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 朝食を終え、績も出る準備をしていた。いつものようにメイドに車の用意ができたと、言われると績はこう言った。


「今日は歩いていく」


 メイドは少し下げていた頭を上げると、驚くように績の顔を見た。


「しかし、学校までは少しあります。歩かせるわけには・・・・・・」

「大丈夫、心配いらないよ」


 メイドは困った顔を覗かせてから、かしこまりましたと、頭をもう一度下げた。


「行ってきます」

「お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 績は屋敷を後にした。今日は三月なのにいつもより肌寒かった。この季節になると人工的に咲かせている桜の木が行く先に広がっている。満開に咲く桜はそれはなんとも素晴らしいものだった。しかし、績には人工的に咲く鮮やかすぎる花たちに違和感しか覚えなかった。花びらがヒラヒラと落ちる高校までの道のりを績はゆっくり歩いた。黒い手袋を外すと、ひんやりとした空気が伝わってきた。


 ――冷たい――――――


 績は思い出していた。


 績がここに来た日。お風呂から出て今まで感じたことがないポカポカと全身が温かく包まれ、満たされていく感覚に戸惑いを覚えた。なぜ、自分はここにいるのか。こんな思いをしていいのか。空縫やVENNYに住んでいる人達のことを考えると、罪悪感を覚えさせる。績は頭を振りバスローブを着て浴室を出た。


「績様、次はお部屋にご案内いたします」


 メイドはそう言うと、また先を歩き出した。績は言われるがまま後を付いていった。大きな階段を使って二階に上がり。突き当りを左に行くと、あるドアの前でメイドは足を止めた。


「こちらでございます」


 メイドは木のドアを開けると、そこには天蓋の付いた大きなベッドに白いシーツ、暖かそうなシルク製の生地に羽毛のたくさん入った布団があり、高級感のある木の机と暖かそうなカーペットが敷かれ大きなクローゼットがあった。


「すごい・・・・・・」

「今日からここが績様のお部屋になります」

「僕の!?」

「はい、そう伺っております。お洋服ですが、こちらにご用意させていただきましたので、どうぞお着換えください」


 見るとハンガー掛けに洋服が一式用意されていた。


「では、私はこれで」


 すべて伝えると、メイドはドアを閉め出ていった。


 績は小さくため息を付くと、壁一面に広がる大きな窓ガラスへ近づいた。窓の外は大きなベランダへと繋がっている。ドアを開けるとまだ肌寒い風が績を包み込んだ。火照った頬がスッと消え、爽やかに績の身体を冷ました。こんな感覚も初めてだった。いつも、身体が冷え、冬は全身が氷つくように固くなり小刻みに震えていたのだ。手はガサガサで白くなり、指先は切れ、痛みが絶えなかった。そんな寒いことが苦痛でしかなかった今までと違い。こんな、冷たくて気持ちいいという初めての感覚に後ろめたさも感じた。


 丘の上に立つ住宅街からはLASの都心部を一望できた。キラキラと夜景が宝石箱のように輝いていた。そして、その先の小さく見える光のない暗い場所にVENNYが存在している。績の胸にぐさりと刃物が刺さったかのように痛みだした。


 ベランダを後にして部屋に戻ると用意されていた服に着替え、績は一階へ降りた。すると、使用人が績を待っていた。


「績様、峡様がお帰りになられました。どうぞこちらへ」


 使用人はニコリといつもの表情を一瞬浮かばせた。


 リビングルームに招かれると、そこには暖炉があり座り心地が良さそうなソファーがあった。どの部屋にも言えるが一級品と言えそうな小物や飾りものがあちこちに置かれてある。暖炉の方を向いて立っていた一人の男が績が入るや否かこちらを振り向いた。


「おお!! 君が績君だね。よく来てくれた」


 その男は績を見て万遍の笑顔を見せた。しかし、績は警戒心しかわかなかった。顔も見たこともない男が自分をみてこんなにも喜んでいる。それが理解できなかった。


「まぁ、座ってくれ。いろいろ話そう」


 ソファーに手をさし出され、績は仕方なくそこへ座ると男から目を背けた。


「績って呼んでもいいかな?」


 突然その男は了承を求めてきた。


「はい・・・・・・」

「良かった。私のことは・・・・・・まぁ突然お父さんとか言えないだろうし。んー・・・・・・困ったな」

 

 男は困ったようにはにかんだ。


「峡さんですよね・・・・・・」

「あ、そうだ。会ってから自己紹介がまだだったな。すまない。私は、ここの家主の蒼子 峡だ。君のお母さんである緋莉の恋人だった。そして、君の・・・・・・!?」


 績は急に立ち上がった。強く握っていたこぶしは少し震えている。


「あの・・・・・・僕は・・・・・・」


 峡は悟ったようにこう言った。


「帰りたいのか?」


 績は峡を真っ直ぐに見た。


「・・・・・・」


 績はいろんな思いが頭によぎった。ややあって、峡は立ち上がると暖炉の方を見てこう言った。


「そうか・・・・・・まぁ、そう思われても仕方ない。突然こんなことになって、動揺しているんだろう。でも、これだけはわかってほしい。績を助けたいんだ。お前を守っていきたい」


 峡は績の方を向くと、優しく微笑んだ。その表情に嘘はないように思えた。績は少しその表情を見て安心に近い気持ちが沸きあがった。ただ、どうしても績の脳裏に空縫の顔が消えずにいた。

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