第198話 ……気をつける?……

「さ、次の時間は体育だから、早く着替えないと」




この日の最初の授業の終了を告げるチャイムが、校舎内の人間に一人一人、きちんと伝わるように鳴り響く。


次の授業が、クラスの教室での座学の授業ならば、次のチャイムが鳴るまでの時間は、生徒達がそれぞれの形で、授業で使った頭をリフレッシュするための休憩時間となる。


ただし、次の授業が別教室での授業である場合は、その教室までの移動の時間となるわけであり、体育の時間であれば、今着ている制服から、学校指定の体操着に着替えて、校庭にまで移動するという、いわば準備のための時間となる。




涼羽のクラスである、3-1の次の授業は、まさにその体育であり、そのことを改めて確認するかのように、涼羽はその声で言葉にしてから、この日きっちりと持ってきている、体操着が入った無地の明るい感じの青色に染まっている手提げ袋を手にとって、前の授業で使っていた教科書やノートを片付けて、何も置かれていない状態の机の上に置く。




この学校では、女子にのみ更衣室が用意されており、男子はそのまま教室で着替える形となっている。


なので、女子はまず着替えのために更衣室まで移動する、という手間があるため、そそくさと教室を出て行くことになる。




だが、この3-1のクラスの女子は、この体育の時間となると、更衣室に移動する前にまずすることがあるのだ。




「涼羽ちゃん、気をつけてね」


「涼羽ちゃん、だめだよ?そんなに無自覚なまんまじゃ」


「涼羽ちゃん、もういい加減に私達と一緒に着替えようよ」




女子の一人一人が、涼羽のところへ寄ってきては、涼羽のことを心底、気にかけているかのような声をかける。


その表情は、まさに初めてお使いにいくこととなった、幼い子供を心配する母親のような、不安げなものとなっている。




いくら涼羽の容姿が、本当の女子でも羨んでしまうほどの、童顔で非常に整った、可愛らしさ満点の美少女なものであったとしても、あくまで涼羽は男子である。


ゆえに、体育の際の着替えは当然、この教室ですることとなっている。


もちろん、他の男子と一緒に、だ。




それは、当人である涼羽の認識からすれば、至極当然のことであり、そこに余計な疑問が加わることなど、皆無といっていいほどのことなのだから。




だが、その当人である涼羽以外の人間は、そうはいかない。




見た目まるっきり女子と言える涼羽を、この青春真っ只中の男子達の中で一緒に着替えさせるなどということは、どんな間違いが起きてもおかしくない、と言えてしまえるほどに危険なものだと、クラスの女子達はもちろんのこと、涼羽のことを心底可愛がっている女性教諭の水蓮や莉音も、常に思っている。




クラスの女子は、本当に涼羽なら、自分達と一緒に着替えても何の問題もないと思っており、そうなることを、今か今かと待ち望んでいる節すらあるのだ。


むしろ、自分達が涼羽の華奢で儚げで、その驚くほどにスリムで綺麗な身体を見てみたいと、常日頃から思っており、涼羽のことを自分達が、お気に入りの着せ替え人形にそうするかのごとくに着替えさせてあげたいとまで、思ってしまっている。




そのことに関しては、この3-1のクラスの担任である京一にも問題として提起はされているものの、いくら見た目がまるっきり女子であったとしても、本当の性別は男である涼羽を、女子と一緒に着替えさせるのは問題がありすぎるということで、常日頃からあがってくる女子達のそんな要望は、却下している状態なのだ。


とはいえ、確かに自分から見ても本当に可愛らしい女の子な容姿の涼羽を、思春期、そして青春真っ只中な男子達と一緒に着替えさせるのも、いろいろな意味で危険が危ない状態ということも、重々承知はしている。


いっそのこと、どこかのスペースを涼羽専用の更衣室にしてしまって、涼羽は本当に一人で着替えさせた方がいいような気が、京一の中では起こってきており、そうするのに適した教室、もしくは部屋などを校舎内で見繕っていっているのだ。




一度それを、日頃から涼羽の更衣のことで問題提起をしてくる女子達に、その提起に対する返答として返してみたものの、女子達からはまさかの猛反対が返って来てしまうことと、なっている。


あくまで、涼羽は女子達と一緒に着替えてもらう、というところを強行に主張してきており、しかもそれは、そんな女子達の主張をむしろいさめる側の立場である水蓮や莉音までもが女子達に同調して、強行に主張してくる始末。




