3 なめくじ男と世界一ブサイクな男の弟 その1

 一時間後、帰宅したオレが自室でくつろいでると、ケータイが突然鳴り出した。

 熱川からだった。

「なんだよ?」横になったまま、通話ボタンを押した。

「あ、江久保。あの口なし女思った以上に危ない人だったわ」

「なにがあったんだ?」あくびをしながら、訊いた。

「SCから選りすぐった武闘派を三人も引き連れて、下校中の口なし女のあとをつけてたの。だけど、口なし女がひとけのない路地裏に入ったと思ったら、そこにはだれもいなかった」

「消えたのか!?」シャッキとした。

「ちがうわよ。みっつあるうちのどちらかの抜け道を使ったみたいなの」

「なんだ」ダラーとした。

「みっつの道を手分けして探すことにしたの。連絡を待つために私はそこに残ったんだけど、いつまで待っても連絡がこないし、こちらからかけても出ないのよ。しかたなくひとつの道を選んで進んで行くと、武闘派のSCが倒れてた。どうやら三人とも口なし女にやられたみたいなの」

「おかしくないか? どうやって別々の場所にいる三人を同時にやっつけたんだよ」

「それがみっつの道は途中でひとつにつながっていて、口なし女は最初からあたしたちを罠にはめるために、わざとひとけのない場所に誘いこんだみたいなの」

「まんまといっぱい食わされたわけか」

「くやしいけど、その通りよ。あ、口なし女! なにするつもり? キャアアァァッッ!!」

「おい熱川、熱川、どうしたんだ?」

 悲鳴を残して、通話は途切れた。どうやら、熱川の身になにか起こったらしい。

「ま、オレには関係ないか」ためらいなく電話を切る。

「関係ないことあるかッ!!」

 机のひきだしから某青い猫形ロボットよろしく飛び出たのは、なめくじ宇宙人もとい黒井だった。

「こどもの夢をぶちこわすような登場の仕方するなッ!」

「ふふっ、このひきだしだけ空っぽにしてるなんて、案外かわいいところあるんだな」

「それをわかっててやったのかッ!? それでオレが喜ぶとでも思ったのかよ。ていうか、宇宙人のくせになんでそんなことを知ってるんだ?」

「宇宙人だってアニメやマンガぐらい見るさ。それよりも、熱川を助けなくていいのか?」

「オレが助けなくても、熱川なら大丈夫だよ」

「江久保は、ほしいちごの力を見てないから、そんなのんきなことが言えるんだ。背後からの攻撃だったけど、女を捨てたように全身マッチョなSCたちが次々と一発で倒れたんだ。ぼくが見てる前で」

「見てたんなら、助けろよ! っていうか、背後から攻撃されてる人をただ見てのか!?」

「早くしないと、ほしいちごと熱川の闘いが終わっちゃうぞ。最初からすごい技の応酬で、思わずお前にも見せたくなったんだ」

「助けを呼びに来たんじゃなかったのかぁッ!」

「ふたりの闘いを見てると、なんかこうゲームのコントローラーを握りたくなるような熱い衝動に駆られてしまうんだ」

「ゲームって、お前宇宙人だろ?」

「宇宙人だって格闘ゲームぐらいやるさ」

「だんだんお前がまちがった日本の文化にはまった外国人に見えてきたよ」

「もーっ、こんなところでぐずぐずしてたら、終わっちまうじゃないか」

 体が宙に浮ぶ。黒井の怪力による、二度目の空中遊泳疑似体験だった。

「おいおい、またか……イタッ!」天井にしたたか頭をぶつけた。

 天井の高い教室がうらやましい。

「おっと、すまん」またお姫様だっこされた。

 絆創膏を鼻につけた黒井の顔が間近になる。はたから見たら、誤解を招きそうな距離だった。

 間の悪いことに、部屋の扉が開かれる音がした。

「開けますよ、兄さ……」扉の方から聞こえてきたのは、よりによってエデンの声だった。

 弟よ、頼むから、そういうことは開ける前に言ってくれ。

「あっ、こ、こ、これはなんでもないからなッ!!」エデン相手にどこまで通じるかわからないが、とりあえずごまかすことにした。

「友達が来てたんですか。じゃ、またあとにします」なにごともなかったように扉が閉じられようとする。

 この場は助かったと思った瞬間、黒井がエデンを呼び止めた。

「おい待てよ、そこのきみ。この状況を見てなんの疑問も持たないのか、遠慮せずに言ってくれないか? その方がおもしろい!」

「別になにも……」こちらを振り向きもせずに曖昧な返事をする。

「なにもないってことはないだろう? たとえば、どうやってぼくがこの家に不法侵入したのか、とか」

「これ以上、兄さんがいる空間にいたくないんです。この部屋に来たのも母さんが呼んでいたので、しかたなく足を踏み入れたにしか過ぎません。それに、兄さんの策略ぐらいお見通しです。だまされたりなんかしませんよ、ぼくは」

