第31話 そんなことしちゃ、だめ。
「りょ~おちゃん♪」
「涼羽ちゃん♪」
「涼羽ちゃ~ん♪」
このご時勢に不似合いな、古めかしい木造校舎の中。
誰もが憂鬱になるであろう、週明けの月曜日。
そんな校舎の中の一つの教室。
ただひたすらに、その中にいる生徒達の目を疑う光景が展開され続けている。
クラス内だけでなく、校内でも人気の美少女として認定されている、一人の少女。
その少女の、先週までには決して見られなかった、心底幸せそうなふにゃりとした笑顔。
そして、その顔で、とある人物を呼びかける、甘い声。
さらには、声をかけるだけでなく、常にその人物の身体にべったりと抱きついている。
その少女――――柊 美鈴――――は、もう全身で、その人物にその好意をアピールしているようにしか見えない状態だ。
「…うう…」
そんな美鈴の様子とは対照的に、ずっとそんな風にされているためか、心底恥ずかしい、とでも言わんばかりに顔を赤らめ、普段でも表情の分かりづらい顔を俯けさせて、隠してしまっている。
もうその雰囲気が、『勘弁してくれ』と言わんばかりの状態になってしまっている。
人の目を惹く美少女である美鈴にそんなことをされてしまっているため、どうしても自分まで注目を浴びてしまう。
そのことが、この少年の精神をガリガリと削ることとなっている。
その当事者である少年――――高宮 涼羽――――は、この日ずっと羞恥に俯くことしかできないでいる状態なのだ。
そのため、普段の研ぎ澄まされた刃のような…
周囲にとっつきづらいとされる雰囲気が嘘のように消えており…
どこかしら庇護欲を刺激する、儚げな雰囲気に満ち溢れている。
さすがに、これまでずっと抜き身の刃のような雰囲気に満ち溢れた涼羽を見てきたクラスメイト達も、そうそう涼羽に近づいていくことはない。
しかし、周囲から見ていて、これまでと明らかに雰囲気の違う涼羽に、興味の視線を向けている者は、決して少なくはなかった。
野暮ったい前髪のおかげで、細かい表情の動きまで見えることはないものの…
これまで見せることのなかった、あの高宮 涼羽の羞恥に耐える姿。
そんな涼羽の姿に、何人かの女子生徒は…
「…ねえ。今日の高宮君って…」
「なんだか、すっごく可愛い感じがするよね?」
「うん…それも…」
「すっごく、恥ずかしがらせたくなる…そんな感じが…」
…と、まさに先週の美鈴と同じような状態になりつつある。
授業中は、いつも通り。
無愛想に見えて、人一倍真面目に勉強に取り組んでいる涼羽。
しかし、休み時間ごとに美鈴にべったりとされ…
名前を呼ばれる度にビクリとその小柄な身体を震わせ…
べったりとされるごとにその頬を赤らめ…
同性とのスキンシップのように、気軽に、親しげに抱きついている美鈴。
そんな風に抱きつかれて、おたおたしながらも結局どうすることもできずに恥らう涼羽。
これまで決して見ることのなかった光景に興味を沸かせているのはクラスメイトだけではなく…
他の教室から他のクラスの生徒までもがわざわざそれを見に来る始末。
お気に入りのぬいぐるみにもふもふするかのように涼羽に抱きついている美鈴の、それはもう幸せそうな顔。
それを見て、他の女子生徒は思う。
――――高宮君って、そんなに抱き心地いいのかな?――――
と。
実際、顔の造詣の方は野暮ったい前髪のおかげではっきりとはしないが…
幼い感じの色濃い、童顔であろう輪郭。
全体的に女子のような丸みを帯びた、華奢で小柄な身体つき。
これまでは、涼羽の発する人を寄せ付けない雰囲気により、ちゃんと見ることのできなかったところ。
今は、その雰囲気(フィルター)がなくなっていることにより…
おそらく初めて、ちゃんと涼羽の特徴といったところまで見ることができているだろう。
そんなことが繰り返されていることもあり、何人かの女子生徒の、涼羽に対する興味はじょじょに膨れ上がっている。
特に、美鈴の性格を熟知しているとも言える、美鈴の友人達を中心に。
そんな周囲の状況など気にも留めることもなく、ただひたすら、美鈴は涼羽にべったりとし続け…
涼羽は、そんな美鈴をどうすることもできずに、ただ羞恥に耐え、その精神をガリガリと削られ続けている。
――――
「えへへ~♪」
ちょうど食事時となる昼休み。
心底嬉しそうな表情の美鈴。
その美鈴の左手に握られているのは、彼女が今最も好意を抱いている、かの少年の右手。
「み、美鈴ちゃん?」
当の少年である涼羽は、美鈴の行動の意図が分からず、意識は混乱の渦に飲まれている。
そして、その状態が顔にまで表われており、あきらかに困惑している表情となっている。
昼休みを伝えるチャイムが校舎内に鳴り響いた瞬間…
美鈴は、食事にしようと弁当を手にしていた涼羽の手を取ると…
すぐさまその勢いで涼羽の手を引っ張りながら教室を飛び出した。
周囲の人間が呆然とする中、瞬く間に二人の姿が消えたと言えば、いかに電光石火の早業だったことがわかるだろう。
そうして、無理やりに涼羽の手を引っ張り、連れてきたのは、校舎と同様に古ぼけた様相の体育倉庫。
外側の見た目と違い、思いのほか整理、そして清掃がなされている体育倉庫の中。
