第226話 いつから高宮君、あなたのクラスの女子達のこと、名前で呼ぶようになったのよ?

「えへへ~♪りょうせんせーのらっこ、しゅき~♪」


「りょうせんせー、あーたんもらっこちて~?」


「りょうせんせー、ぼくもらっこちて~?」




涼羽にとっては日頃から変わることのない、日常の一部となっているこの光景。


秋月保育園での、いつも通りのアルバイト。


もはや涼羽が来てくれるのが当然という雰囲気まで出ており、逆に涼羽がここに来ないなんてことはありえない、などという雰囲気も出てしまっている。




涼羽がここにいてくれるだけで、本当に幸せで幸せでたまらないのか…


この秋月保育園に預けられている園児達は、その幼く可愛らしい顔に天真爛漫で無邪気な笑顔を浮かべながら、涼羽の懐に包み込まれたくて、そばに寄っていく。




まるで洗濯したての柔らかな布団と、陽だまりのような温かさに包み込まれているかのようなその感覚がとても心地よくて、涼羽の懐に抱かれている園児は、もっともっとと言わんばかりにその小さな手で涼羽のことをぎゅうっと抱きしめてくる。




それを見ていて、自分も早くしてほしいと言わんばかりに、他の園児達が涼羽の衣服をくいくいと引っ張っては可愛らしいおねだりをしてくる。




「ふふふ…ちゃんとみんなにぎゅうってしてあげるから…もうちょっと、待っててね」




そんな風に自分のところに来ては懐いてくれている園児達が本当に可愛くて可愛くてたまらないのか…


涼羽はその顔にとびっきりの笑顔を浮かべながら、優しい口調で言い聞かせる。




この日の涼羽は、ここ最近では珍しく乳白色の無地のトレーナーに少し薄く、空に近い青色のジーンズと言う服装となっている。


ただし、トレーナーは襟口が広がっていて、その滑らかな鎖骨や、小さく丸い肩が露になるデザインのもの。


そのため、涼羽の首から肩にかけてが丸出しとなっており、見る者にとってはまさに目の保養となっている。


さらには袖が長く、身長からすれば腕が短い部類に入る涼羽だと、その手が半分ほど隠れてしまうサイズとなっている。


それがまた涼羽の可愛らしさを強調するものとなっており、先輩の保育士である珠江などはもう、デレデレとしてしまって緩んだ頬を隠す素振りすらなく、涼羽のことをひたすら目で追いかけている状態となっている。




逆に、サイズ大きめで少しだぼついた感のあるトレーナーとは対照的に、ジーンズの方は涼羽の腰から下、そしてその脚線美を強調する、スリムなものとなっている。


現役の高校三年生というその年頃の男子としては、大きめで丸みを帯びたそのヒップライン。


そのヒップラインとは対照的に、少しぎゅうっと抱きしめただけで壊れてしまいそうなほどに細く儚いウエスト。


適度な肉付きと、すらりとした細さのバランスが神がかっていると言っても過言ではないその脚のライン。


それらが見事なほどに強調されていて、どう見ても男子のスタイルには見えなくなってしまっている。




涼羽としては、リボンやフリル、そしてスカートと言ったあきらかに女の子のものだと分かる服装でないから、むしろ気楽に着られると喜んではいるのだが…


結局のところ、その女性的で抜群の造形美を誇るスタイルを強調する服装となっており、それが見る者の目を奪う形となっていることに、肝心の本人である涼羽自身が、まるで気がついていない状態となっている。




今となっては腰の辺りまである長く真っ直ぐに伸びた髪も、この日は特に飾りつけなどもなく、ヘアゴムなどでまとめることもせず、たださらりと地面に向かって真っ直ぐになっている。


それがまた、清楚で可憐な印象を生み出していて、その顔立ちのこともあり、結局どこからどう見てもとびっきりの美少女にしか見えないことに、変わりはない。




「高宮君ったら…いつ見ても思うけど、本当にとびっきりの可愛い女の子にしか、見えないわね…」




そんな涼羽を見て、まるで本当の女子である自分の自信を失ってしまいそうで、溜息をつきたくなるその心境を言葉として響かせているのは、この日たまたま秋月保育園で働いている涼羽を見たくなって、その場に訪れた愛理。




