第211話 マジこの『SUZUHA』ちゃんに実際に会ってみてえ
「は~…世間は休日だってえのに…」
「なんで俺ら…こんなのんびりとした休日に仕事してんだろ…」
時は少し遡る。
涼羽が美鈴の家に招待され、美鈴含む柊家の面々に思う存分に可愛がられながら、美鈴と美里の共同作業による昼食を頂いている、まさにその時。
現在、『SHIN』と『SUZUHA』という、世の理想となる花婿と花嫁を具現化したかのようなイメージモデルを使用したキャンペーンが、社内の当初の予測を遥かに上回る好評となり、日々目に見えて慌しくなるという、嬉しい悲鳴の真っ只中な社内の中。
業界では有名な写真家となっている寺崎 光仁の渾身の一作と言えるほどの出来栄えとなった、二人の幸せそうな結婚式をイメージした写真、動画を元にしたポスターに、CMムービー。
その社運を賭けた、渾身の一作となる宣伝媒体が、国内ではもちろんのこと、国外までも異例の大反響を生むこととなり、今回のキャンペーンは、社の歴史の中でも最高と断言できるほどの成功となるのだった。
「しかし…大成功なのは嬉しいことなんだけど、最近マジで休む暇もねえな、陽川」
「ホントだよな…たまには家でゆっくりしてえよな、岡本」
しかし、その大成功が当然のことながら、社内全体にひっきりなしの慌しさを生むこととなり、もともと社員もそう多くなく、慢性的な人手不足に陥っている社内では、夜を日につぐ状態となってしまっており、キャンペーンが始まってからろくに帰宅すらできていない社員もいるような状態になってしまっている。
陽川と呼ばれた、ラガーマンのようなゴツくがっしりとした体格に、昔の野武士を思わせる無骨な印象の顔立ちをした、少しゴリラのようなイメージのある男も、ここ最近ではまともに休みを取れた記憶がなく。
岡本と呼ばれた、電車もろくに通っていないような田舎から出てきたような、ほっそりとした、それでいて縦にひょろっと伸びた長身痩躯に、純朴そうなのっぺりとした顔立ちの男も、陽川と同じくここ最近でまともに休みを取れた記憶がない。
二人共、この会社に大学を卒業してすぐに入社し、まだ二年足らずの若手であり、まだまだ仕事に楽しみを覚えるよりも、プライベートの充実に意識を置いている、そんな感じの社員である。
社内での役割も、式場のコーディネイトや、花婿、花嫁のメイクやドレスアップなどといった専門的なものではなく、主に事務的なものを中心とした汎用的な雑務をメインとしている、いわば社内の雑務要員的な立場となっている。
最近では、例のキャンペーンの受付として、受付開始時刻から、終了時刻までまるで途切れることなく電話のコール音が鳴り響くコールセンターへの応援に行ったり、同じく受付窓口となっているインターネット上の受付サイトからの申し込みデータの確認、整理に追われたりなど、まさに社内の何でも屋と言った感じで、日々奮闘している。
その役割の関係上、涼羽と志郎がモデルとなって撮影が行われた日には社内にはいなかったため、いまや社内では、その社運を賭けたキャンペーンを大成功に導いてくれた恩人のことを、実はちゃんと知らなかったりする。
「…しかし、陽川」
「なんだ、岡本」
「…この、『SUZUHA』ちゃんだっけ?」
「ああ、『SUZUHA』ちゃんがどうかしたか?」
「いつ見ても思うけど、マジこの娘可愛すぎて、美人すぎて…」
「だよな?そう思うよな?」
「なんか、こんな娘がうちの会社のキャンペーンのモデルやってくれた、なんて思ったら、そのうちひょっこり『SUZUHA』ちゃんに会えたりするんじゃないか?なんて思ったりするんだよな」
「あ、それ俺も思ってた。マジこの『SUZUHA』ちゃんに実際に会ってみてえ」
「だよな!」
「よな!」
