第136話 お父さん…よかったね

「おいしいね~♪お兄ちゃん♪」


「うん、おいしいね」




父、翔羽の会社の…


翔羽が普段から業務をこなしているオフィスの中…




おいしいものを食べられて、非常にご満悦な様子の妹、羽月と…


そんな妹を見て、幸せ一杯の様子の兄、涼羽。




二人とも、童顔で幼げな印象の美少女な容姿のため…


こんな風に仲睦まじい様子は、見ているだけでも非常に心が癒されるものがある。




「ああ~…涼羽ちゃんめっちゃかわええ~」


「おいしいもん食べられて幸せそうな羽月ちゃんと、それを見て幸せそうな涼羽ちゃん…二人とも可愛すぎっしょ~」


「もうなんか、見てるだけで癒されてくるわ~」




そんな二人を周囲から見守るような形の社員達は…


涼羽と羽月の心温まる、そして、癒されるやりとりを見ているだけで…


日々の業務の疲れがどこかにふっとんでいってしまうかのような感覚さえ、感じてしまっている。




二人とも、TVに出てくるアイドルよりも可愛らしく…


素直で純粋で、非常に仲睦まじいこともあり…




もうこのオフィスでは、高宮兄妹の二人はすっかりアイドルのような存在となってしまっている。




「うんうん…あの子達が喜んでくれる姿を見てると、こっちまで本当に嬉しくなってくるよ」


「おや、専務もですか…実は私も、あの子達を見てたら、本当に嬉しくなってしまいましてな…」


「なんだ、常務もかね…いや、あの子達は本当に笑顔よしで…仲睦まじくて…あの可愛らしさは、まさに天使のように見えてくるよ」


「ですな…あんなにも可愛らしい、天使のような子供達に恵まれるなんて…本当に羨ましく思いますよ」


「そうだな…」




そして、この日初対面であるにも関わらず、もうすっかりこの二人に骨抜きにされてしまった感のある専務と常務の二人。




まさに、可愛い孫が喜んでいる姿を見て、その顔を緩ませてしまっている好々爺と言える姿を、見せてしまっている。




もう、あの子達が望むことなら、なんだってしてあげたくなってしまう…


もう、あの子達のわがままなら、なんだって聞いてあげたくなってしまう…




もちろん、自分達の本当の孫達も、そんな対象になるのだが…


この二人は、それ以上に可愛がりたく、甘やかしたくなってしまう。




見てるだけで、日々の業務から来る疲れがふっとんでいってしまうような感覚を与えてもらえていることもあり…


役員の二人にとっても、涼羽と羽月の二人は本当に庇護すべき…


そして、愛すべき存在となってしまっている。




「…いや、もう本当に君が羨ましくて仕方がないよ、高宮君」


「…あんなにも可愛らしい、天使のようなお子さんが二人もいるなんて…」




余計な思惑や裏など一切ない、掛け値なしの本音を…


あの兄妹の父親である翔羽に向ける役員の二人。




子を持つ親としても、本当に羨ましく思えてしまうだけに…


半分は、言葉通り翔羽に対する羨ましさから…


もう半分は、あんなにも愛すべき、可愛いの化身と言える子供を授かり、育んできた翔羽への、同じ父親としての尊敬の念から…




だが、どうしても社に対する不信感を拭えない状態の翔羽には…


二人のこんな言葉も、素直に受け止めることができない状態であり…




「(ふん…その涼羽と羽月との触れ合いの時間を奪ってきたのは、どこの誰だってんだ…)」




せっかくの役員達の掛け値なしの言葉も、皮肉にしか聞こえず…


ひとつひとつが、癇に障るものとなってしまっている。




今となっては、自身にその無慈悲な転勤を命じてきた役員も解雇されてしまっており…


そのせいで、この十数年ずっと抑え続けてきた怒りと憎悪の矛先すら奪われてしまったような感覚に陥っている翔羽。




翔羽自身も、当事者でないこの二人に対して、こんな思いを向けてしまうことが、どれほど大人気なく…


どれほどにお門違いか、ということは、頭では理解している。




それも、嫌と言うほどに。




加えて、二人がどれほどに、かつての自分のような社員を出すまいと…


日ごろから奮闘し、文字通り、社内の膿を吐き出していってくれているのか…


それを、言葉でなく、行動で、結果で示していってくれているのか…


それらも、全て知っている。




いつもいつも、こんな反抗期の子供のような自分を気にかけて…


どれほどに、自分のことを認めて、優遇してくれているのかも。




全て、頭では理解はしている。




でも、どうしても…


最愛の妻を失った直後、妻の死に目にもろくに立ち会えないようなタイミングで突きつけられた転勤のこと…


さらには、そのせいで本当なら当然のようにあったはずの、最愛の妻の忘れ形見である、最愛の子供達との触れ合いの時間…


それを、理不尽に奪われてしまったこと…




それらが、あまりにも翔羽の中では大きすぎるほどに大きい事柄となってしまっており…


どうしても、感情が、言うことを聞いてくれない。




専務と常務に対して、理解はできるのだが…


どうしても、納得ができない。




まさに、今の翔羽はそんな状態。




どうしても、感情が言うことを聞いてくれず…


すでに終わったことであるはずなのに…


それが、あまりにも自分の中では大きすぎて、許せないことに…


受け入れられないことになってしまっている。




「(ふむ…やはり彼の中では、あのことは大きすぎるほどに大きい出来事になってしまっているんだな…)」


「(…彼自身も、頭では理解はしてくれているんだろうが…どうしても、感情で納得ができない…そういう状態なのだろうな…)」




これまでの、他からすれば十分に長いといえる人生の中…


この社内にはびこる魑魅魍魎どもも含め、多くの人間を見てきたと言える二人。




そんな風に、人を見る目を養われてきた二人が、今の翔羽の様子を見て…


その内心に気づかない道理はないと言える。




だが、この二人にしても…


それが分かっていたとしても、自分達にはどうすることもできない…


まさに、そういう状態なのだ。




自分達ができることは、かつての翔羽のような社員を出さない体制を作り上げていくこと…


そして、社員にとって仕事のやりやすい…


そして、仕事を楽しんでもらえる風土、そして環境を作り上げていくこと…


それしかないと…


そう思い、そして、そう取り組んでいる状態なのだ。




ゆえに、翔羽の悪感情が、当事者ではない自分達に向いていることを知りながら…


それでも、それは自分達の落ち度だと受け止め…


日々、社内の是正に取り組んでいっている…




ただただ、それしかできないと、言わんばかりに。




しかし、その当の犠牲者とも言える翔羽自身に、どうしてもそれを受け入れてもらえない…


どうしても、翔羽のその負の感情が、次から次へとあふれ出てしまっている…




それほどに、彼にとっては、あの出来事は許せないものだったのだと…


そう、現実として突きつけられている。




自分達が同じ立場なら、どうだっただろう…


そう思うと、余計に何も言えなくなってしまう。




だからと言って、このままでいいわけがあるはずもない。




お互いに、どうしても超えられない一線の前に苦しんでいる、そんな状態。




そして、まさにそんな時だった。




「お父さん…どうしたの?そんなに怖い顔して…」




その悪感情がまさに表に出ていたのか…


傍から見れば、人をも殺しかねない程の、凍てついた表情になっていた父、翔羽のことが気になって…


翔羽にとっての最愛の息子である涼羽が見かねて、声をかけてきたのだ。




「!りょ、涼羽…」




そのドス黒いもやのようなものが、自分の心を埋め尽くさんがごとくに…


自分の中の悪感情が膨れ上がっていっていたところに意識を奪われていたため…




不意にかけられた息子の声に、思わず、といった感じで反応してしまう翔羽。




「せっかく、お父さんの会社の人たちが、ここで楽しんでくれるようにって、してくれたことでしょ?」


「あ、ああ…」


「なのに、なんでそんなにも怖い顔してるの?お父さん?」


「い、いや…お、俺、そんなに怖い顔してたか?」


「うん。普段俺と羽月の前じゃ、絶対にしないような怖い顔、してたよ」




最愛の息子であり、最愛の妻に瓜二つな容姿の涼羽に、自分の状態のことを指摘され…


まるで、母親に対して後ろめたいことを隠そうとする子供のように、おたおたとした反応を返してしまう。




そして、自身があまりにも負の感情に溺れ…


それが、あまりにも顔に出てしまっていたことも、涼羽に指摘されてしまう。




「お父さん…怖い…」




そんな、普段なら絶対に見ることのない父の顔がよほど怖かったのか…


羽月は、兄、涼羽にべったりと抱きついて、その胸に顔を埋めたまま…


父、翔羽に対する恐怖感を隠せないでいる状態だ。




「!い、いや…ちょ、ちょっと考え事をしててな…」




そんな娘の反応に内心、かなりショックを受けながらも…


しどろもどろに、慌てて取り繕ったかのような反応を返してしまう翔羽。




そんな翔羽を見て、涼羽の顔に、ますます心配そうな表情が浮かんでくる。




「…お父さん…もしかして…」


「?涼羽?…」


「…俺達とお父さんが離されることになった、あの転勤のこと、考えてたの?」


「!!……」




一体なぜ、そこまでに凍てついた顔をしていたのか…


一体なぜ、この楽しむべき場で、ここまで負の感情に支配されていたのか…




先ほど、父の上司である役員二人の話を聞いた涼羽は、父の状態の原因は、それではないか…


そう思い、何気なしにぽつりとつぶやいた。




そして、それに対する父の反応。




それを見て、涼羽は、自分の考えが正しかったことを確信することとなった。




「…お父さん、もうやめよ?」


「??な、何を、だ?…涼羽?…」


「本当は、お父さんだって分かってるんでしょ?」


「え?…」


「あの専務さんと、常務さんが、あんな理不尽な転勤を命令したりしない、なんてことくらい…」


「!りょ、涼羽…」


「俺、あの人たちのお話を聞いて、お父さんがこの会社でどれだけ認められている存在なのか…どれだけ、頼りにされている存在なのか…って、い~っぱい知っちゃった」


「………」


「…俺、自分のお父さんが、そんなにも仕事ができて、そんなにも会社の中で認められる存在だなんて知って、すっごく嬉しかったし、すっごく誇りに思えたよ?」


「!!涼羽…」


「…確かに、お母さんもいなくなって、お父さんまで仕事で離れ離れになって…いろいろ大変だったし…寂しかったこともあったけど…でも、もう今は親子三人で暮らせてるじゃない」


「………」


「だから、もうそのことにとらわれないで…お父さん」


「涼羽…」


「せっかく、専務さんと常務さんが、自分達がしたわけでもないことなのに…お父さんに少しでも償いをしようと思って、い~っぱい頑張ってくれてるのに…肝心のお父さんがあの転勤のことにとらわれて…専務さんと常務さんが頑張ってくれてること、ぜ~んぶ無駄にしちゃったら…」


「………」


「今度は、お父さんが、お父さんに理不尽な転勤を命令してきた人と、おんなじになっちゃうよ?」


「!!!!…………」




静かに、ぽつりぽつりと…


それでいて、ひとつひとつがしっかりとした、涼羽の言葉。




それらを聞いて、ずっと頑なだった翔羽の心が、ひとつひとつ解きほぐされていくような感覚が芽生えてくる。




そして、今の自分が、かつて自身に理不尽な転勤を命じたあの役員と同じだと…


そう、何気なしにぽつりと音にした、最愛の息子の言葉。




それは、今の翔羽にとっては、まさに頭を鈍器で殴られたかのような…


これまで、ずっと堂々巡りだった負の感情を全て洗い流してくれるかのような…


そんな、救いの言葉となりうるものだった。




最愛の妻の忘れ形見であり、その妻に生き写しと言える、最愛の息子、涼羽の言葉。


その言葉のひとつひとつが、これまで十数年もの間、ドス黒く自身の心の中にぐるぐると蠢いて…


ひたすらに、ヘドロのように頑固にへばりついていたものを、ひとつひとつ洗い流してくれている。




誰に何を言われても、どうしても変えられなかった…


自分の中にある、最も醜い部分。




それを今、他でもない最愛の息子、涼羽によって…


その醜く、凝り固まった思いから、解き放たれようとしている。




「…お、俺は…俺は…」




なんてことをしてしまっていたのだろう。


どうして、そこまでちっぽけな思いにとらわれていたのだろう。




どうして、こんなにも自分によくしてくれていた人たちに、こんなにも醜い思いをぶつけ続けていたのだろう。




翔羽のその瞳から、黒く濁った心のしこりが洗い流されるかのように…


とめどなく、大粒の涙が溢れかえってくる。




そんな顔を見られたくないのか…


涙でくしゃくしゃになっていく顔をその両手で覆い隠し…


ただただ、声もあげずに、静かに涙を流し続ける。




溢れかえるその涙が、まさに自分がずっと抱え込んでいた、醜いもの。


それが、洗い流されていく証だと、思えてくる。




じっと自分の席に座ったまま、静かに涙を流す父、翔羽を見て…


涼羽は、そんな父の頭を抱え込むかのように抱きしめ…


まるで、母親がするかのように、優しく、いとおしげに頭を撫で始める。




「…お父さん、大変だったでしょ?」


「……」


「…ずっとそんな思いを抱えながら、それでも仕事頑張ってきたんだよね?」


「……」


「…ありがとう…お父さん…い~っつもお仕事頑張ってくれて…い~っつも俺達のこと、目一杯の愛情で包み込んでくれて…」


「…りょ、涼羽…」


「…ね?だから、もうそんな汚い思いは全部捨てちゃって…もうお父さんみたいな思いを、他の人にさせないで…いこうよ?ね?」


「…りょ、涼羽お~…」




そんな醜い自分をも包み込んでくれる、最愛の息子、涼羽。


その溢れかえらんばかりの母性と慈愛に感極まったのか…


自分を包み込んでくれる息子の華奢な身体をぎゅうっと抱きしめ…


ただひたすら、息子の両腕に包まれたまま、静かに涙を流し続ける。




涼羽の方も、そんな父がどこか可愛らしく思えて仕方がないようで…


どこか幸せそうな、優しい笑顔を浮かべたまま、自分に抱きついている父を包み込むかのように…


優しく父の頭を抱きしめながら、優しくなで続ける。




「…高宮君…本当に…本当に済まなかった…」


「…高宮君…こんなにも素晴らしい子供達との触れ合いの時間を奪ってしまうようなことになってしまって…会社の代表として…本当に済まなかった…謝罪させてほしい…」




そんな親子のやりとりを見ていて、感極まったのか…


人目もはばからず、もらい泣きをしてしまっている専務と常務の二人が、高宮親子のそばにやってくる。




そして、これまで伝えることのできなかった、そのたった一言を…


ようやく、といった感じで、翔羽に伝えることができた。




これまで、ずっと結果でしか伝わらないと、思い込んでいた二人。


だが、それも、とらわれでしかなかったと…


今、この親子のやりとりを見て、思わされた。




せめて、せめてこの一言だけでも、伝えてあげるべきだったと…


そう、思わずにはいられなかった二人。




そんな、裏表などない、ただただ、純粋な二人の言葉。




それが、今の翔羽にはとても有難く思えて、どうしようもなかった。


そして、この二人が今まで自分にどれほどによくしてくれていたのか…


この二人がどれほどに自分のことを気にかけてくれていたのか…




それが、その一言に集約されているようで、嫌と言うほどに伝わってきた。




すぐに、その身を起こして立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった顔を整え…


改めて、役員二人の方へと向き直る翔羽。




「…とんでもありません。こちらこそ、今までどれほどに自分のことを気にかけていただいたのか…それを、どれほどの間、むげにしてきたのか…本当に、申し訳ございませんでした」




その長身を折り曲げるかのように、垂直に腰を曲げ…


そのてっぺんが見えるくらいに頭を深く下げると…




これまでの醜い思いにとらわれていたのがまるで嘘のように…


スムースに、思いを伝えることができたのだ。




そして、翔羽、専務、常務の三人の間にあった…


どうしても超えられなかった一線…




ずっと、この三人の間をさえぎってきたそれが、まるで嘘のようになくなっているのを、感じることができた。




「何を言っているんだ、高宮君…わが社が君にしたことを考えれば、君の思いは当然のものではないか」


「最愛の子供達と離れ離れにさせてしまったこちらの方に負い目があるのだから…」


「いえ…でもそれをどうにかしようと、専務と常務がどれほどに日々戦い続けてくれていたのか…どれほど私のことを気にかけてくださっていたのか…それを知りながら、どうしてもそれを認め、受け入れることができなかった自分の醜さ…ようやく、それに気づくことができました」


「!高宮君…」


「今更な感はあるかも知れませんが…これからも、よろしくお願い致します」


「!何を言っているんだ…こちらこそだよ、その台詞は」


「!ああ…こちらこそ、よろしく頼むよ、高宮君」




ようやく、それぞれのわだかまり、とらわれから解放され…


お互いが、それぞれを受け入れることができるようになった三人。




「ふふ…よかった」




それを見て、そのきっかけを作った本人である涼羽は、本当に嬉しそうな表情で、父含む三人を見つめている。




「涼羽君…だったかな?本当に…本当に、ありがとう…」


「君のおかげで、私達も高宮君と和解することができたよ」


「涼羽…本当にありがとう…」




自分達の醜い心やとらわれ、わだかまり…


それらを取り去って、お互いを分かり合えるようにしてくれた存在である涼羽に対し…


三人がそれぞれ、本当に憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れとした表情で、感謝の言葉を紡ぐ。




「お父さん、よかったね…専務さん、常務さん…これからも、お父さんのこと、よろしくお願いします」




父、翔羽に対しては、その抱え込んでいたものがなくなったことに本当によかったと…


役員二人に対しては、改めて、父のことをお願いしますと…




もう、天使のような笑顔で声として響かせる涼羽。




そんな涼羽を見て、もうどうすることもできなくなってしまった三人は…


まさに可愛いの化身であろう涼羽のことを、目一杯の愛情で抱きしめてしまうので、あった。

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