遺産相続したら魔界で爵位まで継承しちゃった件

桜 二郎

第1話 遺産相続

 「あの、今日ってこのあと何か予定ありますか?」


 バイト中に仕事仲間の三つ歳下のちょっと気になる女子が、少し恥ずかしそうに頬をピンク色に染めて話しかけてきた。


 最近テレビでよく見かける美人すぎるヴァイオリニストに似ていて、女子の多いこの職場でも断トツの一番人気だ。その彼女が『年齢=彼女いない歴』のオレにこのあとの予定を聞いている。


 近くで見ると透明感が半端ない。

 まつ毛の長い黒目がちな瞳に吸い込まれそうだ。

 ヤバい。緊張し過ぎて腹が痛くなってきた。


 いや、ちょっと待て。

 清純派美人女子高生がこのオレにバイト後の予定になど興味を持つはずがない。

 お約束だ。じつはオレの後ろにいる他の誰かに話し掛けてるパターンだろ。

 危ない。危ない。浮足立って普通に答えてたら『キモイ』から『怖い』にクラスチェンジするところだったぜ。

 

 オレは開きかけた口を閉じて、泳ぐ視線を無理やり制止して、何食わぬ素振りで振り返った。しかし、そこには誰もいない。

 まさか。オレの背後霊に話しかけているとか!?

 ダメ。そっち系はやめて。マジで苦手だから。


 「あの、今日って亜門さんお誕生日ですし、やっぱり予定ありますよね?」


 彼女がオレの名前を口にした。

 それどころか今日がオレの誕生日だという本人すら忘れかけていた内容まで。

 

 そうだ。今日でオレは二十歳になった。実際この歳で彼女がいないと、誕生日っていうのはその日を境に一つ歳を食うだけの呪いの様なものでしかないのだが。


 レベル20になった。

 もうそうりょくが1あがった!

 すばやさが1さがった!

 さいだいHPが1さがった!

 

 でも、ちょっと待て。なぜ彼女がそれを。

 二十歳と言えば大人の仲間入り。晴れの門出。

 ひょっとして自分でも気付かないうちに大人の魅力が備わっていたのか。

 これがいわゆるモテ期というヤツか。

 予告もなしにこんなにいきなり来るものなのか!?


 「い、いや。とくに無いけど?」


 オレは溢れ出す妄想力と、まるで耳元で鳴り響くかのような心臓の音を悟られないように、集中力を総動員して出来る限りの冷静を装いながら答えた。


 「本当ですか!?」


 彼女は意外そうに驚きながらも少し嬉しそうな声を上げる。

 か、可愛い。この二十年間ずっと温め続けてきたオレの純情を捧げるのに十分に値する可愛さだ。

 彼女は躊躇するような仕草を見せて言い淀んだ後に思い切って口を開いた。


 「もし良かったらなんですが────」


 うわ。ちょっと。これ、来た。マジに来た。

 初リアル告白シーンだ。

 間違いない。恋愛シュミレーション系のゲームで何度か経験した場面と一緒だ。

 

 清純そうな彼女ならまずはメアドの交換か。

 いや、あえて『付き合ってください』なんて直球勝負もアリだ。

 オレ的にはぜんぜんアリだ。

 どんな球も受け止めてやる。バッチ来い!


 「今夜のバイトのシフトを交代してもらえませんか?」

 「はひ?」


 うわ。ヤバい。緊張し過ぎて声が裏返った。

 バイトのシフト交代。

 ですよね。そんないきなり人生大逆転のチャンスなんか訪れるはずがない。

 そもそもモテ期なんて実在しない。物語の中だけのイベントだ。

 それにしてもオレの妄想力、半端ない。

 

