1 なめくじ男と心の声が反対に聞こえるイヤホン その1
「ゴ,ゴホン。ひさしぶりだから声の調子を整えないとな」
「なんでもいいから、早くやってくれ」
「さて! ここに取り出したる、これ? なんに見えます」
差し出されたのは、白と黒のふたつの耳栓のようなもの。まるで、コードのない耳栓型のイヤホンのようだった。
「……この耳栓みたいなのがどうかしたのか?」
「そう、一見なんの偏屈もない耳栓に見えるかもしれませんが、なんとこれ、ある声を聞く装置なんです。ハイ、拍手」
パチパチ「拍手を強要するなんて、それでも客商売か」パチパチ「もったいぶらずにさっさとやれ」パチパチ。
「ハイ、拍手の合い間に文句をつけない。せっかくのプレゼントなんだから」
「どうせ金は取らないけど、なにか他のものを要求したり、ある特定の条件がついたりするんだろ」
「そんなことは一切しません」
「えッ!? しないの?」
意外だった。こういう場合、おとぎ話だと必ずといっていいほど、ペナルティがついてくるはずなんだけど。
「どうせ売れ残りだし、いいひまつぶしにはなるからな」
「お前、ホントなにしに地球にやって来たんだよ?」
「実はさ、地球に来たのはこの商品のせいなんだよ」黒井は腰を落ち着かせ、くつろいだ姿勢になる。
「ああ、なにかの声を聞く装置だって言ったけど、いったいなにを聞くものなんだ?」
「簡単に言えば、周りの人の心の声を聞くことができる装置さ」
「心の声というと、あの心の声か」
「どの心の声かは知らないが、心の声は心の声さ」
「どういった原理をしているのか、訊いてみてもいい?」
「人間の脳にある潜在能力を利用して他人の心を読むんだよ。ほら、地球人でも他人の心を見透したような勘のするどい人がいるだろう。これはその能力を人工的に引き出す装置なんだ」
「まさか耳に取りつくと触手みたいなのが伸びて、脳に直接、電流を流してたりしないよな?」
「ぼくは開発者じゃないから、詳しい構造は知らない。たぶん地球人には害はないと思う」
「たぶんかよッ!」
「商品名は『ハートイヤホン』。略して『ハートホン』うちの大ヒット商品だ」ふたつあるうちの白い耳栓に黒井の指が向けられる。
「そして、これがハートイヤホンの新バージョン『さかさまハートイヤホン』っていうんだ。略して言うと、そうだな『さかさまホン』にでもしておこう」
黒井の指が、もうひとつの黒い耳栓に向けられる。
「どこがちがうんだ?」
「形は同じなんだけど、さかさまホンの方は心の声がさかさま、つまり反対の意味になって聞こえてくるんだ。たとえば、だれかの心の声が『楽しい』なら『悲しい』に変換されて聞こえてくる」
「反対に聞えるなんてややこしいの、なんのために造ったんだ?」
「ハートホンが大流行して、最初はみんな喜んだ。これで、互いの心を過不足なく完璧な形で伝えられる。つまり、誤解によるトラブルが完全になくなったんだ。しかしハートホンは、新たなトラブルを産み出す引き金となった」
「わかった。自分の恥ずかしい秘密がたくさんの人にもれてしまい、プライバシーがなくなったんだ!」
「ま、それもあるんだけど、普段は口にも出さない下品な悪口が筒抜けになってしまった。そのせいで多くの宇宙人の信頼関係が崩れ、コミュニケーション自体が成り立たなくなってしまった。そしてロボットとしかコミュニケーションを取らないひきこもり宇宙人の増加をうながす結果となった。その問題を解決するために開発されたのが、このさかさまホンなんだ。しかし、悲しいことに発売をまたずしてハートホン自体の発売中止が決まってしまった」
「どうして?」
「宇宙人社会に与える影響の大きさから、すべてのハートホンを回収しなくてはいけない法律ができたんだ。それによって、さかさまホンの発売停止が決まってしまった。うちの会社はふたつのイヤホンの大量の在庫を抱えたまま倒産してしまった。今持っているイヤホンは、そのとき、こっそりとくすねてきたものさ」
「なんでそんな危険なことをしたんだよ?」
「要はひまつぶしなんだけど、なにせうちの会社つぶれちゃって職を失って無一文になった挙句、こんな未開の星に運ばれる羽目になったんだ。ひまでしょうがないよ。きみたち原住民にはわからないと思うけど、この星は働くのをやめた宇宙人が強制的に送られる場所のひとつなんだよね」
