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 績はいつもの日課で、朝方一匹の猫に餌をあげるためボロボロの靴をパタパタと細い路地を走らせていた。路地裏は朝でも日があまり差さず薄暗かった。建物と建物が窮屈に並ぶ細長い空からは木漏れ日のようにチラチラ地面を差すくらいだった。ゴミがあちこちに散らかっている。パンクしている旧式の自転車やもう動きそうもないバイク、怪しげな薄汚い看板と大きな換気口がたくさんあった。埃っぽく、空気が淀んでいる。近所の家からは朝食であろう匂いが漂ってくる。績はその匂いにグーと小さく腹をならした。


 布団をパタパタ叩く近所のおばさんが二階の窓から績に向かっていつものように声をかける。


「いつもご苦労だこと! 転ぶんじゃないわよ」

「うん、ありがとう」


 績はにーっと歯を見せた。布団からでる埃がパラパラと落ちてきて咳込んだ。


 いつもの時間にいつもの場所へいくと、猫は主人を待つようにじっと座っていた。そこは路地裏の一角で近くには細い小川が流れている、しかしゴミや変な色の液体が流れていて、そこへ入って水を浴びる気は起きなかった。


よる! さ、ご飯だぞ。少ないけどごめんな。今日はこれしか用意できなかったんだ」


 猫の名前を夜と呼んでいた。真っ黒で目が月みたいに黄色かったからだ。必死で餌を食べる夜の頭を撫でながら、顔を緩ませた。夜はぺろりと完食し、まだないのかとニャーと鳴いた。


「今日の昼には国からの食糧普及があるから、明日はもう少し用意できると思う。それまで我慢しててな」


 一週間に一度、国から食糧普及のトラックがやってくる。しかし、スラム街に住む人数に全く比例しない量だった。取り合いになり、皆、肘で他のものを押しのけ、殴りあいの喧嘩に発展したり弱いものは一切手に取れないものもいた。まだ身体の小さい績は慣れたようにスルリと人集りを抜け、トラックに積まれている食糧に飛び込むように掴みとり、それを必死で死守した。ごった返す人の群れをまた戻る。抜けた先には安堵感と達成感があった。績は食糧を手にニンマリとみせた。


 次の日も績は夜のために今朝からいつもの場所に足を運んでいた。息を少し上げながら走って向かうと績は突然パタリとその足を止めた。夜の傍に誰かいるのを遠くからでも気がついた。ゆっくりとその場所に近づいていくと、見覚えのある姿がそこにはあった。


「空縫・・・・・・?」


 績は夜の餌を片手に、驚きのあまり口を半開きにし目をギョロっと見開いていた。


 空縫とは施設で《 エニシ 》になって以来、3週間ぶりくらいだった。《 エニシ 》とは、運命共同体シェアしたもの同士がそう呼び合うようになっていた。


「よう、なに間抜けな面してんだ」


 その言葉に績は少しむすっとする。


「お前自分の飯もまともに食えないのに猫に分けてんの?」


 ツンケンとした口調とは裏腹に空縫は優しく夜を撫でている。


「そうだよ。夜はもう僕の家族みたいなものだからな」


 そう言って績は目をキラキラとさせる。


「お前、そんなことじゃすぐ死ぬぜ?」


 餌をあげている績を横目に吐き捨てるように空縫は言う。


「僕が死んだら君も死ぬ。そうだろ?」

「・・・・・・」


 績の言葉にぐぐっと喉を詰まらせた。


「だから困るんだ! お前には生きてもらわないといけないんだ。俺はまだ死にたくない。14だぜ? これからもやりたいことあるんだ。何も知らずに死ぬのはごめんだ」

「じゃぁ僕のこと、こうやってずっと見張ってるつもり?」

「は? 見張ってなんかいない」

「へー、じゃぁなんでここに君がいるんだ? 僕と夜しか知らないはずのここになぜ君はいる。君はエニシになってからずっと僕を見張っていたんだ。そうだろ?」

「うるさい! 心配して何が悪い!」

「心配してくれてたんだ」


 空縫は一歩身体を後ろに引くと、みるみる表情が険しくなる。


「う、自惚れるな! 俺自信の心配だ!危なかっしいやつとエニシになっちまって本当に厄介ものだ」

「そういう君は心配性だな」

「うるさいぞ!」


 二人は夜をはさみ茶番のような喧嘩をしていた。夜はそんな二人をよそに興味がなさそうな目でムシャムシャ餌を食べていた。


「・・・・・・お前、思ったより強いんだな」


 夜を撫でながら空縫はぽつりと言う。


「そうかな・・・・・・」

「そうさ、初めて出会あったあの日、お前はブルブル震えて誰かに守ってもらわなきゃ、今にも死んでしまいそうだった」

「っ! それは・・・」


 績は思い出すのを恥じらうようにごもらせた。


「俺はあの日、守るものが出来たと思って嬉しかったんだ」

「う、嬉しい?」


 あの状況で嬉しいと言える空縫に績は呆気にとられた。


「俺はそれまでなにをするもなく適当に生きてきた。別に死んでも構わないとさえ思ってた。でも、今は違う。人のいのちを背負ってるんだ。それに・・・・・・」

「それに?」


 ほんの少し空縫の目がキラリと光ったようにみえた。透き通る水が光ったように。


「まぁ気にするな! なんでもない」

「なんだよ! 教えろよ」

「うるさい」


 少し照れ隠しのように空縫は顔をよそへ向けた。


「君は嘘つきだね」

「は?」


 勢いよく績へと顔を戻した。


「さっき君は死にたくないと言ってた。でも、今は死んでも構わないと言った。さっきは自分のことのように言ってたけど、君は僕のために生きようとしてる」

「お前って本当嫌なやつだな! 人の揚げ足取るなよ」

「僕のために生きないでくれ、自分のために生きてくれ。僕は母さんのためにも夜のためにも、そして君のためにも死なない」

「っ・・・・・・!」


 空縫はそれを聞くと急に立ち上がり偉そうに腕を組み績を見下ろした。


「さぁどうだか! ひょろっちいお前がどこまでこの土地で生きていけるのか見ものだな」

「見ものって・・・・・・どうせそうやって君は僕を影から見張ってるつもりなんだろ?」

「うるせぇな! わかった。もうお前のことは気にしない。勝手にやってくれ。ただ、気をつけろよ。お前のように隙ばかり見せてると、すぐに食われちまうからな」

「言われなくてもわかってるよな、夜」


 ニコニコと夜の下顎を撫でている績をみて、空縫は呆れた顔を浮かばせ鼻で小さくため息を漏らした。


「さっ、夜にも餌をあげたし僕は帰る。君はどうする?」

「は? 俺のことはどうだっていいだろ」

「ああ、僕の後を隠れてついてくるんだったね」

「お前、それ以上馬鹿にするとその口きかなくするぞ!」


 空縫の厳しい顔つきに績は少し後ずさりした。


「ごめん、言い過ぎたね。それじゃあ」

「ああ」


 二人は別々の方向へ歩き出した。夜はそんな二人の姿をじっと見ていた。

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