「きみの言ってることがさっぱり要領を得ないのだが、頭の悪いぼくにもどういう意味かわかるようにご教授してほしいものだね」

「しらじらしい演技は、ぼくには通用しないという意味ですよ。どうせ男と仲良くしてる姿をぼくに見せつけて、女に興味のないフリをしてるのでしょう。そんなことをしても無駄です。ぼくは兄さんの恋を邪魔することをやめませんからね、ぜったい」そう言い残してエデンは去っていった。あとに残されたのは、ぽかんとした顔でオレをお姫様だっこする黒井と、黒井の腕の上ですっかりおとなしくなってしまったオレだけだった。

「今のだれ?」オレを抱きかかえたまま、黒井が訪ねる。

「弟のエデンだよ」

「ええッ! 全然似てない。普通の人間の顔だったぞ。むしろ、イケメンじゃないか?」

「親のいいところを全部受け継いだんだよ」

「いつもあんな感じなのか? それともぼくがきみをお姫様だっこしてたから、気分を害したのか?」

「いや、いつも通りだよ。むしろオレに話しかけようとしたところを見ると、機嫌がいい方だな。いつもはろくに会話もしないから」

「ふーん。地球のきょうだいって、あまり仲がよくないものなのか?」

「他のきょうだいは知らないけど、ものごころつく前から一緒なんだから、こんなもんだよ。ま、エデンはオレとちがってあまり感情を表に出さないタイプだから、わかりにくいけど。そんなことよりも、早くオレを離してくれ」無駄とわかっていながらも、黒井の腕の中で抵抗してみた。予想通り、オレの攻撃はくにょくにょとしたなめくじ宇宙人の柔軟性によって、受け流された。

「それで、訊いていいのかどうかわからないのを承知で訊くけど、江久保の弟はなにをかんちがいしてたの?」

「さあ、オレにもよくわかんない」なぜ、お姫様だっこをやめてくれない。

「きみが答えたくないのもわからないでもない。エデンが言ったことが正しければ、きみは実の弟に恋の邪魔をされていたわけだから」

「あ、やっぱりあれは邪魔してたんだ。道理で変だと思ったよ。いくらきょうだいでも、同じ人を連続で好きになるなんて。しかも、いつもオレがだれかに告白したあとに急につきあい始めるんだもんな。それまでなんの素振りもなかったというのにさ」

「そこまでされて、今まで気づいてなかったの?」

「家族だから、むやみに疑うのは悪いと思ってね。別にもうどうでもいいんだよ。ぼくの恋なんて、どうせブサイクには……。それよりも、今は間城の恋をぶっ壊す方が大事だ!」

「ブサイクは恋愛する資格がないから? そんなに最後に告白された相手に言われたことが気になってるの?」

「もう四年も前のことだぜ。最後にオレが告白した相手にもエデンは告白した。でも、そいつはエデンの告白を断ったんだ。エデンは悪くないよ」

「あのさ、言いたくないなら答えてくれなくても構わないけど、間城の恋を邪魔するのもなにか関係が……」

「間城の恋を邪魔するのはオレがしたいから、するんだ。エデンは関係ない」

「ごめん。やっぱり訊いちゃいけないことだったね。でも、おもしろかったよ」

「それはともかく、いい加減、オレを早く解放してくれッ!!」

「じゃ、行くよ」開け放れた窓の近くまで移動される。

「おいどこに行くんだよ? ドアはあっちだぞ」

「それじゃ、間に合わない。窓から行く」

「ここ二階だぞ!」

「ほらよ!」窓の向こうに放り出された。空中遊泳リアル体験だった。

 雲の狭間に見える太陽がどんどん遠ざかっていく。明らかな空中落下以外の何物でもない。さきほどのお姫様抱っこによる空中遊泳疑似体験とは、とても比べものにならない迫力が、オレを襲う。

 そのとき、頭の中である映像が唐突に流れ出した。

 白い天井。白い壁。そして白い服を着た看護士。輝くくらい真っ白な世界。

 なんだ、これは?

 オギャァオギャァ。けたたましい赤ん坊の泣き声。「元気なお子さんですよ」看護士の声。そして若い頃の母親の顔。遠い昔の世界。

 ひょっとして、これはオレが産まれた頃なのか? もしかして、これが俗に言う走馬灯ってヤツ!?

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