6 世界一強い女と世界一か弱い男 その2

 おとなしく間城はオレのうしろをついてきた。ところが体育館が見えてきたところで、黒井と出くわしてしまった。

「間城、お前はひとりで先に行っといてくれ」

「江久保は行かないの?」

「オレは黒井が悪さをしないか、見張らなきゃいけないんだ」

「そうなんだ。なんだか知らないけど、体育館裏に行けばいいんだね」

 間城を追いかけようとする黒井を両腕でとりおさえながら、見送った。

「なにするんだよ、見に行かないのか?」

「見に行っても邪魔なだけさ。だから、こっそり影から見守るんだ」

「結局、のぞくんじゃないか」

 体育館の壁にかくれてのぞくと、間城のうしろ姿が見える。その向こうに星野がいた。

「あ、星野さん」間城がうしろにあとずさる。

「話があるの。だからあたしを避けないで」

「わ、わかったよ。なに?」恐る恐る間城は聞き返す。

「今朝言ったことを謝らせて。シロのことキライって言ったのウソだから、本当はキライじゃない。だから、ごめんなさい」

 よしよし、恥ずかしがらずにちゃんと言えてるな。

「どうなってるんだ? あんなに素直に頭下げてるほしいちご、初めて見たぞ。江久保、どんな魔法かけたんだよ?」

「別になにもやってないよ。ちょっと手助けしてやっただけ。あれが星野の本当の気持ちさ」

 しかし、間城の反応が気になる。頭を下げる星野を前にしても、間城は沈黙を押し通していた。普段はオーバーリアクションなくせに、どうしてこういうときばかり間城はおとなしくなるのだろう。

 頭を上げた星野の唇が開きかけたとたん、先に言葉を発したのは間城の方だった。

「ぼくはずっと星野さんのことが好きだった」

 おい、なんで過去形なんだよ?

「ぼくはずっと星野さんのような人とつきあうことにあこがれていたんだ。今までたくさんの人とつきあってきたけど、ずっと相手にひっぱってもらってばかりだった。だから自分がリードして相手を大切にしたいと思った。ぼくのこと好きなのに恥ずかしがっている星野さんを見て、あこがれの人だと思った」

 今話をしている間城は、遠くを見るような目をしていた。イヤな予感が背筋をはいずりまわる。今まで女子にフラれつづけた、忌まわしいオレの記憶がよみがえる。

「でも、星野さんがぼくをキライなことがわかって、ぼくは本当に星野さんが好きだったのか、わからなくなった。もしかしたら、自分のことが好きな星野さんをぼくは思い焦がれていた、だけかもしれない」

 おいおい、なんなんだよ、それ? 今さらなに言ってんだ? 熱しやすいヤツは冷めるのも早いってかぁ? 

 見てるこっちが腹の中煮えくり返ってるというのに、星野は落ち着いた表情をくずさなかった。星野の口がもう一度、開かれる。

「友達になってください」

 少しもとどこおることなく星野の言葉は放たれた。最後まで星野の顔に動揺は見られなかった。

「最近、星野さんと話していてわかったんだ。ぼくたちは合わない。無理して友達になることもないと思う。さよなら、星野さん」

 星野に背中を向けて、間城はそこから離れようとした。

「待って、あたしはシロのことキライじゃない。それだけは信じて」

 間城が振り向いた。そのあとポケットに手を入れて、取り出したなにかを耳の中に押しこんだ。さかさまホンだと、オレはとっさに気づく。

「ありがとう。星野さんはぼくに気を遣ってくれてるんだね」

 初めて間城にさかさまホンを渡したことを後悔した。

「おいなにをする気だ、江久保?」

 気がつくと、体が勝手に動き出していた。星野が言ってることが本当だ、と間城に伝えたい。それしか考えていなかった。

 なのに、前に進めない。間城の前に飛び出したいのに、思うように体が動かない。

 それどころか、どんどんオレの体は間城たちから離れていく。まるで、だれかに羽交い締めにされてひっぱられてるような……というか、黒井に羽交い締めにされていた。

 今の今まで黒井が背後にいることにオレは気づかなかった。

「放せッ放せッ!」必死に抵抗するも、星野と間城の姿が遠ざかっていく。

 遠くにいる星野の顔から、一切の感情が抜け落ちていく。ゆっくりと、しかし、確実に星野の恋する気持ちがしぼんでいく。もう二度と星野の笑顔は見られない。

 終わってしまう。このままでは、せっかく芽生え始めてきた星野の恋する気持ちがなくなってしまう。好きという楽しい気持ちが、フラれたという悲しい気持ちに埋め尽くされてしまう。オレのせいで星野はオレみたいになる。

