6 口なし女とほしいちごの親友

「その頃のあたしは、今みたいにバカでかい身長じゃなくて今のシロと同じくらいだった」

 マジか? 今のシロと星野じゃ、どう見ても二十センチ以上はちがうぞ。たった三年間でなにを食ったらそんな成長の仕方をするんだ、こいつ?

「主に人気があったのは異性の方だったから、当然のごとくあたしは一部の同姓にいじめられた」

「よくある話だな」一言でかたづけられるくらい、ありふれたことだった。

「そう、どこにでもよくある話だったはずなのよ。ここまでは」

 そこで星野はおもむろに視線をはずし、遠く見るような目で語りだす。

「その頃のあたしはいじめに対して、なんの抵抗もできなかった。また、今のあたしからは考えられないとあんたは言うかもしれないけど、すべて本当の話よ」

 間城よりも背が低くて、一部の同姓にいじめられるくらい人気者だった星野。しかも、いじめられてもなにもやり返さなかった。それが本来の星野の姿なのかもしれない。今までオレが見ていた星野の強さはなんだったのだろう

「やがて最初は生ぬるいものだったいじめが、だんだんとエスカレートしてきた。くつやサイフをかくされたり、机にラクガキされるといったかわいいものから、吐くまで腹をなぐられたり髪を切られたりといった暴力的なもの、下着をはぎ取られた姿を写真に取られておどされるといった精神的なものまで」

「衝撃的な内容の割りには、特に感情をこめずに淡々と話すんだな」

 話の内容とは裏腹に、落ち着き払った星野の態度が少しだけ不気味だった。

「もう心の整理はついたから。今生きているのは、半分いじめてくれた人たちのおかげ。あのときいじめられて、人生のどん底を味わえなければ、これから先起こる、悲しい出来事にたえられるわけがなかったから」

 ほう、立派なお言葉ですこと。

「……というのがたてまえで、本音は今でもみな殺しにしたいと思ってる」

 なんで、そこでオレを見る? 睨む相手がちがうだろ!

「ただ、あんなおろかな人たちのせいで人生を台無しにされたくないし、すべての人はいずれ死ぬから。少なくとも二度と会わなければ、あたしの中では死んだも同然。あたしの卒業アルバムね、あたしのクラスのページだけ破られてるの。本当は全部燃やしちゃうつもりだったんだけど、すべてなかったことにするのはさすがに気がとがめたから、ページを破り捨てて他の写真もマジックで塗り潰すのにとどめたの」

「なにもクラスのページまるごと破り捨てることなかったんじゃない? いじめた人の写真だけ切り取れば……」

「だって、いじめを見て見ぬフリするクラスメイトや担任教師も同罪じゃない」

「……あなた様のおっしゃるとおりです」

 中学校のとき、お前のクラスメイトじゃなくて、本当によかったよ。じゃなきゃ、今頃、お前に呪い殺されてた。

「話が少し横道にそれたわね。さっきも言った通り、いじめを見て見ぬフリをする周りの生徒や教師なんて頼りにならなかった。親に話すなんてもってのほか。そんなとき、現れたのよ。あたしを助ける人が」

「それは現実では、なかなか聞かない話だな」

 そんな都合よく救世主が現れるなんて、いまどき安っぽいテレビドラマでも起こりえない。

 まるでファンタジーじゃないか? 自分が苦しいときに、だれかが助けてくれるなんて。

「その人の名はおどりおと。二学期の後半という季節はずれな時期に転入してきた女子生徒だった。一言でいえば、変わった人。どこの国から来たかわからない帰国子女だったせいか、恐ろしいくらいの世間知らずだった。それに、大変なおしゃべり好きで、四六時中、言葉を発していたわ。いつ息継ぎをしていたのか、わからないくらい。まるで話すのをやめたら、死んでしまうような呪いをかけられたかのように」

 たぶん、そいつがなめくじ宇宙人なのだろう。

「その人の助け方も変わっていた。あんたは信じてくれないかもしれないけど、あたしはその人がくれた、この絆創膏で強くなったの。文字通り、心も体もね」

 慣れた手で鼻に絆創膏をつけると、星野は体育館裏に隣接された金網に手をかけた。

 バチパチッ、となにかが引き裂かれた音がしたかと思うと、金網にいびつな穴が空いていた。星野の片手には、ちぎり取られた金網が握られている。

 こいつ、いとも簡単に素手で金網をぶち破りやがった。

「いじめられたあたしを見かけた乙音がくれたのが、これだった。乙音は『怪力シート』と呼んでいた。マンガみたいな話だけど、これをつけると信じられないくらいあたしの力は強くなった。最初の頃はこれをつけたあと、激しい筋肉痛に襲われたけど、だんだん平気になってきた。怪力シートを使ってあたしは、自分の身を守る以上のことはしなかった。仕返しをしたら、またあたしの代わりにだれかがいじめられるだけだと思ったから」

「それは、とても賢明な判断だね」他人に不快を与えない程度の微笑を浮かべる。

 いじめは連鎖する。仕返しだとしても星野がいじめをしたら、いじめられた人はまた弱い人間を見つけて、いじめをするだけだ。

 どこかでだれかが止めなければいけない。星野はその連鎖に打ち勝ったのだ。だれにでもできることではない。

「さいわい、いじめてくれた人はみんなあたしに近づこうとはしなかった。なにも怖がることなんかないのにね。あたしは仕返しなんて、くだらないことしないんだから」

「それはそれは、とてもとても賢明な判断だね」微笑してる顔が青ざめる。

 さぞかし、いじめた人は強くなった星野を見て恐怖にさいなまれただろう。きっと今でも死刑執行を待つ囚人のような気持ちで、星野の影におびえてるにちがいない。

 一度に直接的な仕返しをするよりも、ずっとずっと効果的で恐ろしい方法だ。なにせ、その苦しみは半永久的につづくのだから。

「助けてくれたというわけじゃなかったけど、あたしと乙音はとても仲良くなった。いじめられるまで友達は数多くいたけど、助けようとしてくれた友達は、初めてだった。乙音は唯一の親友だった」

 いじめを静観するだけの友達にかこまれて、ひとりでいじめにたえてきた彼女にとって、乙音との時間はさぞかし幸せだったにちがいない。

「でも、乙音との時間は長くは続かなかった。二学期が終わる前に乙音がいなくなってしまったから」

「また他の学校に転校でもしたのかい?」

「ちがう。存在自体が消えた」

「そうか……。すべての人はいずれ死ぬからな」

「ちがう。乙音が生きていた記録も消えていた」

 頭が一瞬、思考停止する。

「どういうことだ?」

「正しくは、みんなの記憶から『踊乙音』という少女の記憶が消えていた」

「そんなことが……」

 起こってもおかしくない。乙音の正体がなめくじ宇宙人だったなら。

「今でも信じられない。ある日突然、乙音が学校に来なくなったと思ったら、クラスメイトも教師も学校中の全員が、そんな生徒は見たことがないって言うんだから。あんなにやかましくて目立つ人がいなくなれば、だれかが気づきそうなものなのに、だれも気づかない。そのときになってあたしは、初めて乙音の身元について、なにも知らないことに気づいた。帰国子女だとは聞いてたけど、どこの国から来たのかも知らない。ねえ、あたしたちって本当に親友だったのかしら? だって、別れのあいさつもなく、あたしのいる世界から消えてしまったんだもの。親友だと思ってたのはあたしだけだったのかな?」

「なにか理由があったんだよ」

「なんの理由があったって言うのよッ!?」

 それまで冷静だった星野の声に、初めて感情的な色が帯びはじめた。

 オレは知ってる。でも言えない。

 だって、言ってしまったら、とどめを刺すことになるから。

 初めてできた唯一の親友が、地球人じゃないなんて――オレたちとは別の星の住人だなんて、言えるわけがない。

「あたしもそう思った。ひとりの少女の存在自体が消えてしまうなんて、ぜったいなにか理由があると思った。でも、わからない。だって、乙音はあたしになんにも話してくれなかったんだからッ! こうなることを乙音が予測できなかったといっても、ぜったいなにか前触れがあったはずなのにッ!! 乙音はあたしになにも相談してくれなかった……」

 なにも言えない。星野に対して、なにもかけるべき言葉が見つからない。

 思いつく言葉はいっぱいある。たとえば「心配かけたくなかったんだよ」とか「だれも巻きこみたくなかったんだよ」とか。

 でも、言えない。いや、言ってはいけない。

 そんな安っぽい言葉、今の星野の前では、ただのなぐさめにもならない。

 だって、たとえ今思いついた言葉通りだとしても、星野は心配かけてほしかったはずだ。巻きこんでほしかったはずだ。

 じゃなきゃ、「あたしたちって本当に親友だったのかしら?」なんて言わない。

 口にこそ出さないが、星野は乙音に裏切れたと思っているのだろう。

 なにもできない。今心の中で泣いてる女の子を目の前にして、できることなんて、なにひとつない。自分の力のなさがくやしくてたまらなかった。

「あたしはだれにも頼らずひとりで生きていくことにした。もう友達を失うのはイヤだったから。ひとりでいれば、だれかを失うこともないと思った。乙音を失った悲しみに負けないよう強くなろうとした」

 人間はひとりだ。どんなに苦しんでいても自分の気持ちを他人とわかちあうことなんて、できない。そのことをオレは、身をもって知ってる。

 だからこそ、なにもできない。

 世界で一番ブサイクなヤツがオレしかいないように、初めてできた親友がなめくじ宇宙人だったなんて稀有な体験したヤツなんて、他にいない。

 まったく同じ境遇の人間なんてどこにもいないんだ。

「それから三年も経つとね、乙音なんて人は最初からいなかったんじゃないかって、思うときがあるの。さびしさのあまり、あたしが頭の中で勝手に作り上げた幻想じゃないのかって、長い長い夢を見てただけじゃないかっって、ときどき思う。そんなとき、この絆創膏を取り出して、確かめる。この絆創膏だけが、あたしの親友がこの世界にいた、唯一の証だから」

 星野は鼻の上の絆創膏を取りはずし、それを見つめた。

「ま、上に貼ってある絆創膏はすぐにくっつかなくなるから、何回も取り替えてるんだけど。最初にもらったときについてた絆創膏だけは、どうしても捨てられないのよ」

 大事そうに、手のひらの絆創膏をポケットにしまった。

「これで、あたしが人間嫌いになった話は終わり、どう信じられる?」

 最後までかける言葉が見つからなかった。

 それでも、オレは気まずい沈黙を埋めるように素朴な疑問を口にする。

「そんなことがあったのに、どうして間城と友達になりたいと思ったんだ?」

「最初は昔の自分に似てたシロがキライだった。シロを見ると、昔の弱かった自分を思い出すから。でも、今はキライじゃない。他に理由が必要なの?」

「いや、それだけで充分だ。なあ、最後にひとつだけ聞いていいか?」

「いいけど、なに?」

「乙音って言ったっけ。そいつさ、星野のこと『ほしいちご』って呼ばなかった?」

「そうだけど、なんで知ってるのよ?」

「いや、ただなんとなくそんな気がしたんだ」

 だから、黒井が「ほしいちご」と呼んだとき、激しく怒ったんだな。

 ほしいちごは乙音以外呼んではいけない、親友の証みたいもんだから。

「じゃ、オレは間城を呼びに行ってくるから」

「ありがとう。聞いてくれて」にっこりと星野がほほ笑む。

 その笑顔には、さっきまでの悲しみはかけらも見受けられなかった。

 ほほ笑み返そうかと思ったが、やっぱりやめた。自分の笑顔は他人にとって不快に映るのを知っていた。それに、悲しみを押し殺した星野の笑顔を前にして、とても笑みを返すことなんて、できるわけがない。

 そう、オレはなにもできない。

 オレがなんの反応も返さず黙っていると、星野はつづけて言葉を発した。

「ありがとう。こんなだれも信じられないような話、バカにせずに最後まで聞いてくれて」

「星野、人間はひとりだけど、他人を利用しないと生けていけないんだぞ」

「なにそれ? せっかくあんたのこと見直し始めてきたのに、今までの台無しじゃん」

「どうも最後までいい人というのは苦手でね。じゃあなっ」

 その場から逃げるように、駆け出す。

 あ――、もうッ! あんなこと言われたら願わずにはいられねえじゃねえかッ!! ぜったい、ぜったい友達つくって幸せにならないと、ブッ飛ばすからな、クソッ!!!

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