第二章 厭世の先に
1
ここはどこだ・・・・・・遠くで誰かが僕に手を差し出してる。君は誰・・・・・・? 空縫・・・・・・? その手が急に血で真っ赤に染まり、たらりと落ちる。嫌だ・・・・・・お前は誰だ!! 触るな!! やめろ!! 手が績の首を絞めつける。ぐぐっとゆっくり力が入る。績は目を瞑り顔を歪ませた。痛い、苦しい、誰か助けて・・・・・・空縫・・・・・・!!
「はっ!!」
績は慌てて寝床から起き上がった。身体中、汗を掻いている。息も荒く、少し震えていた。見慣れた天井。自分の家だ。隣の部屋には緋璃と躑躅が寝ている。夢だったんだ。でも、すごく生々しく今でも首元に違和感がある。気持ちが悪い。落ち着かせようと、水を飲みに台所へいく。蛇口を捻りコップに注ぐとそれを一気に飲み干す。一つため息をつく。最近嫌な夢ばかりを見る。績は精神的に参っていた。外の空気を吸いに出ようと靴を履きドアを静かに開けた。外に出るともう辺りは薄ぼんやりと明るかった。肌寒く、腕を少し摩る。上を見上げると細長い空からチラリと薄い月が見えた。
――夢の中でも空縫の名前を呼ぶなんて、本当に情けないな・・・・・・。
績は頭を落とし額に手を置いた。そして、再び頭を上げる。今朝も早い。仕事の前に夜に餌をあげに行かないといけない。今は空縫の家で怪我が治るまでおいてもらっているが、餌までは面倒かけられない。気持ちを切り替え、また少し眠りにつく事にした。
いつもの時間に起きた績は早々に空縫の元へ向かった。太陽は登ったがまだ肌寒かった。もうすぐ春だ。木々にちらほら葉がつき始めている。いつもの林を抜けると遠くで空縫が菜園で野菜を収穫しているのが見えた。
「空縫ー! おはよう」
「よう、ほら!」
空縫は掴んでいたトマトを績に投げてきた。
「分けてやる」
「ありがとう!」
績はトマトに被りつくと、小屋へと入っていく。
「夜ー?」
夜は待ちくたびれた様子で績が来た途端、鳴き始めた。
「遅くなってごめんな。ほら、いっぱい食べて早く元気になれよ」
績は必死で食べる夜の頭を優しく撫でた。夜の傷はだいぶ良くなっていた。もう少ししたら自由に動けるようになりそうだ。績は安堵の顔を浮かべた。
「またそんなたくさんあげて、お前自分の分ちゃんと食ってるのか?」
空縫がザルに野菜を入れて小屋に戻ってきた。指には土が付いている。
「いいんだ。今は夜の身体を直すことが最優先だし」
「でも、そんなことしてたらお前が倒れるぞ?」
「僕は平気だ。心配してくれてありがとう」
「っ・・・・・・」
績はまっすぐ空縫の顔を見て礼を言った。すると空縫はすぐ目を逸らし照れくさそうに野菜を置きに奥へと行ってしまった。
績は夜が餌を全部食べ終わるのを見届けると立ち上がり、仕事に行くと空縫に伝えた。
「おう、頑張れよ」
「ああ、行ってくる・・・・・・」
どうも績の足元がおぼつかない。見ると顔色もあまり良くない。ふらつく姿を目にした瞬間績はガクンと体を落とした。空縫は既の所で績の身体を支えた。
「おい、大丈夫か!? だから言ってるだろ、しっかり食べろって。俺も夜の餌くらいなんとかできる」
「ごめん・・・・・・最近ちゃんと寝れてなくて」
「どうして」
「嫌な夢ばかり見るんだ」
「そうか・・・・・・」
空縫はそれを聞くとひとまず績の身体を起こしベッドへ休ませた。
「まったく、夜もお前も本当に世話が焼ける」
「ごめん・・・・・・」
「別に責めてるわけじゃない。ただ自分の身体くらい管理しろってことだ」
「ああ、また空縫に迷惑かけちゃったな」
「それはお互いさまだ。俺もなにかあったらお前を頼りにしてる」
績はその言葉を聞くと少し口角を上げた。頼りにされるのは気持ちがいい。自分も誰かに必要とされてると実感できるからだ。
「なにこんな時にニコニコしてる。本当におかしなやつだな」
「ごめん、なんか嬉しくてね」
「はぁ? 本当にどうかしてるな。今日は仕事休んでここで寝てろ」
「でも、行かないと店長に迷惑かける・・・・・・」
「まぁ緊急事態だし、仕方ないだろ。俺がお前の家行って母さんに伝えといてやるよ」
「ありがとう・・・・・・」
「だから、そんな礼ばかりいうな。お前の口癖だな。とりあえず俺はこれから仕事の準備する」
空縫は服を着替え始めた。夜がズボンの端を噛んで邪魔している。
「空縫?」
「ん?」
「君は何の仕事をしてるんだ?」
「これさ」
空縫は徐ろにスケッチブックを手にとり見せてきた。
「絵を売ってるのか?」
「似顔絵さ。まぁあまり金にならないけどな」
「なるほどな、君の実力ならお金もとれる」
「まぁな!」
自分を自負するように胸を張り空縫は歯を見せて笑った。
「君には才能があっていいな。羨ましい」
「べつに才能があったところでここにいる限り意味がない・・・・・・」
空縫は一瞬、顔を曇らせた。スケッチブックを見る目がとても悲しげだった。きっといつか報われると言ってあげたかったが、そんな無責任なことは言えなかった。実際ここにいる限り夢を持ったところで望みなんてこれっぽっちもない。でも、いつかきっとって心のどこかで思ってるんだ。それくらいいいじゃないか。
「それに、お前だってこの前のピアノ、意外と弾けてたじゃないか」
「あんなの適当に弾いてただけだ。昔、母さんがよく歌っていた曲を耳コピしただけだ。楽譜があったとしても読めないし。君とは全然違う」
「なら読めるようになればいい・・・・・・」
「え?」
空縫は突然、埃の被ったダンボールの中から本を引っ張り上げた。
「それ楽譜?」
「ああ・・・・・・」
「でも、なんで」
「気にするな。楽譜の基本的な知識が載ってる本もある。これ見て勉強しとけ」
そう言うと空縫はすぐに背を向け、逃げるようにドアを開けて出ていってしまった。
「空縫・・・・・・?」
妙な空気が一人になった部屋に漂っていた。なにかを隠しているような。でも、触れられたくないような。績はなんとなくそう感じていた。
空縫は仕事の前に績の家に向かっていた。フードを深く被り相手にあまり見えないように顔を伏せた。一度呼吸を整えて息を吸い込むと玄関のドアをノックした。すると、すぐ緋璃が出てきた。
「どちらさま?」
緋璃は少し首を傾げる。
「績のエニシです」
「っ!?」
「今日うちであいつ倒れて、でも俺がいるんで大丈夫です」
「どういうこと? 績は平気なの?」
「はい、ベッドに休ませたので。あと、仕事のこと心配してたのでそちらで連絡しといてくれませんか」
「それはいいのだけれど・・・・・・」
「あと・・・・・・自分のことよりあいつのこともっと見てやってください」
「え・・・・・・」
ボソっとそう吐くと空縫はその場を消えるように立ち去っていった。空縫の歩く速度がどんどん上がっていく。余計なことを言った。唇を噛む。他人の家のことに口を出すつもりはなかった。でも、績のたまに見せる寂しいそうな顔を見ていると言わずにはいられなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます