5 世界一か弱い男と世界一強い女 その2
昼休みになったとたん、教室を飛び出した。早弁したオレは迷わずトイレに駆け込んだ。目的は、今朝打ち合わせしたことをこっそりと確認するためだ。
あとから黒井が来たところなので、さっそく始めることにする。
「いいか。今からオレが間城をここに呼び出して時間かせぎをする。だから、そのうちに間城に化けた黒井が星野を体育館裏に呼び出すんだ」
せまいトイレの個室にふたりっきりになって、ひそひそ話をしていた。
ことがことだけに、だれにも聞かれてはいけない。
「でも、こんなことでほしいちごを呼び出すことが本当にできるのか?」
「大丈夫だって、さっき星野に『間城がお前と勝負したいと言ってたぜ』と言うと『いつでも受けて立つ』と言ってたんだから。お前は星野に『勝負したいから、体育館裏まで来て』と言えばいい」
「そのあと、勝負している最中にキスを迫るんだな。でも本当にこんなことしていいのか?」
「なんだよ、星野に殴られるのが怖いのか? 大丈夫大丈夫、星野がイヤがったら、怖くなったフリをしてすぐ逃げれば、いいんだから」
なにビビってるんだ、こいつ? あの世界一強い女から本気で唇を奪えることができるとでも思ってるのか? いくらなめくじ宇宙人だとしても、それは無理だろ。なにせ相手は怪力シートを――。
「あ、念のため言うけど、お前は怪力シート使うなよ」
「え~、なんで?」
「当たり前だろ! 体育館裏なんかで怪力シートを使った者同士の闘いなんかされたら、大騒ぎになっちまう」
それに、ホントに星野とキスしたらどうするんだよ。キスするフリだけで充分なんだから。
「わかった。成功するかどうかはわからないけど、なんとかやってみるよ」
「よし、さっそく間城に化けてみろ」
「急かさないでくれ。今から変身してみるから、ちょっと待ってほしい」
ゆっくりと黒井のまぶたが閉じられる。すると、黒井の体がみるみるうちに小さくなり、髪型や顔つきが間城に近づいていく。最後にメガネが肌色に変わり顔に溶けこんだ。
目の前にいるのは、どこにでもいるような地味な顔をした黒井ではなく、宇宙にたったひとりしかいないくらいかわいい顔をした、あどけない少年だった。
「うーん。そっくりだな」思わずうなり声が出るほどだった。
「ここでぼくは待ってればいいんだね」間城の顔した黒井の口から、高らかな声が透きとおって聞える。
「声まで似てるのか。これはぜったいにバレないな。よし、お前はとなりの個室から三回ノックが聞えるまで、ここに残ってろ」
「わかった。ほしいちごとキスする作戦が終わったら、ここに来て知らせればいいんだね」
黒井をその場に残して男子トイレを出る。オレは本物の間城がいる、教室に戻ることにした。
教室に入ると、まずはエモノの位置を確認する。エモノは弁当箱を自分のカバンの中にしまってるところだった。どうやら昼食を食べ終わった直後のようだ。
「間城、ちょっと話があるんだ。来てくれないか」やさしく呼びかける。
「あ、江久保。聞いて聞いて、さっき星野さんがぼくの顔見て笑ってくれたんだよ。ほんの少しだけ口元が動いただけなんだけどね」足取りの軽いエモノがこちらに近づいてくる。しっぽをフリフリと動かしてるのが見えるくらい、上機嫌な顔をしていた。
「そうか、それはよかったな」
昭和の少女漫画のような生ぬるい恋愛話は聞きたくない。
「それでそれでね……」
「間城、大事な話があるんだ。ここじゃなんだから、ちょっとそこまで来てくれないか?」
なるべく穏やかな顔をよそおった結果、エモノを男子トイレまで連れてくることに成功した。
「せまくて悪いけど、ここに入ってくれ」先にトイレの個室に入り、扉を開けたままうながす。
「えっ、なんでぼくまで?」
「となりの個室に人がいるみたいだから、だれにも聞かれたくないんだよ」
強引にひっぱって、間城をトイレの個室の中に入れた。
洋式便器をはさんで間城と向かい合う。
「でもだれにも聞かれたくないなら、わざわざだれか入ってるとなりに入らなくても、よかったんじゃないかな」
「……それもそうだな」
お前をニセ間城と鉢合せしないためだよ。
背中のうしろでとなりの個室を隔てる仕切りを三回ノックする。すると、となりから個室が開かれる音がした。
どうやらニセ間城は行動を開始したようだ。
「それで、どうしたの?」
しまった。なに話すか、決めてなかったな。昨日、作戦を立てたときは、眠気に負けてそこまで考えが及ばなかったんだ。
しかたない。今朝、星野にキスするように言ったことを謝っておくか。時期的にも自然な話題だからな。
「今朝言ったことちゃんと謝っておこうとおこうと思って」
「それはもう謝ったじゃない」
そういえば、ビンタされたあと教室に戻ると、すぐに謝ったんだった。
「そうなんだけど、あれくらいじゃオレの気がおさまらないんだ。ごめん。本当にごめん」
拝むように何度も頭を下げた。目的のためなら、オレのプライドなんて安いもの。
「いいよ。いきなりたたいたぼくも悪かったんだから。この話はやめにしよ」
間城は個室から出ようとする。
「待ってくれ。まだオレの気が済まないんだ」あわててそれを止める。
「そんなこと言われても、どうしたらいいの?」
「そうだな……」
必死に考えたが、思いついたことはひとつだけ。
「オレをたたいてくれ」
「ええッッ!? そんなことできないよ。だいたい、たたいたのはぼくの方なんだから、どちらかというと、ぼくがたたかれるべきだよ」
「お前のかわいい顔をたたけるわけがないだろッ! だからオレをたたいてくれ」直角に腰を曲げたまま頭を上げなかった。
「……できないよ。その気持ちだけで充分だから、頭を上げてよ」
まだか、まだ黒井は戻って来ないのか。
「お願いだから、もう謝るのはやめて」
ええいっ、こうなったらヤケだッ!