これを見て、女子達が自分の欲望に忠実に、涼羽のことを可愛がりたいがためにそんなことを言ってきているのを確信し、それならなおさら、涼羽に関しては専用の更衣室を用意しようと決意することと、なるのであった。


だがそれも、ちょうどいいと言えるスペースが見つからず、未だその問題は根本的な解決にまで至らず、結局涼羽は自分が当然だと思っているまま、男子達と着替えをするという現状に、収まっている。




「?……気をつける?……」




クラスの教室を出て行く際に、まるで儀式であるかのように一言一言、心配そうに声をかけてくる女子達に、頭の上に疑問符を浮かばせて、きょとんとした表情を浮かべてしまっている涼羽。




男子である自分が、男子と着替えて何の問題があるのだろうか。


男子である自分が、男子と着替えるに当たって何を注意する必要があるのだろうか。




本当に天然で無自覚であるため、純粋に女子達がかけてくる言葉の意味、意図が分からず、いつもこんな感じになってしまっている。


そして、結局それを考察するよりも着替えることを優先してしまうため、いつまで経ってもそのことに関しては分からずじまいとなってしまっているのだ。




そんな涼羽に、この日のこの時も、無遠慮に覗き込むかのような視線が一斉に向いてくる。




「(あ~…来たぜ…この幸せの時間が…)」


「(高宮の身体を、至極合法的に拝むことのできる、まさに至福の時間が!)」


「(体育ってかったりいと思ってたけど、涼羽ちゃんのおかげですっげえ楽しい時間になってるんだよな)」


「(もう、いつ見ても胸のない女子にしか見えねえから、女子と一緒に着替えてるようにしか思えねえんだよ!マジで!)」




涼羽の非常に女性的なラインの身体を、この着替えの時間に見られることを本当に目の保養とし、至福の時間としている男子達は、この日もそんな涼羽の身体を目にしようと、着替えの手も止まったまま涼羽の方へとじっと視線を向けている。




特に何も思うことなく、周囲の視線に気づくこともなく、いつものようにブレザーを脱ぎ、ネクタイを外していく涼羽。


一つ一つ脱いでは、その衣類を丁寧に畳んで机の上に置いていっている。


そして、いつも肌を無闇に晒すことを嫌い、普段は絶対に見ることのできない、インナーとしているタンクトップに包まれただけの涼羽の上半身が露になる。




丸く小さな肩、細く華奢な腕、なめらかなラインの鎖骨、くびれのある儚げな、それでいて決して無理のないほっそりとした腰。


そして、ゆったりサイズのタンクトップから、ちらちらと見え隠れしている薄く華奢な胸。




そんな上半身を特に何も意識することなく露にしている涼羽を、自分達と同じ性を持つ男子だと知りながらも、自分達にとっては本当に好みの異性を見る目で、無遠慮にしてしまう男子達。


そんな自分達の視線にまるで気づく様子もなく、ただただ学校指定の制服から、学校指定の体操着へと着替えていく涼羽が天然無自覚で本当に可愛らしいこともあり、ついついその頬が緩んでしまう。




そして、ベルトのバックルに手をかけ、既成品ではそのウエストと長い脚に合うものがなく、特注品となってしまったそのスラックスの抑えを外す。


それだけで、スラックスは涼羽の腰からするりと抜け落ちてしまいそうになってしまう。


ホックを外し、ジッパーをおろすと、無造作にスラックスをおろして自分の脚から抜き取り、綺麗に畳んで机の上に置いておく。




地味なデザインのトランクスに包まれた下腹部、そのトランクスから伸びている、ほっそりとしながらも適度な肉付きがあり、つるつるですべすべで、思わず触ってしまいたくなる脚が、この教室内で露になる。


その瞬間、男子達の視線が涼羽のその脚に集中してしまう。




「(くっそ!なんだよあの綺麗な脚!いつ見ても撫で回したくなるくらい綺麗だなほんと!)」


「(ケツのラインがマジ女の子みてえ…トランクス履いてるのがほんとに違和感バリバリだよな)」


「(あの太すぎず、細すぎずのふとももがマジやべえ…マジで触ってみてえ…)」


「(ほんとに高宮、これからは女子の制服で登校してくんねーかな…)」




男子であるにも関わらず、本当に女子として理想的なラインの涼羽の下半身を目の当たりにして、ますます男子達の興奮度が高まっていってしまう。


もうまさに、売れっ子のグラビアアイドルが自分達と同じ空間で着替えているかのような錯覚に陥ってしまうほど。




しかし、だからと言って涼羽に手を出してしまうようなことは決してないようにと、全員が思わずそうしたくなってしまうのを必死になって堪えている。


こんなにも可愛くて、いつもいつも自分達のことを世話してくれる涼羽に、自分達の欲望をぶつけるような真似はしたくないという思いが、彼らの中で常にあるからだ。




「……?あれ?みんな着替えないの?」




涼羽の着替えを見ることに夢中になっていて、完全に自分達の着替えの手が止まっている男子達にようやくと言った感じで気づく涼羽。


そんな周囲の男子達に、きょとんとした表情を浮かべながら、おっとりとした声で着替えないのかと問いかける。




「!!あ、ああ!そうだったそうだった!」


「ちょっと考え事してたら、もうこんな時間に!」


「さあ、楽しい楽しい体育の時間なんだから、早く着替えないと!」




そんな涼羽の声が、止まっていた彼らの手を再び動かすこととなり、無造作にぽいぽいと制服を脱ぎ捨て、そそくさと体操着に着替えていく男子達。


しかしそれでも、その視線は涼羽に釘付けになっており、いまだにタンクトップとトランクスだけの状態の涼羽を、まるで盗み見るかのようにちらちらと見ている。




「(ああ~…あんな風に無防備に俺らの前で着替えてるところも可愛すぎる…)」


「(ほんと、マジ天使だよな…涼羽ちゃん…)」


「(涼羽ちゃんの着替えは、いつ見ても目の保養になるな…マジで)」




インナーであるタンクトップとトランクスだけの状態になっている今の涼羽だが、そんな状態でもまるで男には見られておらず、むしろそんな色気も何もない下着を身につけている状態に違和感すら感じさせるほど、女性らしい身体つきをしている。




加えて、このクラスの人間は常日頃から当たり前のように見ている、涼羽のその可愛らしい容姿と雰囲気。


それらが、この教室にいる男子達の頬をゆるゆるにさせてしまっている。




さらには、こんなにも美少女然とした容姿で、無防備に着替えをしている姿も危なっかしくて、しかしそれが可愛らしくて、とにかく見ていたくなってしまう。


半袖の体操着に、男女兼用となるハーフパンツに着替えた状態の涼羽が目に入ると、ますますその頬を緩めてしまう男子達。


透き通るように白い肌が周囲の視線に晒され、普段から深窓の令嬢のような印象がある涼羽が、身体を動かすための衣類に着替えているところが、活発で健康的な印象をかもし出しており、そんなところもまた可愛らしく見えてしまう。


結論から言えば、何をどうしたって可愛い涼羽なのだから、どんな格好をしても可愛いという確信が持ててしまうのだろう。




ただ、涼羽は結構な寒がりなので、この上にさらに学校指定となる、紺色で胸の部分に校章のデザインが縫い付けられているジャージを着込んでしまう。


夏のような暑い時期であっても、常にジャージを着込んで、とにかくその肌を露にしないようにしているほど。


ただ、さすがに暑い時期の時には、中に半袖のシャツとハーフパンツを着ることはしないのだが。




そのため、肌の露出そのものは全くと言っていいほどになくなってしまうのだが、それはそれでいいと思ってしまう男子が圧倒的多数を占めている状態となっている。




「(いい…涼羽ちゃんの萌え袖…マジでいい…)」


「(あのちっちゃくて可愛らしい手が、半分くらい隠れてるところ、マジで眼福…)」


「(もうマジで可愛いとしか言いようがないよな…)」




すでに着替えてジャージ姿になった涼羽を、着替えの手を動かしながらもちらちらと覗き込むように見ている男子達。


涼羽の身体には、少し大きくぶかっとしたサイズのジャージであるため、涼羽の手が、その袖に半分くらい隠れてしまっている。


それがまた、涼羽の可愛らしさを強調するものとなっており、それを見て、男子達はまた至福の表情を浮かべてしまっている。




「(ポニーテールな涼羽ちゃん…いつもと違う可愛さがあるよな…)」


「(普段ならよく見えないうなじが、はっきりと見えてるのも、またいいよな…)」


「(マジ涼羽ちゃん可愛すぎだよな…)」




そして、今となっては実の妹である羽月のみならず、クラスの女子達も許してくれない、まさに禁則事項となってしまっているのが、涼羽が髪を切ること。


もうすでに腰のあたりまで伸びてしまっているため、いい加減に切った方がいいと思ってはいるのだが、それを口にした途端に、周囲の人間からことごとく許してもらえない状態が続いており、結局のところ、毛先を揃える程度で済ましている状態となっている。