 そのとき背中に鈍痛が走った。体育館から離れた木の根元にオレはたたきつけられていた。

「お前、さかさまホンが本当はどういうものか、間城に話すつもりだっただろう」

 目の前に黒井の体が立ちふさがった。

「邪魔するなッ! 間城はかんちがいしてる。星野は間城のことが好きなんだ。たぶん星野自身は気づいてないだろうけど、さかさまホンをつけた状態で間城が嫌われてると思ったことが、なによりの証拠なんだッ!!」

 早く、そのことを間城に伝えなければいけない。

「ここでそんなことをしたら、江久保は本当に偽善者じゃなくなっちゃうんだよッ! 今まで間城をだましていた苦労がすべてパーになっちゃうんだよ、本当にそれでいいの?」

「それがどうした? オレが見たかったのは間城がボロクソにフラれる姿だ。星野がフラれる姿なんて見たくないッ!!!」

「フラれる相手がちがっただけで、江久保が望んだ結末は同じことじゃないか?」

「ちがうッ! そこをどけッ!!」殴ろうとしたが、できなかった。黒井の言葉が少なからず当たっていたから。

「どかない。お前言っただろう。恋愛はケンカだって。ケンカだから、こういうフェアじゃないことも起こりえるんだよ」

「たしかに恋愛はケンカだ。でも、自分の気持ちを伝たいって一生懸命がんばったのに、むくわれないのは悲しすぎるだろッ!!」

 もう他のだれにも好きな人にフラれる気持ちを味あわせたくない。たとえ、それが間城だったとしても、同じことだ。

「いいことを教えといてあげるよ。ここでぼくがどいてほしいちごの本当の気持ちを間城に伝えることができたとする。たとえそれでも、間城の気持ちは変わらない。きみもそのことに気づいてるんじゃないか」

「変えるんじゃない。元に戻すんだ。星野が好きだった気持ちを思い出させるんだ……。だから、そこをどいてくれ」

「元に戻すもなにも、元々間城はほしいちごのことを好きじゃなかったんだよッ! 今そのことに間城はやっと気づいたんだ。間城が好きなほしいちごは、さかさまホンを通して聞いた、いつわりのほしいちごなんだ。江久保がさかさまホンを渡さなかったら、間城はほしいちごを好きにならなかったんだから」

「そうかもしれない。だけど、さかさまホンを使って、だましたことを間城に謝りたいんだ。どんな結果になろうとも、だれもふたりの仲を邪魔する権利なんて、ないはずなんだったんだ。オレはまちがってた……」

