弍ノ六、普通、人間は爆発しない


 眼前に炎が迫る。降りしきる火の雨。熱風が、空気の固まりとなって顔にぶつかった。

「下がっておれ、兵之進!」

 一磨が吠えた。強引に兵之進を押しのける。

「忍法、頭突ととつ猛進もうしんの術!」

 交差させた両腕を頭上にかざし、炎の強打を頭突き一発で粉砕。


 ……したつもりが。


 何やらもとどりからぷすぷすと煙が立ちのぼっている。

「あ」

 一磨は、苦虫を噛み潰したような顔をした。ちょんまげに火が付いている。

「そういえば拙者、先ほど、ごま油を頭からかぶったような気が……ぶぁし!」

 ぼふん、と音を立てて、一磨は爆発四散した。ネジやらゼンマイやら歯車やら、妙ちきりんな部品が散らばる。


「一磨! くそっ……よくも、よくも一磨を……ッ!」


 兵之進は、歯を食いしばった。涙を振り払う。

 刀柄に手を置き、陣風とともに鞘走らせる。青白い鬼火の弧が、霧をかっさばいた。

 霞んだ視界が横に裂ける。

 相手は炎たなびく長物とともに、後ろへ飛び退った。

「……マァ……ェテ……」

 再び、敵の姿が霧に紛れた。声も、はっきりとは聞こえない。

「卑怯だぞ、逃げるかッ!」

 兵之進は後を追った。

 巨大な一ツ目と見紛う炎が、猛々しい火の粉を爆ぜり飛ばす。

「一磨のかたきッ!」


 錆びた刀身が、敵の長物と真正面からぶつかった。

 こぼれた刃が燃える竹ぼうきに食い込む。衝撃が波紋となって、霧を震わせた。同心円の波が空気を揺るがす。


「ォィィ……ィヒョ……ォ……ッケ……」

「うるさい! 黙れッ! 一磨の、一磨のかたきッ……!!」


 ぎりぎりと鍔迫り合う。

 火の粉が散った。金属と砂利が擦れあって削れる軋轢音あつれきおんが、耳障りな火花を撒き散らした。熱せられた錆がこぼれる。

 燃え盛る炎。たなびく白煙。削れるしのぎの向こうに、どこかで見たことがある顔が見えた。


「だから落ち着けっつってんだよ、このひよっ子が!」

 ごちんと拳が落ちる。

「あいたっ」


 目の前の霧がようやく薄れてゆく。

 兵之進は頭を押さえてよろよろした。涙目をつぶって、相手を睨みつける。

「こっ、この声は」

「だーかーらー! さっきから俺だってずっと言ってんだろ、この頓痴気とんちきめ」

「恋町さん!」


 赤い丹前をだらしなく着崩し、腰には酒徳利、手には燃える竹ぼうき。


「本物の一磨ならそっちだ」

 恋町は、親指を立てて背後を示した。見れば、道の真ん中で上下逆さまになってでんぐり返っている黒の巻羽織。

 一磨である。


 兵之進はおどおどと背後を振り返った。

「じゃあ、さっき爆発してたのは?」

「普通、人間は爆発しねェから」

「あっ」


「……あいたた、あやうく《変わり身の術》に失敗するところでござった。えーと、拙者の影武者一号はと。うわあ、爆発してるでござる」

 一磨は、丸く爆発した縮れっ毛アフロヘアになったちょんまげ頭をさすりさすり、起き上がった。

「よう、八丁堀。怪我ァないか?」

 恋町がひょいと手を挙げる。


 火の付いた竹ぼうきでぶん殴っておきながら、いけしゃあしゃあとそんなことを言う。図々しいことこの上もない。


「先生! そこにおわすは我が心の師匠、恋町霞処かすが大先生ではありませんか!」

 恋町の姿を認め、一磨は一瞬にして復活した。

 ずざああっと膝から滑り込んで平伏する。

「先生、お久しゅうございます! 不肖、兵之進の友垣ともがき廻同心まわりどうしんの横井一磨でございます! 実は先生に一つ二つ三つ四っつばかりお尋ねしたきことがありまして! 憚りながら横井一磨、横井一磨、先生の新作をまだかまだかと、そればかりを楽しみにまかり越してございまする!」

「御役目なのか、新作黄表紙を探しに貸本屋に来たのか、はっきりしろや」

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