5
どのくらい歩いただろうか、少し息が荒くなっていた。空縫は一人どんどん先を歩いていく。績はそれを必死でついていく。
「ついたぞ、ここだ」
空縫が先を指さす。街外れの林を抜けると草花や木々が囲む小さなスペースがあった。そこには手作り感たっぷりの小屋がある。
「あそこ?」
「ああ」
「これ自分で作ったのか?」
「そうだ」
「すごい! 一人で家まで作れるなんて、本当にすごいよ」
「そ、それは褒めすぎだ。別に家くらいで」
照れくそうに空縫は鼻を擦った。そして、ドアを開けお先にどうぞとばかり手を家の中へ差し出した。績は心なしか緊張していた。ゆっくりと小屋に入ると中は少し散らかっていた。そして思いもよらないものがそこにはたくさんあった。
「これって・・・・・・絵?」
「ああ」
照れた様子で空縫の返事がいつもより小さかった。
「もしかしてこれ、君が描いたのか?」
「そうさ」
そこには絵に必要な道具やいくつも折り重なった画用紙があった。サイズも様々にある。まだ描き途中の絵もあった。しかもその絵はどこもこれも誰が見ても納得してしまうような素晴らしいものだった。
「君にこんな才能があったなんて」
部屋に置かれた絵を見渡して績はキラキラと目を輝かせた。
「おいおい、俺の事無能だと思ってたのか?」
「いや、意外性は十分あった。でも、無能だなんと思ったことは一度もないよ。僕と一つしか違わないのにこんな絵を描けるなんてすごいよ!」
「だから褒めすぎだぜ?」
空縫は少し頭を掻きながら、話を続けた。
「意外ねー。まぁ、俺たちはまだお互いのことを全然知らないってことさ」
描き途中の絵を指で少しさすりながら空縫はそう言った。
「君のことをもっと知りたくなったよ」
「何言ってんだ・・・・・・あ、そうだ!」
突然ひらめいたように空縫は両手を軽く鳴らした。
「どうしたの?」
「ちょっとここに座れ」
「なになに、どうゆうこと?」
少し困りながら績はやや強引な両手に肩を捕まれ椅子に座らされた。空縫はスケッチブックと鉛筆を取り、績と向かい合わせの形になるように椅子を動かし腰を掛けた。
「お前のこと描いてやる」
「は!?」
思わす声を上げてしまった。顔の血が一気に上がっていくのを感じる。
「待ってよ! 僕、モデルとか恥ずかしくて無理だよ」
慌てて席を立つ。すると空縫の目は忽ち鋭くなり眉をひそめ無言で座れと言ってるように見えた。その怖い顔に負けた績は恐る恐る席に戻った。
「光栄に思えよ。俺はなかなかタダで描かないんだからな」
「なんだよそれ・・・・・・」
恥ずかしそうに績は俯いてしまう。
「おい、お得意の俯き顔は今はいらない、しっかり前を見ろ!」
「うるさいな! こっちはすごく恥ずかしいんだぞ、それに・・・・・・」
績は少し声を曇らせるともぞもぞしだした。
「それになんだ?」
「僕なんて描いてどうするんだ?全然いいモデルにならないと思うけど・・・・・・」
その言葉を聞くと空縫は一旦鉛筆を止めた。
「そんなこと気にするな。顔を描く練習さ」
「・・・・・・そうか」
「それにお前の顔、割といいぞ」
「な、なんだよそれ!」
績は少し顔を赤らめた。
「まぁ、褒めてんだ。素直に喜べ」
空縫は、また意地悪そうに突くと、偉そうに足を組み鉛筆を動かし始めた。
「君はいつもそうやって僕をからかうんだよな!」
顔を真っ赤にした績は腹を立てそっぽを向いた。
「おい、悪かった。こっち向かないと描けないだろ?」
機嫌が悪い子供をあやすかのように、調子を変えて空縫は優しく言う。
「早く終わらせてくれよ!」
「かしこまりました」
20分くらい経っただろうか。空縫はできた! と得意げに声を上げた。
「疲れた・・・・・・」
ずっと動かないでいた績は気怠そうに肩を揉む。
「まぁ、短時間で描いたからあれだけどな。どうだ」
空縫は描いた絵を績の前に出してきた。
「うわ・・・・・・」
そこには自分がいた。それにすごく自分でいうのもあれだが綺麗だった。空縫の絵はどれを見ても魂が吸い込まれてしまいそうに美しかったんだ。
「君はきっと天才だよ」
確信したように空縫の顔を見る。それは真剣な眼差しだった。
「13歳のボクにそんなこと言われてもな!」
照れ隠しのように空縫は後ろを向き頭を下した。
「君って照れ屋だよな」
いつものお返しのつもりで績は意地悪そうにその言葉を背中に向かって放った。
「お前に言われたくない!」
すぐさま空縫は振り返るとグーで軽く績の頭をこつりとした。
「なんか飲むか? つってもミルクくらいしかないけどな」
「ああ、お願い」
