第210話 もう!お兄ちゃんったら!
「あ~、涼羽君は本当に可愛いなあ~」
休日となる土曜も、もう日が暮れてきている時間帯。
この日は、美鈴がずっとその好意を隠そうともせず、むしろ誰かに聞いて欲しくて、嬉しそうに話している話題の本人である、涼羽がこの柊家に来てくれた。
正志も美里も、ある程度は美鈴に聞いて涼羽のことを知ってはいたのだが、実際に見てみると、想像以上の可愛らしさと健気さ、清楚さと、まるで本当に天使が舞い降りてきたかのような感覚を覚え、涼羽のことを実の子のように可愛がっているだけで、まるでこの世の幸せがいっぺんに来たかのような幸福感さえ感じてしまっている。
ひとしきり涼羽を可愛がり終えたところで、美里と美鈴が母娘仲良く夕食の準備に取り掛かっている最中、正志は美鈴とお揃いの服装に身を包んでいて、美鈴に勝るとも劣らないほどの美少女っぷりを無意識無自覚に晒しだしている涼羽のことを、後ろからぎゅうっと包み込むかのように抱きしめながら、まるで実の娘のように可愛がっている。
こんなにも可愛らしくて、こんなにも儚げで清楚な雰囲気なのに、当の本人は男だと言うのだから、神様はなんて罪なことをしてくれたんだろう、などと正志は思ってしまっている。
しかし、それと同時に、『神様、こんなにも可愛らしい天使のような子と、自分をめぐり合わせてくれて、本当にありがとうございます』などと思ったりもしてしまっている。
その容姿からして、どこからどう見ても今年十八歳の男には見えないのだが、それだけでなく、その抱き心地も柔らかで素晴らしいと言えるものであり、さらにはその匂いも非常に芳しく、いつまでもかいでいたいとさえ、思えてしまうほど。
まるで実の娘に相手にしてもらえない父親が、その娘の友達である、よその娘さんにべったりとしてしまっているかのような、そんな危険な光景であるのだが、涼羽自身が持っている非常におっとりとして、ぽやぽやとした雰囲気と、その幼げな童顔のおかげで、正志も本当に幼子を可愛がっているような感じで、非常にほのぼのとしたものとなっている。
「…お…お父さん…」
「!うん!それ、いいね!」
「?え?」
「涼羽君に、『お父さん』って言ってもらえるのって、なんだか本当に嬉しいね!」
「?…そ、そうですか?…」
「そりゃそうだよ。涼羽君みたいな可愛いの化身のような子に『お父さん』なんて呼んでもらえたら、世の中のお父さんはそれこそ、涼羽君のためならなんだってしてあげたくなっちゃうよ、ほんと」
「!そ、そんなこと…」
「いや~、涼羽君がこんなにも大人しく、お父さんにぎゅってされてくれてるのも、本当に嬉しいし、幸せだしね」
当の涼羽は、いくら美鈴と同じ服装に身を包んでいるとはいえ、ただの今年十八歳の男にこんな風に抱きついていても、何も面白いことはないのではないかと思い、正志に声をかけてみるのだが、正志はその涼羽の呼びかけ一つにも、非常に嬉しそうな、大げさな反応を返してくる。
実際、正志は涼羽のことが本当に気に入っており、涼羽に『お父さん』と呼んでもらえるだけで、言いようのない幸福感を感じてしまっているほど。
そんな涼羽のことをぎゅうっと抱きしめることができて、しかも抵抗らしい抵抗もせずに、じっと大人しくされるがままになっているのも、嬉しい限りとなっている。
涼羽からすれば、美鈴はもちろんだが、美里のような大人の美人にべったりとされるのが本当に恥ずかしくて、ついつい無駄な抵抗をしてしまう。
だが、同性である正志に対しては、特に思うところもなく、ただただ、されるがままでいられるのだ。
別に、男同士なんだから、こんな感じでぎゅってされても、特におかしいことなどない。
そんなことを、涼羽は当たり前のように思っているのだから。
だが、涼羽がそう思っていても、その容姿と性格が、相手にそう思わせてはくれない。
特に、今となっては今時の女の子が好んで着るであろう服装に身を包んでいることもあって、どこからどう見ても可愛らしさ満点の美少女にしか見えないのだから。
そんな美少女が、思春期にありがちな『お父さんの服とあたしの服、一緒に洗わないで!!』のような反抗期な面も見せることなく、ただただぎゅうっと、されるがままになっていることもあって、やはり正志は涼羽に対してデレデレとした表情で、思いっきり可愛がりたくなってしまう。
おそらく、これが男の格好であったとしても、正志はこんな風に涼羽のことを可愛がっていたであろうことは、先ほどまでのやりとりからも容易に想像できてしまう。
もうその両腕が、涼羽のことを離したくなくて、ずっとぎゅうっとしてしまおうとしているのも、正志のそんな心境の表れと言えるだろう。
そんな正志に後ろからぎゅうっとされるがままの状態で、涼羽は美里と美鈴がキッチンで母娘楽しそうに夕食を作っているところを、ほんわかとした思いで見つめているのであった。
