第2話 領主の朝

 あぁ。喉が渇いた。

 目が覚めるとオレは天蓋つきのベッドに横たわっていた。

 上体を起こそうとすると目眩を覚えて大きくバランスを崩す。

 体が泥のように重い。


 そこは見覚えのない寝室だった。

 窓から射し込む光の強さが、既に陽が高いところにあることを知らせる。

 一瞬、夢の中にいるような不思議な感覚を覚えたが、頭の奥に響く微かな痛みが目の前の景色が現実のものであることを証明していた。


 年代物のパソコンが性能以上の処理動作を行うかのように、オレは昨夜の記憶を必死にたどった。


 そうだ。昨夜は何かの祝い事の席で人生初のワインを飲んだ。

 

 栗色の三つ編みを後ろでまとめた何とも清楚で可愛いメイドさんと、長身で黒髪のショートヘアーが印象的な、見ようによっては少女マンガのイケメンのようでもある褐色の肌の美人のメイドさんがダブルでオレのお世話をしてくれた。

 

 まさに人生の頂に到達した気分だった。

 おかげでついつい飲みすぎてしまった。

 そう言えば名前を聞くのを忘れたな。

 女子にもアルコールにも免疫がないのだから仕方ないか。てへへ。


 酔っぱらった母に無理やり缶チュウハイを飲まされたのとは満足度が雲泥の差だ。正直、味はよくわからなかったが、美女たちにお酌してもらうお酒は格別だった。

 まあ、二十歳になったばかりのオレにお酒の味がわかるはずがない。

 

 あ、そうか。誕生日だ!

 オレ、二十歳になったんだ。

 でも、それだけではなかったはずだ。

 他にも何かもっと重要なことが……。


 コン。コン。コン。不意にドアがノックされた。


 「はい」

 「失礼いたします」


 反射的に返事をすると、にこやかな表情の山田が姿を現した。


 「おはようございます、ダン様」


 いや、この人、山田じゃなかったな。

 たしか──── 。

 あっ!! 

 

 思い出した。全部、思い出した。

 バラン。この人たしか山田じゃなくてバランだ。

 オレは二十歳の誕生日を迎え父の遺産を相続した。更にこの領地の領主となったことで、自動的にロックランド伯爵を名乗ることになったんだ。


 そうだ。昨夜のあれは新たな領主となったオレを迎える祝いの席だ。


 それにしてもバランのやつ昨日はとんでもない爆弾ぶっ込んでたな。

 いきなり『魔界でございます』とかってドヤ顔されても。老紳士の中二病ってちょっとひくな。周りの皆もドンびきしすぎてスルーしてたしな。あの眼帯も意外とコスプレだったりして。 


 「朝食の準備ができております。ご案内してよろしかったでしょうか。それともお先に沐浴でもいたしますか?」


 バランがそんなオレの考えなどお構いなしに問いかける。

 沐浴。風呂のことか。

 昨夜はそのまま寝ってしまったようだし、できればシャワーくらい浴びたい。

 

 「あ、沐浴のほうでお願いします」

 「かしこまりました。すぐにご用意いたします」


バランは優しい表情で答えると、深々と頭を下げて部屋をあとにした。

 相変わらず丁寧でそつのない対応だが、何となくあの笑顔が逆に怖い。


 ベッドから起き上がり窓から外の景色を眺める。

 屋敷は高台に建っており辺りを一望するには最適な場所だ。

 ゴツゴツした岩肌の合間から低木と背の低い緑が顔を出す広大な土地が広がる。

 まさに岩の大地ロックランドだ。

 遠くの方には背の高い木々が茂る森と湖も見える。

 さすがは海外だ。自然がハンパない。

 

