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 績は重たい足取りで仕事に向かっていた。恐れていた事が現実になり、気持ちを整理するのに必死だった。これからは3人で暮らしていく。母と子、生活していくことが厳しかったのは事実だ。躑躅がいれば金銭的な部分も助かる。それに、一番は緋璃の幸せそうな顔だった。今にも壊れてしまいそうだった緋璃を躑躅が救ってくれた。そんな人ならきっと大丈夫だ。績はそう自分に言い聞かせた。


 績の仕事は飲食店の雑用だった。食料の買い出しから、野菜の皮むき、店内の掃除、食器洗い。毎日がすごく世話しなかった。ただ、そこを切り盛りしている店長がとてもいい人だった。大柄の程よく鍛えられた体に髪は黒の短髪で肌は小麦色に焼けている。顔は髭を生やし少し厳つい顔をしていた。初めて会った時は怖い人だと思っていたが、中身はとても男らしく頼り甲斐もあり、大らかな人だった。賃金は安かったが日払いだし、たまにお金をはずんでくれることもあった。夜のことも知っていて、たまに余った食材をくれる。世の中にはゴミを拾ったりもっと厳しい仕事もたくさんある。それに比べたら自分は恵まれていると思った。もう績はここで1年間働いている。


 績は仕事場に着くといつものように店の裏口から入った。


「おう、来たか。そこにあるジャガイモの皮向いたら一度買い出しにいってくれねーか?」

「おはようございます! 了解!」


 店長からさっそく仕事を頼まれた。店長の名前は伊佐地いさじ たつる。大きな包丁を持ち野菜を切っていた。


 績はそそくさ前掛けをつけ、椅子に腰をかけるとザルに盛られた山盛りのジャガイモを剥き始めた。


「ところで緋璃さんは元気か?」

「はい・・・・・・」

「ん? なんかあったのか? 思いつめた顔しやがって」

「母さんがエニシと暮らすことになったんです」


 ガタン!!


 大きな物音がした。伊佐地は慌てた様子でぶつけたものを直していた。なにかすごく動揺している様子だった。


「大丈夫ですか、店長」


 績は伊佐地の方に近寄る。


「あ、ああ。大丈夫だ! ふぅ」

「本当に?」

「ああ、ちょっと突然のことで驚いただけだ。その緋璃さんのエニシは女なのか?」

「男だよ」


 ガシャン!!


 今度は皿を落とした。


「そ、そうか。そりゃー参った」

「店長? 本当に大丈夫ですか・・・・・・」

「おう、なんともない」


 割れて床に落ちた食器を手で拾いながら伊佐地は言う。


「そんな風には見えないんですけど」

「緋璃さんがねー。まぁそれで幸せになってくれるなら。俺はそれでいいが・・・・・・」


 しゃがんで食器の破片を片付けながら伊佐地がぼそっと呟く。


「僕も同じ考えです・・・・・・」


 どことなく績の沈んだ声に伊佐地が気付くと、一気に腰を上げた。


「績!大変だろうが、なにかあれば俺様がなんとかしてやるからな!」

「はい、ありがとうございます!」


 伊佐地のその活気のある声に背中を叩かれた気がした。顔を上げ表情を明るくみせた。


「よし、もう少しで店を開けるぞ! 仕事にとりかかれ」

「はい!」


 績は、またせっせとジャガイモの皮を剥き始めた。


 そしてジャガイモの皮を剥き終えると、そのまま買い出しに出かけた。伊佐地から言われたものは、ニンジンとサツマイモだった。市場に出向くとまだ朝が早いせいか人だかりはなかった。そんな中、食材を探していると、前から見覚えのある姿が映った。その二人は老夫婦のようだ。とても仲良さげにお爺さんがお婆さんの傍に付き添って歩いている。どことなく支えてるようにも見える。績はその二人をじっと眺めていると、突然思い出したようにその老夫婦を呼びかけた。


「お爺さん!」


 老夫婦はこっちを見る。お爺さんは目を丸くした。


「お前さんは、あの時の」


 施設で績のひとつ前に並んでいたお爺さんだった。

 

 お爺さんはニコリと績に向けて微笑んだ。


「お爺さん、あの時は帽子ありがとうございました」

「別にお礼なんていいんだ。あ、こちら私のエニシの笹子ささこさんだ」

「エニシ・・・・・・」


 その連れたお婆さんはお爺さんのエニシだった。容姿は小柄で小奇麗にしていて、髪は全て白髪で真っ白だったが、日の光を浴びてキラキラととても綺麗だった。そのお婆さんは績を見て優しく微笑んでいる。穏やかでとてもいい人そうだった。お爺さんはお婆さんを木陰に座らせると、少し喋ろうと績を誘った。少し離れた場所にくるとお爺さんは口を開き始めた。


「もう、お前さんとは会えなくなるかもしれないから、今話したかったんだ」

「どういうことですか?」


 績は首を傾げる。


「わしはもう少しでこの世を去ることになる」

「え、そんな・・・・・・!」


 績は眉をひそめる。しかし、そんな話をするお爺さんの顔は穏やかだった。


「エニシである彼女は病気でな。もう長くない。最初聞いたときは驚いた。でもな、今はなにも惜しくないんだ。彼女と出会えたことがすごく嬉しい。一日一日を感謝している。短い間かもしれないが、残された時間を彼女と楽しんで過ごそうと思っているんだ」


 お爺さんは空を見ながら遠くを見ていた。績はそんなお爺さんの言葉ひとつひとつを深く噛み締めていた。


「お前さんのエニシはどうだ?」

「とてもいいやつです」

「そうか、きっとこれからもその人はお前さんの大事な存在になるだろう。助け合って生きていくんだよ」


 お爺さんは空を見てそう言うと、績の方に顔を戻しニコリと微笑んだ。


「長くなるとあれだな。すまなかったね、引き留めてしまって」

「いいんです」

「じゃぁ、元気でな。お前さんと会えて嬉しかった」

「僕も・・・・・・お爺さん」


 微かな声を漏らすと、お爺さんの帰る背中を見ながら涙を浮かばせ唇を強く噛んだ。いのちを運命共同体シェアするなんて間違っている。今も変わりなくそう思っている。でも、あんな風に穏やかな顔を見せる人もいるのだ。績は戸惑っていた。エニシになって幸せになる人もいる。意外だった。しかしお爺さんのあの顔をみたら認めるしかなかった。


 績は頼まれた食材を手に店へと向かった。歩きながら空縫のことを思った。これから二人にはどんな運命が待っているのだろう。


――わからない。でも、きっと君と一緒にいるんだと思う。


 績は、そう感じていた。

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