3 なめくじ男と世界一ブサイクな男の弟 その2

『午前二時、分娩室にて江久保縁、誕生。生まれたときから、彼の顔は見る者を不快にさせた』

 なんだなんだ、このナレーションは? 走馬灯ってこんなものなのかッ!?

 赤ん坊と一緒に泣きじゃくる両親の姿。ウアアアアァァァァン。盛大にこだまする三人の泣き声。たただただ騒々しいだけの世界。

 感激のあまり号泣してしまったのだろうか?

『一目見ただけで彼の両親は、息子の将来に絶望した。この顔では生きていけないと』

 このナレーター、オレにケンカ売ってるのか?

 健やかな赤ん坊の寝顔。それを取り囲む両親のうしろ姿。遠目からもわかる楽しそうな親子の雰囲気。あこがれに包まれた孤独な世界。

 どうやらあの赤ん坊はオレではないみたいだ。

『一年後、彼に弟ができた。さいわい兄には似ても似つかないくらい、まともな顔をしていた。とても同じ親から生まれたとは思えない』

 最後、ナレーターの個人的な感想が混じってなかったか?

「お母さん、幼稚園で友達ができたよ」幼いオレの弾んだ声。母親の心配そうな顔。「いじめれなかった?」「ううん」「そう、よかった」母親の安心した顔。「あ、エデンちゃん、ほっといてごめんね」そして母親の背中。ひとり取り残された気分。「いじめれたよ。幼稚園でいじめれた」

『親の気をひくために初めてついたウソだった。彼はブサイクを売り物にして、他人の同情を買うことを覚えた。すべて生きていくためにしかたないことだった』

 この頃からオレは偽善者だったんだな。ブサイクが武器になると初めて気づいて、両親の関心がエデンに向かないように努めたんだ。エデンがオレの邪魔をするのもうなずける。なぜなら、オレは両親の愛情をひとりじめしてきたのだから。それにしても、このナレーターの声、どこかで聞いたことがあるような……。

『ここからはダイジェストでお楽しみください』

 今までの記憶の映像が駆け巡る。さまざまな場面でブサイクをウリにした自虐ギャグを披露していた。

 懐かしいな。ひとりコント、患者よりもブサイクな整形外科医。一発芸、顔面天変地異。だれでもできるにらめっこ教室。こんなこともやったな。

 良かった、熱川とコンビを組んで笑いを誘っていた時代の映像は流れなかった。あの頃の思い出はなかったことにしたいくらい、最悪な記憶だ。

 どうしてオレはあんなヤツを好きだと思い、あまつさえ告白なんかしてしまったのだろう。

 思えばオレの人生は、他人の同情をひくために生きてきた十七年間だった。

 これでは、死ぬに死にきれない。

『そして現在、なめくじ宇宙人に自宅の二階から突き落とされて、まっさかさまの真っ最中! はたして、彼の運命は!? 次回に続く』

 こら、途中から投げやり気味だったぞッ! 続きはあるんだろうな。

『なお当番組「ブサイクに市民権を与えようとした男の走馬灯」は視聴率低迷のため今回限りとなりました。よって次回予告はありません。ご了承ください』

 なにィ――ッ!? そんなんありかぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――ッ!!?