 日本では決して目にすることのない景色を眺め、ずいぶんと遠くまで来てしまったことを実感する。


 『ロックランド伯爵か……』ひとり呟く。

 父が海外で働いていたのは知っていたが、まさか伯爵だったなんて。

 あらためて考えると何か大変なことに巻き込まれてしまった気がする。巻き込まれたという言い方は変か。知らなかったとは言え自分で署名したのだし。


 父のあとを継ぐと考えれば古い日本の慣習にのっとったことになる。

 そう考えると悪い気はしない。受験に失敗して人生を見失い、とりあえず日々を過ごしていたオレにとっては人生の転機かもしれない。

 ところで領主って何をするのだろう。


 コン。コン。コン。


 「はい。どうぞ」

 「ダン様、沐浴のご用意が整いました。ご案内いたします」

 

 バランのあとを歩き階段を下り、一階にある浴室に案内された。

 八畳ほどのパウダールムのような脱衣所の奥に石造りの浴室が見える。『何かございましたらお声がけください』そう言い残してバランは脱衣所の前から姿を消した。


 浴槽はかなり浅く、立った状態では膝の位置よりも低い。普通に入れば肩まで浸かるのは到底無理だ。しかも、なぜか浴槽にお湯が張られていない。


 「失礼いたします」


 昨日のメイドが現れた。 

 栗色の三つ編みを後ろでまとめた可愛い系の方だ。

 とか言ってる場合じゃなくて、これから風呂に入ろうとしてるのに女子が脱衣所に現れるとかって、何で!?


 「な、何ですか!?」

 「あ、お背中を拭かせていただきにまいりました」


 メイドがほんのり頬を桃色に染めて慌てて頭を下げた。

 このふんわりした癒し系の雰囲気がたまらない。

 よかった。まだパンツは脱いでなくて。

 目が合うと微笑みながら恥ずかしそうに少しうつむいた。

 惚れてまうやろー!


 「お、お背中は自分で拭けますから大丈夫です」

 「で、ですがお邪魔でなければ」


 慌てて脱衣所の外に追やろうとするとメイドが少し寂しそうに呟く。

 断じてお邪魔ではない。しかし、そこに立たれると風呂に入ることができない。

 彼女の大きな栗色の瞳に不安の色が色濃く映る。


 「あの、じゃあそこにいてもらって大丈夫なので、少しだけ向こうを見ててもらっていいですか?」

 「かしこまりました」


 彼女は嬉しそうに答えると深々と頭を下げ、回れ右をした。

 オレはビクビクしながらパンツを脱ぐと、手で緊張気味の息子を隠して急いで浴室に入って扉を閉めた。


 浴室と脱衣所の境は石材の床以外は、木材と磨りガラスで作られた簡単な間仕切りのようになっており、天井から三十センチくらいは柱だけで仕切りもない同じ空間で続いていた。


 女子と同じ空間内で風呂に入る。

 彼女いない歴二十年で二十歳のオレには刺激が強すぎる。 

 それにしても風呂から出たあとならまだしも、入る前から背中を拭くとはいったいどういう意味だったのだろう。まさか『お背中をお流しいたします』的なやつか。

 何だかとてももったいないことをした気がしてきた。


 ところで沐浴ってのはどうやってするのだろうか。

 よく見ると浴室には大きめの琺瑯の桶にお湯が張られ、その横には木製の手桶が置いてある。これを使えという意味だろう。


 「浴槽に入ってこの手桶で流せばいいんですかね?」

 「はい。そうでございます。お手伝いいたしましょうか?」

 「いえ。大丈夫です」


 そう言えば沐浴には洗い清める意味もあったはずだ。

 彼女が『拭く』と表現したのはそのためか。

 このへんの地域では案外こんな感じの入浴方法が常識なのかもしれない。しかし、石鹸もシャンプーも見当たらないのはいったい……。


 「あの、石鹸とかありますか?」


 言ってから『しまった!』と思った。

 『こちらでございます』とか言って入ってきたらどうする。

 想像しただけで緊張で息子が更に縮み上がりそうだ。


 「浴槽の横の棚にある青色の小瓶でございます。中にシャモワールの樹液が入っておりますので泡立ててお使いください」


 シャモワール? 

