2 なめくじ男とお人好しを越えたバカ その3

 教室に戻ったオレと間城は、それとなくみんなの席を一周する。オレの両耳には、さかさまホンとハートホンが、そして間城の耳にはさかさまホンだけが装着されている。

『シロくん、こっち見ないで、カッコ悪い!』

『シロちゃん、こっちに来ないで、お願いだから近寄るな!!』

『シロやろう話しかけないで、あっちに行けッ!!!』

「いないね。ぼくのことキライじゃない人」教室を一周したあと、疲れたような声で間城はつぶやいた。

「そうだな」

本当は(シロくん、こっち見て、カッコいい!)(シロちゃん、こっちに来て、お願いだから近寄って!!)(シロ様話しかけて、あっちに行かないでッ!!!)と思っているのだが。

「でもまだわからないぜ。クラスにいるすべて人の声を聞いたわけじゃないから」

「うん、そうだね。それにしても……」そう言ったあと、間城は教室にいる女子生徒の顔を見渡す。

『江久保カッコいい!』『江久保キレイ!!』『江久保イケメン!!!』『江久保好き!』『江久保大好き!!』『江久保だいだいだーい好き!!!』

「江久保って人気あるんだね。知らなかった」

 本当は(江久保カッコ悪い!)(江久保キタナイ!!)(江久保ブサイク!!!)(江久保キライ!)(江久保大キライ!!)(江久保だいだいだーいキライ!!!)と思っているのだが。

「ま、まあな。世の中にはマニアックなかくれファンが結構いるんだよ……」自分で言ってて、むなしく思えてきた。

「なんとなくわかる気がする。だって江久保はやさしいから」

「へぇっ!? そ、そうかぁ?」思わずひきつった声が自分の口からもれる。

「みんなから嫌われてるぼくとイヤがらずに一緒にいてくれるんだから、やさしいよ。でも、しばらくひとりで探してみようと思う」

「そ、そうか……。ま、まあ、がんばれぇよ」ひきつったオレの声は、なぜか元には戻らず、少し裏返ってしまった。

「それじゃあ……」小さく手を振って間城は自分の席に戻ろうとする。

「あ、待てよッ!」とっさにオレは呼び止めていた。

「えっと、なに?」驚いた顔の間城が振りかえる。

「その、なんだ……」

 おい、、オレは今なにを口にしようとしてたんだ? まさかとは思うが、謝罪の言葉を言うつもりじゃないよな。そんなのナッシング! ありえない!! このオレの胸を苦しめるのは気のせいなんだよ。良心の呵責、なにそれ? 罪悪感、知るか!! とにかくオレがこいつに対して引け目を感じることなんて、ないんだ。

「どうしちゃったの? 江久保、変だよ」間城が心配そうな顔で近づいてくる。

「あ、そうだ! 言ってなかったけど、イヤホンにあるそのスイッチを入れると、水につけない限りはずれないからな。はずしたくなったら、いつでもはずしてもいいんだぜ、はははっ」

