7

 あれから一週間が経ち、雲で厚く覆われた表情を浮かばせる績の顔が少し晴れてきたように見えた。今朝は早く起き、績は出かける支度をしていた。


「ん? 今日はどこか行くのか?」

「ああ、仕事場に行ってくる。何も言わず1周間も休んでしまったし、きっと店長心配してる。それにこれ以上迷惑かけられないから」

「そうか、まぁ無理はするなよ。辛くなったらすぐに帰ってくればいい」

「うん。でも、もう大丈夫だ。強くならないとね」

「ああ・・・・・・」


 空縫は少し心配そうに績の顔を見る。


「平気だって! そんな心配そうな顔しないで」

「分かった。お前がそう言うなら、大丈夫なんだな。んじゃ頑張ってこい」

「うん、行ってくる」


 績はそう言うと空縫に少し微笑み小屋をあとにした。


 績はゆっくりと伊佐地のいる店へ向かった。きっとすごく心配していると思う。何も言わずに1周間も店に顔を出さなかった。今まで一度もこんな休んだことも連絡を取らなかったこともなかった。


 店に着くと裏口からそっと入る。そこには厨房で開店の準備に取り掛かっている伊佐地の後ろ姿が見えた。績は少し間を置くと、意を決して伊佐地に声をかけた。


「店長・・・・・・」


 伊佐地の持っていた包丁がパタリと止まった。


「店長ごめんなさい、1週間も連絡しないで」


 続きを言いかけるその瞬間、伊佐地は績のほうを振り向き涙を浮かばせ、勢いよく駆け寄ると績を強く抱きしめた。


「て、店長!?」

「おお!! 良かった!! お前に何かあったんじゃないかって心配してたんだぞ!! 2日前くらいにお前の家にも伺ったんだが、お前も緋璃さんも居なくてな。本当に無事で良かった・・・・・・」

「店長・・・・・・母さん・・・・・・なんだけどね」


 伊佐地は績の暗く落とした声に抱いた身体をすっと離した。


「緋璃さんがどうかしたのか?」

「1週間前に南エリアで大きな火事があったんだ」

「ああ、それは知ってる。かなりの範囲が焼かれちまったらしいな。それと何か関係があるのか?」

「上手く言えないんだけど、そこで母さんのエニシが火の中に飛び込んで、そして・・・・・・母さんは・・・・・・」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。緋璃さんは無事なのか!?」


 績は小さく横に頭を振った。肩を掴んでいた伊佐地の両手には痛いくらいの力が加わる。


「績・・・・・・まさか緋璃さんは・・・・・・」


 績が涙を浮かべると、伊佐地はすべてを悟ったように肩を掴んでいた両手の力が緩んだ。13歳の小さな顔が涙をぐっと我慢する。すると、伊佐地はまた績を強く抱き締めた。伊佐地の大きな手で頭がすっぽり覆いかぶさる。肩は少し震えていた。顔は見えなかったが伊佐地も泣いているのが分かった。


「まさかそんなことが・・・・・・績・・・・・・辛かったな・・・・・・」


 伊佐地がズルズルと鼻を啜りながら言う。


「店長・・・・・・」


 そんな伊佐地を見て績は言葉に詰まった。績は気づいていた。伊佐地は緋璃が好きだったことを。


「緋璃さんは苦しんだのか?」

「いや、きっと苦しんでない。一瞬だった」

「そうか・・・・・・クソっ!!」


 伊佐地は厨房の壁を拳で殴った。


「エニシのせいで緋璃さんは・・・・・・許せねぇ・・・・・・」


 伊佐地は怒気を帯びた顔つきになると、その感情を必死に抑え込むように額を壁に押し付けた。績はそんな伊佐地をただ見ていることしか出来なかった。


 績はその日、自分が今誰と暮らしているのか、どこに住んでいるのかを伊佐地に伝えた。


「店長、じゃぁ僕は帰ります」


 店が終わる頃、績はそう伊佐地に声をかける。


「ああ、気をつけて帰れよ」

「はい! じゃぁまた明日」

「ちょっと待て」


 績が店をあとにしようとすると伊佐地は急に引き止めた。


「今日は悪かったな。感極まっちまって・・・・・・」

「いいんです。母さんのこと思って泣いてくれて、ありがとうございます」

「んな、礼なんておかしな事言わんでくれ・・・・・・あ、そうだ。これ持っていけ」


 伊佐地は店に余った肉を績に渡した。


「こんないいんですか?」

「ああ、夜とその一緒にいる奴に食わせてやれ」

「はい、きっと喜びます!」


 績の表情が少し明るくなるのを見ると伊佐地は少しホッとしたように胸を撫で下ろす。


「じゃぁ、きいつけてな」

「はい!」


 店をあとにすると績は新しい家路に向かった。


 もう当たりは真っ暗だった。小屋に着きドアの前に来ると、急に菜園の方からガサガザと物音が聞こえた。績は気になり音のする方へ向かうと、暗い菜園の中から一瞬、逃げる人影が見えた。