 樹液ということは植物か。

 それを泡立てるということは天然の液体石鹸のようなものなのだろう。

 そういえばシャボン玉の語源になった泡立つ植物があると聞いたことがある。

 シャモワールもそれに似たようなものかも知れない。


 オレは青色の小瓶の蓋を開けて中の液体を掌にたらした。

 十円玉ほどのシャモワールの樹液をこすって泡立てる。

 顔に近づけると微かにミントのような清涼感のある香りが漂う。

 普段つかっている石鹸やシャンプーに比べると泡立ちは物足りないが、この香りは嫌いではない。


 石鹸の代わりにこんなものを使っていることを考えると、父は案外こだわりの強い人物だったのだろうか。正直、父のとこはあまりよく知らない。

 父との記憶で覚えていることと言えば、小学校の入学式の帰りに父と母と三人でレストランで食事をしたことだ。不思議とそのとき食べたハンバーグの味は鮮明に記憶に残っている。


 オレは掌の上の泡を頭と体につけると、そのままゴシゴシと一気に洗い流した。

 さて、浴室を出る前にしなければいけないことがある。


 「あの、名前を聞いてもいいですか?」

 「はい? 私の名前でしょうか?」

 「はい。教えてもらえますか?」

 「メルティアともうします。皆にはメルと呼ばれております」


 メル、見た目どおり可愛い名前だ。

 ヤバイ。完全にタイプだ。


 「メルさん、出ますからちょっと向こうむいててください」

 「あの、『さん』も敬語も不要でございます。メルとだけお呼びいただければ」

 「そうなの? じゃあ、メルちょっと向こうをむいてて」

 「はい。かしこまりました」

 

 女子を呼び捨てにするのは思った以上にドキドキする。

 浴室から出ると脱衣所の隅にタオルと一緒に下着とガウンが置いてあった。


 「ダン様、どうぞそちらの衣装にお着替えください」

 「あ、はい」

 「お脱ぎになられたものは横の籠に入れておいていただければ、私が後ほど洗濯させていただきます」

 「え!? メルが洗うの?」

 「はい。ご迷惑だったでしょうか?」

 「い、いや、そうじゃなくて」


 知らない女子に下着を洗ってもらうのは気が引ける。

 それもこんな可愛い女の子に。

 こんなことなら勝負下着をはいてくるんだった。

 持ってないけど。だって勝負したことないし。

 ここは素直にお願いすることにして、とりあえず下着は丸めてジーンズの下に隠して籠に入れておこう。


 指示にしたがってシャツとステテコのようなパンツの上から、黒緑色のビロードを思わせる軽くて滑らかな素材のガウンを纏った。


 「着替え終わったからこっち向いて大丈夫」

 「はい」

 

 少し恥ずかしそうに視線をそらしながらメルが振り返る。


 「あの、籠に入れておいたから洗濯お願いね」

 「はい。かしこまりました」


 メルは耳の先まで桃色に染めながら、とっておきの笑顔で答え深々と頭を下げた。

 



