1 なめくじ男となめくじ宇宙人 その2

 それが今朝の出来事だった。思えば、我ながらバカなことを考えたもんだ。精巧なマスクやメイクをしているヤツなんているわけもないのに、昼休みの体育館裏にのこのこと来てしまったのだから。

 冗談という望みをあきらめれないオレは最後の抵抗を試みる。

「ごめん、聞き間違いかもしれない。もう一度言って」

「ぼく宇宙人なんだ」同じことを二度言うのがわずわらしいのか、きわめて簡潔に述べる黒井。

 やっぱり目がマジだよ……。

「驚かないの?」

「いや、かなり驚いてるよ。ただどうリアクションとっていいのか、さっぱりわからないんだ」

 ウソつけ、とは言えなかった。

「本当はもっと派手なリアクションをとるべきだと思うんだけど……あ、こんなのはどうかな」

「なに?」

「ホンギャーと叫びながらハイジャンプするも着地に失敗して三メートルぐらい転げまわった末にドブ川に落ちるというのは」

「いや、それはやりすぎだから」

「ごめん。気の利いたリアクションのひとつもできなくて」

「別にいいよ。変に動揺されても話しづらくなるだけだから」

 気まずい沈黙が流れた。

「えっと、どこの星から来たの?」

「それは言えないんだ。故郷の星の名は日本語では発音不可能だから。そもそも言ってみても、地球人の聴覚では聞き取ることはできないよ」

「そ、そうなんだ」

 またしても、どうリアクションしていいかわからないウソだった。

「でもさぁ、夜空のどのへんかくらいはわかるよね」

「地球にある天体望遠鏡では観測できないくらい遠いところにあるから、肉眼で見えることはまずないよ」

 ヘタなウソだった。どうせなら、もっともらしいことのひとつやふたつ言ってくれると話も広がるというのに。

「あ、ごめん。ヘタなウソと思ったよね」

「えっ、そんなことないよ。宇宙人でも全然OKだから」無理に明るく振る舞う。

「地球人って案外信じやすいんだね。もっと疑り深いと思ってた」

 ウソともホントともつかないコメントだった。

「まぁ、中にはそんな人もいるかもしれないけれど、オレは信じてるから」

 真っ向から否定する気力や体力さえも湧いてこない。

「まだ会って間もないのに?」

「それでも信じてる。だから、つつみかくさず本当のことを教えてほしい」

 ウソをついてるつもりなら、いい加減ウソと言ってくれ。信じたフリをするのも、これ以上つらいんだよ。

「わかった。本当の姿を見せるから、覚悟してくれ」

「へっ?」

 突然、黒井の右の拳が迫ってきた。すると、黒井のひとさし指がぴょこっと起き上がり、その指の先がグニャリといきなり外側に折れ曲がった。

 折れ曲がった先がまたグニャリと折れ曲がる、やけにやわらかい指。そのままヘビのようにクネクネと折れ曲がりながら伸びてゆく、細長い腕。しだいに薄っぺらくなっていく、ぺらぺらな上半身。もはや原型をとどめていない、とろりとしたなにか。

 いつしか真っ黒な学生服やメガネもろとも水色に染まり、全身がゲル状に垂れ下がっていた。今まで人間の形をしていたものが、ハンマーでつぶされたように形をなくしていた。

 一瞬にして黒井は、巨大ななめくじを思わせる姿になっていた。そして触覚みたいなものをプルプルと震わせる。

『ギャアアアアァァァァアアアアァァァァッッッッ!?』と叫んだつもりなのに声が出なかった。代わりに出たのは、病弱な老人の口からもれた、かすれた咳のような音。正気を取り戻す三秒間に、ホンギャーと叫びながらハイジャンプするも着地に失敗して三メートルぐらい転げまわった末にドブ川に落ちる、というのを何度も繰り返したような気がする。

