第44話 お父さん、帰りました!
「…久しぶりだな。この家も」
現在、涼羽と羽月の兄妹二人が暮らしている高宮家。
その高宮家の前に、一人の男が懐かしげに立っている。
180cm台半ばは余裕であるだろう長身。
見た目は細身だが、実際には筋肉質な、無駄のない身体。
仕事で着ているであろうスーツの着こなしのよさが、そのままその人物のスタイルのよさを表している。
少し短めの、さらりとしたまっすぐな黒髪。
たるんだ感じなどない、シャープな輪郭。
切れ長で、はっきりとした二重の目。
スッと筋の通った鼻。
街中を歩いていれば、間違いなく人の目を惹くであろう、整った容姿である。
「ようやく、単身赴任も終わって…やっとここで暮らせるんだ」
長かった単身赴任。
物心つくかつかないかの幼い盛りの息子。
生まれて間もない小さな娘。
その二人を忘れ形見として、この世から去ってしまった最愛の妻。
家族と離れて暮らすことを選ばざるを得なかったこの十数年間。
遠く離れた地で、ただひたすら、またここで暮らせることを願って働き続けたこの十数年間。
一拠点の長として、重い責任を背負って、ひたすら頑張る日々。
最愛の妻を失った喪失感を感じる余裕もないほどに。
その拠点も、ようやく引き継げる人材が育ち…
自分がいなくても、何も問題のない拠点となり…
その結果、栄転として再びこの地への転勤が認められたのだ。
「涼羽…羽月…」
その口から、最愛の二人の子供の名が紡がれる。
目に入れても痛くない、と豪語できるほどに可愛い子供達。
その子供達と離れて暮らすことしかできなかった日々。
どれほど、愛しい子供達に寂しい思いをさせてきたのだろう。
どれほど、愛しい子供たちに両親がそばにいない不自由を味わわせてきたのだろう。
でも、それも昨日までの話。
今日、今この時からは。
何の隔たりもなく、共に暮らすことができるのだ。
「待ってろよ、二人共!お父さんは、帰ってきたからな!」
だから、目いっぱい可愛がってやる。
今まで寂しい思いをさせた分、目いっぱい愛してやる。
普通にしていれば真面目一直線とも言える真剣みを帯びた表情が、デレっと緩んでしまう。
そんな、高宮兄妹の父親、高宮 翔羽(たかみや しょう)が、勢いよく自らの家でもある高宮家に飛び込んでいくように入っていった。
――――
「えへへ♪お姉ちゃん♪お姉ちゃん♪」
「もう…羽月ったら、甘えん坊さんなんだから」
そんな父が帰還したことなどまるで知る由もない二人。
まるで、お花畑にいるかのようなぽやぽやした雰囲気を醸し出しながら。
歩きながらべったりと甘えるように兄、涼羽に抱きついている妹、羽月。
そんな妹にたしなめるような声を発しながらも、表情は慈愛の女神そのものな涼羽。
今は涼羽が羽月の学校の女子制服に身を包んでいることもあり、羽月は涼羽を『お姉ちゃん』と呼んでいるが。
見目麗しく、非常に可愛らしい二人のこんなやりとり。
周囲にチャームをまき散らかしながら、ひたすらいちゃいちゃする始末。
そうして、もう自宅は間近なところまで来ている二人。
「あ~、お姉ちゃんの作るご飯、早く食べたいな~」
「ふふ…家に帰ったらすぐに作るから、待っててね」
「うん!」
仲睦まじく、寄り添いながら歩く二人。
そして、自宅の玄関に到着。
「ほら、早く早く!」
よほど待ちきれないのだろう。
羽月がはしゃぎながら、まだ鍵の開いていない扉に手をかけ、開けようとする。
「あ、羽月。ちょっと待って…」
そんな羽月に静止の声をかける涼羽。
そうしながらも、制服のポケットの中から鍵を探し出す。
「あれ?」
そんな中、少し間の抜けた声。
声の主は、待ちきれんばかりに扉に手をかけていた羽月。
そんな声につられ、思わず涼羽はそっちを見てみる。
「鍵、開いてるよ?」
「え?」
そういった羽月の手が動く。
すると、鍵を閉めていたはずの扉が、その手の動きに合わせて開いていく。
その光景に、今度は涼羽の方から間の抜けた声が飛び出してしまう。
「え?なんで?鍵、ちゃんと閉めてったはずなのに…」
そう。
確かにここを出るときに鍵を閉め、きちんとそれを確認したはずなのに。
なのに、帰ってきたら開いているなんて。
「あ!」
「!ど、どうしたの?羽月?」
「知らない、男の人の靴がある」
「え?」
そんな羽月の声に戸惑いながらも中に入る涼羽。
玄関には、確かに今ここにはないはずの見覚えのない靴が一足。
それも、あきらかに男物だとわかる、ビジネスモデルの革靴が。
「お、お兄ちゃん…」
思わず不安そうに、兄にべったりと抱きついてくる羽月。
自宅に帰ってきたことで、呼び方もいつも通りになっている。
「羽月…」
そんな妹を優しく包み込むように抱きしめ、頭を優しく撫でてあげる涼羽。
そうして、兄が妹を優しくなだめているところに、奥から声が響く。
「お!ようやく帰ってきたか!」
この声。
すごく懐かしい。
そして、聞き覚えのある…
それどころか、絶対に知っているはずの人物の声。
「おかえり!そしてただいま!お父さん、帰ってきました!」
そして、姿を現したのは、涼羽にとっては見間違うはずもない父親の翔羽。
当時と比べるとさすがに歳をとった感はあるが…
それでも、いまだに二十台後半から三十台手前で通用するような若作りの容姿。
とても今年で四十三歳になるとは思えない、父親の姿。
「お、お父さん!?」
今ここにはいないはずの父親の姿に、涼羽から驚きの声が飛び出す。
「え?お父さん?」
つられて、涼羽にべったりと抱きついたままの羽月からも声が飛び出す。
「!!」
しかし、そんな二人の姿を見た翔羽の動きが、まるで石化したかのように固まってしまう。
なぜなら、玄関で寄り添いあう二人の姿…
その中の、涼羽の姿。
その涼羽の姿は、自身が最も愛していると断言できる…
この世から去ってしまった今でも愛している…
最愛の妻、水月(みつき)。
その水月の姿と、瓜二つだったから。
それも、学生時代の妻の姿そのものだったから。
「あ……あ……」
その容姿ゆえ、転勤先の拠点でも女子社員の人気は非常に高く…
まして、一拠点の責任者ということもあり、将来性も抜群。
加えて、人柄もよく、非常に真面目。
そんな優良物件に言い寄る女性は、一人や二人ではなかった。
しかし、既婚者の証である結婚指輪を片時も外すことなく…
それでも言い寄られた時は、時には辛らつに突き放し…
それほどまでに想っている妻、水月への愛情。
その妻を失った悲しみ、喪失感を感じる間もなく、激務に追われる日々となり…
その妻の忘れ形見となる二人の子供のため、ひたすら頑張っていた。
まさか、こんなところでその姿を見ることができるなんて。
感極まるとは、まさにこのことをいうのだろう。
声が、うまく出せない。
身体が震えて動かない。
そんな父、翔羽の姿に、涼羽が心配になって声をかけてみる。
――――父にとっての最愛の妻であり、自身の母である水月そっくりの姿で――――
「お父さん?」
声変わりの済んでいる男子とは思えない、柔らかなソプラノボイス。
その声も、自らの母である水月そっくりなもの。
そんな姿が。
そんな声が。
翔羽の身体を、硬直から解き放つ。
「――――――――――――水月ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」
「!え!?え!?」
その切れ長の目から、大粒の涙をこぼしながら猛然と突っ込んでくる父、翔羽。
そんな父に対し、おろおろすることしかできない涼羽。
その長いストライドを活かし、瞬く間に実の息子、涼羽の元へたどり着き…
その華奢な身体を、ぎゅうっと抱きしめてしまう。
「お、お父さん!?」
「水月ぃ!!会いたかったよ!!」
自身の目に映る最愛の妻――――と同じ容姿をした実の息子――――を、自身の胸に引き寄せるように抱きしめる翔羽。
いきなり抱きしめられた涼羽の方は、完全に思考が置いてけぼりにされてしまい、一体全体何が何なのかさっぱり分からない状態だ。
当然、自分が何故今は亡き母親の名前で呼ばれているのかも。
「水月!!水月!!ああ…死んだはずのお前を、こうして抱きしめることができるなんて…」
「むぎゅ…ちょ、ちょっと待って!!」
「ああ…その可愛らしい声。それをまた、聞くことができるなんて…」
「だ、だから違うの…」
「そう、違う…ん?」
ここで、翔羽は涼羽と水月との唯一とも言っていい違い…
その違いによる違和感に、ようやく気づく。
容姿は生き写しといってもいいほどに似ている水月と涼羽だが…
水月は女性であり、涼羽は――――こんな容姿ではあるが――――男性である。
そして、水月は出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるという、抜群のスタイルの持ち主。
つまりは、胸も十分に大きかった、ということ。
抱きしめたなら、絶対に感じることができるはずのその感触。
それが、今抱きしめている妻にはない。
その一点が、完全に機能を停止していた理性の活動を再開させ始める。
ようやくクールダウンすることのできてきている翔羽が、一度抱きしめている涼羽の身体を離して、まじまじと覗き込むように見つめる。
「あ、あれ?水月、お前こんなに胸なかったっけ?」
「あ、あるわけないじゃない!!」
「いや、確かに十分に大きいのがあったはずなんだが」
「だから、それはお母さんの話でしょ!!俺は涼羽!!お父さんの息子の、涼羽だよ!!」
女装している自分をまじまじと見られることに恥じらいを覚えつつも…