実は当のモデルとなった涼羽と志郎のことは、社内でもあのモデルの撮影をした時に、その場に居合わせた人間しか知らず、他の社員には一部例外を除いて、二人のことを秘密にしている。
志郎のことも、バレるとそれなりに問題になる、というのもあるが、涼羽の場合は今年十八歳の男子が、まさか世の女性の理想とまでなるほどの花嫁になっているなど、決してバレてはいけないということで、かなり慎重になっている。
そのため、その事実を知らない人間は少ない方がいいと判断し、社内でも情報統制を行い、極力涼羽と志郎のことは秘密にしているのだ。
モデルとなった二人に関する質問が来たときの対応も完全にマニュアル化することで、コールセンターでの受付にスムースに対応できるようにするのと同時に、無駄に涼羽と志郎のことを知る人間を社内に増やすことを防げるというのが、上層部の判断となった。
当然、この陽川と岡本の二人も、涼羽と志郎のことは全く知らない状態であり、『SHIN』と『SUZUHA』の二人が一体どんな人物なのか、ということも全く分からない状態である。
ゆえに、今巷で社会現象を起こすほどのムーブメントの要員となっているモデルの、そのモデルとしての名前以外まるで何も分からない神秘性に興味津々となり、日々空き時間にスマホ片手に『SUZUHA』に関する情報のリサーチをするようになってしまっており、もはやそれもルーチンワークとさえ、なってしまっている。
特に、まるで二次元のヒロインやキャラクターを映し出している画面の中から飛び出してきたかのような、陽川や岡本にとってまさに理想の女性と言えるほどに魅力的な『SUZUHA』に、一目見たときから二人共その心を奪われてしまい、いまや完全な追っかけとなってしまっている。
あまり仕事にウエイトを置いていないこの二人が、労働基準法や三六協定上等とまで言えるほどの高稼働状態に細かい愚痴は出ながらも、それほど悲壮感もなく、割と普通に働けている最大の理由が、『SUZUHA』の存在が一番大きい。
「あ~、こんな娘が俺の奥さんになってくれて、仕事から帰ってきたら『おかえりなさい』って、こんな笑顔で言ってくれたら…」
「…おい陽川!今この状態でそんなこと言うんじゃねえよ!…想像してニヤケ顔になるのを抑えんのでいっぱいいっぱいになっちまうだろうが!」
「なんだ?岡本?お前、まさかこんなに可愛い『SUZUHA』ちゃんが自分のために料理作ってくれたら、とか思ったりしてんのか?」
「!!だ、だからやめろっての!マジ幸せな想像すぎて…ふ、ふひっ…や、やべ、変な笑いが!」
キャンペーンの販促用のポスターに映る『SUZUHA』の姿を幸せそうにとろけた笑顔で、慈しむように見つめながら、『SUZUHA』が自分の伴侶としてそばにいてくれる想像をしている陽川。
そんな陽川の独り言を聞いて、思わず岡本も『SUZUHA』が自分の伴侶として献身的に自分につくしてくれる想像をして、思わず顔が緩んでしまいそうになるのを必死で堪えている。
だが、そんな岡本にさらに追い討ちをかけるかのように、陽川は自分の幸せな妄想を言葉にして聞かせてしまう。
そんな陽川の言葉に、岡本はとうとう耐え切れず、ゆるゆるに緩んだ笑顔と共に、だらしない笑い声まで漏らしてしまっている。
陽川の方は熱心なアイドルオタクであり、これまでも多くの、自分好みのアイドルの追っかけをすることを趣味として楽しんできている。
自分好みの誰かを追いかけ、ステージで光り輝くその姿を目の当たりにすることで、そのアイドルの魅力を余すことなく堪能することができるような気がして、それが楽しくてたまらず、アイドルの追っかけは陽川にとって楽しいだけでなく、まさに生きがいとまでいえるほどのものとなってしまっている。