それを聞くと空縫は2つ分のミルクを注いで績に片方渡した。コップに注がれたミルクを飲みながら績は改めて当たりを見渡した。するとさっきは気づかなかったが、絵に使う道具や本がたくさん無雑作に置かれている下に隠されたように古めかしいピアノが置いてあった。績は目を丸くした。
「これ、ピアノか!?」
「あ、ああ・・・・・・」
空縫は少し居心地悪そうな顔を覗かせた。
「君、ピアノも弾くのか?」
「いや・・・・・・」
「じゃぁなんでこんなとこにピアノが」
「・・・・・・まぁ、気にするな。なんとなく置いただけだ」
「なんとなくって」
績は些か空縫の言動に疑問を持ったが、今はそれよりもピアノを目の前にした興奮で頭がいっぱいになっていた。
「僕、ピアノ弾きたいんだ」
「え」
ミルクを飲んでいた空縫の手が止まった。
「ずっと弾きたいって思ってたんだ。小さい頃に壊れたおもちゃの鍵盤がうちにあってよく弾いて遊んでた・・・・・・。」
「そうか」
「これ、まだ音出る?」
「ああ、出ると思うぞ。ちょっと待ってろ」
ミルクが入ったコップをテーブルに置くと立ち上がり、ピアノの上を片付け始めた。物がなくなりピアノが露わになると、ずっと使われていなかったせいで誇りがかなり積もり全体が白くなっていた。績はピアノのふたを開けてみた。指で少し鍵盤に触れてみる。誇りで指の跡がついた。績はゴクリと喉を動かす。一か所叩いてみる。綺麗なソの音が部屋一面に響いた。績は興奮した様子で目を瞬かせた。
「そんなにうれしいのか?」
績を横で見ていた空縫が尋ねた。
「ああ、うれしい。ずっと夢見てたんだ」
その言葉を聞くと空縫は深く息を吐いた。
「いいよ。これからここに弾きにくればいい」
勢いよく績は空縫の方に体を乗り出し、顔を輝かせた。
「いいのか!?」
「あ、ああ」
「ありがとう、空縫!!」
「礼なんてやめろよ。はずかしいだろ」
績は喜びのあまり部屋中を駆け回った。
「まったくお前は本当にそういうとこお子ちゃまだよな」
いつものように呆れた顔を見せながらも、空縫はそんな無邪気に喜ぶ績を見て微笑んでいた。
その日は夜更けまでピアノを弾いたりそのくらいの年頃の男子が話す、たわいもない会話をして過ごした。
「帰らなくて平気か?」
「ああ、きっと母さんもあの男も二人きりになれて都合がいいと思ってるさ」
「そんなことはないんじゃないか? 母さんにとってお前はたった一人の息子だろ?」
「いや、いいんだ。今日は君といる・・・・・・」
「わかった。もう今日は遅い、俺は下で寝るから、お前ベッド使っていいぞ」
「いいのか?」
「ああ、かまわない」
「ありがとう」
手作りの家は、所々隙間があいていて隙間風と月の光が細く差し込んでいた。績は初めて見る天井をじっと見つめて、何かを考えていた。
「空縫、起きてるか?」
「うん」
暗がりから空縫の寝かけていたような頼りない声がした。
「僕たちはこれからどうなっていくんだろうな」
「さぁな。なるようになるだろ」
眠そうな口調で空縫は軽く応えた。
「なんか他人事のような言い方だな」
「だって現実は変わらないだろ? 俺が死んだらお前は死ぬ、お前が死んだら俺は死ぬ。それだけだ」
「そうだけど・・・・・・」
「怖いのか?」
暗い中で空縫がゴソッと動く気配がした。
「・・・・・・怖くないって言ったら嘘になる」
「大丈夫だ、怖がるな。俺はしぶといんだ。そうすぐ死なない」
「いや、そうじゃない・・・・・・時々すごく怖くなるんだ」
「なにが?」
「君のいのちを預かってることが怖いんだ。君は僕のこと強いって言った。でも実際の僕は強がってるだけで、やっぱり弱いんだ。体も強いほうじゃない、君が言うようにお子ちゃまだし、一人で生きてきたわけでもない」
「だから?」
「だから・・・・・・怖いんだ。毎日不安なんだよ。このスラム街にいる以上いつも危険と隣り合わせだ。いつ何があってもおかしくない・・・・・・前に自分のために生きてくれって僕は言ったけど、今は分からないんだ。強気で言っておいて情けないよな・・・・・・」
突然暗闇から空縫の手が績の頭に触れる。
「大丈夫だ、それは普通の考えだ。なにかあったら絶対俺が助ける。一緒にいてやる」
績はその言葉に心を震わせた。
「・・・・・・ありがとう」
「ああ、だから今はゆっくり休め。明日は母さんのとこ帰るんだぞ」
「わかった」
二人はその静かな夜、ゆっくりと深い眠りについた。
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