愛理自身、今となっては以前のような厳しく冷たい印象がなくなっていて、優しげで、それでいて少しおっちょこちょいな地の部分も出てきており、元々の容姿のよさも手伝って校内のみならず、この近所でも評判の美少女として周囲の目を集めるようになっている。


だが、そんな愛理から見ても涼羽の美少女っぷりは女としての自信を失ってしまいそうになるほどで、事実秋月保育園に子供を預けている保護者を中心に、町内に涼羽のファンが急増しているほどなのだ。




そのため、ここ最近では涼羽が買い物や学校の帰りなどで町を歩いていると、ひっきりなしに見ているだけで眼福となりうる涼羽のことを少しでも長く見ていたくて、ついつい声をかけてしまう人間がかなりいる状態となっている。




「りょうせんせー、らあ~いしゅき!」


「あ~じゅる~い!あたちもりょうせんせー、ら~いしゅき!」


「ぼくもぼくも~!りょうせんせー、らいしゅき~!」




そしてそれは、ここの園児達も変わらないようで、幼い子供であり、涼羽にべったりと甘えることができるという特権を、知らぬがままに思う存分に行使し、とにかくどれだけ自分達が涼羽のことが大好きで大好きでたまらないのかを、まるで他の園児と競争するかのようにアピールしてくる。




「ありがとう、みんな…先生も、みんなのこと大好きだからね」




そんな園児達がまた可愛くて可愛くてたまらなくなってしまい、涼羽も毎回、園児達のそんな声にこう返してしまう。


それも、とびっきりの母性と慈愛が篭った笑顔と口調で。




とにかく人の面倒を見ることが好きな性格となってしまっていて、特に幼い子供の面倒を見ることにはある種の喜びまで感じてしまっている節があり、常にこの秋月保育園でアルバイトをしている時は、その顔から笑顔が絶えることはなく、秋月保育園の職員達、園児達を含む多くの人が、そんな涼羽の笑顔に心癒され、幸せを感じることとなっている。




当然、そんな風に返してくれる涼羽の言葉が嬉しくて嬉しくてたまらず、園児達はますます涼羽のことが天井知らずに大好きになっていってしまい、もっともっとと言わんばかりに涼羽にべったりと懐いては、ぎゅうっと抱きついてしまうのだ。




「高宮君、お仕事お疲れ様」


「!こ、小宮さん…」




まるで我が子のように可愛くて可愛くてたまらない園児達と、いつものように触れ合っているところに、愛理が涼羽に声をかけてくる。




その声に不意をつかれたようで一瞬驚いてしまう涼羽だが、すぐにその表情に落ち着きが戻ってくる。




「どうしたの?ここに来るってことは、何か用事でも?」


「え?別にそんなんじゃなくて…ただ…」


「?ただ?」


「…高宮君の顔が見たくなって、来ちゃったの…」




ただただ、涼羽の顔を見たくてこの秋月保育園に寄っただけの愛理。


そんな愛理に、ここに何か用事があるのかと、優しい声で問いかけてくる涼羽。


そんな涼羽の問いかけに、愛理は照れくささが勝ってしまってうまく言葉を出せなくなってしまうものの、その顔を赤らめながらも懸命に、涼羽の顔が見たくなった、という本当の思いを、声にして涼羽に伝える。




