5 世界一か弱い男と世界一強い女 その3
「認めたくないが、手も足も出すことができず圧倒的に負けた。あの技をどうやったらできるか、弟子になってやるから教えろッ!」
おい星野、そんな命令口調の弟子がいったいどこにいる?
「ちょっと待ってよ、星野さん。なに言ってるの? とにかくここは男子トイレだから廊下に出よう」星野の背中を押しながら、トイレの入り口まで連れていく間城。
ふたりがトイレから出て行くと、すぐに黒井のむなぐらをつかんで、ひっぱった。
「な、なにするんだよ? イタッ、服はひっぱるな。体の一部なんだから」
一番奥の個室まで黒井を引き寄せて、一緒に入る。
ここなら廊下にいる間城と星野には聞えない。
「おい黒井。お前いったい星野になにをした?」単刀直入に問いただす。
「なにって、江久保の言われた通りにしただけだよ」
「それで、なんでああなるんだッ!?」さらにむなぐらを引き寄せる。
「さぁ、よっぽどぼくに負けたことが悔しかったんじゃない」
「お前、あの世界一強い女に勝てたのか? いったいどんな汚い手を使った?」
「正々堂々、宇宙人の力を使っただけさ」
「なんだ、それは? 新型核兵器の名前か?」
「核兵器なんか使わないよ。間城に化けてるんだから、ちゃんと地球人らしく闘ったよ」
「相手は一般の人間の力を超えてるんだぞッ!」
「まぁ、手ごわかったけど、ぼくの敵じゃない。両手を二、三メートルぐらい伸ばして、ほしいちごの全身をグルグル巻きにしてやったぜ!」
「どこが地球人らしくだッ!」
「えっ、地球人って、帽子を被ればゴムのように体を伸ばせるって聞いたぞ」
「それはマンガの話だッ!」
「あと顔も手でこすれば自由に変えることができるんだろう」
「まったくお前は、どうして宇宙人のくせに、そんな昔のマンガにくわしいんだッ!!」
「でも、ほしいちごは間城に負けてキスされたのに、なんで弟子にしろなんて言ったんだ?」
「そんなマンガみたいな技で負ければ、くやしいというよりも、どうやってやったんだ、という思いの方が勝つんだろう。……ん? 今、なんて言った?」
「でもほしいちごは間城に負けてキスされたのに……」
「おいッ! まさか本当に星野にキスしたのか?」
「うん、したよ」あっけらかんと答える黒井。
「バカッ!! だれが本気でやれと言ったッ!? キスを迫るだけでよかったんだよッ!!!」
「そんなことを言われても、手遅れだよ。キスを迫れとしか言わなかったから、もうキスしちゃったよ」
「お前が星野に勝てるなんて思わなかったんだよ……」
それで星野が傷ついたりでもしたら、オレのせいだ。
「じゃあ、初めから間城にキスさせる気なかったの?」
「当たり前だッ! 間城はともかく、そこまでしたら星野に悪いだろう」
「キスしようとしたとき、ほしいちごはイヤがらなかったよ」
「イヤがらないように見えて、本当は怖くて、なにもできなかっただけかもしれないじゃないか!?」
「ほしいちごは間城を怖がるようなヤツじゃない」
「そんなのわかんないじゃないかッ!!? 勝手に他人の気持ちを決めつけるなよ」
黒井との間に気まずい沈黙が流れる。
先に重い沈黙を打ち破ったのは、黒井の方だった。
「なんだかんだ言って、江久保はやさしいんだね。間城をヘンタイにしたかったんなら、キス以上のことをほしいちごにやってもよかったんじゃない?」
黒井のその言い草にカチンときた。
「お前、星野に謝れ」
「なんでぼくが謝るんだよッ!? 紛らわしい言い方した江久保が悪いんだろッ! ぼくはなにも悪くない」
「お前は自分がなにやったか、わかってない」