 彼女がオレの誕生日を知っていたのは、バイトのシフト表に店長が勝手に赤色のハートマークで囲んで『アモンくんのお誕生日』と書き込んでいたせいだ。

 ちなみに店長は三十代の独身男性だ。ちょっと髭が濃い。




 いつもより三時間遅いバイトの帰り道。

 まだ十一月下旬だというのに吐く息が薄ら白く色付く。

 天気予報によると今夜から明日にかけて強い寒波が本州全体を覆うらしい。

 二十歳の誕生日にまったく予定のないオレの心にも寒波が押し寄せていた。


 オレは明かりに吸い寄せられる羽虫のように、ふらふらとコンビニに入ると弁当と雑誌を買って再び家路についた。


 アパートに着いて玄関の鍵を開ける。

 ギイィィィ。

 扉が甲高い音を上げて開く。

 部屋に入り明かりをつけると、テーブルの上にメモ書きが置いてあった。

 母だ。


 『おめでとう。今日から大人だ。人生を楽しめ!』 

 『冷蔵庫のケーキ食べてね。 ママより』 


 オレが九歳のときに父が他界した。

 詳しい内容は聞いていないが事故だったらしい。

 父はもともと海外赴任でほとんど家には居なかったので、一緒に暮らした記憶はあまり残っていないが本が好きだったのはよく覚えている。


 今はこのアパートに母とオレのふたり暮らしだ。

 父の他界後に一念発起した母は眠っていた才能を開花させ、フリーの本格高級SM嬢として女手ひとつでオレを育ててくれた。

 ちなみに未だにバリバリの現役だ。


 某有名国立大学の政治経済学部受験の直前模試でA判定をもらいながらも、受験当日に緊張し過ぎて腹を壊したオレは試験中に急な腹痛に襲われた。

 ヤバイ。オナラが出そうだ。

 思案の末にオレが出した回答は『音を出さなければどうにかなる』だ。

 

 それは賭けではあったが計算しつくされた賭けだ。

 臭いに気付いて教室がざわついたとしても、知らぬ存ぜぬを付き通せばあとは試験管が私語を注意してくれるはずだ。


 オレには大学を優秀な成績で卒業し、将来は日本経済を立て直す一役を担うという大志がある。こんなところでつまずいてたまるか。

 できるだけ静かに。そして、できるだけ臭うな。

 無味無臭と化せ、オレのオナラよ!

 

 『ブリップピーッ! ブリッ!』


 オレは試験管に許可をもらいトイレに駆け込んだ。内股で駆け込んだ。

 パンツを脱ぐと別のものまで出ていた。

 オナラだけど、オナラだけじゃなかった。

 

 それを見た瞬間に賭けに負けたのを悟った。

 日本経済どころの騒ぎではない。問題はパンツの中で起きている。

 オレは試験会場への復帰と同時に、明るいキャンパスライフと日本経済の立て直しを断念してノーパンで泣きながら帰宅した。


 母は『一浪や二浪くらい、私の鞭と蝋燭で食わせてやるよ。このウンコたれ!』と冗談めかしてあっけらかんと笑っていたが、案外あれは本気だったのかも知れない。

 ウンコたれの部分ではなく、食わせてやるのほうね。

 しかし、ボッキリと折れたオレの心に再び灯がともるには時間がかかった。


 半年後にアルバイトを探し始めるまで、部屋に引きこもって毎日オンラインゲームのレベル上げとレアアイテム探しに没頭し続けた。いつしかネット上では『職人』と呼ばれるようになり、気が付くとオレはゲームの世界の住人と化していた。


 なぜか母は『ちゃんと飯は食え』と言う以外には、そんなグダグダなオレをまったく否定しようとしなかった。


 その時の母が何を思っていたのか今でもオレにはわからない。

 オレは結局そのままフリーターという形で社会復帰し、今では数種類のアルバイトを掛け持ちしながら思い描いていた将来像とはだいぶ違う、可もなく不可もない日々を過ごしている。


 冷蔵庫を開けると中段を占領するようにアメリカンサイズのケーキが鎮座し、真ん中にはこれ見よがしに赤色で極太の蝋燭が一本だけ突き刺してあった。

 母さん、この蝋燭って……。

 見なかった事にしよう。

 そっと冷蔵庫の扉を閉めてコンビニ弁当をレンジでチンする。


 その時、不意に玄関のチャイムが鳴った。

 リビングの壁時計は十時を過ぎている。

 こんな時間にいったい誰だろう。

 

