第227話 あんまりいい子がいないわね…全く…
「はあ…」
沢北 明洋が大怪我を負って入院してから約二週間ほどが経った。
明洋自身、涼羽と羽月に毎日お見舞いに来てもらって、穏やかな心と、こんな自分でも誰かの役に立てるという、積もり積もったコンプレックスを洗い流してもらえるかのような実感を与えてもらっている。
そのおかげで、明洋の回復も非常に順調であり、今では歩行のリハビリも開始している。
そのリハビリも、明洋自身非常に前向きに取り組んでいて、元通りになるかどうかも分からないとまで危ぶまれていた膝も、もはやその心配はいらないだろうと言えるほどに順調に回復していっている。
ひきこもりだった頃の、非常に高カロリーで不規則、かつバランスの悪い食事も、今は病院食となっていて自然とカロリーが抑えられてバランスがよくなっており、加えて規則的に三食を摂ることができている。
さらに歩行リハビリで適度に身体を動かすようになっているため、醜く肥え太っていた身体が少しずつではあるが、無駄が落ちてきている。
この日も院内のリハビリテーションルームにて、リハビリ担当の医療スタッフの指導のもと、前向きに楽しそうに明洋がリハビリに取り組んでいる。
そんな平日の昼下がりの、リハビリテーションルームからは離れた位置にある院内のデイルームの中。
一人の女性が、非常に憂鬱そうな表情を浮かべながら、大きな溜息を一つついてしまっている。
年齢は当年とって四十二歳だが、かなりの若作りをしているのか、三十台半ばから後半くらいに見える容姿であり、しかも造詣そのものも整っており、傍から見れば十分に美人と呼ばれる女性。
身長も170cmほどと高く、スラリとしたモデルのようなスタイルをしており、少しうねりのある髪をショートヘアにしているため、某劇団の男役のような印象を受けてしまう。
濃く塗られた真紅のルージュや漆黒のアイシャドウが、厚化粧なけばけばしさを感じさせるところはあるが、それを差し引いても人目を惹く容姿となっている。
院内の入院患者が着る、患者用の衣類にその身を包んでいるため、この病院に入院していることが伺えるその女性。
カラッと晴れた快晴となっている、外の光景を窓からじっと見つめながら、一人優雅に紅茶を口にしているところだが、やはりその表情は外の天気とは逆の、憂鬱に曇ったものとなっている。
その曇った表情のまま、テーブルに束となって置かれている資料に目を通しながら、また一つ溜息をついてしまう。
「はあ…あんまりいい子がいないわね…全く…」
テーブルの上に積まれた資料に一通り目を通すと、自分の期待通りとならない現実を前にその嘆きを吐き捨てるように声にしてしまう。
資料に載っているそれぞれの写真、プロフィールを見ていても、自分のお眼鏡にかなう存在はいなかったようで、その整った顔を歪めて、自分の抱えている問題をどうしようかと文字通り頭を抱えてしまう。
「…もうちょっと、可愛らしさのある子はいないのかしら…ほんとに…どの子も綺麗なのは綺麗なんだけど…ねえ…」
この女性は、とある芸能関係の会社の事務所の代表取締役、いわば社長と呼ばれる存在である。
芸能関係といってもピンからキリまであるが、その中でも衣装のモデルを主に抱えている。
大人びたイメージの、ビジネスウーマンが着るような衣装のファッションモデルとして、自社でお抱えのモデルを派遣しており、そのジャンルに関しては業界でも高水準と評されるほどになっている。
だが、最近需要が高くなっている、可愛い印象のハイティーン向けのファッション業界にも食い込んでいこうと、新たにモデルの募集をしているところであり、今見ていた資料は、その募集に応募してきたモデル候補生の写真含むパーソナルデータが記されている。
元々が大人の女性向けのファッションショーを主としていたため、当然ながら未知数の取り組みとなってしまうのだが、この女性は壁が高ければ高くなるほどモチベーションが上がってくるタイプであり、慎重派となる他の経営陣の反対を押し切って、ハイティーン向けのファッション業界にも食い込んでいこうとしているのだ。
だが、元々が綺麗な大人の女性、そしてそのファッションを演出してきた会社であるため、いざオーディションをしてみたり、募集をかけてみたところで、やはり元々のスタンスにマッチングするモデルが食いついてきてしまうのは必然といったところか。
可愛らしさのあるモデルも応募はあるのだが、どうも今回の募集に合わせた感じがあり、自然な可愛らしさではないため、社長となるこの女性も、自分のイメージに合わないと見送ってしまっている。
結局のところ、テーブルの上に積まれた資料の中には、この女社長の心を掴む存在はおらず、未だに新規開拓の道は目処すら立っていない状態となっている。
「…前に偶然会った、あの子…あの子なら…ものすごく私のイメージにぴったりなのに…あの時から全く見ないなんて…もう…」
以前見かけた、儚げで清楚で、それでいてこの世に舞い降りてきた天使のように可愛らしい女の子。
それほどの可愛らしい容姿であるにも関わらず、なぜか男の子の制服を着ていた女の子。
その可愛らしい顔の左頬に、見てるだけで痛々しいほどの怪我を負っていた女の子。
あの子なら、可愛らしさを必要とするハイティーン向けの衣装のモデルにぴったりだと、彼女は確信している。
むしろ、この自分の手であの子を目一杯可愛らしく着飾らせてあげたい。
あの日、一目見てすぐに自分のものにしたいと思ってしまった。
それ以来、ずっとあの子のことが頭から離れない。
なのに、あれから一度も会うことすらできていない。
会って、あの子をずっと自分のそばに置いておきたい。
そして、あの子をめちゃくちゃに可愛がってあげたい。
そして、あの子を思う存分に着飾らせてあげたい。
そんなことを日常的に思うようになり、さらには夢にまで見るほどになってしまっている。
その女の子のことをずっと思い続けながら、新規事業の開拓に日々奮闘し続け、体調を崩してしまった彼女。
診断結果は過労であり、年齢ももう若くないため、しばらくは絶対安静として、入院を言い渡されることとなってしまった。
四十路を過ぎて未だに未婚であり、成人してからの人生の全てを仕事に捧げてきた彼女にとって、この入院は死刑宣告に等しいものであり、まさに生きがいを奪われてしまったかのような感覚に陥ってしまっている。
とはいえ、医者からの絶対安静を言い渡されていては職場復帰をすることもできず、結局のところ、自身の秘書に病室に応募者の資料を持って来てもらい、それを眺めていくことしかできないでいる状態となっている。
「…それに、あのブライダルキャンペーンの花嫁のモデルの子…『SUZUHA』ちゃんよね?…あの子、可愛すぎ…それに綺麗…あの子も欲しいわあ…」
そして、例のブライダルキャンペーンで花嫁役としてのモデルを見事に果たした、今まさに時の人となっている『SUZUHA』のことも、彼女は当然のことながら知っている。
初めて『SUZUHA』を目の当たりにした時の彼女は、あの日名も知らないあの女の子と初めて会った時と同じ、いや、それ以上の衝撃を受けることとなった。
そして、当然ながらブライダルキャンペーンの大元となる会社に、『SUZUHA』のことについて問い合わせたのだが、徹底した情報規制により何も聞き出すことは出来なかった。
その後何度も問い合わせることになるのだが、答えはまったく変わらず。
仕方なしに、自身でインターネットによるリサーチをかけていっているのだが、『SUZUHA』に関する確かな情報はまるで集まらず、結局は『SUZUHA』のファンによる憶測の域を出ないものばかりしか集まらない。
以前見たあの女の子、そして今時の人となっている『SUZUHA』を、二人共自分の元に閉じ込めておきたい。
可愛い女の子がとにかく大好きな彼女にとって、二人はまさに自分の理想が服を着て歩いているようなもの。
そんな二人を、思う存分自分の手で、可愛らしく着飾らせてあげたい。
そうして、思う存分に可愛がってあげたい。
可愛い女の子を自分の手で着飾らせてあげたくて始めた、今の仕事。
初めは別の会社に所属して、この仕事に取り組んでいたのだが、いつの間にか独立を果たした彼女。
好きを仕事にしてきた彼女は、もともと同性にしか興味を持てず、異性に対してはむしろ嫌悪感しか感じられなかった。
幼い頃、父親が浮気をして家族である母親と自分を捨てて逃げてしまったことから、彼女の男嫌いが始まる。
それゆえに、異性に対して非常に厳しく、汚物を見るような目で接するようになってしまったため、そんな彼女の接し方が周囲の異性の怒りや反感を買うこととなってしまう。
それゆえに、本来ならば容姿が整っていて異性受けしやすいはずの彼女は、同世代の異性からのいじめを受けたり、無視されたりするようになり、教師などの年齢が上の男性からも、煙たがれるようになってしまった。
それが、余計に彼女の男嫌いを増長させることとなり、今となってはまるで男と関わるようなことがなくなってしまっている。
また、結婚というものが決して幸福なことばかりではない、ということを幼い頃に目の当たりにしてしまった彼女にとって、結婚はむしろ自分の好きなことができなくなる、忌み嫌うべきものだという認識がいつの間にか出来上がってしまい、結局今に至っても未婚のまま、という状態になっている。
幼い頃の父親の浮気、それが元となっての離婚のおかげで、自分も母もしなくていい苦労をするはめになったという呪いのような思いがずっと彼女の心を占めているため、余計に結婚を忌み嫌う思いが強くなっている。
その母親も、自身が就職してすぐに、娘である自分を育てるため無理に無理を重ねて体がボロボロになってしまい、それが引き金となって大病を患い、亡くなってしまった。
そのため、特に気に入った女の子に恋人として接したりすることも決して少なくなく、時にはそんな性癖のない女性に対しても無理やりに関係を迫ることまであったほど。
しかし、やはり異常な性癖であるゆえに、加えて束縛が過ぎる彼女の執着心もあって、そんな関係が長続きすることもなく、常に彼女は自分のそばにいてくれる存在に、餓えている。
一人で企業し、好きを仕事にして打ち込んで、突き詰めてきた彼女だが、それゆえに孤独を忌み嫌い、常に誰かの温かさを心が求めてしまっている。
仕事に打ち込んでいる間はそれを忘れることができるのだが、仕事が終わってしまうと、途端にその孤独と虚無感を感じてしまう。
それが彼女にとっては死ぬよりも辛く、恐ろしいことであるため、彼女は常に仕事に打ち込むようになってしまった。
ゆえに、今こうしてのんびりと入院している間も、そんな孤独と虚無感に襲われるのが怖くてたまらず、とにかく仕事に触れていようとしている。
そして今は、あの時の女の子や『SUZUHA』に、自身の心の闇の癒しを求めており、彼女達ならば自分は仕事がなくてもあの恐ろしい感覚に襲われずにすむ、とまで思っている。
だからこそ、あの二人をなんとしても自分だけのものにしたくて、日々業務の合間に二人のことを探しているのだ。
「…はあ…あの二人が私のそばにいてくれたら…もう幸せな未来しか見えないわ…ああ…どこにいるのかしら…」
あの時の女の子に、『SUZUHA』に会いたくて会いたくて、そして自分の会社のモデルとしても、自分が寄り添う相手としてもそばに置いておきたいという思いが、日に日に募っていく。
その未来を思うだけで、心にこんなにも幸せを感じられる。
そんな二人が同一人物であり、しかも彼女が忌み嫌う男であることなど、彼女は知る由もなく、ただただ、そんな自分にとっては薔薇色と言える幸福な未来を望み、夢に描きながら、彼女はまた、一度目を離していた資料に目を通していくので、あった。
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