 その場を取り繕うように、笑いながら間城の肩に手を置いた。

「えっ、そうなんだ。でも、もう少しつけたままにするよ」怪訝な顔でうなずかれた。

「そうか。あんまり無理はするなよ」短く手を振って、急いでその場をあとにする。

 間城と別れたあと、自分の席につくのをやめて教室の隅に足を運んだ。なにせ自分の席は間城のとなりだから、近くにだれもいないところに行きたかった。

 人目の突かないところで、ほっとため息をつく。すると、うしろから肩をたたかれた。

「いやぁー、名演技だった。よくあんなに心にもないことを言えたね」

 振り向く間もなく、どこからともなくひょっこりと現れたのは、黒井だった。

「なんだ、聞いてたのか?」

「ハエになってトイレの中のやり取りまで、余すところなくすべて盗み聞きしていました。しかし案外、きみは偽善者だね」

「褒め言葉として受け取っておくよ」オレは黒井から目をそむけた。

「それにしても、まさか自分をだましてる張本人をやさしいと言うなんてね。間城はきみの言ってたとおり、筋金入りのお人よしだね!」

「……そうだな」

「なんだよ。そのつれない返事は。もしかして良心がとがめてたりしてる?」

「バーカ。オレに良心があるわけないだろう。ただオレのことブサイク呼ばわりしなかったヤツってあいつだけだったんだよなと思って」

「間城は美的センスが人とは恐ろしくズレてるんだな! だから、自分がイケメンだとも気づかないんだな」

「だろうな。オレも鏡を見て自分のことをブサイクだと思うことは少なかったけど、今回のことがあって、自分のブサイクさ加減をイヤって言うほど思い知ったよ」

「ぼくはお前の顔を見るたび、いつもブサイクだとそう思ってた。たぶん他のみんなも同じだよ」

「それが普通の反応なんだろうな。だから余計に女子にかわいがられてる間城が憎い。大キライだ! その気持ちはぜったい変わらない。たとえなにがあったとしてもな」

「それでこそ、なめくじ男だ! 顔だけじゃなく心もみにくい!!」

「ああ、褒め言葉として受け取っておくよ」

「少しは言い返せよ。半分は冗談なんだからリアルに受けとるな」

「半分だけかよッ!」

「まさに期待通りのツッコミだ。それでこそ江久保だよ」満足した顔で黒井が離れていく。

 だれもいないところで少し笑ってオレは、自分の席に戻ることにした。大キライな相手がとなりに座ってる、自分の席に。

 そのあと鐘が鳴り響き、一限目の授業がはじまった。オレは自分の席について現国担当の教師が来るのを待っていた。その間、さかさまホンをつけてる右耳に意識をかたむけてみる。

『シロくん今日もカッコ悪い!』『シロちゃんいつ見てもブサイク!!』『シロやろう最低!!!』

 あい変わらず間城をバカにする声が止むことはない。これでは、間城が『自分のことキライじゃない人』を見つける日が来ることは永遠に来ないだろう。

 間城はというと、注意深く辺りに目を配っている。

 それから二時間目が終わり、三時間目がはじまっても、まだ間城の視線はさまよったままだった。

 さかさまホンをはずせばいいのに、間城はそれをしていない。

(まだ希望を捨てないのか? いい加減あきらめろ)

 反対の心の声が間城から聞こえてくる。

『江久保の言う通り、希望を捨ててあきらめるよ』→(江久保の言う通り、希望を捨てずあきらめないよ)

 んん、どういうことだ?

 どうやら、さきほどのオレの心の声が反対の意味になって、間城に聞こえたらしい。

 ええと、さっきの心の声はこんな感じだったから、反対の意味にするとこんな感じか。

『まだ希望を捨てないのか? いい加減あきらめろ』↓

(もう希望を捨てたのか? この程度であきらめるな)

 それを受けた間城の反応がこうだ。

『江久保の言う通り、希望を捨ててあきらめるよ』↓

(江久保の言う通り、希望を捨てずあきらめないよ)

 ためしに間城へ向けて、いろいろと思い浮かべてみる。

(間城のバカ)そう思うと間城にはこう聞えるはず。『間城の天才』と。

(ぼく天才じゃないよ)→『ぼくバカだよ』

 今度は(間城のイケメン)と思い浮かべてみる。すると、間城にはこう聞えるはず。『間城のブサイク』と。

(やっぱりぼくはブサイクなのかな)→『やっぱりぼくはイケメンのなのかな』

(オレの前からいなくなってくれ)と思い浮かべてみる。間城にはこう聞えるはず。『オレの前からいなくならないでくれ』と。

(ぼくはここにいるよ。そんなに元気ないように見えるかな)↓

『ぼくはここにいないよ。そんなに元気あるように見えるかな』

 そうやって少しの間、間城をからかって楽しんでいた。だが突然、間城の心の声が大きくなった。

(いたッ!)→『いないッ!』

(なにがいないんだ?)→『なにがいたんだ?』

(ぼくのことキライじゃない人がいたんだ)↓

『ぼくのことキライな人がいなかったんだ』

 目を閉じて耳を澄ましてみる。教室中に氾濫する心の声の中から、かすかに聞こえる声があった。

『シロ好き』→(シロキライ)

 だれだ? いったいだれの声なんだ?

 聞き覚えはないが、女の声みたいだ。

 残念ながら授業終了の鐘が鳴った瞬間、その声は聞えなくなってしまった。

 すぐに間城の席に近寄り、質問する。

「あの声はいったいだれのものだったんだ?」

「あの人だよ」間城の指が向けられたのは、黒井のとなりの席。そこに座っているのは、背の高い生意気そうな顔をした女子生徒。

 一后星野。あいつか、このクラスで唯一、間城のことがキライな女は。

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