第250話 君はなんて可愛らしいんだ…

「っらあ!!!!」


全身の全ての力を乗せるかのような雄叫びが、その場に響き渡る。

その長い左脚から繰り出される、振り出しが見えないほどに速い後ろ回し蹴り。


その蹴りを繰り出すのは、現在解体現場で作業中の鷺宮 志郎。


徹底的に鍛え上げた、強靭な肉体をフルに使って繰り出されたその蹴りは、攻撃の対象となる、厚さ数cmほどのコンクリート製の壁にぶつけられる。


落雷が着弾したかのような轟音と共に、コンクリート製の壁はあっけなく崩れていく。

縦、横共に数mはある壁が、ものの見事に大破して細かい破片となるその光景。


「…ほんと、いつ見てもヤベえな…」

「いつも思うけど、あれほんとに人間が放つ蹴りなのか?」

「…こないだ作業着に着替えてる時、たまたま彼の身体を見たんだけどさ…」

「そうなのか?」

「ああ…TVに出てくるようなアスリートでもこんなのいないだろってくらい引き締まってて、見ただけで鍛え抜かれてるのが分かるくらいだったよ…」

「マジか…そんなに…」

「でもまあ…鷺宮君のおかげで、作業時間は大幅に短縮させてもらえてるし…」


そろそろ志郎にとっては顔なじみとなってきた、現場の先輩労働者達の会話。

志郎がこの現場に来てから、志郎の図抜けた身体能力のおかげで楽はさせてもらっているものの…

本当に生身の人間かどうかを疑わざるを得ない、尋常ではない攻撃力にはいまだに慣れない様子。


一体どんな鍛え方をすれば、あそこまでの格闘能力を得ることができるのか。

それを考えただけでも、思わずゾッとしてしまうほど。


「よし…なかなか奇麗に崩せたな」


解体の対象となる建築物の、壁の一面をくり抜く様に奇麗に一撃で崩せたことに、志郎はそれなりの満足感を得ながらも、次の作業に移る。


「っだらあっ!!!!!!」


四面の直方体となる建築物の、今度は反対側の壁に向かっての攻撃を志郎は繰り出す。

今度は、数多の喧嘩相手を沈めてきた右拳による正拳突き。

その鍛え抜かれた全身をフルに、無駄なく使ったその一撃は、先ほどの蹴りの時と同じように、壁一面をくり抜くように粉々に粉砕する。


上部を除く四面の内、二面が奇麗に解体完了。

ここまでの所要時間、わずか二分。


「…鷺宮君のこと知らないで、喧嘩なんて売るヤツなんていたら…」

「…とんでもないことになりそうだよな…」

「…つか、その相手に同情するな…」

「…どう考えても、一方的にやられる未来しか、見えないもんな…」

「…厚さ数cmもある、コンクリート製の壁を拳や蹴りで粉々にできるなんて…」

「…そんな相手に喧嘩売るなんて、どう考えても無理ゲーだもんな…」

「…そんなクエスト発生したら、マジでそのゲームやめる自信しかないわ…」


力仕事がメインとなるこの現場でそれなりに長く働いている彼らなのだが…

生身の攻撃で建築物を解体する、などという荒業を実行できる志郎を見ていたら、これまでちょっとした力自慢をしていたことが心底恥ずかしく思えてしまう。


しかも、別の現場では一袋で数十kgにも及ぶ資材を片腕で数袋、それを両腕で軽々と運ぶなどという豪腕っぷりまで披露している。

しかもそんなものを抱えながら軽快に走っていくというおまけつき。


もはや人外と言っても過言ではないほどの身体能力に、これまで肉体自慢、力自慢をしていた作業員達は大人しくなり…

しかしそれでいて、志郎ほどとは言えないが、もっとその肉体を向上させようと地道な努力を始めていっている。


これほどの圧倒的な力を披露しているにも関わらず、志郎は非常に謙虚に、先輩を立てて接してくれているのもあり、しかも自分の作業で他が楽になることを喜んでくれているのだから…

