5月第3火曜日
6 口なし女となめくじ男 その1
教室に足を踏み入れると、朝から間城と星野の話し声が聞える。はたから見る限りでは、間城と星野の仲は着実に進展しているみたいだった。
クソッ、いつの間にあんなに仲良くなったんだ?
昨日、星野に間城が謝ったあと気がついたら、オレはひとりになっていた。
「おい黒井、昨日あれからなにがあったんだ?」
「江久保がボーッとしてる間に、あのふたり一緒に帰ったんだよ」
「なにぃッ!? どうしてそのときオレに言わなかった?」
「言ったけど、江久保、聞いてなかったじゃない」
いったい間城は星野とどれくらい仲良くなったのだろう。
「おい間城!」
星野と話し中だった間城を呼び出し、黒井から離れたところでさりげなく訊いてみる。
「なかなか星野といい感じじゃないか?」
「そう見える?」
「……ちがうのか?」思ったよりも間城が浮かない声だったのが気になった。
「星野さんと会話がつづかないんだ。話すこともないし、一方的にぼくだけが話しているような気がして、なんだか疲れるんだよ」
どうやら間城自身は、仲がよくなったとは思ってないらしい。間城以外、星野とまともな会話を成立できる人がいないから、仲がいいように見えるのだろう。
「星野さんはぼくと話していて楽しいのかな?」
「そんなに気になるんだったら、さかさまホンで心の声を聞いてみればいいだろう?」
「でも他人の心の声を勝手に聞くのは相手に悪い気がする。それに、アレをつけていると自分の悪口ばかり聞くことになるから、あまりつけないようにしてるんだ」
「甘いな。恋愛はケンカだ。どんな卑怯な手を使っても、最終的に相手を惚れさせた方の勝ちなんだ」
「こういうヤツいるよな。つきあった経験もないのに、えらそうに他人の恋愛にアドバイスするヤツ」
ふたりで話していたはずなのに、いつものように黒井が出現した。あい変わらず遠慮もプライバシーもこいつの辞書には載っていない。
「いつも思うんだが、江久保に恋愛の相談するのはまちがってる」
「でも、みんなはぼくのこと心の中では嫌ってるみたいだから、他にいないんだよ」
「お前はしかたなくオレに相談してたのかッ!」
「星野さんは本当にぼくのことが好きなのかな?」
「なんだよ? もしかして、さかさまホンのことを信じてないのか?」
まさか、もうバレたんじゃないだろうな。
「そういうわけじゃないけど、前はぼくのこと好きだったけど、今はキライになってるかもしれないと思うことがあるんだ。ぼくと話していても、楽しそうに見えないし」
「だから、そんなに気になるんだったら、さかさまホンで聞いてみればいいだろう」
「……うん」ポケットの中に吸いこまれるように間城の手が入る。ポケットから取り出したあと、しばらくの間、間城はさかさまホンから目を離さなかった。
間城の瞳が不安そうにゆれる。
「ごめん、星野さん」さかさまホンが間城の耳に押しこまれる。
それを見て、オレはさかさまホンとハートホンを両耳に押しこむ。
星野の心の声が離れたところから聞えてくる。
『世界中にいる人間がみんな好き。でもシロは好きじゃない』→(世界中にいる人間がみんなキライ。でもシロはキライじゃない)
「ええッ!? 前はぼくが一番好きだって言ってたのにィッ!!」
まずいな。あの人間嫌いが間城をキライにならないなんて、よっぽど間城を気に入った証拠じゃないか。
『シロの笑顔もよくない。これ以上話をしたくない』→(シロの笑顔も悪くない。もっと話をしたい)
「やっぱりぼくのことキライになったんだ!」
この前は、間城の人なつっこい笑顔がキライだって言っていたはず。それなのに、もう感化されてやがる。
認めたくはないが、これが間城の魅力なのか?