「ごめん。驚かせちゃったね」

「驚いたのもなにも、本当だったのかよッ!」反射的に、ツッコミを返すのがいっぱいいっぱいだった。

「えっ!? 信じてなかったの?」

「い、いや、もちろんウソをついてないことは信じてたさ。ただ言ってることが本当だとは思わなくて……」

「それはぼくのことを、自分の言ってることがウソだと気づいていない、本物のバカだと思っていたってこと?」

「まったくもってその通りで、ご、ごめんなさい! 死ぬほど申しわけないけど、殺さないでくださいッ!!」

 とにかく土下座した。ついでに、ほふく全身の体勢を取り、逃げる機会をうかがった。

「あ、今殺さないでって言ったね。ぼくのことそんなふうに思ってるんだ。じゃ期待に応えて殺すよ」

「ええええェェェェ――――――――ッッッッッッッッ!!」一斉に血の気がひいた。

「なぁ~んて、冗談だよ」

「……………………………………………………………………」真っ白な灰になった。

「驚いた?」

「ふざけんじゃねええぇぇええ――――――ッッッッッ!!!」血液の管がブチキレた。

「な、なにするんだよ?」

 一切ためらうことなく地面を蹴り上げ、ありったけの力で飛びついた。なめくじの形をした宇宙人に。

「その格好で言っていい冗談と悪い冗談があるだろッ! ときと場合を考えやがれッ!!」

「な、なんだよ。ひどいこと言ったのはそっちなのに」

「うるさいッ! よく考えたら、なめくじみたいな宇宙人なんて怖くもなんともないんだよ!!」

 しがみつきボコボコにしようとした。が、ヌルヌルとしてまるで手ごたえがない。

 ていうか、気持ち悪い。マジで。

「そんなこと言って、殺さないでくださいって必死に謝ってたくせに」

「それはこういう場合、テレビや映画だと生き残るのは、カッコいい美男美女と決まってるからな。少なくともオレみたいなブサイクはすぐに殺されるような、したっぱの悪役にしかなれないんだッ!」

 宇宙人のねばねばした感触が手にこびりつく。あまりの気持ち悪さに、痛めつけるのをやめた。クソォッ。こうなったら、子供のケンカみたいな悪口をみっともなく言ってやる。

「なめくじの形をした宇宙人なんて、まともに考えるのもバカバカしくてくだらない! そんなもの考えるぐらいなら、人間の形をした、なめくじ男を考える方がまだマシだッ!!」

「なんなんだよ、それは?」

「一見人間に見えるけど、塩をかけたら小さくなる怪人だよ。形が人間な分だけリアリティがあるし、なめくじとの関係性が低いから意表もつけるんだ、覚えとけッ!」

「そっちの方がくだらない。どうしてそんな怪人の話が出てくるんだ?」

「なめくじ男は小学校時代のオレのあだ名だぁああッッ!」

「知らなかった。きみは塩をかけたら小さくなるのかッ!?」

「そんなわけないだろ。顔がブサイクだからそう呼ばれてただけ。塩をかけたら小さくなるっていう設定はオレが考えたんだ。みんなからなめくじ男と呼ばれないために、本当のなめくじ男の話を自分で作って広めた。そしたらオレがなめくじ男じゃないってことはみんなわかってくれる。そう思った。ま、それくらいじゃ、次々と残酷なあだ名を思いつく子供の想像力にたちうちなんて、できるわけなかったんだけどな……」

 イヤなことを思い出してうなだれていると、肩に触角を置かれた。

「なめくじ男となめくじ宇宙人、案外いいコンビかもな」

「仲間じゃないッ! オレは人間だッ!!」

「そういうブサイクで困ってるきみに、お勧めの商品がある」

「はあ?」

 いつの間にか人間の形に戻った黒井は、カバンを小脇に抱えたスーツ姿になっていた。

「人呼んで黒ィせぇるすまん。心に隙間風を吹かせます」

「なんだ、そのいかにもパチモンくさいセリフは?」

 というか、隙間風吹かせたらダメだろ。それよりも、アニメ化する前のタイトルを知ってることが問題だ。本当に宇宙人なのか。

「日本のセールスマンはこういう自己紹介をするんじゃないのか?」

「テレビやマンガの知識を真に受けて、すぐに真似をする、子供と変わらないぞ」

「うんうん。そうやって初対面の遠慮がなくなってスキンシップも済ませたきたところで」

 そこまで話したところで、肩に手を置かれた。さっきオレがやった必死の抵抗は、なめくじ宇宙人にとってはただのスキンシップにしか過ぎないのか。

「お客さん、特別に発売されたばかりの新商品を紹介してあげるよ」

「お前、セールスするために地球にやって来たのか?」

「地球を侵略しに来たのでも思ったのかい。あいにくこの星の科学力は、他の宇宙人から見れば、取るに足らない原始的なものなんだ。それにぼくは、元々故郷の星ではセールスマンをやっていたんだ」

「そうか。間に合ってるから他をあたってくれ」一目散に逃走する。

「待った!」だが二、三メートル進んだところで、足をつかまれる。

 振り向くと、ニョロリと伸びた黒井の腕がグルグルと巻きついていた。

 急激に気持ちが冷めていく。

「あー、わかったわかった。待てばいいんだろ、待てば」あまりの現実感のなさに、もうどうでもよくなってきた。

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