第30話 じ、事件だ…

結局、目が覚めてからもべったりと甘えてくる羽月、美鈴。

それを、どうにかなだめつつ振り切りながら、その朝の食事を作ることになった涼羽だった。


美鈴は、次の日の夕食が終わるまでしっかりと居続け…

大好きな料理を、大好きな涼羽のそばで手伝う形でしっかりと教わることができた。


高宮家を出る際、それはもう名残惜しそうな…

というよりも、ぶっちゃけ『帰りたくない』発言まで飛び出し…

それを涼羽がどうにかなだめて、ようやく帰路に着くまでに至った。


そして、その後も大変だった。


いつもなら独り占めすることができていた兄の甘やかし。

それが、美鈴がいたことで物足りなさを感じてしまっていたせいか…

いつも通り二人になってからは、いつも以上にべったりと甘えてくる羽月。


大好きな兄の胸の中で、ひたすら心地よく甘えながらべったりとくっついてくる始末。


特に友達と遊ぶなど、外出の予定もなかったので、一日中べったりと兄にくっついていた羽月。

涼羽も、このあまりにも甘えん坊な妹の姿に、さすがに苦笑いを隠せなかった。


しかし、それでも普段から当たり前のようにそんな妹の相手をしていることもあり…

日々の日課としている掃除、洗濯などを進めながらも…

べったりと甘えてくる羽月を優しく甘やかしていた。


そんなこんなで、何かといろいろあった週末。


そして、この機を境に、涼羽の学校生活にも変化が見られることとなる。




――――




「りょ~おちゃん♪おはよ~」

「!!??」


美鈴が涼羽の家に泊まってからの週明け。

おそらく多くの人にとって、気だるく、憂鬱になるであろう月曜の登校。


実際、その古ぼけた校舎に入っていく生徒達の足取りが、それを物語るかのように重かった。


そんな中、まるでそんな気だるさを感じさせない、軽やかな足取り。

そして、心底嬉しそうな笑顔。


それらを見せつつ、どこか甘さも含めた声を、目の前の人物に向け…


そのまま、その勢いでべったりと抱きついていった。


校内でも人気の美少女である柊 美鈴のそんな姿。


周囲が、休みボケでいまいち目覚めきれていなかった脳を覚醒させ、驚きに満ちる。


美鈴のそんな姿に驚かされた、といえばそうなのだが…

その甘い声を向けた人物…

そして、そのままの勢いでべったりと抱きついていった人物…


それが、あの高宮 涼羽だということが。


周囲に多大な驚愕とどよめきを生むこととなっている。


野暮ったい前髪に隠れて表情が読めず、いまいち何を考えているのか分からない。

雰囲気自体が、研ぎ澄まされた刃のように鋭く、近寄りがたい。

いつも一人でいるので、正直どう関わっていいのか全く分からない。


そんな、とっつきづらさにおいては校内一は間違いないだろうと言える人物。


そんな涼羽に、あの柊 美鈴がとても嬉しそうな顔をしてべったりと抱きついている。


事件だ。


目の前で、まさに不可解な事件が起きている。


その事件の成り行きを、ただ足を教室に向け動かすことも忘れて見入っている周囲の生徒達。


「ちょ、ちょっと…」


周囲の生徒達には、まるで珍種でも発見したかのような驚愕を招いたこの光景。


しかし、それ以上に驚愕を覚え…

ただ今、その思考を混乱の渦に落としてしまっているのは、当の抱きつかれた本人。


高宮 涼羽その人である。


周囲の視線を独占するかのように集めているこの状況。

目立つことが何より嫌いな涼羽が、この状況に耐えられるはずもなく。

その頬をすぐに羞恥に染め、か弱く、儚い抵抗。


しかし、その事件を引き起こした当の本人はこの状況を意にも介することなどなく。

羞恥に頬を染め、俯いてしまっている涼羽にべったりと抱きついている。


「えへへ♪涼羽ちゃん可愛い♪」


あの高宮家で過ごした時間のおかげで、涼羽の魅力を思う存分に知ることのできた美鈴。

今もこうして恥ずかしがっているその姿。


それを目の当たりにして、ますますその声が弾む。

ますます、涼羽を抱きしめる両腕に力が入る。


「え?なに?」

「あの二人、最近よく話してるとは思ってたけど…」

「な、なんであの高宮が、柊さんにあんなにべったりとされてるんだ?」

「それに、呼び方まで変わってない?」


そんな二人のやりとりに、周囲から驚きの声が漏れ始める。


確かに、美鈴の方から涼羽にちょくちょくと話しかける光景はよく見てはいたが…

それでも、ただ美鈴の一方通行な感じが否めなかった。


どこかまだよそよそしい感じが強かったのが、つい先週までのこと。


それが、週が明けて来てみたら、こうなっているではないか。


まさに、この週末の間にいったい何があったんだ。


そう思わずにはいられないほどの光景だろう。


「ひ、柊さん…離れて…」

「!ちょっと!なんでそんな呼び方するの?」

「え?」


羞恥をこらえ、どうにか美鈴に離れるように促す涼羽の声。

その声が美鈴に届いたと思ったら、いきなりの抗議の声。


その強い声に、涼羽の混乱がますます深まっていく。


「私のことも、名前で呼んでっていったでしょ?」

「!あ、あれは…」

「だめ。あの時だけだなんて許さない」

「い、いや、ここ学校だし…」

「だあめ。ちゃんと名前で呼んで」


抗議の要因は、涼羽が美鈴を姓で呼んだこと。

高宮家でのやりとりでは、お互いに名前呼びになっていたこともあり、美鈴にとってはそれが当然という意識だったのだ。