加えて、髪を伸ばすようになってから、父、翔羽や妹、羽月のすすめもあって、それまで行っていた万人向けの理髪店から、涼羽の家からは距離のある、駅の方に近い、文字通り美を追求するためにあると言っても過言ではない美容院の方へ行くようになっている。


その美容院でも、涼羽の髪はこの綺麗に伸びた長い状態が一番いいと言い切っており、涼羽がそれをバッサリと切る、などと言い出したら、全力でそれを方向転換するほど、今の涼羽の髪をそのままにしておこうとするのだ。




そんな涼羽の髪は、普段は飾り気も何もないヘアゴムで、無造作に一つに束ねられているのだが、この体育の時間になると、一度それをほどいてから、今度はそれを頭の上の方で束ね直すようにしている。


俗に言う、ポニーテールの状態だ。




さらに体育の時間となると、毛の先に近い方も、もう一つヘアゴムを使って束ねるようにして、よりその長い髪が、動いた時にふわりと広がったりして、運動の邪魔にならないようにしている。




そんな涼羽の髪型は、いつもと違った涼羽の可愛らしさをかもし出してくれるため、それをごく自然に目の当たりに出来る体育の時間は、まさに男子達にとって目の保養となる時間なのである。




他の男子達が、自分の着替えにずっとその視線を向けていたことなどまるで気にも留めずに、真っ先に着替え終わった涼羽が、そそくさと教室を出て、この日の体育の授業の場所となる、体育館の方へとその足を進めていく。




そんな涼羽を見て、遅れていた着替えをそそくさと済ませて、慌ててその後ろを追いかけるように体育館の方へとかけ出す男子達。


一歩一歩、足を進めていく度にぴょこぴょこと揺れる涼羽のポニーテールにした長い髪が、またしても男子達にとっては目の保養となり、その後ろ姿と、ポニーテールにしたことで露になっているうなじを、その頬を緩めながら見つめつつ、涼羽の後ろについたまま、体育館へと移動するのであった。




「(高宮…今日もまた可愛らしいな…)」




そして、涼羽のクラスの体育を担当している、筋肉質でゴツく、一昔前の熱血漢を思わせる風貌の体育教師が、体育館にそそくさと入ってきた涼羽を見て、その心をほうっとさせてしまう。


この体育教師は、涼羽がその素顔を露にするきっかけとなった、香奈の校舎への迷い込み事件の時に、美鈴に無理やり女装させられた涼羽を見ていることもあり、それ以降、ことあるごとに涼羽のことをその目で追いかけてしまっている。


日に日に可愛らしくなっていき、日に日に校内のアイドルとして、その人気を確かなものにしていく涼羽を見ていると、三十路を過ぎて未だ独身である自分の心が、言いようのない動悸に襲われたり、その一方でほうっと癒されるような感覚に陥ったりと、まさに忙しない状態となっている。




これまで、柔道や剣道、そして高校教師という職業に誠実に、真っ直ぐに打ち込んできたため、異性に対する免疫がないのと、色恋沙汰などまるでない人生を送ってきているため、今自分が涼羽に対して抱いている心の有様を、言葉にすることができないでいる状態なのだ。




それを言葉にできるほどに自覚してしまった時は、一体どのような化学反応が起こってしまうのか、想像に難くないと言えるのは、周囲から見ればあまりにも分かりやすいその姿を目の当たりにしている、当人である涼羽以外の男子達なのだが。




「(あいつ…どう見ても俺らの涼羽ちゃんにホの字だよな…あれ…)」


「(ざけんなっつーの…涼羽ちゃんは俺らのアイドルなんだから…)」


「(あんなゴリラに、涼羽ちゃんを渡せるかっつーの…)」




涼羽が自分と同じ男であることを重々に承知している体育教師ではあるのだが、自分でも得体の知れないその心に気づくのは、まだまだ先になりそうな気配である。


そんな体育教師を見て、クラスの男子達は涼羽に変な虫が付かないようにと、しっかり涼羽のことを護る守護者(ガーディアン)として、涼羽に迫ってくる輩を退治しようと、心に誓うので、あった。

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