 パッと停電したように目の前が真っ暗になった。

 気がつくと、自分の家の庭の光景が頭の下に実在していた。

 この肌を揺さぶる空気抵抗は走馬燈なんかではない。

 現実だ。オレは今まさに、死の危機に直面している。

 すぐそこまで庭の地面が迫ってくる。

 目も開けられない速さだった。

 死を覚悟した。


 ピタ。


「あれ?」

 ぶつかる寸前で止まっていた。

「わっ、わっ、どうなってるんだ、これ?」

「ビョーンと伸ばした手で江久保の足をつかんでるんだよ」宙づりになった足の上から黒井の声が振ってくる。

「頭に血がのぼる。早くはずしてくれ」

「ほらよ」

「うげぇッ!」頭から着地した。そのまま仰向けに庭に倒れる。

「行くぞッ」二階から飛び降りる黒井の姿が見えた。

 黒井の体がオレのお腹に接触する。お腹の上でぼよよ~んとしたものが跳ねた。体操選手に酷使されたトランポリンになった気分だ。

「どうだった、二階から放り出されて踏みつけにされた気分は?」

「最悪だ! 落ちてる途中、走馬灯のような幻覚と幻聴が巻き起こったぞッ!!」

「え~ッ!? ぼくにはそんなのなかったよ。江久保だけ、ずるいずるい」わざとらしくふくれっ面をする黒井だった。

「できることなら、今すぐお前をぶっ殺して走馬灯を味あわせてやりたいよ。っていうか、あの走馬灯、お前の仕業だろう」

「えっ、なんのことかな?」頬を指差して首をかたむける黒井。かわいくない。

「あのナレータの声はぜったい黒井だった。どうせなめくじ宇宙人の機械でも使ったんだろう」

「さぁーて、こんなことやってる場合じゃない。今すぐ行かないと、ほしいちごと熱川の闘いが終わっちゃうよ」

「それで、さらっと流したつもりかッ!」立ち上がり、黒井の体めがけて体当たりを食らわせる。その瞬間、黒井の体が茶色に染まった。

「今度はなんだよ?」

 目の前にいるのは、いななく馬に変身した黒井の姿だった。

「早く乗れ、急ぐんだよ」馬の口から黒井の声が聞えてくる。

「どうやって乗るんだよ?」

 馬の背中はオレの肩を優に越えてる。いくらなんでも、でか過ぎじゃないか?

「これで、どうだ?」オレの腰辺りまで黒井馬の足が短くなった。

 恐る恐る鞍にまたがり手綱を手に持つ。すると、エレベータのように視界が上がった。塀の外にある道路まで見渡せた。

「ひィッ!?」目があった近所のオバサンに逃げられる。

「おい馬じゃなく、せめてバイクとかに変身した方がよかったんじゃないか?」

「免許持ってるの?」

「いや、持ってないけどさ。これじゃ近所に変な噂が立ってしまう」

「気にしない気にしない。だれかに見つかっても、馬を飼ってる証拠なんて出てこないんだから」

「それもそうだけど……わっ」黒井馬はいななき、駆け出した。ひづめの先にあるのは、オレの家の塀だ。

 そのまま飛び越えた。息を呑むひまもないスピードで大空がめぐり、視界が回転する。その反動でとてつもない角度まで首が反り返る。一瞬、気を失いかけた。

 風を切る音を肌で感じる。周りの景色が次々とうしろに追いやられていく。とても手綱を操る余裕なんてない。馬の首にしがみつき、目的地に着くまでじっとしていた。

「わァーッ!」

「なんだありゃ?」

「動物園から逃げ出しのか?」

「人が乗ってるぞ」

「あいつの仕業か?」

「キャアーッ!!」

「こっちに来ないでッ!」

「逃げろッ!!!」

 群集の悲鳴と驚愕と疑問の声が錯綜する。平和な町を襲った、まれに見る珍騒動だった。

 顔を上げるな。ここで顔を上げたら犯人扱いされるぞ。ずっと伏せてるんだ。まぶたの裏に浮かぶ、阿鼻叫喚の地獄絵図を必死に追い払った。

「着いたぞ」と黒井の声。

 伏せていた脇の下から覗いて見ると、ここはどこかの路地裏だった。

 視界が下がり、黒井馬の足が短くなる。黒井はいつもの人間の姿に戻る。オレは黒井に馬乗りになっていた。

「ささっとどけッ!」

 黒井が起き上がったせいで、靴下のまま道端に放り出される。

「ったく、乱暴だな」

「ほら、そこの角を曲がったところで、ほしいちごと熱川が闘ってるんだよ」

「ギャァァアアァァッ!!」黒井が指差した先から、ボロボロの熱川が飛び出してきた。

 ガッシャーンガッシャーンゴロゴロと非常にけたたましい音があがる。いくつものゴミバケツにぶつかり、熱川の体がゴミまみれになっていた。まったくなにやってるんだ、あいつは。

 どうやら今の今まで人間離れした闘いが、自分達が暮らしていたちょっとはずれた場所で繰り広げられていたらしい。おいおい、いつの間にオレが住んでる町はこんな非常識なところになったんだ?

「あー、また江久保がぐずぐずしていたせいで見損なってしまったじゃないかぁッ!」

「知るかッ!」靴下のまま立ち上がる。

「だれ!?」悪寒が走るほど殺気だった声。

 角の向こうから規則的に聞えてくる足音。

 現れたのは、絆創膏を鼻につけた星野だった。

「また、あんたたち。このことはだれにも言うんじゃないッ!!」

「は、はいッ!」思わず身をすくめる。

「あんたもだッ!!!」とどめとばかりに立ち上がりかけた熱川にハイキックをお見舞いする。

 もうすでに戦闘不能になった人間を足蹴にするとは、これがこいつの本性か?

 まちがっても、星野が間城を好きになることはありえないと思った。

 ていうか、こんなヤツがだれかを好きになるってことはありえるのか!?

 安心して間城の恋の妨害に専念できること、請け合いだ。

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