 「それではお食事にご案内いたします」


 いつのまにか脱衣所の扉の陰にバランが控えていた。

 もう少しメルとの会話を楽しみたかった。

 後ろ髪をひかれる思いで案内されるがままに朝食に向かう。

 あとをついてしばらく歩くと大きな食堂のような部屋についた。


 部屋の中央に長いテーブルがあり、左右に十脚ずつの椅子が置かれている。

 オレは中央にあるひときわ豪華なひじかけ付きの席に案内された。

 この部屋は昨日も来た。

 ワインの飲みすぎで食事の内容までは覚えていないが。


 目の前には既にパンケーキが何重にも積まれた皿と、色とりどりのフルーツが盛られた大皿が。その横にはたっぷりの蜂蜜とミルクの入ったポットがそれぞれ用意されている。

 一番手前には何も置かれていない皿と空のティーカップが。

 その横にはスプーンとフォークとナイフが置かれている。


 「おはようございます。ダン様」


 席につくといつのまにかメイドがすぐ横に立っていた。

 長身で褐色の肌のショートヘアーの美人系の方だ。


 「卵の調理方法にご希望はございますでしょうか?」

 「と、とくにないです」

 「かしこまりました」


 何と答えるべきなのか選択肢が浮かばなかったのは、不意に卵の調理方法を聞かれたからではない。吸い込まれそうな彼女の深緑色の瞳を間近で見てしまったせいだ。

 目の前にいるのにCGかと思った。


 いくらも待たずに大きめの橙色に近い黄色のオムレツが運ばれて来た。

 湯気が上がりひと目でふんわりとしているのがわかる。

 早速、ひとくち口に運ぶとその濃厚な味わいに衝撃を覚える。

 中に具は何も入っていない。

 ただの卵の塊がこんなに美味いとは。


 「美味しい!」


 思わず口をついて出た言葉に、隣に控えるメイドが少し驚いたように深緑色の瞳を大きくした。そのあとに見せた笑顔が意外なほどに可愛らしく、オレの胸に天使の矢が突き刺さったのが見えた気がした。

 モデルのように整った端正な顔立ちとのギャップに釘付けになる。

 まさにギャップ萌え。


 「お飲み物は何をご用意いたしましょう?」

 「えーと、温かいコーヒーかお茶のようなものはありますか?」

 「はい。あいにくコーヒーはございませんが、ロックランド・カスミール茶ならすぐにご用意できますが」

 

 ロックランド・カスミール茶?

 どんなお茶なのかまったく想像がつかない。


 「ダン様、ロックランド・カスミールはこの辺りに自生するハーブの一種でございます。花の部分を摘み取って風通しのよい場所で数日陰干ししたものを沸かしたのがロックランド・カスミール茶でございます」


 部屋の隅に控えていたはずのバランがいつのまにがすぐ後ろに来て囁く。

 執事というより忍者だな。


 「なるほどハーブ茶か」

 「はい。食欲不振や内臓の機能回復への効果がございます」

 「じゃあ、それをお願いします」

 「かしこまりました」

 

 長身の肌の美人系メイドに向き直って注文をすると、深々と頭を下げて奥の部屋へと姿を消した。

 

 しばらくして運ばれてきたロックランド・カスミール茶は、ほんのりと色付いた少し甘味のある独特の香りを漂わせていた。

 口に含んでみると甘い香りとは裏腹に微かな苦みが広がり、じんわりと体に染みわたるような優しさを感じる。

 これならオレの二日酔いにも効果がありそうだ。


 「よろしければパンケーキをお取り分けいたしましょうか?」

 「あ、お願いします」


 長身の美人系メイドのきめの細かい褐色の肌が、こんがりと焼き上がったパンケーキへと伸びる。皿に取り分けてそのうえにたっぷりの琥珀色の蜂蜜をかけて、最後に若草色のビー玉ほどの大きさのフルーツを絞る。

 何だろうこの美しさは。ただパンケーキを取り分けてくれただけなのに。

 

 一切れ口に運ぶと爽やかな柑橘系の香りが鼻に抜け、あとからバターのようなコクと同時に蜂蜜の深い甘味が姿をあらわす。しかも、少しカリカリした表面とモチモチとした内側の触感の違いが絶品だ。


 日本は不思議な国だ。ある時、大ブームになった食べ物が数年後には探すことすら困難なほどに姿を潜める。少し前にパンケーキがブームになったときも、冷ややかな目で店の前に列を作る人たちを眺めて通り過ぎた。