そんな陽川が、初めて『SUZUHA』を目の当たりにした途端、それまで熱心に追っかけていたアイドル達から、これまでのそのエネルギッシュな追っかけっぷりが嘘のようにぱたりと、なくなってしまったのだ。
その反面、それまで多くのアイドルに向けていたエネルギーのベクトルが、全て『SUZUHA』の方へと向かってしまうこととなり、今となっては嬉々とした表情で『SUZUHA』のことを追いかけるようになってしまっている。
社内の至るところに貼られているポスターを目の当たりにし、さらには国内のみならず、全世界にまでムーブメントを巻き起こしているCMムービーまでも目の当たりにし、まさにそのバイタリティの矛先を『SUZUHA』に向けることとなってしまう陽川。
それ以降の彼は、日に一度は必ず『SUZUHA』のポスター、CMムービーを見るのを日課としてしまっている。
それのみならず、『SUZUHA』に関する情報で何かないのかと、あの撮影の日の時にその場に居合わせたスタッフ一人ひとりに、『SUZUHA』のことを聞きに行くようになり、さらには『SUZUHA』に関する情報を検索するようになった。
陽川はまさに、『SUZUHA』が自分にとっての最上のアイドルだと言わんばかりに『SUZUHA』のことをひたすらに追いかけているのだ。
それも、そのアルファベットで綴られた名前以外何も分からないというその状況すら、陽川は楽しんでいる節すらある。
分からないからこそ、追いかける。
それが、追っかけの醍醐味じゃないか。
まさに、そう言わんばかりに。
「(…そのバイタリティを仕事に向けたら、もっといい仕事できるのにな、こいつ)」
『SUZUHA』を追っかけることに人生そのものを注ぎ込んでいる、といっても過言ではない陽川を見て、岡本は思う。
が、この岡本も、アニメ、漫画、ゲームなどに目がない、いわゆる「オタク」と呼ばれる存在だ。
陽川とは違い、二次元の方にしか興味がないため、現実のアイドルなどには目もくれなかった。
だが、そんな岡本も、一目『SUZUHA』の姿を目の当たりにしたその瞬間から、あれだけどっぷりとハマっていた二次元の世界から、まるで最初から興味を持っていなかったかのように離れてしまい…
その代わりの、これまで二次元の世界に注ぎ込んでいたそのバイタリティを向ける先として、『SUZUHA』を選ぶこととなったのだ。
岡本はまだ、これまで二次元の世界にどっぷりとハマっていたため、現実の存在に惹かれることに非常に抵抗感がある状態のため、『SUZUHA』のことを考えて、自分とのやりとりを妄想するたびに、その抑えられないほどの幸福感からくるニヤケ顔を隠そうと必死になってしまう。
しかし、それでも『SUZUHA』に向ける思いは並々ならぬものであり、この岡本も、陽川同様に日に一度は『SUZUHA』が映るポスター、そして動きのある『SUZUHA』が見られるCMムービーを見るというのが日課になってしまっている。
無論、それだけに留まらず、陽川とは違うタイミングで、陽川と同じようにあの撮影の日にその場にいたスタッフ達に、『SUZUHA』のことを聞き出そうと、毎日躍起になっている。
当然、インターネットでの検索も忘れることなく、日々の日課となっている。
しかも、元々が二次元オタクということもあるのか、『SUZUHA』と自分を絡めた妄想の深さ、バリエーションは陽川よりも圧倒的であり、実際には岡本の方こそ、陽川よりも『SUZUHA』のことで妄想に耽ってしまっているというのが実情である。
陽川も、岡本も、どんなに仕事で疲れていても、『SUZUHA』と自分のラブラブな空間を思い浮かべるだけで幸せな気分になってしまう。
しかも、社内に『SUZUHA』の姿が映っているポスターが至るところに貼られていて、いつでも『SUZUHA』の可愛らしい笑顔を浮かべている姿を、その目に映すことができてしまう。
