5月第1火曜日
1 なめくじ男となめくじ宇宙人 その1
「転校生の
それが高校二年の五月という、実に季節はずれな時期に転入してきた、男子生徒の自己紹介のすべてだった。
地球人ねぇ。
本人は小粋なジョークのつもりかもしれないが、教室の中からクスリとした笑い声のひとつも聞こえてこない。
そのときのオレには見えた。教室中にいる全員の場の空気が一斉にひいていくのが。ひいていく波のうねりさえも、まざまざと見えてしまった。
「えっ、あっ、すみません。この星のこの国では、心がなくても形だけ謝っておくのが礼儀らしいので、そうしました。難しいですね。心をこめずに謝るのは」
また見えた。押し返してきた波に巻きこまれておぼれる黒井の姿が、オレには見えてしまった。オレは俗にいう、空気の読める男だった。
空気の波にあえいでいる黒井の姿があまりにもかわいそうだったので、自分でも知らないうちにオレは、ほほ笑みを浮かべていた。
すごい顔で黒井に睨まれた。
しまった、またやってしまった。
たぶん癇に障るほどバカにした笑い方になってしまったのだろう。
自分の顔のみにくさにイヤ気が差す。キモイ、ウザイ、お前が笑うと虫唾が走る。一度も笑顔を褒められた、ためしがなかった。それどころか、笑ってもいなくてもブサイクだと言われた。けれど、鏡を見ても自分のルックスのどこが悪いか、わからない。「全部悪い」と周りの人は言うが、他の人と欠けているところはなかった。それなのに「妖怪」と言われた。
さすがに高校生にもなると、面と向かって悪口を言うヤツなんていない。ただ、露骨にイヤな顔をしてこっそりと陰口をたたかれるだけ。おかげでどんな辛辣な罵倒が耳に入ってしまっても聞こえないフリをすることができる、ハイレベルなスルースキルをオレは身に付けることができたってわけ。感謝感激、まさに泣きたいくらいとはこのこと。
ホームルームが終わって転校生が自分の席に来たときも、オレのルックスに対して文句のひとつでも、ぜったい言われると思った。
「きみに聞きたいことがあるのだが、もしかしてぼくはこの星、いやこの国の風習に反する、おかしなことを口にしてしまったのか?」
予想に反して、オレに向ける黒井の態度は弱々しいものだった。
本人は天然キャラでも気取ってるつもりなのだろうか。
初対面の相手に嫌われるのもイヤだったので、ありきたりな慰めの言葉を口にすることにした。
「そんなに気負わなくてもいいよ。いまどき転校生になにかを期待するヤツなんていないから。ありのままで勝負してみたらいいんじゃない?」
何気なく口にした言葉なのに、相手はひどく驚いていた。
「やっぱりわかる人にはわかるのかもしれない。でも、ありのままで勝負する勇気なんて、ぼくにはない。ぼくの正体はたぶんきみの想像を超えてる」
「想像を超えてるって言っても、同じ人間であることに変わりはないだろ」
「ぼくは他の人とはちがうんだ」
いきなり面食らった。初対面の相手に自分は他の人とはちがうなんて、ためらうことなく断言した態度に。今度はオレの空気の波がひいていく番だった。
「えっと、なんて言うか、もっと自信持てよ。ま、なにかわかんないことがあったら……そうだ、オレよりもあいつに聞けよ」
気がついたら、オレの指はすぐそばにいるヤツに引き寄せられていた。
「あいつというのは?」オレの指さす方向に黒井の視線がさまよう。
「
オレが指差した先で、くりくりとした目の生き物がちまちま動いていた。つけ加えておくが、うちの高校の男子生徒だ。決して、人間の服を着た小動物なんかではない。
「学生服を着てるけど、顔も名前も女性のように見える。この星の人間は雌雄同体ではなかったはずだが、突然変異なのか?」
「れっきとした男だよ。言動は女っぽいところもあるから、女子からは『シロちゃ~ん』とか呼ばれてるけど、あれで結構人気あるんだぜ。本人はそういうことにはうといから全然気づいてないけど」