 オレはドアの向こうに気配を悟られないように静かに歩み寄り、ドアスコープから予期せぬ来訪者を覗き見た。

 黒色の山高帽と同じ色の袖なしの外套を肩からかけた、小柄な老紳士がレンズ越しに映る。

 

 左目には黒色の眼帯をしている。

 外国人。もしくはハーフのような顔立ちだ。

 どことなく漂う気品を左目を覆う黒色の眼帯が相殺している。

 新聞の勧誘などではない。どう見ても怪しい。

 

 母の客か。一瞬そうも考えたがそれはないだろう。

 見た目が上品さからではない。母に言わせれば逆に普段から上品ぶってるヤツほど、プレーの時にはド変態だったりするのだそうだ。


 オレにも詳しくは話さないが、母の顧客リストには高級官僚や一部上場企業の重役

などが名を連ねているらしい。そんな人物なら立場上、絶対にその性癖が外部に漏れる事は許されない。まあ、一般人でもその性癖がばれるのはマズイと思うのだが。

 そのため彼ら(もしくは彼女?)が自らの足でこの場所を訪れる事はまず考えられない。


 それに、母も客を自分のプライベートに踏み込ませることは絶対にない。

 そんなことをしようものなら女王様の鞭がだまっていない。

 逆に喜ばれたりして。


 思わずドアスコープを二度見すると、老紳士はまるでこちらが見えているかのように、綺麗に刈り揃えられた白色の口髭の端を少しつり上げて優しい笑みを浮かべた。

 思わず後ずさる。

 まさかオレの姿が見えているのか。

 そんなはずはない。偶然か。

 念のためドアチェーンをそのままに、ゆっくりとドアを開けた。


 ドアの隙間から老紳士と目が合う。


 「ダン様、お迎えにあがりました」


 老紳士はそう言うと、帽子を手に取りゆっくりと綺麗な動作で深々と頭を下げた。 最敬礼だ。


 『あの、人違いじゃ────』咄嗟にそう言い掛けて目が合った瞬間に、老紳士が微かに笑みを浮かべる。その確信に満ちた目は人違いをしている者のそれではない。

 それに、敬称が『様』なのは気になるが、はっきりとオレの名前を口にした。


 「あの、どちら様でしょうか?」

 「これは大変に失礼いたしました。ダン様が二十歳になるこの時を心待ちにしておりましたもので、私としたことが年甲斐もなく興奮してしまいました」

 

 老紳士はそう言って恐縮したように頭を下げる。


 「申し遅れました。私は山田と申します。亡くなられたお父上の執事をさせていただいておりました。このたびは遺産相続の件でお伺いいたしました」

 「父の?」

 

 父が他界して十年以上が経過している。なぜ今更。

 この山田と名乗る老紳士の丁寧過ぎる対応が、逆にオレの猜疑心を刺激する。

 もしかして何かの詐欺か。

 

 「お父上の遺言により、ダン様が二十歳の誕生日を迎えられるまで、この相続物件は我々の手により管理するように申し使っておりました」


 山田はまるでオレの心の中を見透かすかのように言う。

 しかし、いきなり遺産相続と言われても。

 