「え?私に?」




そんな愛理の声に驚いたのか、意外そうな表情を浮かべながら声を発してしまう涼羽。


今は保育士モードとなっているため、女の子としての言葉遣いになっているのだが。




「!た、高宮君…い、今、『私』って言った…よね?」


「?うん、言ったよ?」


「…はあ…」




保育士モードに入っている時は、自分の意識が女性として切り替わっているのか、涼羽は愛理の意外そうな問いかけに、至極当然と言わんばかりの反応を返してしまう。


それも、きょとんとした表情で。




そんな涼羽を見て、ますます自分の女としての自信が無くなってしまったのか、愛理は思わず大きな溜息を一つ、ついてしまう。


自分が男である、という意識が強いはずの涼羽に、そんな女の子としての口調をされてしまって、愛理の中に言いようのない危機感が芽生えてしまう。




しかも、それを至極当然と言わんばかりにされてしまっては、涼羽のことを一人の異性として想っている愛理としては、その危機感が大きく募っていくばかり。




幼い子供達と接している、本当に幸せそうで可愛らしい涼羽を見られることには、愛理自身もとても幸せな気持ちになれて、本当に嬉しいのだが…


そのおかげで、ただでさえ男としてのアイデンティティをことごとく、外堀を埋めるかのように削られていっている涼羽がますます女の子らしくなっていっていることに、涼羽は本当に男として大丈夫なのだろうか、という不安が、愛理の心によぎってしまう。




そんな複雑な思いを抱えながらも、結局のところ愛理自身も可愛くて優しい涼羽が大好きなことに変わりはなく、そんな涼羽を見られることに幸せと喜びを感じることを無意識に優先してしまっているのだが。




「…ま、まあいいわ…」


「?」


「いいの…高宮君は、悪くないから」


「?そ、そお?それなら、いいんだけど…」


「で、それよりも!」


「!!な、なに?」


「いつから高宮君、あなたのクラスの女子達のこと、名前で呼ぶようになったのよ?」




正直、涼羽がその母性をますます強くしていって、そのせいでますます女の子っぽくなってしまっていることに関してはもうどうしようもないと思ったのか、愛理はそのことに関しては仕方ないと思うことにする。


そんな愛理に涼羽は怪訝な表情を浮かべてしまうものの、愛理に一言言われて、それで納得することとなる。




しかし、そんな涼羽の顔を見てふと思い出したかのように、愛理は涼羽に一つの問いかけをぶつけてくる。


それは、いつの間にか涼羽自身が、美鈴以外のクラスの女子達も名前で呼ぶようになっていたこと。




風紀委員としての仕事が忙しいこともあり、ここ最近は涼羽のクラスにお邪魔することもできなくなっていたのだが…


今週に入って、たまたま涼羽のクラスの様子を見てみると、あれほどに女子達のことを名前で呼ぶことに抵抗を抱いていた涼羽が、いつの間にか名前で呼んでいることに気がついてしまう。


