第225話 …自分の見た目って…あまり好きになれないんです…
「そうなんですか~、そういう使い方もできるんですね」
「そ、そうだよ…」
「僕、こういう使い方って思いつかなかったです…やっぱりすごいですね」
「そ、そうかな……」
あの病院での一件から数日が経った。
当の大怪我を負った患者であるストーカー男の手術は、人を治すという炎よりも熱い情熱と、鋼よりも固い意志を持った医療スタッフの面々の全身全霊の元、無事成功することとなった。
今はまだ起き上がることも満足にできず、寝たきりの状態となってはいるものの、内臓損傷の危険があるほどひどかった肋骨の整復も完璧にされており、命の危機は脱している。
そして、今後の生活を脅かされるほどにひどい状態だった膝も、膝蓋骨及び関節の整復が、これ以上ないほどに完璧に行なわれ、少なくともリハビリをきっちりすれば、元通り歩けるようにはなった。
ただし、元々の怪我がひどかったこともあり、しばらくは病院での生活をすることとなっている。
医師から知らされた予定の入院期間は、三ヶ月ほど。
だが、今後の生活に支障が出るような後遺症がないことを伝えられたストーカー男の両親、そして涼羽をはじめとする高宮家の面々は、ほっと一息をつくことができたのだった。
そして、この件がお互いの家族の親交を深めるきっかけとなり、ストーカー男――――もとい沢北 明洋(さわきた あきひろ)の父である和洋(かずひろ)、そして母である明子(あきこ)の二人は息子の明洋にまっとうな人間に変わるきっかけを与えてくれた涼羽と羽月のことを非常に可愛く思え、まるで実の子供のように可愛がるようになってしまう。
加えて、和洋が翔羽の会社の取引先の役員であり、会社間のやりとりの中で常にその名を聞かされていた高宮 翔羽その人をその日実際に目の当たりにすることができ、その瞬間は非常に驚いたものの、取引先が常に社内髄一の有能社員と称する翔羽と出会えたこと、何よりその誠実でまっすぐな人柄にすぐに惹かれることとなり、今後は翔羽も交えての会社間の取引を、そして私的にもかけがえのない友人として交流をしていきたいと、その場で笑顔で伝えてきたのであった。
そして、手術から明洋が目覚めたのは、その次の日の午後過ぎのこと。
そして、その日の夜のこと、学校、そして保育園でのアルバイトを終えて即座に明洋のお見舞いにと、涼羽は明洋の病室に姿を現した。
まさか、自分がずっと恋焦がれ、ある意味で崇拝するかのように追いかけ続けてきたその対象が、向こうから自分の前に姿を現してくれるなんて…
自分の病室に涼羽がその姿を現した瞬間は、その思いで頭がいっぱいになり、どうすることもできない状態となってしまっていた。
しかし、次第に頭が冷静さを取り戻してくると同時に、遠目から見ていた時には思わなかった疑問が、明洋の頭に浮かんできたことで、普通に涼羽を見た時に誰もが思ってしまうであろうその疑問を、他でもない涼羽自身にぶつけることができた。
――――あ、あの……なんで……男の子の…制服を……着てる…んですか?……――――
陰鬱としたコンプレックスから生み出された対人恐怖症をそのまま表している、妙にどもったしゃべりで、ようやくと言った感じで言葉にできたその疑問に、涼羽はきょとんとした表情を浮かべながら、その疑問に答える。
――――え?だって僕、男ですから…――――
そんなあっけらかんとした涼羽の言葉に、明洋は一瞬何を言われたのか、まるで分からなかった。
こんなにも可愛くて、清楚で、女神のような存在が、男だと言う言葉に、一体なんの冗談なんだと、驚きを隠せずにいた。
そして、自身があんなにも恋焦がれていた相手が、自分と同じ性を持つ男だという事実に、それまでに際限なく膨れ上がっていたその思慕の心が、ガラガラと崩れていくような感覚まで覚えてしまった。
絶望が、自分の心の中に広がっていく。
やはりこの世に救いはないのか、と…
陰鬱とした思いが、その心を蝕んでいく。
しかし、それから続く涼羽の言葉に、その蝕まれていく心が、救われていくかのような感覚を覚えていく。
――――あ!あの時は…妹に無理やり女の子の格好をさせられてたから…勘違いされたんですね…――――
――――すみません…なんだか勘違いをさせちゃったみたいで…――――
――――気持ち…悪い…ですよね?……――――
――――僕…他の人によく女の子に間違えられて…なんだか…自分が男だっていうのが間違いだって言われてるみたいで……だから…自分の見た目って…あまり好きになれないんです……――――
自分があの時、女の子の格好をさせられていたことで、明洋が涼羽を女の子と間違えたのだと思い、そのことに対して本当に申し訳なさそうに声にされる、涼羽の謝罪の言葉。
男である自分が、女の子の格好をしていたということに、明洋が自分のことを気持ち悪いと思ったのではないかと、そのコンプレックスを刺激されたかのように不安げに、自信なさげになる涼羽の表情。
そして、実際には誰からも愛されて、可愛がられているその容姿が、自分にとってはコンプレックスとなっているという涼羽のその声。
それらを明洋が自分の目で見て、耳で聞いて…
この人に愛されることを神に義務付けられているかのような存在が、まるで自分と同じようにコンプレックスを抱えていることに、またしても驚きを隠せなかった。
それも、自分と同じように、容姿に関してコンプレックスを抱いている、などと聞かされて…
まるで奈落の底に落とされたかのようなその絶望感が嘘のようになくなっていき、代わりに言いようのない親近感のようなものを、胸いっぱいに感じるようになっていたのだ。
人と話すことを苦手としているところも、同じだと思い。
自分の容姿にコンプレックスを感じているところも、同じだと思い。
人のいないところを好むところも、自分と同じだと思い。
涼羽が男であると聞かされて大きく崩れてしまった、それまでに積み重なった異性への思慕の情が、そっくりそのまま、まるで自分と同じものを持っている者に対する親近感へと、置き換わっていったのだ。
それに、男だと分かってもその可愛らしさに変わりなどあるはずもなく…
自分よりも一回り以上も年下となる子供であることもあったのか、なぜか涼羽のことが以前よりも可愛らしく思えるようになってきた。
そして、異性への思慕の情ではなく、幼い子供を可愛がるかのような、そんな親愛の情が、明洋の心の中を埋め尽くしていくような、そんな感覚まで芽生えてきた。
それから数日間、明洋の病室にはまるで計ったかのように同じ時間に、涼羽がお見舞いに来てくれるようになり、その間、明洋は涼羽と色々なことを話すようになった。
明洋は涼羽のためにストーカー行為をするようになり、引き篭もりをしているうちにコンピュータ関連に詳しくなったことも手伝って、様々な機器に対して詳しくなっていった。
涼羽はコンピュータそのものの扱いには非常に長けているものの、その他の触れたことのない機器に関しては実はそれほど詳しくない。
その為、そういった分野で自分が知っていることを涼羽に話してみると、それを聞かされた涼羽はまるで幼い子供のようにその大きくくりくりとした目を見開いて、まるで明洋が天才であるかのように称賛しながら、もっともっとと話を聞きたがる。
それが、これまでずっと自分の悪いところに対する批判や侮辱の言葉しか与えられてこなかった明洋には、本当に幸せの絶頂に上ってしまうかのような幸福感を感じてしまう。
それをもっと感じたくて、何より、こんなにも自分の話を求めて、聞いてくれる涼羽にもっと聞かせてあげたくて、さらに涼羽に自分の知っている知識を、まるで幼い子供に聞かせるかのように優しく話していくのだ。
そして、それとは逆に、涼羽が持っているプログラミングやコンピュータの上級レベルの設定に関する知識に、明洋は非常に関心を持つようになり、自分の持っている話を聞かせると同時に、涼羽が持っている知識の話を、聞きたがるようになっていったのだ。
「…涼羽君の話も、聞いていてすっごく面白くて…楽しいよ…」
「!そうですか!?、僕、明洋さんのお話聞いてて、すっごく楽しいです!」
これまで、家族とすら会話をできなくなってしまっていたはずの明洋が、涼羽との会話を常に望んでいて、涼羽と会話ができるこの時間を、本当に至福の時だと思っている。
また、涼羽の方も明洋との会話が楽しくて楽しくてたまらないのか、よほどのことがないと見せることのないはずの、本当に無邪気な笑顔をずっと浮かべたまま、楽しそうにしている。
見た目はまるで似ていないはずなのに、本質が妙に似ているのか、二人の仲は急速によくなっていき、今となっては歳の離れた、普段は滅多に会えないいとこ同士のような関係になっている。
