6 口なし女となめくじ男  その3

 黒井の言葉が妙に心にひっかかる。イヤな予感がする。自分がフラれたときのつらい体験がよみがえる。オレと星野はちがうんだと必死に頭を振りはらう。

 どうにか頭を切り替えて、どうやって星野の心の壁を取り除くか、授業そっちのけで考えた。

 そうこうしているうちに、昼休みになった。

 間城は休み時間の間、ずっと星野に話しかけなかった。それどころか、近づきもしなかった。

 オレは体育館裏に急ぐ。星野には、昼食を食べ終わったら、体育館裏に来るように言ってあった。

 昼食を食べ終わってしばらく待つと、星野が体育館裏にやって来た。

「こんなところに呼び出して、なにするつもりなの?」

「そうだな。まずはオレとにらめっこをして勝ったら、秘伝の自虐ギャクを教えてやる」

「おい、あたしが知りたいのは、素直になる方法だ、ふざけるなッ!」

「じゃ、体育の時間に今や絶滅の危機に瀕している伝説の体操服でも着てもうおうか?」

「どうやら死にたいみたいね」拳をかためた星野に間合いを詰められた。

「冗談だよ、冗談。この紙に書いてあることを口に出して言ってみてくれ」

『シロちゃんチュキチュキ大チュキ』

 星野にかざしたノートの切れ端にはこう書いてある。

「こんなことをあたしが言えると思ってるの?」

「少し荒療治だけど、これくらしないと星野は素直にならないだろと思いまして」

「頼む相手をまちがえたらしい。このことはなかったことにしろ」

 星野にそっぽを向かれた。あわてて星野の行く先にまわりこみ、呼び止める。

「待てよ、素直になりたいんだろ。間城のことが好きなんだろ」

「あたしは……シロのことが好きじゃない」

「でも、今朝みたいに間城と話がしてみたいんだろう」

「…………」星野は言葉を失う。

 いつもの星野ならオレの言葉が間違っていれば、すぐに否定するのに。

「いい加減認めろよ。間城とつきあいたいんだろう?」

「あたしは……シロと友達になりたいだけ」

 耳まで星野の顔が真っ赤になる。

 それを聞いて、手に持ったノートの切れ端をビリビリと破り捨てる。オレが聞きたかったのは、今星野が言った、心からの言葉だった。

 だれかが用意した言葉では、きっと間城の心には届かない。

「なんだ、できるじゃないか。そうやって自分の気持ちに素直になればいいんだよ」

 星野の瞳が見開かれる。オレの態度が今までと変わったことに驚いてるのだろう。

「それじゃ始めるか。星野、今一番、間城に伝えたいことを自分らしい言葉で言ってみるんだ」

「あたしの友達になって」

 蚊の羽音に負けそうなくらい弱々しい声だった。

「もっと気持ちをこめて」

「あたしの友達になれッ!」

 躍動する声が星野の顔に活気を与える。さっきよりは迫力があった。

「もっと体の全身を使って」

「あたしを友達にしろッ!!」

 ガツンときた。ゾグゾグと身震いさせられ、興奮がみなぎってくる。それだ。オレが聞きたかったのは。星野の本当の気持ちをハートホンを使わずに聞くことができたのは、これが初めてだった。