どうにか自分が息子の涼羽だと、はっきりと父、翔羽に伝えることができた。
頭一つは高い父の顔を、恨みがましく上目使いで見つめながら。
「え?…涼羽って…俺の息子…!…お、お前、涼羽なのか!?」
「そうだよ…こんな格好だから、見間違えたのかも知れないけど…」
「い、いや、見間違えるも何も…」
もはや父としては驚き以外の何物でもない。
息子が、こんなに最愛の妻に生き写しの容姿になっていたなんて。
正直、胸の感触の件がなかったら、同一人物にしか思えないほど。
あまりにも可愛らしい姿の息子を、遠慮なしにじろじろと見つめながら、翔羽は涼羽に話しかける。
「そ、そもそもお前、なんでそんな服着てるんだ?」
「!こ、これは…羽月にお願いされて、仕方なく…」
「羽月に?…って、ああ!羽月!」
「!…」
思い出したかのように羽月の名を呼ぶ翔羽。
その声にびっくりして、思わず兄、涼羽の後ろに隠れてしまう羽月。
羽月にとっては、物心つく前にいなくなってしまったこともあり、目の前の男性が父親という実感がほぼ皆無。
加えて、羽月が男嫌いの傾向があることもあり、翔羽のことを父親と認識できていないのだ。
そのため、今の羽月にとっては、翔羽は見知らぬ男の人であり、どうしてもこういった反応になってしまう。
「羽月…あの時は赤ん坊だったのが、こんなに大きくなって…」
「う…」
「羽月も、お母さんにそっくりだなあ…可愛いぞ」
「あう…」
涼羽の後ろに隠れている羽月の頭を、優しく撫でる翔羽。
最愛の娘も、最愛の妻にそっくりな容姿。
羽月は、それをもっと幼くした感じだが。
それが、また翔羽の愛情を深めさせたのか、あまりにも可愛く見えてしまう。
「羽月、お前が涼羽にこの服を着てほしいって、お願いしたのか?」
「!う、うん…」
満面の笑みを浮かべ、優しい口調で羽月に問いかける翔羽。
おずおずとしながらも、ちゃんと答える羽月。
「なんで、そんなお願いしたんだ?」
「…お兄ちゃんが、女の子の服着たら、すっごく可愛くなりそうで…それが見たくって…」
「…そうか」
「…だめ、だった?」
父親が娘に弱い、というのは世間一般の常識的なものなのだろう。
ここでも、それは例外ではない。
こんなに可愛い娘を叱る、なんてことなどできるはずもなく。
むしろ、翔羽にとっては…
「いいや!むしろよくやってくれた!」
「!え?」
「そうだよな!こんなに可愛かったら、女の子の服着せたくなっちゃうよな!」
「!…」
「羽月はえらいなあ!お父さんうれしいぞ!」
「…えへへ…」
女装した涼羽が、正直最愛の妻に生き写しなのが、あまりにもよすぎたのだ。
まるで、今は亡き妻に会えたかのような。
そんな機会を与えてくれた娘、羽月を全力でサムズアップしてしまう翔羽。
そんな翔羽に対する緊張も少しほぐれてきたのか、笑顔が見え始める羽月。
やはり、父と娘ということもあり、そこまでの壁はないのかも知れない。
「お、お父さん!俺、男なんだから、こんな格好だめでしょ!?」
「何を言ってるんだ、涼羽。俺の大好きな息子と娘がこんなに可愛くて…それの何が悪いんだ?」
「だ、だめだめ!俺、もうこんな格好しないから!」
「!それはだめだ!こんなにも水月そっくりで可愛いのに!」
「そうだよ、お兄ちゃん!こんなに可愛いんだから、もったいないよ!」
「!は、羽月まで…」
状況は完全に二対一。
日本という国は、民主主義。
民主主義とは、多数決。
ゆえに、この時点で、涼羽の敗北は決まってしまったようなようなもの。
「涼羽…娘の羽月ばかりか、息子のお前までこんなに可愛くて…お父さんはうれしいぞ」
「お、お父さん…俺、男なんだから…」
「あ~、こんなに可愛い子供達を嫁にやるなんて、絶対にしたくないな」
「!だからお父さん!俺は男だって!」
「そうだよ!お兄ちゃんは、わたしがお嫁さんにもらうんだから!だから、誰にもあげないの!」
「!羽月!何言ってるの!」
「そうかそうか!涼羽は羽月のお嫁さんになるのか!それはいいな!」
「そうなの!お兄ちゃんは、わたしのお嫁さんになるの!」
「!ちょっと、二人して何言ってるの!」
「涼羽…どうせなら、お父さんのお嫁さんにもなってくれないか?」
「!お父さん!」
あまりにも可愛らしい息子と娘に、もうすっかりデレデレの翔羽。
最愛の妻が遺してくれた忘れ形見達の可愛らしさ。
今までずっと離れ離れだった分、余計に膨れ上がってくる愛情。
羽月も、涼羽を介することで、翔羽との間が少しずつ近くなっていっている。
これからは、親子三人で暮らすことになる高宮家。
こんな風に騒がしくも、微笑ましい…
そんな日常になることを願って、親子三人が寄り添いあっていく。
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