「その間城とやらは、この高校という施設のすべてを知りつくしているのか?」
「そういうわけじゃないけど、あいつは少し抜けてるところもあるけど、すごくいいヤツだから」
すぐ近くで話題になっているというのに、間城は目も向けない。愛想がないのではなく、ホントに気づいていないのだ。
「あと、そうだ。お前のとなりの席の女子には気をつけた方がいい」
「なぜだ?」
「
「いちご? それはあだ名なのか?」
「いや、名前なんだけど、みんなは
「そうか。よくわからないが、ありがとう。あとは本人に聞くことにするよ」
オレが止める間もなく、黒井は星野のいる席にすたすたと歩を進めていった。そのまま黒井の席の右隣に座ってる女子の前を通り過ぎて、一直線に左隣の星野の席に向かう。
あれ、なんかひっかかるな。なんというか、妙に黒井の足取りに迷いがないような気がする。オレが星野の席を教えたのだから、それも当然か。
「おい星野、聞きたいことがある」
星野は名前を呼ばれても顔を向けない。それにも構わず黒井は星野と向かい合うように距離を詰めていく。
「きみの親は『いちご』なんていう、珍しい名前をなぜつけたのだ?」
バンッと机が打ちつけられる音がした。そのとたん一瞬で掻き消えたのは、騒がしかった辺りの喧噪。
飢えたライオンを思わせる視線が星野の瞳から発せられていた。
黒井の足は止まっていた。まるで金縛りにでもあったかのように黒井の全身が硬直していることが見て取れる。それに興をそがれたのか、しばらくして星野が腰を落ち着けた。
辺りの喧騒が復活する。
どうやら地雷は不発に終わったらしい。
しかしオレがホッとしたのもつかの間、黒井の歩みは再び開始されたのだった。
「きみの親は『いちご』なんていう、珍しい名前をなぜつけたのだ?」
おいおい、お前はなんで同じ地雷を二度踏むんだよ。これだから、空気の読めない新参者は手に負えない。
「ちがうッ! 一后は名前じゃなくて苗字だッ!! 一后なんて恥ずかしい名前をつける親がこの世界のどこにいるッ!!!」
「じゃあ、なぜ他の人は星野と呼ぶんだ?」
「それは……あ、あたしの名前が……一后星野だから」
屈辱にゆがめられた星野の口から、この学校ではすっかりと有名となった事実が明かされる。
「そうか、一后というのは名前ではなく、名字なのか。でも星野という名前も充分変わってると思うが……」
「うるさいッ! ちなみに家族や親類に『いちえ』なんていう人はいないからなッ!!」
「訊いてもないのに、なんでそんなことを……」
「うるさいうるさいッ! あんたもしつこそうだから、念のためだッ!!」
黒井が消えたと思ったら、オレのすぐそばに舞い戻っていた。目にも止まらないくら速い逃げ足だった。そんなにも、かみつきそうな勢いで怒鳴りまくる星野が怖かったのだろうか。
「うーん。どうしてあんなに怒られたのだろう」
オレの背中に隠れるような形で疑問の声をあげる黒井。
「ごめん。それオレのせいだ。この前、家族や親類に『いちえ』という人がいないか、星野に何回も聞いたんだよ」
「なぜそのようなことを訊いたんだ?」
「もし『一后』という苗字の人に『いちえ』という人がいたら、おもしろいなと思って、ついな……」
「どういう意味だ?」真顔で質問された。
「悪いけど、これ以上は訊かないでくれ。口にするのもくだらないから」
「よくわからないが、あえて深くは聞かないでおこう」黒井の紳士的な態度に感謝した。
「それにしても星野がだれかと会話をしているのをひさしぶりに見たな。大抵のヤツらは星野のあの視線で怖気づけづくはずなのに、勇気あるな、お前」
勇気があるというよりも、ただのバカだけど。
「褒められるほどでもない。恐怖よりも好奇心の方が勝っただけだ。もしかしたら、押してはいけないとわかっている核ボタンのスイッチを押すときは、想像以上に胸がときめくものかもしれないな」笑顔の下でわなわなと両手を震わせる黒井だった。
わざとやってたのかよ。訂正、命知らずのただのバカ。
