第三章 憂虞
1
「母さん行ってきます」
績は緋璃の遺骨が入った瓶に向けて、目を瞑り両手を合わせて小さくそう言った。伊佐地から貰った白い花が儚げに瓶の横に添えられている。
績は緋璃に挨拶を済ませると外に出た。
「空縫? 仕事に行ってくるね」
空縫はいつもの日課で菜園に水やりをしていた。外はもうだいぶ暖かくなっていた。そういえば、もう6月になる。あの日、施設で出会った日からもう半年も経とうとしてる。その間、目まぐるしく色々なことがあった。ほとんど辛いことだけが思い返されるが、その中でも楽しいことや幸せなこともあった。小さな幸せかもしれないが、それでも自分達にはかけがえの無いものだった。
「おう、頑張ってな」
野菜に水をかける隙間からは小さな虹がかかっていた。空縫は遠くから績の顔を一瞥する。すると、小屋の方を横目で見ながら、顔をしかめている。
「あいつ、まだ寝てるけどどうする?」
「ああ、お前が仕事から帰ってくるまでに俺がなんとかしとくわ!」
績は不満げな表情を覗かせながらも頷き、仕事へ向かっていった。
空縫は菜園のメンテナンスを終えると小屋に戻った。そして、未だ寝ている光に大きな声を上げる。
「おーい! まだ寝てるのか?? いい加減起きたらどうだ!」
夜がその大きな声にピクッと身体を起こした。
「うるせぇな・・・・・・俺の行動時間は夜なんだ。昼間はいつも寝てる」
「泥棒するなら夜が目立たないしな!」
空縫は鼻の先で笑うように光に毒づいた。すると、光は一気に上半身を起こし、空縫を睨めつけた。髪には少し寝癖が付いていた。光はむくんだ顔をしかめる。
「はいはい、分かったよ。もう出てくから」
光はぞんざいな口調でそう言うと、髪を指で適当にとかし、そのまま小屋を出ていこうとする。
「待て。昨日のこと詳しく教えろ」
「は? 昨日のこと?」
「そうだ、お前のエニシのことさ」
「なんでお前なんかに話さなきゃならないんだ? 別に関係ねぇだろ」
光はまるで唾を吐くように言い、空縫にがんを飛ばす。
「まぁ関係ないな。でもな、俺も大事な人を探しているんだ。だから、なんつーか人事じゃないっつーか、放っておけないんだ」
「お前も誰か探してるのか」
「ああ、だから聞かせてくれ。助けになりたい」
「はん! お前、お人好しもいいことだな。昨日合ったばかりの誰かもわからない俺を助けたい? しかも俺は泥棒を働いた奴だぞ? 笑っちまうね」
「泥棒はいけないことだ。でも、お前は飢えていた。それに、この土地で子供一人生きていくには、時には道を外す事だったある。だから大目にみた」
「大人なこった! お前いくつだよ。俺の親父か? 偉そうに。大して年も変わらねぇだろ」
「お前は子供だな」
「うるせっ!! 喧嘩売ってんのか?」
光は吠えるように空縫に向けて声を張り上げた。
「なにをそんな怯えてるんだ? まるで野良犬みたいだな」
「マジで、キレたわ!」
光は空縫の顔を目掛けて拳を上げた。しかし空縫はそれをするりと避け、慣れた手つきで光の腹を拳で強く突いた。その動きはとても鮮やかだった。光は腹を押さえ床に蹲った。
「クソ野郎・・・・・・」
「なぁ、いい加減素直になったらどうだ?」
「素直ってなんだよ!」
「素直に助けてくれって言えばいいんだ」
「・・・・・・」
光は黙った。こんな仕打ちは初めてだ。でも、今やり合った所で空縫には勝てそうにない。そう思うと一気に悔しさが込み上げ、思わず唇を強く噛んだ。血の味がした。そして、光は舌打ちをすると投げやりな口調で助けてくれと小さく空縫に言った。
「素直でよろしい」
「うるせぇぞ・・・・・・」
空縫は蹲る光を起こしてやると、椅子に座らせ水を飲ませた。そして、改めて昨日の話を光に振った。
「んで、お前のエニシとは施設で会ったきりなのか?」
「・・・・・・ああ。その日以来会ってない・・・・・・」
「その女とはそこで初めて会ったんだよな?」
「うん・・・・・・」
光は少し落ち着かない様子で空縫から視線を逸らした。足は小さく貧乏揺すりをしている。
「何か隠してないか?」
「・・・・・・その女。変なこと言ってた」
光の顔色がどんどん悪くなるのがわかった。
「変なこと?」
「ああ・・・・・・俺は全く知らないのに、その女。俺を知ってるって言ってた」
「お前が忘れてるだけじゃないのか?」
「・・・・・・そうかもしれない。でも、見覚えがないんだ」
「んー・・・・・・」
空縫は眉を寄せ頭を掻き、目線が斜め上を見る。光は低いトーンでそのまま話を続ける。
「ただその女の目・・・・・・」
「うん」
「すごく冷ややかだったのを覚えてる。凍りつくように俺を見ていた・・・・・・」
その目を思い出したのか光は少し身震いをし、黒目を小刻みに動かしていた。
「大丈夫か?」
「・・・・・・ああ」
光は手に持っていたコップを強く握るとその水を一気に飲み干す。そして、空になったコップがテーブルに戻されるその瞬間、光は椅子から立ち上がり、苦しそうな表情を浮かばせ、口に手を置いた。
「どうした?」
空縫は顔を歪める光を心配そうに見る。
「なんか、急に吐き気が・・・・・・うぅ、やばい」
光はそう言うと膝をガタンと落とし片手を床についた。口を覆っていた掌を見ると、視界に真っ赤な自分の血が映った。見たものが信じられなかった。
「何なんだこれ・・・・・・」
「おい! 血じゃないか! お前どこか悪いのか!?」
「まさか! ずっと体調が悪かったことなんてない。突然だ・・・・・・急にそんな」
光の手は震えていた。そして一気に表情は何かを悟ったかのように動揺が走る。
「あの女だ・・・・・・あの女が死のうとしてる」
「は? 急に何を言い出すんだ」
「あの女、妙なこと言ってたんだ。お前を許さないって・・・・・・」
「許さない?」
「そうだ・・・・・・俺のことを殺す気なんだ、絶対そうだ・・・・・・」
「まさか! 思い過ごしだろ?」
「いや、そんなんじゃない。あの女の目を見たら分かる。俺になにかとてつもない恨みでもあるようだった・・・・・・」
光は怯えたように身体を縮こませる。その姿は今にも壊れてしまいそうだった。血は床にも垂れていた。空縫にも尋常じゃないことだけは分かる。ただ、信じがたい話だが光の言葉にはなぜか説得力があった。その女のことは知らないが、なにかある気がしてならなかった。
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