6 口なし女となめくじ男 その2
「おいおい江久保、簡単にほしいちごの頼みを引き受けちゃっていいの?」
自分の席に戻ろうとしたところ、黒井に男子トイレまで連れ出された。その挙げ句、問い詰められた。
またこいつは、どこでその話を聞いてたんだ。
「しかたないだろ。あんなふうに頼まれたらイヤとは言えないよ。それに元はと言えば、星野が恋したのはオレのせいでもあるんだから」
「間城の気持ちをメチャクチャにするんじゃなかったのか?」
「それとこれとは話が別だ。間城をメチャクチャにするのに、星野まで巻きこみたくない」
「そんなのつまんないよ。どうせならふたりともメチャクチャにした方がおもしろいよ」
「だから、これはそういう問題じゃないんだ。もう間城に邪魔するのはやめて、星野の力になろうと思う」
「本気で言ってるの?」
「本気だ。まさか星野があそこまで、間城のことを好きになるとは思わなかったんだ。だから、責任だけは取りたいと思う。まあ、オレが星野に対して、できることなんて、たかが知れてるけどな」
こんな気持ちになるなんて不思議だった。どうやら、すっかりオレは星野の覚悟に心打たれてしまったみたいだ。
「いや、そこじゃなくて、本気で間城に邪魔するのをやめちゃうの?」
「……そのつもりだ」
「どうしたんだよ、江久保? せっかくここまでやってきたのに、今やめたら今までの苦労が水の泡なんだよ?」
「それよりもプライドを捨ててオレに懇願してくれた星野の気持ちをむだにしたくない。それが自分のプライドを捨てる覚悟を決めた人に対する、最低限の礼儀ってもんだ」
今でも星野の言葉が信じられない。だって、あの女がプライドを捨ててまで間城と仲良くなりたいなんて、今の今まで、思ってもみなかった。それほど、今までのオレは星野の気持ちを軽んじていた。
「みんなにかわいがられてる間城が憎くないの? 考え直したほうがいいよ!」
「憎いさ。間城にオレと同じ嫌われ者の気持ちをもっともっと味あわせてやりたい。今でもその気持ちは変わらない」
「じゃ、なんで? そんな……まるで善人みたいなマネするの?」
「善人みたいなことして悪いか?」
「悪いよ。顔も心までもみにくい、なめくじ男はどこに行っちまったんだよッ!?」
「オレはなめくじ男じゃない。ただの人間だ」
さきほどの星野の顔がよみがえる。あれは、まさしく恋をする女の顔だった。おかげで思い出してしまった。自分が人間だということを。顔はなめくじだけど、心は人間だったんだ。
「ずるいよ、ずるいよ、江久保。今さらそんな善人ぶって、偽善者をやめちゃうなんて……ぼくのこの……うずうずとした気持ちはどうしたらいいんだよッ!? せっかく間城の人格が破壊されるところが見られると思って楽しみにしてたのに!!」
「知るかッ! 星野がプライドを捨てて、勇気を出してくれたんだ。ここで協力しなきゃ、一生、星野はひとりぼっちのままなんだ。もう……決めたんだよ」
「残念だね。きみはもっと冷たい人だと思ってたのに」
「自分でも驚いてるよ。こんな気持ちがオレにあったなんて。これじゃ、まるでバカだ。世界一の大バカ者じゃないかッ! なんの得にもならないのに他人のためにいいことするなんて、バカのやることだッ!!」
とっくの昔に忘れていたはずなのに、星野のおかげで思い出してしまった。自分が恋をしていたときの強い気持ちを。イヤな思い出しかないはずなのに、心が浮き立つ気持ちでいっぱいだった。
「むだだよ。きみがいくらがんばっても、あのプライドの高い女がそう簡単にプライドを捨てられるわけがない」
「だから言っただろ。オレができることはたかが知れてるんだ。第一歩を踏み出そうとしている星野の背中をそっと押してやるだけさ。あとは星野しだいだな」
これからどう星野が自分のプライドを捨てるのか、楽しみでしかたなかった。
黒井のいる男子トイレから出て行こうと、廊下に足を踏み出した。
「もし、ほしいちごの行く先がガケだったらどうするんだよ?」
その足が止まる。
「それはない。間城だって星野のことが好きなんだから」
「そうかな。人の気持ちなんてわからないよ」
立ちつくしているオレを追い抜いて、黒井が男子トイレから出て行く。あとにはオレひとりだけが取り残された。
しばらくオレは動けなかった。とっくに一限目開始のチャイムは鳴っていた。
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