「ところで、大切なことを訊くのを忘れていた。きみの名は?」
「オレは
「顔だけ見ると、きみは地球人に見えない」
「宇宙人もダメだぞ」
「さきほどから気になっていたのだが、きみの顔は進化の法則を無視してる。人工的に遺伝子改造をほどこした突然変異なのか、是非教えてほしい」
「いや、親の悪いところを全部受け継いだだけ。オレが突然変異だったら、産まれてすぐ捨てられてるよ。人の子供じゃないってな」
「それもそうだな」腕を組んだままうなずかれた。
「納得すんなッ! 少しはフォローぐらいしてくれ!!」
思わず初対面の相手に対して、容赦のないツッコミを入れていた。
「すまない。こちらの道徳事情にはイマイチ通じてないんだ。なにせひさしぶりに来たから、いろいろと忘れてることが多くて困る」
「お前はいったいどこから来たんだよ」
「うーん、そうだな。質問に質問で返すのは卑怯だと言われてもしかたないが、江久保はどこがいいと思う?」
「おいおい、こんな簡単な質問でそうくるとは思わなかったな。なんで出身地を言うだけなのに、他人の顔色をうかがう必要があるんだよ?」
「どこから来たと言ったら、一番あやしまれないか、参考にしたいんだ」
「お前はどこかの国のスパイか、なにかなのかッ!?」
「そうじゃない。一般的な転校生はどこから来るものなのか、知っておきたいんだ」
……いったいなに言ってるんだ、こいつ?
いぶかしげな視線を送ると、黒井の瞳に満ちたのは、不安の色だった。
「どうしても教えてほしい。ぼくはきみから見て一般的な転校生に見えているのかを」
大まじめな態度でピントのずれた質問をしてくる黒井が、大変めんどうくさい存在に思えてきた。
「あのな、この世には一般的な人間なんてどこにもいないんだ。みんな同じように見えるけど、少しづつちがうんだ。だからさ、少しぐらい他人とちがっていても気にすることはないんだよ。それが当たり前なんだから、かくす必要なんかなぁいッ! 思い切ってなんでも話してみれば、案外笑い話で済むかもしれないぞ」適当なきれいごとを他人事に聞こえないように並べてみた。
「うーん。どうもきみと話してると、ぼくの正体を見抜かれてるような気がする」
悪いが、こちらはお前の正体なんて興味ない。それどころか、もう二度と関わりたくないとさえ思ってる。
「ちょうど協力者がいた方がなにかと便利かもしれないと思っていたところだ。きみはぼくの秘密を共有するのにふさわしい相手なのか?」
黒井の瞳の鋭さが増していくとともに、ただならない雰囲気が伝わってくる。
こいつの秘密とはいったいなんだろう。
一見、これといった特徴のない顔にメガネをかけて地味さ加減に拍車をかけているように見える。しかし、もしかしたら精巧なマスクやメイクをしていて、それを取ると、オレよりもブサイクな顔が現れたりするのだろうか。
その可能性にたどり着いた瞬間、ハッと目が覚めるような思いがした。
オレよりもブサイクなヤツがこの世にもいるなんて、考えただけで胸が躍る。なんとしても見極める必要があった。
「そういう相談ごとは任せてくれ。このオレがプライドの捨て方というのを教えてやる。何度も自分のブサイクな顔をネタにして、ピンチをくぐりぬけてきたんだ。人間はどれだけ羞恥心をなくせることができるかが、勝負なんだ」
ついにオレの自虐ギャグの真髄を受け継ぐに値する人物に巡り会えたかもしれない。そう思うと、涙がにじみでてきた。思えば、鏡を見てわざとブサイクな顔をつくってみたり、自分の顔を恐竜やUMAにたとえたりと、まるで傷口に塩をぬるような過酷な修行ばかりだった。
「非常にかたよった意見だが、きみが言うと、尋常ではない説得力がある。今日の昼休み、時間はあるだろうか?」
「おう、いつでも空いてるぜ」
毅然とした表情で涙をこらえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます