【完結】あやかしの刀と酔いどれ絵師
上原 友里@男装メガネっ子元帥
序
序ノ一、その血を存分に浴びろ――
夕暮れ。赤い陽。烏の声。表で子供たちの遊ぶ歓声が聞こえる。
子ぉとろ 子とろのわらべうた。
皆で数珠繋ぎになって遊ぶ鬼ごっこをしているのか。
(
そんな中、自分だけがいつも同じ部屋、同じ天井、同じ木目模様だけを見ていた。
(具合はどうだ)
身体によいと聞いて手に入れてくれた掛けの柔なふとんを襟元まで引き上げて、また顔色をわずかに変える。
血の色が枕元に点々と散っている。
雨戸を開ければ風邪を引いた。障子をあければ熱が上がった。日光に当たれば、全身がかぶれた。
さじいっぱいの重湯すら口に出来ない。お医者様もいつしか来なくなった。生まれつき血が薄いのだ、いつ死んでもおかしくない。
だから、好んで白帷子を着た。
枕から這い出てくる三尸の蟲は、いつも、こそり、こそりと綺乃の名をつぶやいていた。
もうすぐ死ぬよ
いつ、死ぬの
おいで、おいで
狐鬼様がお待ちだよ
花嫁様をお待ちだよ
咳をして、身体を起こそうとする。
(無理をするな。心配せずとも良い。たかが虫だ)
兄の兵之進は、鬼乃、鬼乃、と名をつぶやき続ける黒い虫を妖刀で刺し殺し、何事もなかったように懐紙で拭って片づける。
(もし、綺乃の身に何かあるようだったら俺の名前とお前の名前を取り替えてやる。俺が綺乃になってやる。どうせ同じ顔だ)
明るく力づけてくれる声さえ、血の味がする労咳の咳にかき消された。
通りの向こうを東から西へ、水売りの声が通り過ぎてゆく。
猫が鳴く。手まりの跳ねる音がした。
路地の表へと転がっていってしまったのか、みんな笑って鈴の音を追いかけてゆく。
誰かが朝顔の鉢に突っかかって転んだらしい。
鉢が割れて、怒鳴られて。蜘蛛の子を散らすように、わっと逃げ散る。
囃し立てる歓声が波のように近づいては遠ざかっていった。
笑う声。べそをかく声。諍いの声。
ひとりは寂しかろうと、こうやって障子戸を開けて薄暗い黄昏のざわめきを聞かせてくれる。
景色は見られなくても、せめて、音だけは、と。
そんな、優しい兄に。
血が足りない、などと。
血さえあれば、妹の命を長らえさせることが出来るかもしれぬ、などと。
いったい、どこの誰が吹き込んだのか。
名も知れぬ辻売りが手渡した朱刷りの
古くから家に伝わる錆びたなまくらは鬼の刀だ、と死んだ祖父が言い残していたらしい。一族の者が刃傷沙汰を起こしてお家断絶となったあと、
だがその死の直前、祖父は残された兄に対し、決して
月の下で刀を抜けば、いずれ、血を喰らう羅刹となる──
それは、決して犯してはならぬ禁忌。
だと、分かっていながら。
血さえあれば、という、その、一心で。
闇にもすがる思いで魔性の刀を手にし。
百鬼夜行の群れに身を投じ。自ら、妖刀が見せる異界に渡って。
人とも、魑魅魍魎ともつかぬ、あの世の異形を斬り刻んだその手で受けた血を、みずあめに練り混ぜ、丸薬と偽って飲ませた、としても。
いったい、誰がどうして責められようか。
深紅の丸薬、
初めて、笑えた。
初めて、陽の光の射す庭に出られた。
歩けるようになり、走れるようにさえなった。
兄の薬さえあれば、もう、大丈夫だと思った。
でも、いつしか、違う声が聞こえるようになった。
もっと、欲しい。
もっと、飲みたい。
血が、足りない。
兄と同じ顔をした自分が、鏡の向こうから手招きする。微笑む唇は、濡れ刃の色。
もう、歩ける。
一人で、走れる。
ならば、兄上の手を煩わせるまでもないでしょう。と、ささやく。うそぶく。
月の光が紅に染まる黄昏時に、鬼が、嗤う。
沈む夕日は、まるで滴る血のように。
東の空に上る月を、くれないの色に染めあげる。
歪な嗤い声が、夜にささやく。
刀を、取れ。獲物を、狩れ。その血を、存分に浴びろ──
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