しかし、涼羽はその時だけのやりとりとし、学校ではさすがにそう呼ぶことはできないと思っていた。


そうした二人の意識の違いが、この状況を生んでしまっていたのだ。


だが、美鈴からすれば今更あんな他人行儀な呼び方をされることなど、許容できるはずもなく。

絶対に名前で呼んで欲しい。

それ以外は認めない。


美鈴としては、まさにそんな意識なのだ。


幸い、顔と顔がお互い目の前まで来ている状態なので、会話自体は小さなささやき程度の声でもできている。

美鈴の方は隠すつもりもないためか、普通に聞こえる声でしゃべっているが。


涼羽の方は、絶対にこんな会話を周囲に聞かれたくないということもあり、必然的に小声になってしまっている。


そのおかげか、涼羽の声が周囲に聞こえていることはないようだ。


「だ、だから時と場所っていうのが…」

「だめ」

「み、みんな見てるから…」

「だあめ」


涼羽が逃げの一手を打てば打つほど、美鈴の顔に表われている不機嫌さの色が濃くなっていく。

それも、もうすぐで唇と唇が触れてしまいそうなほどの距離まで近づいてしまっている。


年頃の男女が、こんな人の目を集めてしまうようなところでそんな距離で会話しているのだ。

周囲から見れば、どう見てもイチャついているようにしか見えない。


「…美鈴って、高宮君のことが好きだったのかしら?」

「でも、先週まではどこか距離があったよね?」

「でも今は、あんな距離で…」

「は、恥ずかしくないのかな?」


美鈴と親交のある友人達も、美鈴の行動に驚きを隠せない。


先週までの涼羽と美鈴のやりとりを目の当たりにしてはいたのだが…

それでも、あの時はまだ距離感があり、とてもこんなことをするようには見えなかった。


それが、突然こうなってしまっている。


その急激な変化。


一体、自分達の知らない間に何があったのか。


そんな、知る由もないことを考え…

ひたすらにべったりと涼羽に詰め寄る友人を、うっすらと頬を染めながら見つめている。


そして、その間も、涼羽の精神を削られるこのやりとりは続いている。


「ほら、早く呼んで」

「だ、だから…」

「だめ。もうそれ以外の呼び方なんて、絶対に許さないから」

「う、うう…」


こんな可愛い女の子から、こんなにもべったりとされ…

こんなにも迫られているこの光景。


周囲の男子からすれば、憧れであり、好みの異性として筆頭に上がってくる柊 美鈴。

その美鈴の、そんな姿。


間違いなく、自分達が憧れているシチュエーションである。

そう、断言できる男子生徒達だった。


しかし、当の迫られている本人。

そういった下心的なものがない涼羽からすれば、この状況はある種の拷問にも等しいものがあった。


声を大にしていいたくなる。


誰か代わってくれ、と。


「ほら、早く」

「うう…」

「早く呼んでくれないと、寂しくってここでちゅーしちゃうから」


なかなか自分の望む言葉を音にしてくれない涼羽に痺れを切らしたのか。

美鈴から、とんでもない爆弾が落とされる。


「!!」


冗談じゃない。

こんなところでそんなこと…


高宮家で、幾度となく行われた、あの甘やかなやりとり。


あれは、人目がないこともあり、とりあえずはいいかと、自分に言い聞かせていたこともあったから許容できたこと。


あんなことを、今、この人目でバリケードを作られているようなこの状況で。


絶対に、嫌だ。

もしそんなことになってしまったら、自分はもう絶対にこの学校に来れないと断言できる。


根本的に重度の恥ずかしがりやな涼羽。

その涼羽が、こんな羞恥に身を焦がされるに等しい状況を許容できるはずもない。


「ほら、早く」


そんな思考に溺れている間にも、死刑宣告を突きつけるかのような声が届く。

美鈴が、心底痺れを切らして、投下した爆弾を爆発させようとしている。


もう、その唇が今か今かと、自分の方に迫ろうとしているではないか。


いけない。

もう、事は一刻を争う状況だ。


さすがに、名前呼びと公開状況でのキスでは、まだ名前呼びの方がマシだと。


「わ、分かったから…」

「!ホラ、早く早く」

「…み、美鈴ちゃん…」


羞恥に頬を染めながらも、ようやく美鈴の望むものを音にできた涼羽。

これだけでも、今すぐこの場から逃げ出したくなるほどの羞恥なのだ。


もしこの場でキスなんかされてたら…


考えたくもない。


そんなことを考えている涼羽をよそに、当の美鈴は…


「えへへ~♪」


先程までの不機嫌さが嘘のような笑顔に。

作り物などではない、心からの笑顔。


そんな笑顔が、周囲の目を奪う。


「う、うわ~…」

「すっげー可愛い…柊さん…」

「なんだよあの笑顔…」

「くっそ可愛いんだけど」


周囲の男子生徒達から、漏れ出す声。


彼らに思わずそんな声を漏れ出させてしまうほどに、今の美鈴は可愛らしかった。


「涼羽ちゃん♪大好き♪」

「!み、美鈴ちゃん…」


ようやく自分の望みを叶えてくれた、大好きな人物。

その人物である涼羽に、よりべったりと抱きつく。


まるで、もう絶対に離さないといわんばかりに。


そして、そんな美鈴にたじたじで、どうすることもできない涼羽。


とても、休みボケなどしていられない、そんな朝の出来事だった。

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