 それを聞いて、黒井の表情がやわらくなる。そして目の前の道を空けてくれた。

「やっとそのことに気づいたね。間城に謝る覚悟があるなら、もう止めないよ」

 木の根元から起き上がり、黒井の横を通り抜けようとする。通り抜けざま、ついでに黒井に悪態をつく。

「すべてお前が悪いんだ。お前さえいなければ、さかさまホンのせいでオレも星野も悲しむことはなかった。お前の顔なんて見たくない。この世界から、消えちまいな」

「そうするよ」背後から黒井の声が聞こえる。

 立ち止まり、黒井の背中に声をかける。

「そして戻って来い。お前の顔は見たくないけど、踊乙音の顔を見たいと思ってる人はここにいるんだから」

 すごい勢いで振り向けられたのは、驚愕した黒井の顔だった。

「どうして踊乙音の正体がぼくだとわかった?」

「まさかとは思ったけど、やっぱりそうだったのか?」黒井のそばに近づく。間城と星野のことが気になったが、これも星野のためだと思った。

「お前、カマかけてたのか? でも、よくわかったな」

「わかったのはだいたい勘だよ、勘」

「どうやったら勘だけで当たるんだよ?」

「いくつか怪しい点はあったけど、確証はなかったから、ずっと黙っていた。ま、それはおいおい話しておくよ。間城に星野の本当の気持ちを伝えたあとにな」

「そうか。じゃあ、今日の放課後、体育館裏で待ってるよ。ぼくがきみに初めてなめくじ宇宙人だと告白した場所でね」

「じゃあな」特に気にするわけでもなく、オレはまた走りはじめる。

 たくっ、あいつのせいで思わぬところで時間食っちまったじゃねえか。

 もう間城、いないかな? 無理やり星野に会わせようとしたから、怒って帰っていてもおかしくない。

 ところが体育館まで走ると、すぐに間城の姿が見つかった。

「あ、江久保、こんなところにいたの?」

「なんだ、オレのこと探してたのか?」

「うん。ずっと見つからなくて困ってたんだ」

「なんかオレに用でもあったの?」

「用って、ここまで連れてきたのは江久保の方じゃない」

 あ、そうか。こいつ、星野のためにオレが呼び出したと気づいてないんだ。

 少しは人を疑えよな。オレが言えることじゃないけど。

「それに、もう昼休み終了のチャイムがなっちゃったよ。早く戻らないと叱られるよ」

 あわてた様子で間城は校舎に戻ろうとする。

「待った!」その背中に向かって、大声で呼び止めた。

「なに?」間城が振りかえる。

「お前に謝らなければいけないことがある」オレは真っ直ぐと間城の目を見つめ返す。

「急にあらたまって、どうしたの?」

「さかさまホンのことなんだけど、それをつけてると、他人の心の声が聞こえるって言ったよな」

「うん」なにも知らず素直にうなずく間城。

「それウソなんだ。ごめん」地面にひざまついて、土下座した。

「ちょっとちょっと、どうしたんだよ、江久保?」

「本当は他人の心の声が反対の意味になって聞こえるイヤホンなんだ」

「え?」静けさが辺りを支配した。

 間城がいいと言うまで頭を下げているつもりだった。でも、あまりにもなにも聞こえなかったので、つい顔を上げてしまう。

 口を開けたまま、間城は固まっていた。ほどなくして口だけが動き出す。

「じゃあ、星野さんは世界中の人間が大好きな、ニンゲン大好き人間じゃなかったの?」

「……ホントは人間嫌いでクラスから浮いてるんだ」

「じゃあ、星野さんは天使や女神みたいに慈愛に満ちた人じゃなかったの?」

「ホントは目に映るすべてを忌み嫌っているくらい器のちっちゃい人間だったんだ」

「じゃあ、星野さんは熱川さんをいじめてたの?」

「先に手を出そうとしたのは熱川の方だよ」

「じゃあ、星野さんはぼくのことが好きじゃなかったの?」

「この前までは間城のことキライだったけど、今は好きだと思う」

「……江久保はなんでぼくにそんなことしたの?」

 間城の質問が変わった。頭を上げて間城の顔を見ることができない。

「さかさまホンをつけると、みんながオレを褒めたてる声が聞こえただろう。それは反対の心の声だから。ホントはオレ、みんなに嫌われてたんだ。だから、みんなにかわいがられてる間城が憎かった。間城にもオレと同じ苦しみを味あわせてやろうと思った。ごめん、オレ、お前に嫉妬してた」

 先ほどからオレの目を映しているのは、校庭の地面だけ。ずっと膝に当たる砂の感触にたえていた。

「じゃあ、みんなから嫌われてたのは、江久保の方だったんだ」間城がぺたりとひざをつく音が聞こえた。

 ややあって聞こえてきたのは、間城が立ち上がる音だった。そして足音が遠ざかっていく。オレは土下座をやめて少しだけ顔を上げる。

 ずっと土下座していたオレに目もくれず、間城は立ち去ろうとしていた。

「どこに行くんだ?」

「熱川さんに会ってくる。本当のこと言ってたのに、ウソつき呼ばわりしてしまったことを謝りたいんだ」

「待てよ。その前に星野にも言うことがあるだろう。星野はお前のことが本当は好きなんだよ」

「星野さんとは友達にはなれないよ。たとえ星野さんがぼくのこと好きでも、それは変わらない。ぼくが思ってたよりも星野さんはいい人じゃないって、わかったからね。あと、これ返すよ。こんなの見たくもない」間城の手からさかさまホンが投げ捨てられる。それをあわててキャッチする。

 その間、間城は歩みも止めず、こちらを振りかえりもしなかった。

「江久保も、もうぼくの友達じゃないからね。もう二度ぼくに近づかないで、絶交だから」

「わかったよ。今だから言うけど、オレお前のこと大キライだった。今までイヤイヤ友達のフリしてたんだ。これで、やっとスッキリしたぜッ!」

 オレは地面にひざまずくのをやめた。星野の元へ行くため、間城とは反対方向に足を踏み出す。

「待ってよ、江久保」間城の弱々しい声が聞こえる。

「な、なんだよ、ぜ、絶交じゃなかったのか?」自分でも声が震えてるのがわかる。

「最後に訊くけど、ぼくみんなに嫌われてたんじゃなかったの?」

「学校中のほとんどの女子は間城のことが大好きだよ。キライなのはオレくらいさ」

 熱いものがこみあげてくる。鼻の奥がツーンとする。涙をこらえていた。

「よかった。今だから言うけど、ぼくも江久保のことキライだった。ぼくのことキライじゃないの江久保ぐらいだったから、仲のいいフリしてたんだ……」

 間城の声もオレと同じように震えていた。それに気づいた瞬間、涙がじわっと流れ出して、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。

 止まらなかった。涙が。感情が。

「お前、ウソつくのヘタだな」

「江久保もね」

 いや、オレのはウソじゃなかったんだけどな。なんでオレまで泣いてるんだろう。

 ひきつった嗚咽があちらからも聞える。

 間城の泣き声を振り切るように、それまで止めていた足を動かした。

「待ってよ、江久保」

「なんだよ、最後じゃなかったのか?」

「訊き忘れたけど、ぼくブサイクじゃなかったの?」

「鏡をよく見ろよ。そんなにかわいいブサイクがどこにいる」

「ウソだぁ?」

「ホントだッ!」声の限りに叫んで、間城から疾走した。

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