 パンケーキとはこんなに美味かったんだ。それともこのパンケーキが特別なのか。

 いずれにしろ彼女が取り分けてくれたからなのは間違いない。


 続いて大皿に盛られたフルーツに手を伸ばす。厚めにスライスされたやや黄色味がかった乳白色のフルーツで、皮はくすんだ橙色をしている。


 口元まで運ぶと何とも言えない果実特有の甘い香りが鼻先をくすぐる。

 南国のフルーツを連想させる強い芳香。これは間違く美味そうだ。

 そのままひと思いに口に放り込む。食感は滑らかでバナナに似ている。味は完熟したパイナップルと桃を足して二で割ったような感じだ。


 もしオレが異国の地に住むのに必要な条件を上げるとすれば、まずは『食事』『言語』『治安』の三つだ。そういう意味ではここロックランドは悪くない。食事は美味いし、なぜか言葉も通じている。既に三つのうちの二つが該当する。


 お屋敷暮らしで自然がいっぱい。しかも、素敵なメイドさんが二人も。案外オレの第二の人生はバラ色かもしれない。 


 「あの、名前を聞いていいですか?」

 「今お召し上がりになった果物の名前でしょうか?」


 長身で褐色の肌の美人系メイドが不思議そうにオレの顔を覗き込む。

 まあ、たしかにそれも知りたいけど、今はそれ以上に知りたいことがある。


 「いえ。あなたの名前を」

 「あ、失礼いたしました。リリイと申します!」


 リリイ。素敵な名前だ。容姿も仕事も完璧な美人メイドが、一瞬だけ頬を赤らめて恥ずかしそうに慌てる姿にはかなりの破壊力がある。


 「ダン様、お食事が終わりましたら少しお話ししたいことがございます。お時間をちょうだいしたいのですが」


 いつのまにかオレの背後に迫ったバランが、静かな声で改まった口調で話す。

 いったい何の話だろう。




 満腹だ。しっかりと朝食を堪能したオレはその後に二階の別の部屋に案内された。

 落ち着いた雰囲気の素敵な書斎だ。部屋の左手に木目の美しい重厚な作りの机と椅子が置かれ、後ろの壁際には大量の書籍の並んだ本棚と、美しい置物と一緒にグラスと酒の入った瓶が並んだ棚が置いてある。


 壁には二枚の全身画が机と同じ黒木で額装され飾られていた。

 一枚は細部に銀糸で刺繍が施された漆黒のローブ姿で、自分の身の丈ほどの年代を感じさせる杖を手にした青白い肌で長い髭を生やした見知らぬ老人。もう一枚は黒いタキシード姿に衣装と同色のステッキを手にしてヴェネチアのカーニバルを思わせる装飾の施された白い仮面をつけた男性だ。


 「ダン様のお父上と祖父君です」


 オレの目線に気付いたバランが言う。


 「父と祖父……」


 ローブ姿の方は素顔をさらしているが見覚えがない。と言うことはそちらが祖父でタキシードに仮面姿の方が父だ。それにしても、なぜ仮面を。


 「ダン様は祖父君をご覧になるのは初めてでらっしゃいますか?」

 「はい。初めてです。何か魔法使いみたいな服装ですね」

 「ご冗談を」


 優しい笑みを浮かべるバランにオレも微笑み返す。

 祖父の服装はこの辺ではさほど珍しいものでもないのかも知れない。


 「ダン様の祖父君は魔法使いとは格が違います。祖父君は魔界史に名を残すほどの絶大な魔法の知識を有する大魔導師でらっしゃいました」

 「は?」


 何それ。また出たよバランジョーク。

 このタイミングで? しかも、二人っきりの状態で?

 正直ちょっとめんどくさい。


 「えーと、ところで、何で父は仮面をつけてるんですか?」

 「これは魔素の影響を緩和するための仮面でございます」

 「魔素?」

 「はい。魔界では目には見えませんがいたるところに魔素が漂っております。もともと魔界の産まれの魔族にとってそれは人間界の空気のような存在でございます。しかし、それ以外の者にとって大量の魔素を浴びることは時として命にかかわります。そのためお父上はその魔素の吸収を抑制する効果のある仮面をつけてらっしゃいました。肖像画のお父上が仮面をつけてらっしゃいますのはそのためです」

 