なおさら、志郎の力を見せられた後では自分程度で力自慢なんて、恥ずかしいにも程がある、という意識になってしまう。


そして、作業的に志郎のおかげで驚くほどに楽させてもらえているのだから、言葉ではついつい口をあんぐりさせるような感じになってしまっているものの、志郎のことは本当に救世主のように思い、常に感謝している。


「おっと、鷺宮君にばかり作業させてはられねえ」

「おいおめえら!鷺宮君が解体してくれた瓦礫を片付けていくぞ!」


気が付けば、元は直方体だった建築物がいつの間にかなくなり、ただの瓦礫に変貌してしまっていた。

ものの数分で、コンクリート製の建築物の解体が終了したことに驚きは見せるものの、それをやってのけた志郎に感謝の思いを抱き、その志郎ばかりに作業をさせるわけにはいかないと、瓦礫の片づけに入る。


そんな声があがり、他の作業員も慌てて瓦礫の片づけに入る。


「さあ、瓦礫の片づけに入るか」


そして、志郎も自分が解体した建築物の瓦礫の片づけに入ろうとするのだが…


「鷺宮君!このくらいは俺達がやるからよ!」

「君は休憩に入ってくれ!」


現場の中でもベテランの方に入る作業員から、片づけは自分達がやるので、休憩に入るように声がかかる。


「え?そんなの、悪いですよ…」

「何を言ってんだ何を!」

「結局解体は全部鷺宮君一人でしてくれたじゃねえか!」

「なのに瓦礫の片づけまで鷺宮君にさせちまったら、俺ら何にもすることねえじゃねえか!」

「ここはもう十分だ!片づけなんて人数いればすぐ終わるからよ!」

「高校生の君にこんなに楽させてもらってるからな!大人の俺らがこのくらいのことやらねえとバチが当たるってもんだよ!ははは!」


ベテラン作業員達は常日頃から、志郎にばかり高負荷な作業をこなしてもらっていることに感謝の念を忘れない。

加えて、志郎一人に作業の全てを押し付けるなど、絶対にしてはいけないと思っている。

解体作業はどうあがこうとも、志郎がやる以上に早く、正確で安全にできないが、解体後の瓦礫の片づけは自分達が頭数揃えてやれば、志郎が一人でやるより早く終われる。

せめてそこでくらいは志郎に楽をしてもらわないと、割に合わなすぎるとさえ思っている。


だからこそ、解体終了後の作業は率先してやるようにしており、他の作業員も暗黙の了解でそうするようになっている。


「…ありがとうございます!!」


そんな彼らに、志郎は清々しい笑顔を浮かべ、目いっぱいの感謝の意を言葉にする。

かつて、人を傷つけることにしか使われなかったその力を、本当に人の役に立てていけることに、心底喜びを感じている。

かつて、人を傷つけることしかできなかった自分が、こんなにも他の人によくしてもらえている。


そんな喜びと感謝が、志郎のその笑顔にはっきりと表れており…

他の作業員達は、そんな志郎を見て、ますます好感を持ててしまう。

志郎と現場作業員達の関係は、日に日に良好になっていくので、あった。




――――




「ここが…」

「うむ、志郎君のいる孤児院じゃな」


そうして、志郎が良好な人間関係を築きつつ日雇い労働に明け暮れている時…

場所は変わって、志郎の生活拠点となる孤児院。


この日は土曜日ということもあり、秋月保育園でのアルバイトもなかった涼羽と、スケジュール調整により時間を作った誠一が、孤児院の前に立っている。

翔羽と幸介は、この日はさすがに時間を取ることができず、非常に残念な思いを抱きながらも、涼羽と誠一の二人に託すことにした。


場所は涼羽が好んでいく公園から、もう少し南西に歩いたところ。

涼羽が住んでいる高宮家はもちろん、商店街や学校からはやや、距離がある位置。


敷地面積としては、秋月保育園よりも狭いが、建物自体はそこまで小さくはない。

元々が教会だったようで、その名残となる装飾も建物に残っている。