――――
「もう!お兄ちゃんったら!………」
その頃の高宮家では、羽月が涼羽の部屋で、涼羽が普段使っている布団の中に潜り込みながら、その幼い印象の強い頬をぷくっと膨らませながら、大好きで大好きでたまらない兄、涼羽に包まれているかのようなその感覚を堪能している。
涼羽が柊家で、美鈴とその両親に思いっきり可愛がられているであろうことは、涼羽の魅力を一番知っていると自負できる羽月なら、容易に想像できることであり、そんな想像をしてしまえばしてしまうほど、兄、涼羽をとられたくないというヤキモチの心がどんどん膨れ上がっていってしまう。
そして、そんなヤキモチの心と同時に、もし兄が妹である自分を置いて、他の女の子のところに行ってしまったら、というどうしようもない不安な心も、際限なく膨れ上がっていってしまう。
「お兄ちゃんは、わたしだけのお兄ちゃんで…わたしだけのお母さんで…わたしだけのお嫁さんなのに…」
自分にとっては、この世で最も頼りになる兄であり、結局この世で会うことができなかった、今は亡き実の母、水月の代わりに一生懸命、自分を包み込んでくれる母親であり、さらには、自分と一生を添い遂げてくれると信じてやまない生涯の伴侶であると、羽月は常日頃から思っており、それが揺らぐことなど、微塵もない。
いつも妹の自分を優先してくれて、いつも妹の自分のことを優しく包み込んでくれて、いつも妹の自分を護ってくれる兄、涼羽。
兄として本当に頼りになる涼羽。
母として本当に優しい涼羽。
嫁として本当に愛すべき涼羽。
本人がどんなに否定しても、その仕草、振る舞いから滲み出てくる可愛らしさが本当に愛おしくて愛おしくてたまらない涼羽。
その兄、涼羽がこの日は自分と同じ屋根の下におらず、一人で悶々としてしまっているこの状況。
「お兄ちゃん…寂しいよお…」
幼い子供が、母の懐を求めて…
でも、それがなくて、まるでこの世に一人置き去りにされてしまうかのような心細さ。
それを、今の羽月は嫌と言うほどに感じてしまっている。
最近は割と色々な人間と交流を持つことが多く、ちょこちょこと休日の外出も増えてきている涼羽。
それでも、何もない時は家にいて家事全般をこなしながら、妹である自分のことを包み込んで、可愛がってくれる兄、涼羽。
いつもそんな風に可愛がってくれて、包み込んでくれて…
本当に大好きになる要素しかない兄、涼羽であるがゆえに、妹である自分が独り占めしたいと思ってしまうのも、自然なことなのだろう。
だからこそ、兄が自分の知らないところに行って、自分の知らない誰かと交流を持つことが怖いとさえ思ってしまう羽月。
お兄ちゃんと、ず~っと一緒にいたい。
お兄ちゃんに、ず~っと可愛がってもらいたい。
お兄ちゃんに、ず~っと包み込んでもらいたい。
羽月の中で、そんな思いが際限なく膨れ上がっていく。
兄と触れ合っている時が、自分にとって最も幸せと言える時間なのだということを、今日この日まで嫌と言うほどに実感しているのだから。
「お兄ちゃん…」
まるで自分の身体を締め付けるかのように、兄である涼羽の布団で包み込む。
そうすることで、少しでも今ここにいない兄のことを感じたい。
でも、これだけでは全然足りない。
やっぱり、兄が自分のそばにいてくれないと、駄目なんだと羽月は思ってしまう。
その涼羽は美鈴の家に遊びに行っているため、今日帰ってこれるかどうかも分からない。
あの美鈴のことだから、強引にでも涼羽のことを引き止めて、自分の家に泊まらせようとするのは目に見えている。
だから、今日一日、ずっと涼羽と触れ合うことができないという実感が、羽月の中で生まれてきてしまう。
そんな実感が、羽月の寂しさをもっともっと膨れ上がらせていってしまう。
この日は、父、翔羽もビジネスパートナーとして、涼羽と志郎がイメージキャラクターのモデルをすることとなった会社の方に出向いているため、家には不在。
そのため、この日は高宮家には羽月一人だけという状況となっている。
翔羽ももちろん、最愛の息子である涼羽がいないことに寂しさを感じていたが、今となってはそれを仕事で紛らわすことができている。
だが、どこにも出ることなく、一人で家にいるだけの羽月は、涼羽がいないことに必要以上に寂しさを覚えてしまう。
兄の布団にその身を包み込み、兄の枕に顔を埋めて、とにかく兄、涼羽が自分のそばにいてくれているという感覚を欲しがる羽月。
その寂しさは、兄である涼羽が自分のそばに戻ってきてくれるまでは、埋められることはないと、羽月は思っている。
お願い、早く帰ってきて。
早く、わたしのことぎゅうってして、お兄ちゃん。
そんな思いに心を襲われながら、ただただ、ひたすらに兄、涼羽が帰ってくるのを待ち望む羽月なので、あった。
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