「よし、いいぞ。じゃ次は、オレを間城だと思って」

「それは無理」即答。

「すまん。今のはオレが悪かった。ここに間城がいると思って言うんだ」

「あ、あたしを、と、と、友達に、し、しろ」急に声に元気がなくなった。しかも口の動きがカクカクしてる。

 典型的な本番に弱いタイプだな。緊張を解くことから、始めないとダメだ、こりゃ。

「深呼吸して全身の力を抜け」

 スゥ――――――――ッ。星野の腹がしぼみ胸がふくれる。

 ハァ――――――――ッ。星野の腹がふくらみ胸がしぼむ。

「腹の中にためこんだイヤなイメージを二酸化炭素と一緒に吐きだすつもりで」

 スゥ――――――――――――――――――――ッ。星野の顔がどんよりと曇る。

 ハァ――――――――――――――――――――ッ。星野の顔が明るく晴れ渡る。

「お前、間城にちゃんと言える自信ないだろう」星野が深呼吸してる隙をついて、質問した。

「じ、自信満々よッ!」うろたえたように赤くなる星野。

「ウソつけ。自信のないヤツほど、大きなこと言って強がるんだ。本当に自信のあるヤツはなにも言わずどっしり構えてるもんなんだ」

「自信があったら、あんたなんかには頼まない。悪いッ!?」

「悪くないよ。自信がある方がおかしいんだ。だれだって勝負の前になれば、失敗を恐れる。その失敗のイメージを二酸化炭素と一緒に吐き出すんだ」

 スゥ―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ。

 ハァ―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ。

 深く呼吸するたび、星野の顔がやさしくなる。

「よし、次は催眠術だ。この五円玉をじっと見ろ」星野の眼前で糸をつけた五円玉をゆらす。

「バカにしてるの?」

「なにもホントの催眠術をかけるわけじゃない。自分で自分に暗示をかけるんだ。ぜったい自分は成功するってな」

 いぶかしげな視線を向けながらも星野は、自分に言い聞かせるようにつぶやきだす。

「あたしはぜったい成功する。ぜったいシロに自分の気持ちを伝えることができる」

「そして成功したときのイメージを頭に強く、強く、思い描くんだ」

 星野のまぶたが閉じられる。オレも星野と間城が仲良く話してる姿を切望した。

「よし、それが終わったら、もう一回、間城に一番伝えたいことを自分らしい言葉で言ってみろ」

 星野のまぶたが開かれる。今までに見たことがないくらい、落ち着いた顔をしていた。

「あたしを友達にしてください」心の中にしみわたる声だった。透きとおっているだけでなく、どこか一本芯の通った張りを感じさせる。

「こちらこそ友達になってくれ」

「あんたに言ってるじゃないッ!」

「つい答えちゃうんだよ。今まで一番、星野らしい言葉を聞いた気がしたから」

「えへっ♪」星野の口元がほころぶ。

 知らなかった。星野って、こんなにかわいく笑うヤツだったんだ。

 その言葉は胸に秘めておくことにした。たぶんオレが言っても喜んでくれないだろう。

「それだけできれば、上出来だな。よし、次は本番だからな。ここに間城を呼んでくるから、今の言葉を言ってみるんだ」

「えっ、これだけで本当にいいの?」

「充分だろ。曲りなりにも星野の思いの強さは伝わるよ。でも、最後に言っておくことがある」

 少しこわばった星野の顔を正面から見つめる。

「うまく言えなくてもいいから、とにかく思い切りやれ。ぜったい間城と友達になれるから」

「はい!」星野の口元に笑みが戻る。

 オレがいなくても、星野は素直に笑うことができるだろう。

 急いでその場をあとにして、間城がいる教室を目指そうとする。

「待って!」星野に呼び止められる。

「なんだよ? まさか今になって、やっぱりダメとか言い出すんじゃないだろうな。そんなのダメダメだからな」

「そうじゃない。あんたに借りをつくりたくないの」

「はぁ? 安心しろ。これをネタにしてゆすったりなんかしないから」

「そうじゃないそうじゃない。借りを返せるかわからないけど、聞いてほしい」

「なにを?」

「あたしが友達をつくらず、人間嫌いになったわけを。あたしに勇気をくれた縁に聞いてもらいたい」

 教室に向かいかけた足を戻して、ゆっくりと星野に近寄る。

「オレは勇気をあげたつもりなんかない」

「そっちにはなくても、こっちにはあるの! シロのことキライなくせに仲がいいフリをしてる縁を見ていて、ずっと思ってた。どうしたら、あんなに簡単にプライドを捨てられるんだろう、あんたにはプライドがないのかって、見下してた。でも、ほんの少しだけ、すごいな、あたしにはできないって思ってたんだよ。だから、あたしは勇気を出すことができた」

 知らなかった。そんなふうに思われてたなんて。

「あんただったら、あたしが人間嫌いになったわけをバカにせず聞いてもらえるかもしれない。だって、縁はこれまで何百回もプライドを捨ててきたんだから、これからプライドを捨てて自分の恥を話そうとするあたしを笑えるわけないんだから」

「そんなの聞きたくない、なんて言ったら、どうする?」

「聞けッ!」星野の目つきが変わった。

「おい、せっかく素直になったのに、また元に戻ってるぞ」

「……聞いて」控えめな態度に戻る。

「よろしい」右手を星野の頭の上にかざす。

 ……って、なんでオレは星野の頭をなでようとしてるんだ?

 危うくふれそうになった右手をなんとか踏み止ませる。

「んぅ!」それを見た星野がオレの右手をわしづかみ、自分の頭に押しつけた。

「おい、なにやってんだ?」

「褒められるのは、キライじゃない」

「そ、そうか……」

 いや、それ子供やペットに使う褒め方と一緒なんだけど。

 頭をなでられて頬を真っ赤にする星野を見てると、ついつい抱きしめたくなる。

 はっ! 今オレなにを考えてた?

 だれか、オレを殺してくれ!! 

 よりによって星野なんかを抱きしめたくなるなんて、恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。

 あわてて星野の手を振り解き、なでるのをやめる。

「じゃ聞いてやるから、話せよ」

「うん、今から三年前、中学二年の頃の話なんだけど。その頃のあたしって、ちょうど今のシロによく似てた」

「おい、だれがだれに似てるってぇっ?」

「あたしがシロに」

「ウッソーッ! お前ら全然ちがうじゃねえかッ!!」

「顔や性格とかじゃなくて、今のシロのポジションが昔のあたしとよく似ていたの!」

「ポジションって?」

「つまり、今のシロみたいに、みんなにかわいがられて人気があったの」

「だれが?」

「あたしがッ!」

「それこそ信じられないッ!!」

「しょうがないじゃない。本当のことなんだから」いじけたように下を向く星野だった。

「あー、ごめんごめん。つづけてつづけて!」

 言いたくないことなのか、たっぷりと時間をとってから、星野は話しはじめる。

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