5月第3月曜日

5 世界一か弱い男と世界一強い女 その1

「やったよ、江久保! ついにぼくは星野さんとあいさつを交わすことができたんだ!!」

 週明けの月曜日の朝、教室に足を踏み入れた瞬間、間城からそう報告された。

「そうか。それはすごいことだな」

 星野が変わった。なんとあの無愛想だった星野が間城に質問されると、返事をするようになったのだ。

 星野の返事は「そうだ」「ちがう」の二種類だけだけど。

 なによりも、あの間城が星野に話しかける勇気を持てたこと自体が画期的なことだった。それはもう歴史の教科書に載ってもおかしくないくらいの大事件だ。

 ささいな変化だけれど、確実に間城と星野の仲が一歩前進してしまったのだから。

 万にひとつだが、星野が間城に好意を寄せる可能性が出てきた。それが恋心に発展してしまう、億にひとつの可能性さえも出てきた。

 今のうちになんとかして、若い芽を早く摘まなくては。

 速やかに行動を開始することにした。昨日、夜遅くまで練りあげた作戦がオレを突き動かしていた。

「間城、ちょっと来い」なにも知らず浮かれてる間城を手招きする。

「なになに」うしろから間城がぴょこぴょこついてくる。

 間城と一緒に男子トイレに入る。

 都合がいいことにオレたちの他にだれもいなかった。

「お前、星野を押し倒せ」間城にそっと耳打ちする。

「な、な、な、な」間城の顔が真っ赤に染まる。

「それがダメなら、キスしろ」

 そうすれば、確実に間城は星野にヘンタイ扱いされる。

 間城は赤面したままうつむいているので、表情をうかがえない。

「なに先週の金曜日、抱きつくまでいったんだから……」

「なんてこと言うんだッ!」

 バシン。一瞬、自分の身になにが起こったのか、わからなかった。あとから頬にひりひりとした痛みが広がる。

 こいつ、オレをビンタしやがったな。

「な、なにすんだよ?」

「ご、ごめん、江久保。……でも、相手が望んでもないのに、そんな勝手なことできないよ!」

 申し訳なさそうな顔をしつつも、間城はきっぱりと拒絶した。

「ちゃんと話を聞けよ。これは星野も望んでることなんだよ」

「星野さんはそんな人じゃない」間城は頑としてゆずらなかった。

「ホントなんだよ。なんなら星野に直接訊いてみるか?」

 さかさまホンをつけていれば、星野が間城にキスしたくなくても、キスしたいと聞える。

「星野さんにそんなはしたない質問するのはやめろッ! いくら江久保でもゆるさないぞぅ」

 つぶらな瞳をうるうるさせながら、間城が見つめ返してくる。もしかして、それで睨んでるつもりなのだろうか。

「なんだと、先週は自分から抱きついてたくせに、キスはダメなのかよ?」

「あれはあんまりうれしかったから、つい早まってしまったんだ。それに星野さんがイヤがったから、すぐに離れたじゃないか」

「あのとき星野はまんざらでもなかったぞ。それに星野はお前のこと好きなんだぞ」

「そういうことはもっと段階を踏んで、劇的なことがあったときに自然にするもんなんだよ」

「お前、恋愛に幻想持ってないか?」

 間城の顔と向き合ってると、だれかの気配がいきなり現れた。

「幻想持ってるのは江久保の方だと思うけど、一度も女とつきあったことないくせに」

 はかったかのようなタイミングで口を出したのは黒井だった。なぜかトイレのドアが開かれた音はしなかった。

 こいつ、どさくさに紛れて痛いところをつきやがる。神出鬼没なのは、あい変わらずだけど。

「江久保の言いたいことはわかるけど、星野さんは今までぼくがつきあってきたような人じゃない。ぼくにはわかるんだ。ぼくが抱きつくと、今までつきあってきた人はおいしそうな羊を前にした、飢えたオオカミのような顔をすることがあった。だけど、星野さんはちがった! 顔を赤らめて恥ずかしがったんだ。あんなに初々しい反応をした人は、初めて会ったよ」

 こいつ、今までどんな女とつきあってきたんだ?

「さすが恋愛経験豊富な人は言うことがちがうな。『恋愛に幻想持ってる』なんてテレビドラマの言葉を鵜呑みにしたような言葉を口にする、どこかのだれかとは大違いだ」

 悪かったな、テレビドラマで。どうしてこいつは人の痛いところを的確についてくるんだ?

「とにかく星野さんに失礼なことしたら、たとえ江久保でもゆるさないからね」

 ちょこんと眉間にしわを寄せながら出て行く間城だった。怒った顔もかわいいと思ってしまうのがくやしい限りだ。

「ちっ、タバコ持って来るんだった」ひさしぶりにひとりでタバコが吸いたい気分だった。

「そうやって地球人は健康を害すものを好むようになるんだな」

「うるさい! さっきお前が言った通り、たしかにオレはだれともつきあったことがないよ。でも、だからこそわかるんだ。恋愛はケンカだ」

「その根拠は?」

「今まで仲良くつきあっていた男女が明日になったら、血みどろのケンカしてたなんて週刊誌とかでよくある話だ」

「説得力ないよ。江久保はそうやって恋愛を悪いものと思いこむことで、女とつきあえない自分をなぐさめるんだ」

「オレは女とつきあえないから、恋愛しないんじゃない。人間はひとりなんだ。他人の気持ちを知ることは人の心を土足で踏み荒らすことになる。踏み荒らされた方も傷つくけど、土足で踏み荒らす方も傷つくんだ。少なくともオレは知りたくなかった。みんなに嫌われてるなんて」

 初めてさかさまホンをつけた日を思い出すと、今でも涙がこみあげてくる。

「それにしても間城のヤツ、ほしいちごにベタ惚れだったな。つきあう前からあれじゃ、案外フラれるのは、ほしいちごの方かもしれないな」

「わざとらしく話をそらすなッ! 元はといえば、お前がさかさまホンをオレに渡したから、こうなったんだぞッ!!」怒鳴りながら黒井の胸ぐらを掴みこむ。

「悪いとは思ってるよ」顔を背けてふてくされる黒井だった。

「じゃ、協力しろ。間城に化けて星野を襲うんだッ!」

 休日の夜をまるまる費やした、とっておきの作戦をオレは口にした。

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