間城が星野にヘンタイ扱いされる姿を見るためなら、なんだってやってやる!!
便座の上に正座して、土下座した。コンマ五秒の早業だった。これくらいできくなくて、なにが偽善者だ。
「ちょっとちょっと、なにやってんの?」驚きに満ちた声が聞こえてきたが、頭を下げた今のオレには間城の顔はうかがえない。
「このとおりだから、どうかオレをたたいてくれ」個室の扉に向かって頭を下げつづける。
「江久保、どこ向いてぼくに謝ってるの?」
「便座の上はせまいからそっちの方に頭を下げることはできないんだよ!」
「そんなところで謝るからだよ」
ここしか、とっっさに土下座するスペースがないんだよ。
「わかったから、もうやめて」
「そうか。じゃたたいてくれ」便座から降りて、歯を食いしばる。
「それで江久保の気が済むなら、たたくよ」
間城の右手が開かれ、オレの頬をロックオンするため、構えの姿勢に入った。
「ちょっと待て、本当にたたくのか?」
今になって、少しだけ怖くなってきた。
「だって、たたいてくれって言ったのは江久保だよ」
「それはいいんだが、なるべく痛くないように手加減してくれないか?」
「そんなこと言うんだったら、たたくのやめる!」間城は右手の構えを解いた。
「待ってくれ。オレが悪かった。ちょびっとだけ力を入れてたたいてくれないか?」
「江久保がたたかれてほしくないんだったら、やめるよ」
そそくさと個室から出ようとする間城。
「いや、オレはたたかれたいんだよ。思いっきりたたいてくれ」涙ながらに訴えた。
「じゃ、やるよ」
バシン。頬に衝撃が走る。頭がチカチカする。今朝たたかれたときよりも数倍、痛かった。
「お前、本気でたたきやがったなッ!」思わず間城の胸ぐらをつかみかかろうとする。
「思いっきりたたいてくれって言ったのは江久保だろ。なんで怒るんだよ?」
「いや、つい怒ってしまったんだ、ごめん」
「これでいいなら、もう帰るよ」
まだだ。まだ黒井はもどってこない。
「待ってくれ。もっとたたいてくれ」
「えーっ、なんで?」
「オレがいいと言うまでたたいてくれないと困るんだよ」
「わかったよ、もう」とても困った顔をされた。
バシビシバシ。しばらく間城に往復ビンタされる。
なにやってんだ、オレは? これじゃただのマゾじゃないか?
いくらヘンタイ扱いされる間城を見るためとはいえ、なんでたたかれなきゃいけないんだ? だんだんムカムカしてきた。
「あ、間城。うしろうしろ」
「えっ、なになに?」
間城がうしろに首をまわした隙に、お腹をポカリと殴る。
「ちょっとぉ、さっき殴らなかった?」
「いや、殴ってない」首をブルブルと振りまわす。
「そうかな」疑いの眼差しを向けられた。
「それより、うしろに変なラクガキなかったか?」
「なにもないよ」
また間城が振り向いた隙に、背中をポカポカと殴る。
「今度は本当に殴ったでしょ」
「殴ってない殴ってない」首を激しくブルンブルン振りまわす。
「ホントかな」
間城が首をかしげたとき、個室がノックされる音が響いた。
「おい、江久保。いるのか?」
念願の黒井の声だった。救いの声が聞こえたことにオレは歓喜した。
「黒井~、やっと来てくれた。おそかったじゃないかッ!」
「わっ、どうしたんだ、その顔? 真っ赤に腫れてるぞ」
個室の扉を開けた黒井は、オレの顔を見て驚きの声をあげた。
「お前のせいだッ!」黒井の顔を容赦なくブン殴る。あいかわらず手応えのかけらもない、ぬちゃぬちゃとした感触だ。
「江久保、いきなり黒井くんになにやってるの?」
「うるさいッ! お前はたたき過ぎなんだよッ!!」ついでに間城の頭も堂々と殴ってやる。
「だから、たたいてくれって言ったのは江久保だよ。もう今日の江久保はおかしいよ」
間城がオレに不満を訴える。
「シロッ!!!」
オレが個室から抜け出すと、トイレの外からだれかの怒鳴り声が聞えてきた。
「あ、星野さんの声だ。どうしてぼくを呼んでるんだろう」
「ここにいたのか」真っ赤な果実のような顔をした星野が顔を出す。
「ちょっと星野さん、ここ男子トイレだよ」
「そんなことよりも、よくもよくも……」
ズカズカと間城に近寄る星野。
来た来た。ついに星野にヘンタイ扱いされる間城の姿が拝めるぞ!
「こんな負け方は初めてだ。あたしを弟子にしろッ!」
「へっ?」
「えッ?」
「はぁ?」
三人同時に氷づけにされた。
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