壱 怪奇ぬらぬら蛸
壱ノ一、祟られ属性の子守り剣士
「せんせー、ひよ先生ー!」
さんさんと降りそそぐ光。井戸のつるべに絡みついた朝顔が昨日よりもなお高く伸びて、くるくると健康的な緑の影を落としている。
「おしっこー!」
きらめく初夏の日差し。青々と揺れる大樹の向こう、棚場となった竹垣のたもとには可愛らしいつつじの鉢が並び、白と桃色の花つぼみをこぼれんばかりに連なり咲かせている。
「もれるぅー!」
……実にさわやかな朝であった。
道場の庭では、朝も早くから誰かが稽古をしているのか。素振りの音が風を切りなびけている。
軒先から庭のひいらぎへと張られた綱には、干し大根の如くかけられた色とりどりのオムツやてぬぐい。へんぽんとひるがえっている。
竹垣には堂々たる地図を描いたお昼寝ぶとんがたくさん。
寺子屋の光景としては少々年齢層が低いものの、前を押さえ、じたばたと足踏みして泣きわめくカッパ頭の座敷童を見れば、おねしょ地図の大量生産もむべなるかなと思われた。
「ああんおしっこ、おしっこーー!」
「ごん太くん、ちょっと待って!」
見当違いの方向へと走ってゆく子どもを制止しようと、庭から駆け上がってきた剣士が一人。廊下に飛び乗って両手を広げ、立ちふさがる。
総髪をひとくくりにした、ふわりと長い茶筅髪。
小動物を思わせる、ちょこまかと機敏な所作、少年にしては可愛らしすぎる、と言っても過言ではない、大きな丸い瞳、ほっそりとした体つき。
片袖を抜きはだけた白の稽古着に身を包み、右手に木刀、背中には、たすき掛けにしたおぶいひもに赤子を二人まとめてくくりつけている。
剣士は子どもの行き先を誘導しようと廊下の反対側を指さした。
「厠はあっち!」
だが緊急事態に陥った子どももまた必死の形相である。いったん洩れ始めたものは、そうカンタンに止められやしない。尻切れ襦袢の前をおさえ、何やらびしょびしょとまき散らしつつ、弾丸のごとき身ごなしで、あっという間に剣士の手をすり抜ける。
「あああもれるうぅうあぁぁあーーぁはぁん……でちゃう……!」
「しまった、逃がした!」
半泣きで突っ走ってゆく子どもを剣士が追いかけようとした、そのとき。
騒々しい足音が乱れ響いた。四方を開け放った板張りの道場から、いくつもの影が縁側へとなだれ込んでくる、
ひいらぎの木を定宿にしているすずめの群れが飛び散った。鬼避けに吊したメザシの頭が、鈴なりの鈴のように揺れる。
群れなして騒ぐ小鬼の一団かと思いきや。飛び出してきたのは、寺子屋で面倒を見ている近所の子どもたちであった。
「ひよ先生ー、あそぼー」
「くせものごっこしよー」
「いやいやそれどころでは!」
子どもたちに行く手を阻まれ、きゃあきゃあとまとわりつかれて、そのまま庭へと押し戻される。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってごんた君が緊急事態……!」
よろよろしていると、カンカンと棒きれを打ち合わせる音とともに、あどけない歓声が響き渡る。
「ヤアヤア我こそはあばれんぼうずきんにソーロー、いざじんじょうにしょうぶしソーラエ」
「ももども、くせももじゃ、であえであえー」
「すわ、どうじょうやぶりとはふらちなやつばら、よかろうこの剣豪むやもともさしがサタナのカビにしてくれるわ」
「え?」
子どもたちの手にあるものを何かと思って振り返れば。
なんと、床の間の刀掛けに掛けてあったはずの古びた一振りを、こともあろうに物干し竿と一緒に振り回しているではないか!
「うわっ、もっとこっちが危険だった!」
”ひよ先生”こと、この道場の師範代、
「これなるは我が
さすがに、尻切れ襦袢の前と後ろをそれぞれ押さえた暴発寸前の子どもと、真剣を手にした暴れん坊幼児のどちらが危険かは、火を見るも明らか。
兵之進は手にしていた木刀を庭にうっちゃるなり、子どもらが振り回して遊んでいた古刀を取り上げて高々とかざした。
「決しておもちゃにして良いものではありませんぞ!」
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