白を基調とした、縦に長い長方形の建造物で、見た感じでは3~4階まではある様子。


経営難ということを聞いていたのだが、思っていたよりは建物自体は奇麗にされており、造りそのものもしっかりとした感じが出ている。

おそらく、ここに住んでいる人間がしっかりと清掃もこなしているのだろう。


建物の外から、わいわいとした声が聞こえてくる。

幼い子供の声。

幼さは抜けてきているが、まだ声変わりはしていない少年の声。

そんな少年と同年代と思われる少女の声。


どの声も、親が恋しい盛りの年代と思われる声。


「なんか、楽しそう…」

「…ここでは、よほど子供は大事にされているのじゃろうな…院長はもちろん、あの志郎君もしっかりと面倒を見ているように思えるわい…」

「…だよね…」


涼羽が働いている秋月保育園の園児達は、普通に両親がいる家庭で育っている子供達。

それも、本当に可愛い盛りの。

園長である省吾や、子供好きをそのまま職業にしている珠江はもちろん、涼羽も懸命に子供達のためになるように接している。

その甲斐もあって、園児達は多少腕白さやお転婆さがあれど、家族のことを常に思いやることのできる子供達に育っている。


だが、当然ながらこの孤児院にいるのは、そんな普通が存在しない…

親のいない子供達。

幼い盛りで親がいない、という逆境にいるとは思えないほどに穏やかで…

それでいて、決してそんなことを匂わせない…

それほどに楽しく、幸せそうな雰囲気が、外に聞こえてくる声から感じられる。


よほど、院長が親代わりとして…

よほど、志郎が兄代わりとして…

懸命にここにいる子供達の面倒を見ているのだということが、それだけでもわかってしまう。


「うむ…これなら、涼羽君が思っている通りの話で進められそうじゃな…」


建物の外観、漏れてくる声から感じられる内部の雰囲気。

それらから誠一は、涼羽が出してくれた企画の通りに進められるであろうと判断。


後は責任者である院長に話をしてみようと、誠一は涼羽を連れて孤児院に入ろうとする。

まさに、その時だった。


「ここに、何か御用でしょうか?」


声のする方向に涼羽と誠一が視線を向けると、一人の男性が立っていた。


その声から伝わってくるであろう、穏やかで優し気な人柄。

身長はさほど高くはなく、日本の成人男性のほぼ平均といったところ。

しかし、その頬がややこけているように見え、痩せ気味というよりは痩せぎす、といった感じだろうか。

実際、身体のラインが分かりにくい、ややダボついたトレーナーとジーンズにその身を包んでいるが、その下が貧相な感じなのは否めない雰囲気。


風貌から推察される年齢は三十台前後といったところ。

しかし、頬が少しこけているのがややマイナスになってはいるが、顔の作りそのものは整っている。

尻の下がった、優し気な眉に、切れ長で少し垂れ気味の目。

肩の下まで伸びているであろう、漆黒の髪は、飾り気のないヘアゴムで無造作に束ねられている。


見るからに穏やかで、人を害する要素など感じられないその人物は、ゆっくりとした歩調で、涼羽と誠一のそばまでやってくる。


「私は当孤児院の院長を務めさせていただいています、春宮はるみや れんと申します」


にっこりと、見る人の心をも穏やかにさせる笑顔を浮かべながら、自己紹介をする孤児院の院長こと、蓮。


その穏やかな雰囲気に少々見とれることとなったが、すぐに切り替えて誠一から自己紹介をすることに。


「これは失敬…私は丹波 誠一と申します」

「!それでは、あなたが志郎がお世話になったあのキャンペーンの会社の!?」

「!おお!ご存じでしたか!」

「それはもう!志郎にあのような希望の光を与えてくれた会社の代表なのですから!」

「何をおっしゃいます!彼にはうちの社まるごと救われたようなものです!私こそ、志郎君には感謝してもしきれません!」