そのおかげで、二人共現状の高稼働な状況にも耐えることができている。
それどころか、『SUZUHA』見たさに会社に来ている節まである、と言えるほどだ。
「(…岡本のやつ、前までは二次元にしか興味ないやつだったのに、いつの間にか『SUZUHA』ちゃん一筋になっちまっているもんな)」
この会社の社長である丹波 誠一も、世の中のみならず、社内の男性社員も『SUZUHA』に首っ丈になっていっていることを把握しており、本当に光仁がその目で選んできてくれたモデルである涼羽の素晴らしさを、改めて実感することとなっている。
その反面、本当の自分の孫のように可愛がることとなった涼羽が、社内の男性達に、周囲の女性社員が思わず汚物を見るかのような、嫌悪感満載の下心ありありの目で見られていることもあって、あの天使のような涼羽をそんな目で見る社員を懲らしめてやりたくはなるものの、しかしそれで涼羽のことが表ざたになってしまうと、他でもない涼羽に一番迷惑がかかってしまうのは目に見えているため、結局黙認することしかできない状態である。
そしてそれは、この会社にビジネスパートナーとして臨時で応援に入ることのある、涼羽の実の父親である高宮 翔羽も同じこと。
社内の至るところに貼られている、自分の息子がこの世の理想と断言できるほどの美しく、可愛らしい花嫁としての姿が映し出されているポスターを目にしては、間違いなく異性にドン引きされるであろう、下心満開のだらしない顔をあからさまにしている男性社員達を目の当たりにして、『うちの子のことをなんて目で見るんだ!全く!』と大声で怒鳴りつけてやりたいと、日々思ってはいるのだが、誠一同様、そんなことをすれば最愛の息子である涼羽に最も迷惑がかかってしまうのは明白であり、結局は最愛の息子がそんな男性達の欲望の対象になってしまうのを渋々黙認するしかない状況と、なってしまっている。
「あ~…マジで一度でいいから、『SUZUHA』ちゃんに会いたいよなあ~」
「全くだ。『SUZUHA』ちゃんに一度でいいから、会いてえ」
「あの幸せそうな笑顔を、俺がもっと幸せな笑顔にしてあげたい」
「あの幸せそうな笑顔を、恥ずかしそうな顔にしてあげたい」
「!お、岡本…お前、『SUZUHA』ちゃんを恥ずかしがらせるなんて…」
「ん?陽川、お前はあの『SUZUHA』ちゃんが恥ずかしがるところを、見たくはないのか?」
「そ、それは…」
「そっと抱き寄せて、キスなんかしたりしたら、『SUZUHA』ちゃん、めっちゃ恥ずかしがってあの可愛い顔を真っ赤にしてくれそうなんだよなあ~」
「…それ、いいな」
「だろ?」
「ああ、めっちゃ見てえ」
「そうだろそうだろ」
あの撮影の日に居合わせたスタッフ達にしつこくあきらめずに、『SUZUHA』のことを聞きにいってはいるものの、この会社の長である誠一から固く口止めをされているスタッフ達であるがゆえに、当然のことながら、この二人にやすやすと口を割るようなことなど、あるはずもない。
ましてや、スタッフ達自身が涼羽のことを本当に気に入って、また今度もこの会社でモデルをやってほしい、などと思っていることもあり、自分達が下手に涼羽のことを口から滑らせて、涼羽に迷惑がかかってしまうことを非常に恐れており、そのあたりは非常に慎重になっているからだ。
しかしそれでも、この二人は『SUZUHA』のことを追いかけたいのか、決してあきらめる素振りも見せることはない。
いつか本当に『SUZUHA』を自分の目で見られる日が来ることを信じて、陽川と岡本はそれぞれの妄想をお互いに言葉にしながら、また仕事に戻っていくので、あった。
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