2
「とりあえず落ち着くんだ!」
今にも暴れそうな光を空縫は必死に静めた。
「俺はまだ死にたくねぇ・・・・・・助けてくれ・・・・・・お願いだ」
「ああ、分かった。だからとりあえず、血を洗うんだ。タオル持ってくる」
自分を抱きしめるように光は小さく蹲り、恐怖に怯えていた。空縫はすぐさま濡らしたタオルを持っていき、光の口元に付いた血を拭いてやった。床に吐かれた血も綺麗に拭き取り、服も着替えさせた。
「なぁ、さっきの話。お前を殺そうとしてるって」
「ああ・・・・・・絶対そうだ。あの女、自分に毒でも盛ってるのかもしれない。俺を恐怖に陥れてから自分も死んで俺も殺す気なんだ・・・・・・」
「ただ、お前には見覚えがないんだろ? なのになぜ恨まれなきゃならない」
「そこなんだ・・・・・・」
「昔になにかなかったのか? 忘れてるだけでなにかきっとある筈だ」
光は目を強く瞑り、眉間にシワを寄せた。必死に過去を探るように記憶を辿る。
「はっ!」
光は突然目を大きく見開き身体を硬直させた。時間が止まったかのように光の表情は動かなかった。
「どうした? なにか思い出したのか?」
「もしかしたら、あの時の・・・・・・」
「あの時?」
「ああ・・・・・・もう、だいぶ前の事だ」
光は頭を上げてその時の出来事を話し始めた。
「俺がまだ7歳の時だ。その日は稀に見る大きな台風だった。警報も出てて、みんな避難していた。暴風でどこかに捕まってなきゃ飛ばされそうなくらい強い風で、土砂崩れが起こっていたし、木も倒れ家も流されていた。俺もその時、必死に避難場所へ向かっていたんだ。だがその途中、荒れた川に姉弟らしい子供が2人居たんだ。女のほうは少し俺より年上に見えた。弟らしい子が、川に流されてて必死で倒れた木の枝に捕まっていたんだ。俺はそれを見て目を丸くした。助けなきゃと思った。でも・・・・・・その時どうしても足が竦んで動けなかったんだ。女がこっちに気づいて、助けてくださいって俺に叫んできた。でも、俺は・・・・・・怖くて、後ずさりした・・・・・・それで、そのままそこを逃げるように立ち去ってしまったんだ。後ろを振り返ると、女はこっちをじっと見てた。それからは分からない。あの二人がどうなったのかも・・・・・・俺は見捨てたんだ・・・・・・。すっかり大人びてて気が付かなかったが、もしかしたらその時の女だったのかもしれない・・・・・・クソッ!! なんてことだ・・・・・・俺は・・・・・・俺は・・・・・・!!」
「光・・・・・・」
空縫は頭を抱えて項垂れる光の肩に手を置いた。垂れた髪で表情は見えなかったが、床には涙がポタポタと落ちていた。
「そんな自分を責めるな。台風の中、7歳だったお前がそんな場面に遭遇して足が竦まないわけないさ。怖くて普通さ。だから、そんな自分を責めたりするな。大丈夫だ。きっとなんとかする。とりあえずその女を見つけ出さないと。居場所は分からないんだよな?」
「ああ・・・・・・」
「そうか。まぁ、とりあえず、今日はゆっくり休め」
「でも、今日ここを出て行くつもりだったし、あいつは俺のこと嫌ってる」
「あいつ? ああ、績のことか。まぁ、大丈夫だ。績には俺からちゃんと言っとく」
「でもよ・・・・・・」
「こんな状態で放り出すことなんて出来ない。身体のことも心配だ」
「お前・・・・・・本当にお人好しだよな・・・・・・ありがとう」
光は素直に言えない言葉に少し嫌味を混ぜてそう言った。
今日は蒸し暑かった。太陽の日差しが地面を刺すように痛い。夕方になり日差しも緩む頃に績が仕事から帰ってきた。いつもの様に小屋のドアを開けて入ってくる。
「ただいま」
「おかえり」
そこには空縫の姿と横になっている光の姿が見えた。
「空縫! こいつ未だいるのかよ! ちゃんと言ってくれたんじゃ」
「しー!」
空縫は大きな声を出す績に対し口元に人差し指を立てた。
「すまん。ちょっと訳があって、これからここに住ませることになった」
「嘘だろ!? マジかよ! こんな泥棒なんで置いとくんだよ」
「だから、訳があるんだって。これから話すからちょっとそこへ座ってくれないか」
空縫は椅子を指差すと績はその椅子に少し乱暴に座った。顔を見ると明らかに機嫌が悪そうだ。空縫は一回大きく咳払いをすると、さっきあった一部始終を績に話した。
「そんなことが・・・・・・」
「ああ、だから解決するまでこいつはここに居させたい。こんな状態で一人にさせられないしな」
「うん、あとはその女の居場所をどうにかしてつきとめないとね」
「それが一番の問題だよな。当の本人は何もわからないときたし・・・・・・」
二人は悩ましい顔を浮かべながら眠っている光の方を見た。
妙は沈黙が小屋の中を圧迫するように続いた。空縫はその妙な空気を入れ換えようと、唐突に話を変えてきた。
「今日はどうだった」
「特に何も。いつもと変わらないよ」
「そうか」
話が終わってしまった。するとまた妙な空気が漂う。居心地悪そうに空縫は頭を掻く。
「そういえば、お前、あれからピアノ引いてないな」
空縫はまたするりと話を変えて績に声をかける。
「ああ、空縫が辛そうだったから」
「あの時は本当にすまなかった。妹の事思い出しちまって、取り乱した・・・・・・」
「いいんだ。分かってるから」
「あのよ・・・・・・」
ふと少し空縫は照れくさそうに績から目を逸らすとこう言った。
「ピアノ、また引けよ」
「え、でも」
「俺のことはもう気にしなくていい。俺も乗り越えなきゃいけないんだ。前に進まないといけない」
「空縫・・・・・・無理してないか?」
「無理なんてしてないさ。大丈夫だ。こんなこと言うとおかしいんだけどよ。また、お前のピアノが聞きたいんだ」
空縫はずっと思っていた気持ちを素直に伝え、績にはにかむように微笑んだ。
「・・・・・・ありがとう、空縫」
績もそんな空縫の目をしっかり見て微笑み返した。
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