こうして、涼羽は明洋のお見舞いに来ては、面会可能時間ギリギリまで明洋との会話と楽しんで、帰るようになっている。
さらには、お見舞いの品も果物だったり、手作りのお菓子だったり、自分がよく読んでいる技術書籍だったりと、とにかく明洋が喜んでくれそうなものを楽しそうに考えては、持って行っている。
ちなみに羽月も、初日は大好きなお兄ちゃんである涼羽が、またしても帰ってくる時間が遅くなって自分といられる時間が少なくなることを嫌って一緒にお見舞いに行ってみたものの、涼羽が明洋と非常に楽しそうに、妹である自分そっちのけで会話をしてしまっていたのが非常に気に入らなくなってしまった。
一緒にいて相手にされなくなってしまうくらいなら、最初から家に兄が帰ってくるのを待っていた方がマシだと思ったのか、それからは羽月は明洋のお見舞いに同行することはなくなってしまった。
ただ、それでも自分と兄をチンピラ男達の暴力からその身を挺して護ってくれた恩人であるため、兄である涼羽とは時間をずらして、お見舞いに行くようにはしている。
その時は羽月が、大好きなお兄ちゃんを明洋に取られたような感じになってしまっていることをその可愛い容姿と声でぐちぐちと、明洋に言ってしまっているのだが。
だが、そんな羽月も可愛いのか、自分でも知らないうちに頬を緩めながら羽月の愚痴を明洋は黙って聞いており、そんな時間もなぜか妙に楽しく、幸せを感じていることに、明洋は不思議だと思っている。
「そういえば、ごめんなさい…明洋さん」
「?ごめんなさいって…何が?…」
「羽月が…明洋さんに愚痴ったりしてるって聞いて…」
「!ああ…そのこと……」
「ごめんなさい…妹が…今大怪我して入院中の明洋さんにそんなことして…」
「…いやいや…いいんだよ…涼羽君…」
「…で、でも…」
「…なんかね…羽月ちゃんが本当に…お兄ちゃんの涼羽君のことが…大好きで大好きでたまんない…っていうのがね…すっごく伝わってきて…そんな…羽月ちゃん見てたら…なんだか…すっごく可愛くて…いくらでも聞いてあげたく…なっちゃって…」
大好きな兄を自分に取られて、分かりやすいくらいにやきもちを焼いている羽月が本当に可愛くて…
しかし、そんな愚痴を言いながらも、決して自分のことを嫌い、だなどと言わない羽月がまた可愛くて…
しかも、なんやかんや言いながらも、決して羽月は自分の悪口などを言わないということもあって、明洋は羽月のことも非常に気に入っている。
ぷりぷりとやきもちを焼く羽月が可愛すぎて、ついつい『ごめんね…大好きなお兄ちゃんを…ひとりじめしちゃって…』などと言ったりしたこともあるくらい。
それを言われた後の羽月が、『もおー!!』とぷりぷり怒っていたのは言うまでもない。
だが、それすらも可愛くてついつい頬を緩めながら見てしまっていた明洋なのである。
この高宮兄妹との会話が本当に楽しくて、以前までの陰鬱とした雰囲気がじょじょにではあるが、穏やかで優しげな雰囲気になってきており、本当に明洋にとっていい影響となっている。
これまで溝に捨てられるように侮蔑の言葉をぶつけられ続けて、ヘドロのように溜まって濁っていたコンプレックスの心が、本当に少しずつ洗い流されていくかのような清浄感を、明洋は涼羽や羽月と会話する度に感じている。
心が落ち着き、穏やかになっていっている影響なのか、身体の回復も、医師の想定していた予定よりもかなり順調なものとなっており、このままなら退院ももっと早くなるのではないか、という話も出てきている。
今では、涼羽から教えてもらった技術をすぐにでも試したいと思っており、早くこの身動きが取れない状態から脱したいと、非常に前向きになっている。
そして、涼羽が自分が教えたことを、本当に嬉しそうに楽しそうに試してみたことを話してくれるのが、また嬉しくて、また別のことを教えたくなってくる。
高宮兄妹にはいつも並々ならぬ感謝の心を抱き、またまがりなりにも年長者として振舞えるようになろうという心も芽生えてきている明洋。
日に日に、見るからに変わっていっている明洋を見て、父である和洋、母である明子は息子が本当にいい方向に向いていっていることに喜びと安心の思いでいっぱいになり、そして息子にそんないい影響を与えてくれている涼羽と羽月に、これ以上ないほどの感謝の念を、抱いているのであった。
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