「わかってるよ、なんなら今からきみとやってみるか?」
「はぁ? なに言って……」
みるみるうちに黒井の髪が長くなり、鼻と口が縮み顔のりんかくが丸みを帯びていく。オレの指先にやわらかくてすべすべな、なにかが触れる。白く透きとおった細い指だった。
気がつくとそこにいたのは、うちの学校の制服を着た、見たこともないキレイな女だった。
「これで、どう?」知らない女がオレの目を見てにっこりと笑う。
細長い眉毛が上下するたび、メガネの奥の二重のまぶたが大きく開かれる。女子の制服の上からでもわかる、形のいいバストも突き出たヒップもくびれたウェストも、完全に女性のそれだった。
「な、なんのつもりだよ?」顔が熱くなる。
「決まってるじゃない」背中に手をまわされ、互いの体が重なった。
女の顔がアップになり、ちょこんとした小さな唇に目がくぎづけになる。制服越しにやわらかい胸の感触が伝わる。平面的な絵や立体的な映像でもない、本物の女の香りがした。
「……ふ、ふざけるなッ!!」そっと肩に手をかけて、ゆるやかに押し返す。声の大きさに反比例して、その力は弱かった。
「……いくじなし。ホントはやりたいくせに」見下すように女の口元がゆるむ。
「なんだと、だれがお前なんかと……」
「ぼくたち宇宙人には恋愛感情なんてない。一度、単体生殖以外もやってみたかったんだ。江久保となら最後までやってもいいんだよ」
言葉が口から出てこない。冷や汗が止まらない。自分の心臓が激しく脈打つ音が聞える。
「本当はやりたくてたまらないんでしょ。なにせ一生に一度あるか、ないかのチャンスなんだから」
それまで張りつめていたものが、ピンと、はじけた。
屈辱で顔がゆがむ。
「そんなわけないだろッ!」腹の底からしぼり出した声だった。
バンッ! と力の限り突き飛ばした。トイレの壁に頭をぶつけて鈍い音を出したのは、軟弱な女の体だ。だから、それがどうした?
「痛いなぁ。もぅ、女の子の体はもっとやさしく扱うもんだよ」
「黙れ! 女だろうが、オレたちと同じただの人間だ!! なにも怖がることなんかないんだッ!!!」
逃げるようにその場を飛び出した。廊下を駆け抜けて、教室まで全力疾走する。
いったん急ブレーキをかけて、教室の戸の前で呼吸を整える。それでも怒りがあとからあとから、泉のようにこみあげてくる。
「クソォッ!」自分の膝を殴りつける。
膝の痛みが余計な感情を紛らわしてくれる。ようやく頭の熱が冷めてきて、落ち着きを取り戻すことができた。
教室の戸を開けると、間城と星野が先にいて話しこんでいた。
「何度も言うけど、ぼくはずっと江久保と一緒にいたんだから、その人はぼくじゃないよ」
「いや、あれはどう見てもシロだった。いい加減認めろッ!」
「あ、江久保。江久保からも言ってあげてよ」そっと近寄ると、間城がオレに気がついた。
「いったいどうしたんだ?」なにも知らないフリをする。
「なんでも星野さんがぼくと勝負して負けたって言い張るんだ。でもその時間、ぼくはずっと江久保と一緒にいたから、できるはずないんだよ」
「いつまでもしらばっくれないで! さてはあの技教えたくないんでしょ」
「星野、間城はやってないんだ」本当のことをすべて話すことにした。
「縁には関係ないッ! あたしはこの目でシロの隠された力を見たんだから」
「ちがうんだ! お前が見た間城は間城じゃないんだよ。なめくじ宇宙人が化けたニセ間城なんだ」
「なによ、それ?」不審そうな目つきに変わる。明らかにオレの話を信じていない目だ。
「どうしよう? また江久保がおかしくなっちゃった」間城に変人扱いされた。