さいわい間城はそのことに気づいてないようだ。
「もうダメだ……」間城はどんよりとした目でため息をつく。
「まだわからないじゃないか。星野に直接訊いてみたら、どうだ?」
「そんなのできないよ」
「じゃオレが訊いてくるから、お前も来い」
イヤがる間城を、星野の席まで強引にひっぱった。
星野のことだから、ストレートに訊くと、恥ずかしがってぜったい否定するにちがいない。
ボロクソにフラれる間城の姿を期待した。
「なぁ、星野、間城のこと前はキライだって言ってたよな。今はどうなんだ?」
「キライだ」即答だった。けれど星野の頬はうっすらとピンク色に染まっている。
間城の顔が少し青ざめる。覚悟していたのか、前みたいに気絶するほどのショックは見受けられなかった。
少し期待はずれ。
「江久保、どうしたらいいの?」間城が小声で話しかけてくる。
「あきらめるしかないんじゃないか。嫌われてるのにしつこくつきまとうのはみっともないだけだぞ」
「うん、そうだね」
あれ? やけにあきらめがいいな。いつもはもっと言い返してくるのに。
「しかたないよね。星野さんがイヤがる顔なんて見たくないから、好きでいるのはあきらめることにするよ」
おいおいお前の星野に対する気持ちって、その程度のもんだったのか?
間城のあきらめる姿が見たかったはずなのに、なんだかすっきりとしなかった。
「星野さん、ごめん。もう星野さんに無理やり話しかけないよ」
「……そう」星野の返事はそっけなかった。それなのに間城よりもショックを受けているように見えるのは、気のせいのなのだろうか。
「これからはあとをつけたりなんかしないし、あまり近づかないようにするよ。じゃ……」
間城が手を振って星野に別れを告げた。
「……待っ……」星野のかすれた声は間城には届かなかった。
「ま、これで星野もせいせいしただろう。またひとりぼっちだな」
うつろな目をした星野を取り残して、自分の席に戻ろうとした、その瞬間、
「待て」
か細く震える声がオレの足を止めた。
「なんだよ? 今頃自分の気持ちに気づいても、おそいよ。もう間城は遠くに行っちゃったよ」
うしろを向けたまま星野と話す。振り返る余地もないくらい、手遅れだった。
けれど、そんなオレの予測はくつがえされることとなった。星野の次の言葉によって。
「間城に言ったんじゃない。あんたの得意技をあたしに教えろ」
星野はまだあきらめていなかった。
「言ってる意味がわかんないんだけど?」顔だけ振り返る余地を星野に与えてやる。それが最低限の義務だと思った。むくわれない恋のきっかけを作ったオレとしての。
「あたしはシロともっと話がしてみたい」
「オレに言ってどうする!?」顔だけじゃなく体の向きまで変える余地を思わず与えてしまった。あまりにも星野の言葉が的外れだったから。
「あんたがシロのことキライだってことはよくわかってる」
「じゃ、なんで言ったんだよ」そのまま星野に詰め寄る。オレは星野の話に引きこまれていた。
「もうイヤなのッ! あたしの前から、だれかがいなくなるのを見るのは。だから、あんたの得意技を……お、お、教えろ……」
「そんな上から頼まれてもな。だいたいオレの得意技ってなに?」
「他人のご機嫌をとるためなら、プライドを捨てて偽善者でも、ブサイクを売りにするピエロでも、なんだってすること」
「惜しいな。少し抜けてるぞ。オレは偽善者でもピエロになったとしても、開き直って生きていけることができるんだ」胸を張って言ってやった。
「それを教えろ」
「悪いが、この得意技は前にも言ったように、プライドのあるヤツには一生できない技なんだよ!! プライドの高いお前みたいなヤツには百万回生まれ変わっても無理なんだ!!! あきらめな」
振りかえり、今度こそ自分の席にも戻ろうとする。
これで終わりだ。結局、間城と星野の恋は叶わないものだったんだ。
オレが邪魔をしようとしなくても、最初から決まったことだ。そう思いこんで、星野のへの罪悪感を押し殺す。
「お願い」服の袖を星野につかまれる。
「まだ言う……」
顔だけ向けると、そこにいたのは、見たこともない真剣な顔をした、恋する女の姿だった。
「あたしにプライドの捨て方を……教えて」
こんなにも素直な星野は見たことがなかった。だから、自分でも気がつかずに首をたてに振ってしまっていた。
オレの心どこかで星野に対する同情が、思いやりに変わった瞬間だった。
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