その中で、年頃の男女が二人っきりになっている。
「涼羽ちゃん♪」
混乱状態の涼羽の身体に、べったりと自らの身体を預けるかのように抱きついてくる美鈴。
その勢いで、涼羽の身体を、そこに敷かれているマットの上に押し倒してしまう。
「!わっ!」
どさり、と音を立てて、涼羽の身体がマットの上に横たわる。
そして、その上に美鈴の身体が、覆いかぶさるかのように降りてくる。
この体育倉庫は一方向へのスライド式の扉がひとつだけ、となっている。
そのため、扉をつっかえ棒で抑えて鍵をかけてしまえば、倉庫自体が完全な密室となってしまう。
そして、美鈴も当然のようにこの倉庫を密室の状態にしてしまっている。
つまり、何があっても外からの干渉はできない、ということになる。
いわば、完全に二人だけの世界。
その状況を心底望んでいたであろう美鈴の表情。
鼻と鼻がくっつくほどの至近距離まで涼羽に迫っている彼女の表情は、幸せに満ち溢れていることを示していた。
「えへへ♪涼羽ちゃんと二人っきり♪」
「み、美鈴ちゃん…だめだよ」
「?なにが?」
「ここって、勝手に入っちゃだめでしょ?」
「?別にいいじゃない」
「いや、よくないってば。そもそも、なんで鍵持ってたの?」
「え?さっき体育があった時に返さずに持ってたの」
「!ちょ、な、なにして…」
「え?だって涼羽ちゃんと二人っきりになりたかったから」
完全に確信犯だったと言える美鈴の行動に、驚きを隠せない涼羽。
美鈴は、昼休みに涼羽をここに連れ込むつもりで、この体育倉庫の鍵を返さずにいた、ということになる。
普段は模範的な生徒と言える美鈴のそんな行動。
そんな美鈴のあっけらかんとした返答。
涼羽は、美鈴に押し倒されて覆いかぶされているこの状況にも関わらず、『お母さん』モードが発動する。
「美鈴ちゃん。こんなことしちゃだめ」
「?涼羽ちゃん?」
「体育倉庫の鍵なんて持ったままにしてたら、次に使う人が困るでしょ?」
「え?で、でも涼羽ちゃんと二人っきりになりたかったから…」
涼羽の雰囲気が変わったことに、今度は美鈴が困惑を見せる番となる。
そんな美鈴に押し倒されたまま、涼羽は言葉を紡ぐ。
「俺、人の迷惑を考えない美鈴ちゃんって嫌いだよ」
今の美鈴にとって、決して聞きたくないその言葉。
それが耳に届いた途端、美鈴の身体が震え上がる。
「!え…りょ、涼羽ちゃん!?」
その幸せに満ちた表情も、美しく咲いた花が萎れるかのように曇ってしまう。
「こんなことするなら、俺もう美鈴ちゃんと学校で関わらないようにする」
「!やっ!そんなの、いや!」
「だめ。美鈴ちゃんが、こんな悪いことする子だなんて思わなかった。だから、もう知らない」
「!ご、ごめんなさい!」
容赦なく紡がれる涼羽のお叱りの言葉。
その言葉に、美鈴の口から、ついに謝罪の言葉が飛び出してくる。
「ごめんなさい…もうこんなことしないから、だから…」
「…だから?」
「私と関わらないようにする、なんて言わないで…」
「………」
「お願い…」
美鈴の大きくくりっとした目から、涙が滲んできている。
涼羽に突き放される、ということは、今の美鈴にとっては死刑宣告に等しいことなのだ。
だから、悲しくて悲しくてたまらない。
だから、苦しくて苦しくてたまらない。
涙をぽたぽたと零しながら、必死の想いで涼羽に懇願する美鈴。
そんな美鈴に、涼羽はひとつため息をつき、言葉を発する。
「…もうこんなこと、しない?」
その言葉を紡ぐ涼羽の表情は、美鈴が大好きなあの慈愛と優しさに満ちた笑顔。
声にも、その優しさが表われている。
「!うん!」
「こんなことしたら、学校に迷惑かけちゃうから。もうしちゃだめだよ?」
「!うん!」
「わかった?」
「うん!」
溢れる涙を拭う事もせず、涼羽の言葉に首を縦に振り続ける美鈴。
涼羽に嫌われること。
今の美鈴にとって、絶対にあってはならない…
絶望そのものと言えること。
だから、必死に涼羽の言葉に答える。
「…じゃあ、後でちゃんと倉庫の鍵は返してくること」
「!はい!」
「それと、もう無断で鍵を持ち出すなんてしないこと」
「はい!」
「…じゃあ、おいで」
「!涼羽ちゃん!」
マットに身体を横たわらせたままの涼羽の、許しの言葉。
その言葉と同時に、美鈴の身体が涼羽の身体にべったりと抱きついてくる。
自分にべったりと抱きついてきた美鈴の身体をそっと抱きしめ…
その頭を優しく撫でてあげる涼羽。
「!涼羽ちゃん、涼羽ちゃん…」
その慈愛と包容力に満ちた、優しい温かさ。
それが嬉しくて、幼い子供のように、べったりと抱きついてくる美鈴。
「よしよし…」
そんな美鈴が可愛いのか、慈愛の女神のような笑顔になってしまう涼羽。
とろけるように甘い抱擁に、甘やかし。
ここにいるのは、年頃の同年代の男女のはずなのに…
雰囲気は、母と幼子そのもの。
「涼羽ちゃん、大好き…」
危うく色事になりそうなこの状況で、色事と無縁なこの雰囲気。
この甘やかな空間は、少しの間続くこととなった。
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