「信じられないかもしれないが、本当のことなんだ。オレが星野にキスしろとなめくじ宇宙人にけしかけたんだ。すべてオレのせいなんだ、ごめん」
頭を下げて、心から星野に謝った。
「わけのわからない話でごまかさないで!」
「だから、お前にキスしたのは間城じゃないんだよ、本当にごめん」さらに頭を下げようとした。けれど、星野の声が聞こえづらくなったので、殺されるのを覚悟で顔をあげた。
そこにあるのは、当然、星野の怒り狂った顔だと思った。
だが、ちがった。
「だ、だ、だ、だ……」耳まで真っ赤にしながら、まごつく星野がそこにいた。
「えっ、どういうこと? 星野さんぼくのニセモノにキスされたの?」
間城が星野に詰め寄る。
「だれがそんなこと言ったのよッ! あたしが間城とそんなことするわけないでしょッ!!」
「へ? じゃあ、キスされてないのか?」とまどいながらもオレは星野に尋ねる。
「たしかにあのとき、シロが顔を寄せてきて唇が触れそうになったけど、あたしがイヤがったら、すぐに逃げたんだから」
「えっ、星野さんにそんなことしようとした人がいたの? ゆるせないッ!」
「あんただッ!」
「ぼくじゃないよ。だいたいぼくたちはまだそういう関係じゃないんだから、早いよ」
黒井のヤツ、また、だましやがったな。
「バレたか」その言葉とともに、オレのとなりからニョキッと現れたのは、見慣れた男の姿をした黒井だった。
「お前、よくものこのこと顔出しやがったな」どかどかと黒井に詰め寄る。
「まぁまぁ、そう怒るなよ。でも、江久保となら最後までやってもいいというのは、本当だぜ」
「気持ち悪いこと言うなッ!」鳥肌が立った。
「そこのふたり、なんの話してるの?」星野の人差し指がオレと黒井に向けられる。
「なんでもない。こっちの話さ。それよりもさっき、なめくじ宇宙人とか言ったことは冗談だから、忘れてくれ」
「そんなの最初から信じてないわよッ! 本当のところはどうなのよ?」
「お前にキスしようとしたのはまちがいなく間城だよ」
「えっ、ぼくそんなことしてないよ。さっきまで江久保と一緒にいたんだから」
「どっちなのよ?」星野がオレに訊いてくる。間城の言い分は信用に値しないらしい。
「だから、オレはさっきまでずっとひとりでいたんだから、間城が言ったのはウソなんだ」
「やっぱりそうなのね」腕を組んで星野がうなずく。
「どうしてそんなこと言うんだよ、江久保?」
「さぁ、いい加減、白状しなさいッ!」星野の腕が、オレの背中にすがりつく間城を力ずくで引きはがした。
「ちがうんだよ。今日の江久保はおかしいだよ」
おかしいのは、今のオレの瞳に映る、お前の困りはてた顔だよ。
「他人のせいにするなんて男らしくない」濡れ衣を着せられた間城に容赦のない言葉を浴びせる。さすが星野、オレの期待を裏切らない。
「本当にぼくはなにもやってないんだよッ!」間城の瞳に涙がにじむ。よし、ガンバレ、星野、もう少しだ。
「じゃ、あたしに無理やりキスしようとしたのもやってないというの?」
いいぞいいぞ、もっとやれ、星野。
「そんな乱暴なことぼくが星野さんにするわけないじゃないかッ!!」
「ふーん。あんなことしといて、まだウソつくんだ」意地の悪い笑みが星野の顔を飾る。
「ウソじゃない。ぼくを信じてッ!!!」
「信じられないッ! これ以上言っても教えたくないなら、もういい。勝手に盗むから」
「ええッ!? どういう意味?」
「フフン♪」その場に似つかわしくない、不気味な笑みを浮かべる星野だった。
おいおい、いったいなにをするつもりだ?
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