壱ノ八、ふるほねや

「珍しいってそんな、人をさぼり魔みたいに。ホントいうと、稽古する間もないぐらい仕事が忙しいんですよ」

「ほう?」

「綺乃さんの指南所にくる子たちの子守しなくちゃいけないし、お洗濯も溜まってるし、ゴハンも炊かないといけないし、古布をほどいておむつを縫わなきゃならないし、道場と庭も掃かないといけないし、そうこうしてるうちに掃除屋汲み取りさんが来るから応対しなきゃだし、あっせっかくきたんだからおっきなばばうんこしてってくださいよそしたらウチが儲かるんで」

「真顔で言うな」

「で、恋町さんが酒持ってこーいとか言い出すから酒とつまみの良いのとかを買いに行かないといけないし、そしたらご近所のおかみさんたちに包丁研いでっておくれよーとか言われるんでそこでまた一時ほど井戸端でダベらなきゃだし」

「黙って仕事すればよかろう」

「僕が研ぐと切れ味凄いんですって。やっぱり本職は違うわねえ、とか何の本職だろうかと思いますけど」

「包丁研ぎのだろ」

「そろそろドクダミをむしって干してお茶にしなきゃだし、コオロギちゃんも鈴虫ちゃんも毎日きちんと餌やって水替えてやらないと共食いしたり病気になったりするし、スイカの苗つくったり挿し木のツツジ作ったりアサガオのイボ竹支柱削って作ったりしないといけないし、鬼灯の行灯仕立てもいっぱい作っておかないとだし、古骨削りだって何本も溜まっちゃってるし、恋町さんにお酒飲まして傘の絵を描いてもらわなきゃだし」


 指折り数えながら、のべつ幕なしに言い訳する。しているが、要するに家事やら内職やらで忙しい、と。

 ざっくばらんに言えばそういうわけなのであった。


 ちなみに、古骨とは、古くなった傘の骨のことである。

 虫食いなどで折れてしまった傘の柄を継ぎ直し、油をひいた紙を丁寧に剥がして張り替えてやれば、破れ傘も新品同様に再生させることができる。壊れた傘を買うことを古骨買いと言い、これも立派な商いであった。


 、兵之進が扱う古骨屋ふるほねやは、ただの古物ではない。

「道具は大切に最後まできちんと使ってあげないと、もったいないお化けが出ますからね」

「古骨か。おぬしが言うと妙に現実味ありすぎて怖い」


 一磨は兵之進が手にする、反張具合も美しき二尺五寸一分の打刀、《古骨光月ここつこうげつ》をちらりと見やった。

 朱塗りというにはあまりにもくすんだ、柿渋色かきしぶいろこしらえである。

 指南所に通う子どもが言うように、道場の家宝でありながら、容易たやすくは抜けぬ、なまくらの鈍刀だ。

 抜けば錆がこぼれ落ちる。

 この錆、落としても落としても、翌日には再びぬめる血脂で赤錆が浮く。伝え聞くところによれば、かつて魔性の鬼をなますに斬りすぎたが為に、その怨念が刃に滲みて、拭いても拭いても血が垂れるが故だとか。


 だが。

 記憶にある刀身は、今の赤錆色とは違っていた。月虹あおざめる鋼の焼曇おちをして、抜けば破妖の裂気を放つ。血を飲み干す不断の切れ味。

 それが、いつから、魔すら斬れぬなまくらに変わったのか。不思議なことに、兵之進にはその記憶がとんとない。


「失礼な。そもそも師範代が真面目に稽古して何が悪いんですか」

 兵之進は古骨光月をざっくりと腰に落とし差しながら、ぷいとむくれた。

「要するに僕は忙しいのです。たまの稽古ぐらい存分にさせて下さいよ。これでも御桜流百語堂の師範代なんですからね。稽古ぐらいしておかないと、師範代としての威厳というか沽券というか、門下生に示しが付きません」

「……門下生? それはどこにいるのだ」

「いますよ! ハチベエとかキュウベエとかジュウベエとか……ちょっと目に見えないだけでちゃんといます!」

「目に見えない門下生より、縁の下の住民のほうが遙かに多いよな」


 縁側の下に置かれたいくつもの木箱には、大切に鈴虫の幼生が飼われている。腐葉土を薄く敷いてやったうえに朽ち木を置き、枯れ葉をふわりと重ねて、かわらけに新鮮な青菜や水、にぼしの頭、カボチャの皮といった虫の餌を置く。

 これもまたツツジや朝顔、鬼灯の鉢植え、古骨の修理などと同じく、粗忽の浪人や貧乏御家人御用達の内職である。秋になれば鈴虫売りに卸して生活の足しにするのだ。貴重な現金収入である。


「一磨さんは、今日はずいぶんと意地悪を言いますね」

 兵之進は一磨を笑って睨みつけた。ぷいとそっぽを向き、双子を背におぶいなおす。

「いやいやすまん。本当に見てほしいものがあるのだ」

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