「だれが原住民だッ! 待てよ、ということは、他にもなめくじみたいな宇宙人がいるのか!?」
「うん、地球にいるのはなめくじタイプの宇宙人だけだけど。地球は宇宙人社会に適応できないダメダメ宇宙人を保護するための、言わば、お払い箱だね」
「知らなかった。地球にいる宇宙人は全部ホームレスだったのか」
ある意味、夢もロマンもない衝撃の事実だった。
「どうしてお前は人間に変身できたり、うちの学校に転入できたりできるんだ?」
「なめくじタイプの宇宙人は、どんな色や形にも変形できる能力を持っている。それに、どんな言語でも発音できる装置を体に埋めこまれているんだ。そもそも日本政府のトップクラスにいる、一部の人間たちは宇宙人の存在を認めてるんだ。他にも多くの国の政府が宇宙人に戸籍をあたえて生活を保障している。もちろん大量の宇宙人を受け入れるのと引き換えに、莫大な資源を宇宙人からもらってるんだけどね」
「やっぱり宇宙人の存在を知らせないのは、一般人がパニックになるのを恐れてたりするから?」
「いや、地球にいる宇宙人が全部ホームレスだと知ったら、宇宙人に対する地球人のイメージが壊れて、宇宙人が出てくるハリウッド映画が売れなくなる。それを恐れたアメリカ政府が他の国にも働きかけてるんだよ」
「世界中のこどもの夢を返せッ!」
「ちなみにこの背広やカバンもぼくの体を変形してつくったものなんだ。ほら、手を放しても離れないだろ」カバンをぐるぐると回して手のひらにくっついて落ちないことをアピールする。
つまり服もカバンも体の一部というワケか。
「それで話は戻るんだけど、さかさまホンの方は一度も使ったことないからためしてみたかったんだよ。喜んでくれ、きみはまだ、だれも使ってこともない、さかさまホンを一番最初に使える権利を与えられたんだ」
「そんな体のいいこと言って、ただ単に一番最初に使うのが怖くなっただけだろ。オレは実験体じゃねぇ!」
「まあまあ、そう言わず、使ってみてくれたまえ。このさかさまホンはブサイクなきみにこそふさわしいものなんだから」
「どういう意味だよ?」
「使ってみればわかるさ。とにかく体に害はないし、地球人の心の声を日本語で聞えるように設定してあるから、耳の穴に入れるだけでいいんだよ。ちなみに地球人じゃないぼくの心の声は聞こえないから、注意してね」
恐る恐る指先をさかさまホンにふれてみる。すると、機械の割りにはゴムのようにやわらかい感触がした。
本当にこんなもので、なにかを聞くことができるのだろうか?
「やっぱ、やめ……」ちょうど昼休み終了を告げる鐘の音が鳴り響いたときだった。
目の前にはだれもいなくなっていた。
鐘の音に気を取られ視線をはずした隙に、オレはひとりになっていた。
あれ、どこに行ったんだ? もしかして今見たのは夢や幻だったのか!?
しばらくボーと立ちつくす。
おっと、そんなことよりも早く教室に行かないと、授業に遅れてしまう。
あわてて走り出したところ、虫の羽音のようなものが聞こえてきた。構わず走りつづけると、突然、右耳に違和感が生じた。
「これで、よし」どこからともなく聞こえのは、黒井の声だった。
周りを見渡すと、一匹のハエが白い耳栓を持ったまま飛んでいた。
おいおい、なにがどうなってるんだよ?
ハエが持ってる白い耳栓はさっき黒井が持っていたものとまったく同じものに見える。
「言っただろう。ぼくはどんな形にも変形できるって」声の主はハエだった。とっさに右耳に手をやる。
やられた……。耳の穴が、なにかでふさがれている。
おそらくハエに変身した黒井が、さかさまホンを耳の穴に取りつけたのだろう。今すぐにもはずそうとしたが、耳の穴に張りついて、はずれそうにない。
「あとでちゃんと取ってやるから、それまでがまんするんだな」
「クソッ。このっ、このッ!」黒井バエをたたこうと手を振り払うが、かすりもしない。
「ほら、ハートホンの方も貸してやるよ。さかさまホンと合わせて使うと、便利だから」
黒井バエの手足からハートホンが落とされる。それを反射的に手のひらでキャッチする。
待てよ、今までどうやってハエの細い手足なんかで耳栓を持つことができたんだ?
黒井バエはからかうようにオレの周りをただよったあと、ゆらゆらと、どこかへ飛んでいってしまった。
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