 「あの、相続っていったい」

 「よろしければ、まずは相続の内容をご説明させていただきたいと思います」


 言い終えると同時に山田がチラリッと部屋の中に視線を向ける。

 今夜は冷え込む。吐く息が白い。

 父の執事をしてくれていた人だ。本来ならば玄関先でチェーン越しに立ち話しをするではなく、中に入ってお茶でも飲んでもらうべきだろう。

 しかし、この老紳士を部屋へ入れるのはちょっと怖い。


 深夜に訪問した見知らぬ眼帯の老紳士とリビングで二人きり。

 オレには無理だ。危険ビビりセンサーが警笛を鳴らす。


 「静子様は外出中のご様子ですね。ダン様さえよろしければこの場でご説明させていただきますが?」


 山田は母の事も知っているようだ。

 やはり母の客なのだろうか。


 「あの、そのお話ってどこか別の場所で伺っても良いですか? 今夜は冷え込みますし」

 「勿論でございます。ただ、あまり時間に余裕がございませんので、できれば近場でお願いいたしたいのですが」

 「近所にファミレスがあるんですが、そこならどうですか?」

 「かしこまりました。では、そちらで」


 山田はそう言って丁寧な会釈をする。

 『少しだけ待ってください』オレは一旦ドアを閉めすぐに出掛ける準備をした。

 ファミレスなら人目もあるし妙な事にはならないだろう。

 あとはファミレスまで明るくて人通りの多い道を通り、到着まで山田に背中を見せないように気をつける事だ。

 

 心配をよそに山田はまったく怪しい素振りを見せることなく、あっと言う間にファミレスに到着した。


 店員に案内され奥の窓際の席に座った。

 店内にはまばらに客がおり、窓越しに通りを歩く人の姿も見える。

 ここなら大丈夫だ。


 オレがコーヒーを注文すると、山田も店員に『同じものを』をと告げた。

 本当は腹が減っているのでオムライスを注文したかった。電子レンジでチンした弁当は手つかずで残してきし。でも、流石にこのタイミングはまずい。

 オレはTPOのわかる大人の男だ。今日で二十歳だし。


 明るい場所で見ると山田の服装はかなり目立つ。

 黒色の眼帯だけでも十分に目をひくのに、外套を脱いだ下から仕立ての良さそうな黒色の三つ揃いのスーツと、臙脂色にストライプ柄の蝶ネクタイが露わになる。

 詐欺師がわざわざこんな目立つ格好をするとは思えない。

  

 「おまたせいたしました」


 すぐにコーヒーが二つ運ばれた。

 口に運ぶとどぎつい苦みと酸味が広がる。

 作り置きされて時間が経過した味が空っぽの胃に染みわたる。

 『早速でございますが』山田は運ばれたコーヒーには手もつけずに、急かすように話を始めた。


 「先程も申し上げましたが、私はお父上の遺言によりダン様が二十歳の誕生日を迎えられるこの日を心待ちにしておりました。私どもの運命はダン様にご回答にかかっていると言っても過言ではございません」


 何このいきなりのプレッシャー。

 自分の人生もままならないオレに、他人の運命なんて背負えるわけがないだろ。

 

 「ダン様が相続の権利を有されるのは、生前にお父上が所有されていたお屋敷と領土それと貨財でございます」


 何それ。貨財はわかるけど、お屋敷はないだろ。せめて家屋とか建物と呼ぶべきでは。それに領土って。話を盛り過ぎだろ。

 そもそも相続なら配偶者である母に権利があるのでは。


 「この事って母は?」

 「もちろん静子様は了承しておられます」


 そう言って山田は鞄から古めかしい書類を一枚取り出してテーブルに乗せた。

 説明文は英語とも違う見たことの無い言語で書かれている。そして、書面の下の方に母の直筆と思われる署名もあった。


 「こちらの署名は静子様が全ての相続をダン様にお譲りになることを、了承されたという内容でございます」

 「母が?」

 「はい。もちろん一緒にお父上のご署名もございます。最もこの内容はダン様が六歳の誕生日を迎えられた際に書かれたものでございますが」

 「六歳?」


 この相続内容は父の生前から母も承知していたいうことか。

 でも、なぜ母ではなくオレが相続人なのだろう。


 「はい。私も同席させていただきました」

 「え? その時にオレも山田さんと会ったんですか?」

 「はい。もっともダン様はテレビのヒーローアニメにご執心のご様子でしたが。ちなみに、私はこれまでにダン様と三度お会いしております。ダン様の生後まもなくと、六歳、そして、お父上が亡くなられた九歳の時でございます」


 気まずい。三度も会ったと相手に言われているのに、自分はまったく記憶にない。

 産まれて間もなくはまだしも、六歳と九歳の時の記憶まで全く残っていないのには正直ちょっとショックだった。記憶力には少しばかり自信があるつもりなのに。


 「相続にご了承いただければ、この欄にご署名をいただきたく存じます。いかがでしょうか?」


 ああ。何か更に圧が増した感じだ。


 「で、でも、簡単に署名って言われても、こういうのって複雑な手続きや税金の問題なんかもありますよね?」

 「そのあたりの事は全て私にお任せください。一切の手続きが完了するまでをお父上には申し使っております。いずれにしろこの国の法律が適用されることはございませんのでご安心ください」


 この国の法律って。いったいどこの国の法律が適用されると言うのだ。

 

 「えっと、とりあえず一度、母に連絡させてください」


 山田に断りを入れて母の携帯に連絡する。

 

 『ただいま電話に出ることができません────』


 仕事プレー中だ。

 母は仮に放置プレー中でも仕事中は決して電話に出ることはない。

 それは本人が日頃から宣言していることなので間違いない。

 山田の視線が突き刺さる。少しずつ外堀を埋められている感じだ。


 「ダン様。何卒、ご決断を」


 うわ~、もう。圧力つよすぎ。

 

 押し切られるようにオレは書類に署名をした。

 母も認めていることだし、父もそれを望んでいたと言うなら。

 その刹那、書類に紋章のようなものが浮かび上がった気がした。

 

 気のせいか。

 もう一度見直した書類には、何もおかしな点は見当たらなかった。

 バイトで疲れているのだろうか。


 あ。でも、この急がせて冷静な判断ができない状態で決断を迫るのって、詐欺の典型的な手法なのでは。テレビの詐欺特集で見たことがある気がする。


 「ありがとうございます。これで無事に戻れます」


 山田はすぐに店員を呼び会計用の伝票と一緒に千円札を二枚手渡した。

 『ごちそうさま。お釣りはけっこうです』優しい笑みを浮かべてそう告げると、懐から取り出した懐中時計に目をやる。

 先程からずいぶんと急いでいる様子がうかがえる。

 そして、荷物をまとめるとすぐに店の奥へと歩き出した。


 「ダン様、早速ですがこちらへどうぞ」


 山田はそう言って先程と変わらぬ優しい笑みを浮かべながら店の奥を指す。

 店の奥に何の用があるのだろう。

 出口と勘違いしているのだろうか。それとも……。


 「ダン様、あまり時間がございません。どうぞこちらへ」


 山田は圧だけでなく意外と押しも強い。

 笑顔は浮かべているが、右目の奥は笑っていない。

 何となく断りきれない。

 オレは仕方なく山田の後に続き店の奥へと進む。


 「あまり時間がありませんので、この扉をお借りしましょう。こちらでお待ちください」


 山田はオレを扉の前に立たせた。

 まさか扉に書かれる『STAFF ONLY』の文字に気付いていないのか。

 外国人っぽい顔立ちだと思ったが、もしかして英語圏ではないので読めませんでしたなどというオチなのか。何か別の部屋と勘違いしているのかも知れない。 

 

 「山田さん、ここって関係者の人しか────」

 「すぐに開きますので」


 いやいや。開くとかじゃなくて。むしろ開けちゃダメ。絶対。

 山田は何かずいぶんと急いでいる様子だが、オレには何をしようとしているのかまったく理解できない。


 もしかして山田はここの関係者なのか。

 いや、それはない。このファミレスはオレが指定した場所だ。


 山田が不意に扉に手を添えた。

 袖口から不思議な輝きを放つ黒色の珠がのぞく。

 この人けっこうなオシャレさんだな。

 オレがそんなことを思っていると、山田は右目を閉じて何事かひとり言のように呟きはじめた。

 

 「天と地の狭間を通り、隔たりし世へ我が身を運べ────『異界の門アナザーゲート』開放!」


 その言葉に反応するように黒色の珠が音もなく砕け散る。

 山田はドアノブの手をかけると躊躇なく開けた。

 

 何これ。その先にあったのは従業員たちの控室ではなく、扉の枠の大きさ通りに空間が切り取られたかのように怪しく輝くだけの不思議な光景だった。

 

 「さあ、ダン様。お進みください」

 

 いやいや、無理でしょ。

 こんなの従業員でも入れない。

 詐欺とかじゃないのはわかった。

 でも、何かもっと怖い。やめて。


 「さあ、ダン様」

 「いや、でも」

 『ドンッ』

 「わっ!」


 今、後ろから押された気がする。

 押した。絶対に押した!

 

 不思議な輝きの中に足を踏み入れると一瞬にして強い光に包まれた。

 オレはその光で視界を奪われた。

 目眩がして思わずその場に尻もちをついた。

 内臓に強い違和感を覚える。まるで高層ビルの最上階からエレベーターで急降下したようだ。いったい何が起こっているんだ。


 「や、山田さん! これは!?」

 「初めてのダン様にはお辛いかと思いますが、あと少しの辛抱でございます」


 体全体が見えない圧力に包まれる。

 『カハッ』その圧力は次第に強くなり、肺の中の空気が押し出された。

 苦しい。オレはこのまま死ぬのか。


 「ダン様、お疲れ様でございました。もう目を開けても大丈夫でございます」


 山田の言葉で気が付いた。

 先程までの圧力はまったく感じない。

 どうやらオレは意識を失いかけていたようだ。

 

 言われるがままにに目を開けるが霞んでいて良く見えない。

 さっきの強烈な光のせいだ。手で擦り目を細めて辺りを見まわす。

 

 周囲の景色がはっきりと見えるようになるまで数分はかかった。

 建物の中だ。

 変わらず優しい笑みを称えてオレの斜め後ろに立つ山田の姿も見える。


 「山田さん、ここは?」

 「ダン様がお父上から相続されたお屋敷でございます」

 「は!?」


 ヨーロッパ風の歴史を感じる重厚な造りの建物だ。

 ここは玄関ホールなのだろうか。

 たしかに『家屋』というよりは『お屋敷』という表現のほうが合う建物だ。


 「おかえりなさいませご主人様!!」


 突如、複数人の声がホールに響いた。

 思わず肩がビクッとなった。

 声の方へ目をやると部屋の隅にメイド姿やコック姿の者たちが整列していた。

 そして、オレと視線が合うと一斉に深々と頭を下げた。

 

 「山田さん、彼らは?」

 「このお屋敷でお仕えする者たちでございます。本日からダン様にお使いできることを皆うれしく思っております」

 「オレ?」

 「はい。ご用がございましたら何なりとお申し付けください。それと────」


 『まずはダン様に謝らなければなりません』山田はオレの前に立つと改まって申し訳なさそうに話した。


 「私の本当の名前はバランドルズと申します。訳あって名前を偽わらせていただきました。本当に申し訳ございません。どうかバランとおよびください」


 山田改めバランが深々と頭を下げる。

 たしかに彼の容姿には山田よりバランのほうがしっくりくる。


 「ですが、お父上からの相続の件は全て本当でございます。これからも変わらぬ忠誠をダン様にお約束いたします」


 ここまでくると何と答えて良いのかわからない。


 「私は先々代の祖父君の代よりお使いさせていただいております。お父上にはもしもの時には執事兼教育係をとのお言葉もちょうだいしております。ご不明な点があれば何なりとお聞きいただければ幸いでございます」

 「先々代ですか……」

 「今日からダン様はこのお屋敷を含むロックランドの領主でございます。」

 「ロックランド? 領主?」

 「はい。領主となられたダン様は自動的に爵位を継承されることとなり、対外的にはロックランド伯爵とお名乗りになることとなります」

 「ロックランド伯爵!?」


 聞いたことのない地名に爵位の継承。

 目の前で起こっていることに理解が追いつかない。

 まさかさっきバランと一緒に通ったのは、ど●でもドアだったのか。


 「もしかして、ここってヨーロッパですか?」

 「いえ。魔界でございます」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る