 うわ。設定、盛りすぎでしょ。

 中二病もここまでくると、ちょっと怖い。


 「あの、バランさん。オレもそういうのは嫌いじゃないんですけど……」

 「?」

 「ゲームとかもけっこう好きだし、ファンタジー系の映画もよく観ますよ」

 「ゲーム? ファンタジー?」

 「えっと。その、ファンタジーにもいろいろなジャンルがあるわけで、あまり魔界押しされるとちょっとなぁ…って」


 『魔界押し?』バランが怪訝そうな表情を浮かべる。

 ヤバイ。やんわりと中二病を指摘したつもりだったが気にさわったか。

 

 しばらくするとバランは何かを納得したように何度か小さく頷いた。

 そして、オレを窓辺へと案内した。


 「ダン様どうぞご覧ください」


 バランはそう言って優しい笑みを浮かべながら窓の外に手を向ける。

 この書斎は寝室とは屋敷のちょうど反対側に位置する。

 

 中央に巨大な岩山が半分は白い岩肌を露わにしながら残りの半分を背丈の低い緑が覆い尽くす。その周囲には奇岩石群が立ち並び、所々に人間の背丈ほどの大きな多肉植物が所々に見える。

 この屋敷から奇岩石群まで三キロ程度といったところか。

 周りに建物がないため距離感がつかみ辛い。

 実際にはもう少しあるのかもしれない。


 「右奥に見えるアーチ状の奇岩石の辺りに、兵士たちがいるのがご覧になれますでしょうか?」

 「あ、本当だ!」


 バランが指すあたりに鎧姿の者たちが八名ほど見える。

 何をしているのだろう。


 「この位置からでは確認できませんが五年程前に奇岩石の合間に巨大な穴が出現いたしました。魔宮でございます」

 「……」


 魔宮ってオイ。更にエスカレートしてるじゃねえか。


 「あの兵士たちは魔宮の見張りをしております」

 「見張り? 何かから魔宮を守っているのですか?」

 「その逆でございます。魔宮から現れる魔物からロックランドを守っているのでございます」


 バランの中二病、ここに極まる。

 魔宮どころか魔物まで飛び出す始末。もはや末期症状だな。


 「おや、ご覧くださいダン様。ちょうど現れたようでございます」


 その声に釣られて兵士たちに目をやると、慌ただしい動きで四人一組が二手に分かれ奇岩石のほうを向いて身構えている。兵士たちの動きに緊張感がみなぎる。


 やがて地を這う巨大な蛇の胴体部分だけを切りとったような不気味な生物が、奇岩石の陰から姿を現した。兵士たちの大きさから推測すると体長は一メートル程度だろうか。それが二匹。


 「グランドワームの幼体のようでございます」

 「グランドワーム?」

 「はい。無脊椎種の魔物でございます」


 そう言うとバランは本棚から黒色の表紙で装訂された古めかしい本を出した。

 目の前でペラペラとめくるとあるページで手を止めてオレに手渡した。


 『名称:グランドワーム(魔物)無脊椎種』 

 『特徴:手足のない巨大な芋虫のような魔物。先端から粘液を飛ばす。体長は幼体では一メートル程度で、成体となると三メートルに達するものもある。生育環境により成体になると粘液に混じり毒液を飛ばすものもいる』


 説明書きの下にはグランドワームの絵が描かれている。

 芋虫というよりは蛭にちかい。滑りのある赤黒い肌がリアルに描写されており、思わず体長一メートルの蛭を想像すると背筋に悪寒が走る。


 「お父上の書かれた本でございます」

 「父が?」

 「はい。お父上は素晴らしい領主であると同時に優秀な研究者でらっしゃいました。生前は魔素と魔物の研究にかなりのお時間を割かれておりました」


 研究者だった父が書いた本。

 そこには地球上では見ることのない生物がたくさん書かれていた。

 『魔界……』この時オレはようやく気付いた。

 自分がいるこの場所がヨーロッパどではないことに────。

 

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