「!ああ…志郎がそのように言っていただける存在になるなんて…本当にありがとうございます!」


誠一が志郎がモデルを務めたキャンペーンの会社の代表取締役と聞いた途端、蓮はまるで自分が賞賛されたかのような喜びの表情を浮かべる。

そして、誠一が志郎を社の恩人と称すると、蓮はさらに喜びの表情を強くする。


誠一と蓮はよほど盛り上がったのか、その場で握手まで交わしてしまっている。


「は、初めまして…」

「!おお、これは失礼……君は?」

「僕、高宮 涼羽と申します」

「!!!!!!!」


まるで生涯の友を得ることができたかのような盛り上がりのところに、申し訳なさげな声を響かせる涼羽。

その涼羽の方へと蓮は向き直り、そして、涼羽の自己紹介を受ける。


しかし、涼羽が自己紹介として発したその名前に、蓮は驚愕と歓喜が入り混じったかのような表情を浮かべてしまう。


「き、君が!君が志郎を破滅の道から救ってくれた…」

「?あ、あの?…」

「今日は…今日はなんと喜ばしい日なのでしょう!志郎の恩人である方に、それも二人もお会いできるなんて!」


心の底から喜んでいることがすぐにわかる笑顔を浮かべながら、蓮は自分よりもかなり小柄な涼羽の手を取り、まるで宝物を扱うかのように握手を交わす。


「?え?え?…」

「ずっと暴力の道に生きてきた志郎を、君が救い出してくれて…それからの志郎は本当に真っ当と言える、ごく普通の人生を送ることができている…それも、孤児ということをまるで感じさせないほどに…」

「そ、そうなんですか?…」

「そうだとも!それどころか、常にこの孤児院のことを気にかけてくれて…自らこの孤児院のために働きにまで出てくれて…本当に、君のおかげで志郎は救われた…なんとお礼を言えばいいのか…」

「そ、そんな…志郎には、僕も目いっぱい助けてもらってて…」

「…志郎は君のことをいつも私に話してくれていてね…『涼羽は俺を…喧嘩に明け暮れていただけのどうしようもない俺を救ってくれた、生涯の恩人だ』とも…『涼羽がいつも俺の目標となってくれるから、俺は道を踏み外さずに済んでるんだ』とも…『涼羽は、俺がこの人生全てをかけて恩返しをしていく親友だ』とも……」

「志郎が、そんなことを…」

「本当にありがとう…志郎を孤独な暴力の道から救ってくれて…君は、私にとっても生涯の恩人だよ…それに…」

「?それに?…」

「秋月先生の保育園も、君のおかげでものすごく評判がよくなっていると聞いていてね…私の恩人でもある秋月先生が、まるで自分の子供のように君のことを話してくれるんだ…『涼羽君がいつもいつも保育園をいい方向に導いて、支えてくれて…本当に涼羽君には感謝してもしきれない』とも…『涼羽君のおかげで、子供達が本当にいい子に育ってくれている』とも…」

「園長先生が、そんなことを…」

「本当にありがとう…志郎だけでなく、秋月先生まで助けてくれて…私も君には、感謝してもしきれないよ…本当に…」


志郎と省吾が話していたことを、蓮から聞いた涼羽は本心では嬉しくてたまらないものの、やはり照れが勝ってしまうのか、ついついその顔を恥じらいに染めてしまう。


蓮は涼羽のことを志郎からよく聞いており、その性別についても知っているのだが…

それでもその容姿を初めて目の当たりにして、『これほどの美少女なのに、男の子…』という思いになってしまっていた。


そして、そんな涼羽が恥じらいに頬を染める姿を見て、省吾同様子供が大好きな蓮は、あまりの可愛さに涼羽を抱きしめてその頭を優しく撫でてしまう。


「!え?え?…」

「君はなんて可愛らしいんだ…まるで天使のようだよ…」


こうして、初対面であるにも関わらず、涼羽は蓮に大いに気に入られることとなり…

子供好きな蓮に思う存分に、可愛がられることとなるので、あった。

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