に食いつく。
ぱく、と横向きにくわえて滑らせながら、おちょぼ口でついばむ。そのたびに、はふん! と口の端からきな粉が吹きこぼれた。
「はむ、ふむ! わらび餅おいしい! 口に含めば柔らかく、もちもち、つるりとして、優しく素朴。実にいとけなき味わい。きな粉の香ばしき香りが鼻をくすぐるさまも、まことに香味でござりまするな。
にまにましながら食べ続けていると。
悲鳴がまた聞こえた。
屋台が逃げてきた方向から、雨雲が山懐に掛かるのにも似た濃い霧が吹き寄せてくる。どうやら、悲鳴もその辺りから聞こえてくるらしい。
「はて。何ごと?」
気がつけば、霧は足元にまで到達していた。ゆらめく霧の奥底に、薄暗い人の影が透けて見える。
「むっ……」
立ち込める霧が、ますます濃くなってゆく。伸ばした自分の手に持つわらび餅でさえ、半ば朦朧としたように見えて、はっきりとしない。
「何、何、いったいこれは何なのでござり……」
霧が鼻先をかすめた。嫌な臭い。
とっさに口を塞いだ。息を止める。
「何事!」
身を低くし、構える。こう見えても忍びの者、とっさの反応は人より早い。はずなのに。
なぜ、気づいた瞬間に逃げなかったのか。
ひやりと冷たい風が耳元をなぶる。背筋がざわついた。
足が、地面に貼り付いたように動かない。
風が近づいてくる。
足元から、黒い手が霧を破って伸びてきた。埋もれていた冷たい土を押しのけ、掻き分け、這い出してくる。
まるで、葬られていた自分自身が、地の底から蘇ってきたかのよう。
お蘭の足元から這い出してきた黒い影は、ユラリ、と冷たい風になびいた。世に迷い、血に迷い、寄る辺なく何処かへと向かう、黒い、ヒトガタの、夥しい群れのひとりとなって。
立ち尽くす。
「……ィク……」
「ヒァ……クガァ……ァゥゥウゥド……ェェェ……」
「ヒャ……クァ……タァ……リドゥゥ……ェェェ」
黒い手が、お蘭の頰を撫でる。恨みの声が、耳に忍び込む。
触れる。誘う。ゾワゾワと、絡みつく。
どこか遠くから、ぽっくりの音が響いた。
カラン、コロン。
「どの……子が……欲しい……」
カラン、コロン。
「鬼乃……様が……欲しい」
お蘭の手から、わらび餅の串が落ちた。霧に吸い込まれたように見えなくなる。
青白い鬼火が舞う。誰かが、細い手を差し伸べた。袖に結ばれた五色の
カラン、コロン。ぽっくりの音が、目の前で止まる。屍人の列を導く小さな姿は、赤い衣の
お蘭は、その手を取った。黒い影に混じって、呆然と歩き出す。
「鬼乃……様が……欲しい」
虚ろな眼に、鬼火が青く写り込んだ。
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