「待て!!」


 績は逃げる相手を捕まえようと必死に追いかけた。その人影は野菜を抱えながら蔓に躓き倒れ込んだ。


「捕まえた! もう逃さないぞ!」

「見逃してくれ! 悪気はなかったんだ」

「盗んどいて悪気がないとかよく言うよ!」

「ごめんって! 許してくれ!」


 そんな取っ組み合いをしていると、空縫が慌てた様子で小屋から出てきた。


「どうした!? 何事だ!」

「こいつが野菜を盗んでた!」

「なんだって??」


 空縫の視界には転がった野菜が目に入る。


「こいつ!!」


 空縫は泥棒に掴みかかった。


「許してくれ! ここずっとろくなもの食ってなくて腹ペコで・・・・・・そしたらここに野菜がいっぱいあって、出来心だったんだ!」


 今にも殴りかかりそうな空縫の気迫にそいつは顔を引き攣らせる。しかしなぜかそのことを聞くと、空縫の掴んだ手はあっさりと離された。


「空縫・・・・・・?」

「そうならそうと、こんな真似しないで声かけてくればいいだろ」

「そんなこと言えるわけ・・・・・・」

「たく・・・・・・仕方ねぇな。食わせてやる」

「は・・・・・・?」


 泥棒はキョトンとした顔で空縫を見る。


「空縫! こいつは野菜を盗もうとしたんだぞ!?」

「分かってる、でも、気持ちは分かる。死ぬほど飢えてたら俺だって同じことしてると思う」

「でも・・・・・・」

「何してんだ。中入れよ」


 空縫は小屋の方に歩き出すと泥棒を呼んだ。績は不満そうな顔を浮かべながらもその泥棒と一緒に小屋へ向かった。


 績は小屋に入ると伊佐地に貰った肉を早速みせた。空縫はとても喜んでくれた。おまけにその泥棒もヨダレを垂らしながら目をキラキラ輝かせている。それから、ご飯が出来上がると、泥棒はあっという間にそれを平らげてしまった。


「君、本当にお腹空かせてたんだね」

「ああ、もう死ぬかと思うくらいにな」

「ところで、お前の名前は?」


 唐突に空縫はそいつに質問した。


「な、名前か?」

「そうだ」


 そいつは躊躇う素振りをして、少し間をとると。照れくさそうに小さく自分の名前を言った。


ひかりだ・・・・・・」

「光か、全然似合ってないな」

「何だよ! 喧嘩売ってんのか!?」


 光は眉を寄せ立ち上がった。光は背が高く身体も大きかった。でも、顔をよく見るとまだ幼い感じがした。きっと自分達と同じくらいだろう。


「つか、お前ろくなもん食ってなかったみたいだけど、いつもどうしてんだ?」

「どうせ泥棒だろ?」


 さらっと言う績の声には揶揄の響きがこもる。


「うるさい!! 仕方ねぇだろ、仕事もないし親もいない住むとこだってないんだ・・・・・・」


 光は椅子に戻ると拗ねた様子でさっきの勢いを無くしていた。そんな姿を見て二人は顔を見合わせると少し同情の念が湧き込めてきた。


「俺達も親が居ねぇんだ。で、ここで暮らしてる」

「そうなのか?」


 光は少し顔を乗り上げてくる。


「ああ、それに俺達はエニシなんだ」

「エニシ!?」


 少し驚いたように光は目を見開く。そして、ゆっくり背もたれに背中をつけるとこう言った。


「俺にもエニシがいる・・・・・・でも・・・・・・」


 なにか事情があるような表情だった。光は重たい口調で続きを話し始めた。


「施設であったっきり居場所がわからなくなったんだ。今も探してる」

「手がかりとかないのか?」

「それが全くわからねぇんだ・・・・・・施設で初めて会ったっきりだし・・・・・・全く知らない女だった」

「なるほどな・・・・・・」


 少し小屋に沈黙が流れる。夜がゴロンと横になった。


「まぁ事情は明日聞く。今日のとこは泊まっていっていいぞ」

「ほ、本当か!?」

「ああ、別に構わないさ。績が良ければだが・・・・・・」


 不意に空縫と光の視線が績の方に向けられる。その視線に績は困惑した。そして、績は荒っぽい咳払いをした。


「わ、わかった! いいよ・・・・・・」

「うお、ありがとう!!」


 光は嬉しそうな表情を浮かべ、直様ベッドに飛び込んでいった。


「いやー、ベッドとか初めてだ! 柔らけぇ」

「おい・・・・・・」


 ベッドにスリスリ顔を擦りつけている光を見て績は只々不満そうな表情を浮かべていた。


 次の日のことだった。今朝早くから客が訪ねてきた。ドアからノックする音が聞こえる。績はそっとそのドアを開けてみた。すると、そこには伊佐地が花を持って立っていた。頭と服には蜘蛛の巣と葉っぱがかかっていた。


「て、店長!! どうしたんですか!」

「いやー、績が言ったとおり来たつもりだったんだが、林の中で迷子になってな。少し手こずった。はっは」


 伊佐地は歯を見せて笑う。


「いや、そうじゃなくて・・・・・・」

「ああ、これを緋璃さんに。どうしてもお別れが言いたくてな」

「店長・・・・・・」


 績は小屋に招き入れると、伊佐地は棚に置かれた緋璃の遺骨が入った瓶の前に花を置いた。そして、長く手を合わせた。その間、辺りは静けさに包まれた。小屋の隙間からは光が差し込み、儚げに花と瓶を照らしている。伊佐地はゆっくりと目を開けると、先に店へと向かっていった。その日は雲ひとつない青くとても晴れた日だった。

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