そのことに言いようのないもやもやを感じてしまい、次に涼羽と顔をあわせた時に聞いてみようと思っていたのだ。




「え?いつからって…つい最近…だけど…」


「あなた、ずっと美鈴ちゃん以外はよそよそしい感じで、苗字にさん付けで呼んでたじゃない。それがなんで、急に名前で呼ぶようになったの?」


「なんでって……なんで…かな?……」


「!え?自分でもよく分かってないの?」


「…う~ん…でも…」


「?でも?」


「…そうする方が、みんなが喜んでくれるっていうのが…分かったから…かな?…」


「!!………」




少し問い詰めるかのような言葉遣いになってはいるものの、決してそういうことを感じさせない優しげな口調で、涼羽に問いかける愛理。


だが、当の涼羽はそのことに関して明確な答えを返せない状態であり、問いかけに問いかけで返してしまっている。




そんな涼羽に少しあきれたような表情を見せつつも、あくまで優しい感じで問いかける愛理。


以前の愛理ならば、無意識のうちにきつく当たっていたはずなのだが…


これだけを見ても、愛理がいかに優しく、柔らかい方へ変わっていったかが、よく分かる。




そして、ようやくと言った感じで、記憶の底から拾い上げるかのように発せられた涼羽の声を聞き…


今度は愛理が驚きの表情を浮かべてしまう。




しかし、それもほんの一瞬のことであり…


その理由がいかにも涼羽らしくて、愛理の顔についつい穏やかな笑顔が浮かんでくる。




「…もお…高宮君ったら…ほんとに優しいんだから…」


「?」


「…でも、それだったら…」


「?な、なに?」


「なんで私のことは、未だによそよそしいまんまなの?」


「!そ、それは……」


「鷺宮君だって、美鈴ちゃんだって、今はもうクラスの女子達だって名前で呼んでるでしょ?だったら、私のことも名前で呼んでほしい…」


「…小宮さん…」




もう涼羽と関わりを持つようになってそれなりの時間が経っていると、愛理は思っているのだが…


未だに涼羽が自分に対してよそよそしいことに、どうしても納得が行かなくなってくる。


以前までのように、志郎と美鈴のみならまだ分からなくもないのだが、今のようにクラスの女子達までそうしているこの状況では、やはり愛理としては面白くなくなってきてしまう。




普段はしっかり者のお姉さんと言う雰囲気に満ち溢れていて、周囲からは頼られることが多い愛理なのだが、涼羽の前では、ただ素直になれないだけで、甘えん坊な妹のような雰囲気が出てきてしまう。


普段はそのしっかり者の面が邪魔して、なかなか素直になれない愛理だが、そんな愛理が自分に甘えてくるかのような、そんな顔を見せてくる。


そのことに、涼羽は自分の中にある母性をくすぐられてしまう。




そして、愛理も他の女子達と同じように、自分のことを名前で呼んでほしいと思っていたこと。


そして、涼羽にそうしてもらえることが、本当に嬉しいと思っていたこと。




そのことに、涼羽はようやくと言った感じで気づくこととなる。




最も、そこは愛理が普段から素直になれないところが多く、そのことを今の今まで涼羽にちゃんと伝えられなかったことが一番大きいのだが。




照れくさそうに、恥ずかしそうにしながらも、愛理は女の子座りでぺたんと床に座っている涼羽のそばに、目線を合わせるように座り、じっと涼羽の顔を覗き込むかのように見つめてくる。


そして、涼羽が着ているトレーナーの裾を、無意識のうちにその手でつまんで、何かおねだりをするようにくいくいと引っ張ってくる。




「…私のこと…名前で…呼んで…くれる?…」




普段ならまず見せないであろう、愛理の甘えてくる姿。


その姿を目の当たりにした涼羽の顔に、ふわりと優しい笑顔が浮かんでくる。




「…うん…いいよ。愛理ちゃん」




そして、愛理が望むことをそのまま叶えてあげようと、涼羽は愛理の耳に届くように、その声で愛理の名前を優しく呼ぶ。




「!嬉しい………りょ…涼羽……君……」




涼羽に名前で呼んでもらえたのが嬉しくて、愛理もお返しと言わんばかりに、しかしこみ上げてくる恥ずかしさを堪えながら、いつものように苗字ではなく、名前で涼羽のことを呼ぶ。




「ふふ…愛理ちゃん…可愛い…」




そんな愛理が可愛くてたまらなくなったのか、涼羽は愛理の頭を優しく撫でながら、まるで本当の母親がするかのように慈しむ。




「涼羽君…もっと…」


「え?」


「もっと…なでなで…して…」


「ふふ…いいよ、愛理ちゃん」


「嬉しい…えへ」




涼羽に頭を撫でてもらえるのがよほど心地よく、よほど幸せなのか、いつもの凛とした表情が嘘のようにふにゃりと嬉しそうな笑顔になり、もっともっとと、涼羽にさらにおねだりをしてしまう。


しかし、そんな愛理のおねだりがまた嬉しいのか、涼羽はもっと愛理のことを慈しんで可愛がろうと、幸せそうな笑顔で愛理の頭をさらに優しくなでる。




涼羽に名前を呼んでもらえること、涼羽が自分を可愛がってくれることが本当に幸せで嬉しくて、愛理はその笑顔をますます綻ばせてしまう。


そして、無意識のうちに涼羽にべったりと抱きついて、まるでこの秋月保育園に預けられている園児達と同じように甘えだす。




そんな風に自分に甘えてくる愛理が可愛くて、涼羽は園児達と同じように優しく包み込むかのように愛理のことを抱きしめ、しばらくの間、その頭を優しくなで続けるので、あった。

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